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五輪真弓 45周年記念コンサート in 松本 [<九子の読書ドラマ映画音楽日記>]

たいてい大物アーティストは松本に来る。
郷ひろみや、このあいだの五島みどりは、松本から長野にまた戻ってきてくれたが、まあ松本でいったんコンサートをやってみたアーティストは、きっと次も松本で・・と思うだろう。

何しろサイトウキネン改めセイジオザワフェスティバルを長年支えてきた土地柄だ。松田選手が最後に属した松本山雅の熱狂的なファンがたくさんいるところだ。

それだけのエネルギーを爆発させ、一致団結し持続させていく力!残念ながら、敵わないなあと思う。こういうところが長野の人間はあっさりしすぎているのだ。

まあそれはともかく、五輪真弓。さすがだった!
思えば絶頂期の彼女のコンサートに行ったことは無かった。
出来すぎ母が晩年、彼女のCDを良く聴いていた。

「恋人よ」が中国でも評価されて、かの国でもカリスマのごとき人気だったことも承知していた。
でもわざわざ上京までしては行かなかったと思うが、松本だ。
松本に来てくれる!アッシー君M氏の同意も得た!(^^;;

オペラグラスに映った五輪真弓は、まるで小さな女の子のようだった。
最初の一、二曲は声の出もあまり良くなくて、本当にこれが五輪真弓?と正直思った。
なぜだろう?なぜこんなに違和感があるのか?

理由はすぐにわかった。
おかっぱに切った髪と、人のよさそうな笑顔がその原因だった。
思っていたより彼女は、とても小柄な人だったのだ。

絶頂期の彼女は笑わなかった。
背中まで伸びた長い髪と、背筋をまっすぐにして歌う贅肉のない骨張った身体が彼女をとても大きく見せ、「笑わない」という印象も、もしかしたら彼女の全身から発せられていた「堅い」「動じない」「揺らがない」意志のようなものが、勝手にそう思わせていただけなのなのかもしれない。

彼女のコンサートのすべてをアレンジするのが、彼女のご主人なのだそうだ。そのご主人の話をされる時はなおさら大きな笑顔になられた。

そうか。彼女は45年間の間に、恋をして、家庭を持ち、魂の安らぎを得て、いい意味で丸くなられたのだなと思った。

そんな穏やかな五輪真弓を堪能しながら今日のコンサートは終了するのだなと思っていたところへ、驚きのクライマックスが訪れた。

「少女」「恋人よ」「Born again」「花のように」と続く大団円だ。

「少女」は若き日の五輪を代表する曲と言われていたが、その歌詞をよくよく噛み締めて聴くことは無かった。彼女いわく、20歳で作った曲だという。

聴き始めてびっくりした。
たいてい20歳の女の子が「少女」という歌を作ったと聞けば、きっとそれは自分を題材にして書いたのだろうと思う。

その前に彼女は、自分には兄と姉がいて、三人兄妹の一番下だったと語っていた。エピソードも温かい家庭を想像させられた。

ところが「少女」には兄姉の影は無い。それどころか、家族団らんもない。
一人ぼっちの、言ってみれば九子の小さい頃のような、ここだけは絶対に違うが、鋭い感性を持って人生を達観した少女が、あたたかい陽のあたる真冬の縁側でぼんやりと坐っている。

少女の達観は、最初はつもった白い雪がだんだんと解けていくのを眺めながら、夢がこわれていくように感じている。
その次は仔犬たちが年老いていく姿を悲しみながら、夢が風の中で褪せて消えてしまったと捉えている。
そればかりか少女は、あたたかい陽のあたる真冬の縁側というありふれた日常に身をおきながら、自分もいつか木枯らしが通り過ぎる垣根の向こう側に行くことを、つまり自分自身もいづれ老いて死んでいく身であることをしっかりと見据えているのだ。

正直鳥肌が立つのを覚えた。

20歳でこの歌詞を書いた老成した女の子はそれからどう生きていくのか?果たして幸せに生きられるのだろうか?

「少女」「恋人よ」「Born again」「花のように」
クライマックスがこの順番であったことが大いなる救いだった。

誰もが知る五輪真弓の代表曲「恋人よ」は、「少女」が結ばれない恋をして苦しんだことを教えてくれた。
苦しんだけれども、「あの日の二人は宵の流れ星、光っては消える無情の夢」であったと、かけがえのない大切な思いを彼女は胸に刻み込んだはずだ。

「Born again」も「花のように」も、命と希望の歌だ。
「命はどこに旅立つのか、この身が風に散っても愛した心は永遠に」
「たとえ短い命でも愛する人を思えばその時を捧げたいすべて」

やわらかく優しい最後の二曲のおかげで、聴衆の心は安堵と喜びにあふれる。
ああ、あの感受性の強い、生きていくのが辛そうだった20歳の女の子も、温かい家庭と穏やかな日々に恵まれたのだな。
五輪真弓の人生は、才能や成功による喜びは無論だが、なんていうことの無い日常生活の平凡な喜びにも溢れたものだったんだな。

笑わなかった五輪真弓の現在の満面の笑みは、今まで見たどのステージに立っていたアーティストの誰の笑みとも違う穏やかさで、幸せのありかを見せてくれていた。
 

★ブログ「ママ、時々うつ。坐禅でしあわせ」 頑張って更新中です。能天気そのものの九子も、坐禅を知る前はこんなでした!是非お読みくださあ~い。(^-^)


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