薬剤師のピンキリ [<薬のこと、ダメ薬剤師のこと、家のこと>]
彼にはお悔やみ欄をつぶさに見る癖がある。
「おい、薬剤師さんがえらい若くして亡くなってるぞ!知ってるか?」
彼が告げた名前は、私の薬大の同級生で、同じく同級生の小、中と九子と同窓だった彼と結婚して、遠くから嫁いできた彼女だった。
彼女は一人っ子。さぞやご両親様は寂しい思いをなさっただろうと思う。薬剤師にまでした一人娘が遠くへ嫁に行ってしまうのだから・・・。
何度も言うけれど、大学時代の九子は友達もいないどころか、他人が怖くて仕方の無い未熟な娘だった。だから彼女とも、後に彼女のご主人になる彼とも、そんなに深く話したことはない。
ただ彼らはクラスの中でとても目立った。
彼はウエーブのかかった長髪にバンダナ、そしてタンクトップにジーンズの出で立ち。いかにも自動車部という風体だった。軽音(軽音楽部)と掛け持ちもしていたんじゃないのかな?
彼女の方はそんなに派手な身なりではなかったけれど、九子の記憶の中で彼女は細長い指で器用にタバコを吸っていた。
そんな二人が卒業し、結婚して長野へ戻って来て、彼が長野市薬剤師会に取り込まれて保険部長になった時はびっくりした。
あの時の長髪やタンクトップの挑発的な彼はまったく影を潜め、きちんとした身なりの老成した薬剤師然としてしまったからだ。
彼の家はもともと薬局で、お母上さまは私の母と薬専同級生だ。
薬局はもともと日赤の目の前に立っていたのだが、日赤移転に伴って新しい日赤のそばに新店舗を作った。
そして、新たに薬剤師も数人雇って、大きな調剤薬局をしていた。
その頃からか、彼女が度々薬剤師会で発言したり、プレゼンテーションをしたりする姿をみかけるようになった。
実は九子は、彼女がまだ九子に毛が生えた程度の薬剤師さんだと思い込んでいた。
子供だって小さいし、まだまだでしょ!
ところが彼女はその頃から、確実に実力を溜め込んでいたのだった。
我が家の何十倍、いや何百倍もの処方箋を扱い、たくさんの患者さんに接することによって、本来の薬剤師が身に着けなければならないスキルと患者さんへの心遣いを。
残念ながらその後彼と彼女は別れてしまう。ちょうどお子さんが独立するのを待っていたように。
そんな頃、九子は偶然彼女に出会った。薬剤師会の会合以外、卒業してから口を利くのは初めてだったかもしれない。あれは確か、どこかのスーパーの入り口の階段のあたり。
どんな話をしたのかつぶさに覚えているわけではないが、彼女のこんな言葉が印象に残った。
「私はねえ、この仕事をしたことが自分が成長出来た原因だと思ってるの。私を変えてくれたのは今の薬剤師の仕事ね。」
凄い!凄すぎる!
薬大で同じ時間を過ごしてから30年で、人生ここまで差がついてしまうのだろうか?
かく言う私は雲切目薬の売り子。たまに処方箋は来るけれど、薬の用意も少ないし、出来たら処方箋など来て欲しくないのが本音!
ところが彼女は処方箋調剤が生きがいなのだ!
薬大の同級生という立場上、彼女のお通夜に行ってみた。
やつれた感じのしない穏やかなお顔だった。
先輩薬剤師の話を聞く限り、事情はこんな風だった。
ある薬剤師さんが、もう年でもあるので、自分の薬局をすべて居抜きで買ってくれる人は無いかと探していた。そこに手を上げたのが彼女だった。
彼女はきっと薬剤師生活の最後に自分だけの店を持ちたかったのだと思う。
その薬剤師さんもいい人に買ってもらえると喜んでいたそうだ、
話が本決まりになって、さあいよいよというところで、突然彼女の側からキャンセルがはいったのだそうだ。それが3ヶ月ほど前。
何が起きたのかさっぱり知らされないまま、その人は落胆していた。せっかくよい条件で薬局が譲渡できると喜んでいたのだから・・。
そして1月のはじめ、彼女の訃報が届いたというわけだ。
彼女は肺がんだったのだという。
大学時代にタバコを吸っていた彼女を思い出した。
その後も吸っていたのだろうか?
