五輪真弓 45周年記念コンサート in 松本 [<九子の読書ドラマ映画音楽日記>]
★ブログ「ママ、時々うつ。坐禅でしあわせ」 頑張って更新中です。能天気そのものの九子も、坐禅を知る前はこんなでした!是非お読みくださあ~い。(^-^)
福田君を殺して何になる [<九子の読書ドラマ映画音楽日記>]
♡
カゲロウのカゲ [<九子の読書ドラマ映画音楽日記>]
だからそれっぽく言ってみよう。
ONE OK ROCK とTaka [<九子の読書ドラマ映画音楽日記>]
次男が持って来たポテトチップスの筒型スピーカーで、次女が一心不乱に音楽を聴いている。ポテトチップスを10缶買うともらえたらしい。
おもちゃみたいなスピーカーの性能にも興味が湧いて、ちょっと聴かせてもらった。
ははーん。ピンと来た。
森進一と森昌子の息子だ。昔確かジャニーズに居たけど、勉強を優先するとかで辞めた子だね。
ネット画像で見るtakaは、父親の口元と母親の目元をそのまま映しこんだような顔立ちだった。
次女の感性はなかなか鋭い。彼女がファンになるのは、決って実力があってビッグになるグループばかりだ。
いや、one ok rockはもう十分過ぎるほどビッグだった。アメリカ、ヨーロッパのツアーで、一年の半分は日本に居ないらしいし、ワーナーブラザーズという大看板がアメリカのスポンサーだそうだ。
takaの英語は専門家も絶賛しているらしく、100%ネイティヴの発音と言われている。
ヴォーカルの英語力に関してはその巧拙が海外進出を左右するようで、かのX-Japanが日本だけで留まった理由もその辺のところらしい。
takaは所謂帰国子女でも、インターナショナルスクール出身でもない。
幼い頃から父親の歌ばかりを聴かされ続けて育った環境と、プロの演歌歌手二人のDNAを受け継いだ結果、耳が非常に良いのだろうと思う。
もちろん彼は英語で作詞もする訳で、英語を習得する努力も厭わないのだろう。
森進一は、九子よりも少し年上の戦後の混乱期真っ只中の生まれだ。
九子はもちろん戦争は知らないが、九子の小さい頃、街にはまだ傷痍軍人(しょういぐんじん)と呼ばれる軍人(の格好をした人)が、よれよれの軍服や厚手の着物を着て軍帽をかぶり、筵の上で短くなった手足をさらして物乞いをするのを何度も見かけた。
あの時代、軍隊の悪しき風習だろう体罰は、今よりもずっとずっと当たり前だった。
九子の小学校の先生もすぐに平手打ちが飛んでくる厳しい先生だったが、母親たちの尊敬を集めていた。
そういう時代に、聞けば、貧しい家庭で苦労して育った森進一は、血のにじむような努力をして日本一の演歌歌手にまで登り詰めた。
そうして頂点を極めてリッチになった彼が、今の贅沢な生活に甘んじることなく、苦労も厭わないように子供たちを厳しく躾けて、時には体罰も辞さなかったというのは、なぜか当然の事のように納得してしまう九子が居る。
いつの時代もそうだろう。厳しく躾けて伸びる子と、厳しくされると萎縮してしまう子がいる。厳しくされて結果を出す子は、もともと強い子だけだと思う。
そして、手を抜いて育てた下の子のほうが、結構逞しいのよね・・という事も。
takaは強靭な意志と反骨精神を持った強い子供だった。
厳しく躾けられても、それに反発し、抵抗する強さを持っていた。
親の敷いたレールどおりには歩まなかった。
彼が歩んだ道が順風満帆ではなかったことがそれを示している。
one ok rockというバンド名は、結成当時午前一時頃からバンドの練習を開始していたからだそうだ。
ジャニーズを辞めて、精神的に辛い何年かを経て、新参者のヴォーカルとして入ってきたtakaだが、彼は若い頃から「オレがお前らをきっと世界に連れて行く!」と豪語していたそうだ。その夢が、もはや現実となった。
まだ15や16で、「オレはオマエラを世界に連れて行く!」と宣言出来る自信は、いったいどこから来たものなのだろう?
昭和の時代、作詞家は作詞だけを、作曲家は作曲だけを、そして歌手は歌い手と言われて歌うだけだった。
ところが現在は作詞も作曲も自分でこなすアーティストばかりになった。
相変わらずの分業が残っているのは、takaの両親が今でも属している演歌の世界ばかりのようだ。
演歌というとどうしても「私を見捨てないで!」という女々しさが鼻につく。それが九子があんまり演歌を好きではない理由の一つだ。
「私を見捨てないで!」を英語にすれば、ちょっと強引だが、”Don't go!"だ。
ところがこの"Don't go" は、全然女々しくなんかなかった。
もしかしたらこれがtakaの、親の音楽に対する反発であり、命がけで表現したかった彼のロック魂なのかもしれない。
だからどこか、浮世離れした病的な感じを受けた。
takaの強さの理由だが、もしかしたら父親の体罰と無縁ではないかもしれない。
takaは若干30に手が届くか届かないかの若さながら、そういう生き方を10年、20年続けてきた。
それに比べたら政治家が昨日今日思いついて口にするスローガンなんて薄っぺらに思える。
そして、今私たちが英語交じりの歌詞をかっこいいと憧れるように、世界の人たちがtakaの使う日本語に惹かれる日がくるのかもしれない。
その時も、会場でtakaが叫び続ける言葉は同じ。
「前を見ろ!希望はオマエラの目の前にある。後ろを振り返っちゃダメだ!」
ロッカーはファンにとってはいつでもまぶしいカリスマだけれど、takaの変わらない言葉は日本人すべてをも突き動かす力がある。
ONE OK ROCKを聴き続けよう。( ^-^)
出会いの不思議 [<九子の読書ドラマ映画音楽日記>]
「ゼロ 」 堀江貴文 [<九子の読書ドラマ映画音楽日記>]
長野刑務所と言っても、長野市にあるわけではない。長野の隣の須坂市にある。
そこはいつもひっそりとしていた。
堀江貴文という人は、2年も収監されるほど悪い事をしたのか?一体どんな罪だったのか?
「ゼロ」はそのタイトル通り、すべてを失った堀江氏が出所して文字通り「ゼロ」の時点で書かれたものだ。
潔いと言えば、彼は刑務所で過ごした日々を全く悔いていないようだ。愚痴ることもない。
どんな失敗をしても、絶対にマイナスにはならない。ゼロになるだけだと説く彼の理論は終始一貫している。
もしもあなたが変わろうとしているならば、僕のアドバイスはひとつだ。
この本は堀江貴文少年がどういう少年時代を過ごして東大に入り、東大でどんな生活をして、会社を立ち上げ、成功者として有名になったかの、言わば半自伝小節である。
ところが彼に言わせると、当時の堀江家は共稼ぎで、両親が文化的というには程遠い人々だったため、家にはただ当時のステータスシンボルであった百科事典だけが見栄を張るようにおいてあり、それ以外の本が一冊も無かったため、仕方なく読んだものだという事だった。
それに読み始めたときはまだ小学校の中低学年だったに違いないから、漢字や言葉の理解力も人並み以上に優れていたのだろう。