すぐに失礼するつもりが、先輩薬剤師さんと話し込んでいて中座の機会を失ったまま納棺式に立ち会うことになった。
彼女の家は浄土真宗で、亡くなると同時に極楽に行けるという教えなので、お棺の中に旅支度と言われる装束を入れなくても良いのだという。
そして最後に故人の一番好きだったものを入れる段になり、お嬢さんが大切そうに入れたもの。
それはきれいにたたまれた白衣と、薬剤師のIDカードだった。
A子さん、あなたの人生を顕すものは、たった一つ。
薬剤師の仕事着は、燦然と光り輝くあなたの勲章!
正反対のものを表す言葉にいくつかある。
ピンとキリは良く使われるが、どちらが良くてどちらが悪いのかいまひとつ釈然としない。
では月とスッポンならわかりやすいだろうか。これもまあ、今の世の中ならスッポンも高級品だから、昔ほどの差は無い気がする。
とにかく同じ丸いものでも天井の月と泥の中のスッポンということで比べられたみたいだ。
同じ薬剤師免許を持っていても月はA子さんで、九子はスッポンだ。
スッポンの証拠に、九子は泥のように眠るのが何より大好き!(^^;;
泥の中のスッポン九子は、月を見上げて語りかける。
「ねえ、Aさん。あなたのことなんか全然羨ましく無いわ。(負け惜しみ(^^;;)
出来る薬剤師ってさぞや忙しい人生だったでしょう。
あなたはそれが生きがいだったのね。
でも私は違う。
不器用で、そそっかしくて、調剤薬局じゃあ使い物にならなかった薬剤師だから、調剤なんか最小限で、一枚の処方箋すごく時間かかって調剤して、それでもまだ間違えたりして・・。
でも出来すぎ母は、きっとそんな私のために雲切目薬遺して行ってくれたんだと思う。
これがあるおかげで、そんなに一生懸命調剤しなくてもそこそこお金は入ってくる。
知ってるわ。私が特別運が強いということ。
それをわかった上で、敢えて言いたい。
Aさんが薬剤師の仕事によって成長したように、九子だって少しは成長したんだから。
成長がまったく見えないって?
まあまあ・・。(^^;;
九子はね、あなたと机を並べていた頃、とっても不幸だったの。
無理やりにこにこしていたの。自分の不幸を悟られないように。
そして坐禅(座禅)に幸せをもらったの!!
今は本当に明るくなったわ。」
坐禅(座禅)のブログも御覧くださいね。(^-^)
彼女に心よりのお悔やみをもうしあげます。
人の生涯について、何だか心がしんとなるほど考えさせられました。
奔馬のごとく頑張り続けてようやくご自身の夢がかなう直前に召される。
「生き急いだ」という印象が強く残りますが、絶頂にあって逝かれ、人生の黄昏を味わう前に終えられたのは、まだしも救いも感じさせられました。
心よりお悔やみ申し上げます。
by 伊閣蝶 (2018-02-10 12:45)
伊閣蝶さん、コメントありがとうございます。
そうですね。一応お子達も一人前になられてますし、そういう意味では心残りはなかったと思いますが、彼女の夢の薬局が実現する前に逝かれてしまったのは本当にお気の毒に思います。
白衣とIDカードのほかは見事に何も入れられませんでした。お子さんたちも彼女の仕事に対する姿勢を分かっておられたんだなと思いました。
潔い一生だったとそればかりを思います。
ゆっくりと休まれることを祈るばかりです。
by 九子 (2018-02-10 23:32)