堀江氏の著書はなんと百冊以上に及ぶのだそうだ。非常に読みやすく面白いから、きっとこの時の経験が彼の国語力の礎になったに違いない。
彼の家族は凄まじい。
彼が刑務所で働き詰めに働いて一日の疲れを癒した布団のぬくもりは、家庭の温かさなどではなくて、たった一度だけ背負われたことのある曽祖父の背中のぬくもりの記憶だった。
刑務所に入れられたことでは愚痴一つ言わなかった堀江氏が、小学校の時の人生でたった一度きりの一泊二日の東京旅行の思い出では、せっかくの東京でのたった二回の食事が、全卓インベーダーゲーム機の安っぽい喫茶店と、駅の立ち食いそば屋だったことを、思いっきり悔しがって書いている。
なんだかホリエモン、子供っぽくて可愛らしいなあという思いと、たった一度の家族旅行に描いていた自分の夢が一つも実現されなかったら、特に彼のようなこだわり屋にとっては歯がゆいだろうなあという思いが交差する。
彼の事を現役で東大に入った天才と思っていたが、実は仕事大好き人間の努力の人だった。
この本の最初に書かれているのも、
それともう一つ、彼の気に入ったことへののめり込み方は凄い。要するに物凄い集中力で、時間を忘れてとことんやるのだ。
こういう形の天才を九子も何人か知っている。
そういう彼の原動力は、なぜか死への恐怖なのだという。
実は上記の天才の中には、同じように小さい頃、死に対する恐怖を感じてそれが尾を引いていると語る人がいた。
つまり、「掛け算の答え」をもとめているあなたはいま「ゼロ」なのである。
ちなみに「掛け算の答え」とは、堀江貴文の講演会などに参加して、手っ取り早く成功する方法など探ろうとすることだそうだ。
夢をあきらめない話 [<九子の読書ドラマ映画音楽日記>]
仙台の裕福な旅館のお嬢さまだった彼女は日本のコンクールで優秀な成績を上げて、意気揚々とかの地に乗りこんだ。
一体どこがいけないのだろう?
クラスメートのイタリア人は、母親のお腹の中にいる時からオペラを聴いて育っていた。
日本人の自分がちょっとやそっと声が良いくらいでは到底太刀打ちなど出来ない。
絶望の中で泣きながら電話をかけると、ふるさとの父の優しい声がこう言った。
「おまえはそっちで生活を楽しんでいるのかい? イタリア人はみんな楽しく生きているのだろう? おまえも充分に楽しんでおいで。」
そして彼女は絶望のフチから這い上がる。
父の言うとおりだ。一体私は何をしていたのだろう?
その日から彼女はカフェでアルバイトを始める。学校の授業はもう二の次だ。
普通の人々の当たり前の生活の中で、彼女は学校では決して学べないイタリア人の日々の暮らしの楽しみ方を、陽気に飲み歌う喧騒の中で、自分でも大いに楽しみながら学んでいった。
この時彼女の中で何かが壊れ、何かが始まったのだろう。
言い換えれば、何かをあきらめることによって、新しい何かが手に入ったということだ。
そしてその新しい始まりは、最愛の彼女のお父様の言葉がもたらしてくれた。
その後の彼女の活躍ぶりは万人が知るとおりだ。
彼女はオペラ歌手というよりもミュージカル歌手として、幅広い活躍を続けている。
松方弘樹と言えば、マグロ! マグロと言えば大間!
その時に彼が「マグロの臭い」と口にした。
マグロが獲れる時には海からマグロの臭いがするのが彼にはわかるのだという。
沖に出てもマグロの臭いがしない日には、さっさと漁をあきらめて引き上げてくるのだと言う。
海がマグロの臭いになるという話の面白さはもちろんだが、上手にあきらめる話が続いたので、なんだか興味深かった。
例によってウツっぽくはあったのだが、コンサートは夕方6時半始まりでその時間帯になるとウツは軽くなるし、何より上田市の新設ホールサントミューゼとあっては、知人に会う心配はほとんど無い。(ウツの症状が出ると知人に会うのが辛くなります。)
だから安心して出かけられた。
フジコさんは、CDジャケットで見るそのまんまのフジコさんだった。
フリルのついたふわっとしたドレスは彼女の手作りだそうで、理由は彼女の体型に合う服が見つからないからだそうだ。
彼女は16歳の時に中耳炎で右耳の聴力のほとんどを失う。
その上、苦労の末にやっと掴んだデビュー直前に、またもや風邪による中耳炎が残っていた左耳の聴力も奪ってしまう。
風邪を引いたのは、貧しさ故に暖房も無い部屋に住んでいたからだそうだ。
音の無い世界に住むことを余儀なくされた彼女が、小さい頃から好きだった絵画や手芸に惹かれるのは当然といえば当然だったのだろう。
大舞台のデビューを逃した彼女は、耳の治療を続けながらピアノ教師としてほそぼそと生計を立てた。
そのうち、失った左耳の聴力の4割は回復していた。
不遇な時代が長かった彼女は、母の葬儀で日本に戻った1995年に、聴力を失って才能を開花させることが出来なかった悲劇のピアニストとして注目され、にわかに有名になった。
いつも必ずと言っていいほど演奏される彼女の代表曲 「ラ・カンパネラ」
実はその少し前、何気なくテレビで辻井伸行君の「ラ・カンパネラ」を聴いてしまった。
力強い正確なタッチ、少しの乱れも迷いも無く、若い情熱とエネルギーの全てを注ぎ込んだ魅力的な演奏。
はっきり言って、聴かなきゃ良かったと思った。
80代のフジコさんの演奏が完璧な辻井君のを超えられるとは思えない。
彼女は、決して恵まれたピアニストではなかった。「私の指は太いのよ。」と見せてくれた指は、確かに普通の人の1.5倍はあろう。
ミスタッチが多いと言われるのもそのせいかもしれない。
それでも彼女はピアノが好きだった。決してピアノを捨てなかった。
彼女が一番楽しかったこと。それは夢多き若い頃、ピアノの勉強のために渡ったドイツから日本に戻る船の中で、ピアニストが居ないからと請われてダンス音楽をピアノで弾き、皆に絶賛されたことだったと言う。
高齢の品のいい紳士が「お嬢ちゃん、とても素敵な演奏でしたよ。」とキスをしてくれた。皆が喜んでくれ、フジコさんもとても嬉しかった。
自分の歌が、演奏が、誰かを幸せに出来るとわかったら、これほど嬉しい事は無い。
諦めというのは禅語で「諦観(ていかん)」と言うけれど、これは決してギブアップするのあきらめるという事ではなくて、明らめる、はっきりと理解する、知り尽くすという事だ。
今のこの状況で自分は大きな夢はあきらめたけれど、では今の自分には一体何が出来るのだろう。好きな音楽を続けるために、一体何をすれば良いのだろう。それを極めつくし知り尽くすことだ。
きっと二人とも凄く悩んだに違いない。悩みながらも音楽は止められなかった。
そうだ。大好きな事は何があっても決して止められない。
そしてその好きと言う奥底に、若い頃に魂に刻まれた音楽の楽しさがあった。
下手とか上手とかに関わらず、好きな事がある人は幸せだ。
それを続ければ、努力し続ければ、(好きならば努力も容易いはずだ)
きっとあなたの夢は叶うはず!(運もあるけど.....)
想いを伝えるということ [<九子の読書ドラマ映画音楽日記>]
作詞作曲は中島みゆき。原曲も中島みゆきさんだ。
https://www.youtube.com/watch?v=27ieR6fe7bc
哀しい時にも強がってしまう女の性(さが)を、さらっと歌って聴かせる歌手だ。
いい意味でも悪い意味でも彼女は鼻っ柱が強い。
自分でも泣かないし、聴いてる側に泣く事など望んでいないのかもしれない。
歌のうまい人だなあという印象はずっと持っていたが、今まで積極的に聴こうとは思わなかった。
小さい男の子が出てくるビデオも良かった。(この子はママ友バトルを描いた『マザーゲーム』に出て来た主人公の息子役の子?)
でも時に、耳にささやくような感じで「想いを吹き込む」といった歌い方をすることがある。
言い方は変かもしれないが、口をとがらせて、漏斗(ロート)で想いを直接注ぎ込むような、そんな歌い方だ。
こういう歌い方をする人は、皆、歌の上手な人ばかりだ。
例えば、平原綾香もしかり。平井堅もしかり・・。
そうした方が胸の想いがより伝わりやすくなるのかもしれない。
力のある作家が作り、うまい歌手が魂を注ぎ込むようにして伝えてくれるその情景は、聴く者すべての心にいとも巧妙に、いともやすやすと刻みつけられるけれど、その情景に縛られるが故に、自由な想像を差し挟むというのは難しいのかもしれない。
ホールには濡れた傘の持ち込みも制限されて、楽器の響き方や音色に影響しないような配慮がなされている。
こんなところにも音のプロを自認する人たちのプライドが感じられる。
ハッキリ言うと、音の切れ間で会場が一瞬シンとした時や、「ここだけは静かにして欲しかった。」というところに限って、まるで掛け声みたいな泣き声が聞こえるのだ。
ピッタリはまって聞こえるのは、まあ、見事と言う他はない。
「ナリコマヤー」とか、「ナカムラヤー」みたいな感じ。
自分の音に集中しきっていて微動だにしない。
そしてあれっ?と思った。
どうしたんだろう。みんないっせいに寝ちゃったのかな?
幕間になって村中大祐氏が挨拶される。
「子供たち、みんな静かに聴き入ってくれてましたね!」
本当にぴったりと泣き声がしなくなってしまった。最初は聴き入り、そのうちそれが子守唄になって、すやすや寝てしまったということなのか?
コンサートの途中、赤ちゃんの脳の中で、きっとこれに近いことが起こったのかもしれない。
なんだか変てこなところに連れてこられて、聞いたことの無い音がする。だから最初は不安に思って泣いていた。
ところがだんだん、その音を聴くのが気持ちよくなってきた。気持ちいいから静かになった。眠くなった。
音楽の大天才が心血注いで作り出した大曲を、才能ある奏者が技巧を凝らして奏でるから・・。
その人は超一流の弾き手であり、世界で活躍する有名な奏者だから・・。
つまり類まれな才能と努力で競争を勝ち抜き、一等賞を取った人が、楽聖が紡いだ曲を名器と言われる高価な楽器を使って、この世のものとも思えない音を生み出すから・・。
「音の美しさに、いつの間にか涙が流れていたのよ。」
片や赤ちゃんが泣かなくなり、片や老婦人が泣ける話だが、根っこにあるものは同じだと思う。
そのために血の出るような努力をする。
もちろんそんなことおくびにも出さずに、あっさり、楽々と、楽しげに弾く。
きっと難しい知識は要らない。もちろん知識があった方が理解は広がるのだろうけれど・・。
身で、心で咀嚼して、最高に楽しむ。そして夢見心地になる。
素晴らしい音楽を有難う!
あなたも一度是非いらしてみては?( ^-^)
セカンド・ラブ [<九子の読書ドラマ映画音楽日記>]
どうも九子が見ているテレビはすべからく視聴率が悪いらしい。
たとえば平清盛以来なんとなく見続けているNHKの大河ドラマ。
平清盛は確かに以前の「絵」と比べると汚なさが際立っていたけれど、まあ考えてみれば当時の生活をより忠実に描こうと思えばああいうことになったのだろう。
去年の黒田勘兵衛だって、視聴率は苦戦していたらしいけど、面白かった。
何より勘兵衛のおじいさんが目薬屋だったというのが気に入った!( ^-^)
勘兵衛の家の目薬は、「めぐすりの木」を使ったものだったと言う。
今年の「花燃ゆ」の視聴率は、更にいけないことになっているらしい。
だけど九子は第一回に感動してしまった。
日本の夜明けに船を漕ぎ出す若者たちの心意気が言葉の端はしにみなぎっていて、希望と勇気を与えられた。
歴史嫌いだった九子が名前しか知らない登場人物たちの人となりが垣間見えるのも楽しい。
だから、毎回なかなか見ごたえがあって目が離せない。
大河ドラマはいくら視聴率が悪かろうと、「見てます。」と言うのは誰の前でも容易い。
ところがどうも「見てます。」と言いにくいのが、今回のタイトル「セカンド・ラブ」なのだ。(^^;;
悪いけど、亀梨くんも深田恭子もほとんど興味なかった。
興味があったのは、昼メロじゃなくて夜メロという言葉!
それに大々的に宣伝されていたベッドシーン。(^^;;
ところでメロドラマのメロってどんな意味?
いろいろ見てみたが、男と女が不倫をする・・みたいな意味は皆無だった。
単純にmelodyから来る、要するに歌劇という意味だったらしいが、今日では衝撃的な内容のドラマを一般的にメロドラマと言うらしい。
主人公の平慶(タイラケイ)はコンテンポラリーダンサー。つまり現代舞踊の踊り手である。
所属していたドイツの劇団を解雇され、現在は就職活動中。
ただし、いつ世界からのオファーが来るかわからないので、いつやめても良いように仕事を選んでいる。
とは言うものの、実際は日雇いの肉体労働に甘んじているのが現実だ。
ドイツの劇団で彼の後がまに入ったのは一之瀬佑都。
天才的なダンサーであり、欧州の劇団に日本人二人は不要という事なのか、彼が入ったがために慶は追い出される形になった。
「君ほどの才能があれば職なんてすぐに見つかるだろう?」別れる時ドイツ人の団長はそう言った。
ところが、彼にどこの劇団からのオファーも来ない。入団テストも落選続き。
その時から、彼の心をよぎるある疑問。
「席が無いということは、才能が無いという事なのか?」
もう一人の主人公は高校教師の西原結唯(にしはらゆい)
辛辣な女の園の今時の高校生は、鵜の目鷹の目で彼女を見ては、噂の種を日々探している。
彼女と上司、高柳太郎との不倫は、生徒たちに知られないまま五年が過ぎた。
高柳の家族は妻と子供二人。息子は東大受験を目指している。
表面上はとても穏やかな家族の間に、さざ波が立とうとしていた。
結唯の母を、 結唯は娘として愛しながらも、その過干渉と身勝手さに辟易している。
別々だった慶と結唯の日常が交差する日が来る。
それは、平慶が西原結唯を初めて見初めた日。
頼みの綱だった最後の入団テストにも落ちて、夢を見出せないで居た慶の目の前に突然現れた幸運の女神!
それが西原結唯だった。
結唯は慶より6歳も年上。
だけどいいよねえ、美人のナイスバディーは!(^^;;
結唯と知り合ってから、慶の運命は見る見る好転していく。
まずは慶が所属していたドイツの劇団の日本公演が決まったと団長から慶に電話が届く。
もちろん主演は一之瀬佑都だが、日本のスタッフとのやり取りに通訳が要る。
その通訳を慶にしてくれないか?という提案だった。
また何かチャンスが巡って来るかと喜んだ慶にとっては屈辱的な仕事。
それでも慶は、結唯との生活のために、依頼を引き受ける。
結唯と暮らしていなければ、絶対に引き受けなかった仕事だ。
ところがそこで、慶はチャンスを掴む。
主演の一之瀬が怪我をし、こんな状態では踊りたくないと言い張る。
それを慶は、彼の才能の素晴らしさを語り、振り付けを負担にならないものに工夫し、実際に踊って見せ、穴をあけることなく舞台を終わらせることに貢献する。
彼の活躍は新聞で大見出しで報じられることになり、以来「振付師」としての彼の名前はビッグになっていく。
この回はちょっと皮肉な結末だった。
慶は一之瀬のダンスの素晴らしさに感動する。一之瀬のために自分が舞台を追われたという悔しさよりも、何よりその見事さに感動している自分を発見する。
そしてその瞬間こそ、彼が今まで追い求めてきたダンサーの夢が終わる一瞬だったのだ。
ところがそれはもうひとつ、慶の才能が開花する瞬間でもあった。
慶の振付師としての才能だ。
だけどさ、世の中ってこんなにうまいこと行くものだろうか?
よく言うじゃない!いい選手、即ちいい監督じゃあないって。
その言葉通り、長島さんが監督してた時、彼はいろいろボロクソに言われ続けた。
ダンサー一筋にやっていた人間に、そんなに簡単に振付師が務まるのだろうか?
そんなラッキーストーリーではなくて、「席が無いということは、才能が無いという事なのか?」というところをもっと深く追求して欲しかったな。
(あなたの言うなりにドラマは進みませんって。(^^;;)
そもそも人間の才能を決めるのは誰なんだろう?
その道のプロ?批評家?観客?それとも、本人?
平慶応は、自分の才能が一之瀬佑都に完璧に及ばないと悟った時に、「慶、お前が代わりに踊るか?」と言う誘いの言葉を断った。
結局これじゃないかな?
自分の才能なんて、他人にとやかく言われて気がつくものじゃない。
その他人が、たとえ偉い先生であれ、批評家であれ、そんなこと本当は関係ない。
自分の才能は、最後の最後まで自分が信じ続ける。
根拠なんか無いけど、なんとなく自分は人に負ける気がしない。
だって、これだけ努力した。思う存分やって来た。
自分と同じように出来る人間を他に知らない。
だから自分には才能がある。
誰が何て言ったって、その思いは揺るがない。
そう信じること。そう信じ込むこと。
そう信じ込めるかどうかが最後の砦だと思う。
そう信じ込めなくなって、素直に一之瀬の素晴らしさに脱帽した時が、平慶のダンサーとしての才能の終わり。
もちろん幸運なことに彼には振り付け師という才能もあった訳だから、それならそれでもいい。
他人はいろんな事を言う。正解なんて何も無い。
いちいちそんなどうでもよい事に煩わされるよりも、たった一人、自分だけは自分の味方でありたい。
永遠に自分の味方でありたい。
そんなことを、九子は考えてしまった。
物語は進んで、慶は振り付け師として更にビッグになって、どうやら今度はロンドンデビューが待ってるらしい。
このチャンスを逃さずに、言葉の要らないバレエの世界で世界に羽ばたく夢を見る慶。
それとともに、単純に結婚して、平凡な暮らしを望む結唯との間に、日常の上でも気持ちの上でもすれ違いが生じる。
慶はどうするのだろう。気心も知れていて、語学も堪能な仕事仲間の元カノに、また気持ちは移っていくのだろうか?
だけど九子は信じたい。
慶が見初めた、女神だと思った、そして実際に幸運を運んできた女神の結唯を、そんなに簡単に嫌いになれるものだろうか。
一つの仕事に徹する人間は、きっと女性にも一途だと思う。
その一途な努力が、今日と言う日の幸運をもたらしたのだ。
いろいろあっても、きっと慶の方から別れを切り出すことは無いと思う。
それが男だ!男気ってやつだ!
来週も、九子が思うように物語は進まないだろう。
だけどきっと、九子はセカンドラブを見ていると思う。(^-^)
ヴァイオリニスト飯島千鶴さん [<九子の読書ドラマ映画音楽日記>]
ああ、またしても!!
山本貴志というピアニストに、九子は縁が薄いのだろうか?
彼のピアノコンサートが今度は長野のお隣、須坂市のメセナホールであると言うので、九子は早速M氏の分と2枚チケットを買った。
さあこれで、前回のリベンジが出来る!!
今回こそは、前の分までしっかり聴かなくちゃ!
チケットはそれはそれは申し訳ないくらい魅力的な値段だった。そして奏者の中には、あの飯島千鶴さんがいらした。
★ここから先は、九子の思い込みの部分もあるかもしれません。こちらも是非参考にして下さい。
飯島千鶴さんは麗しいヴァイオリニストだ。
実は彼女の上二人のお嬢さんと、我が家の上二人の息子が、それぞれ小学校6年間の同級生・・というご縁もあった。
彼女のおじい様は、きっと誰でも知ってる凄い人だ。
当時の栗林中将。そう「硫黄島からの手紙」で渡辺謙が演じて有名になった玉砕を諫めて一人気を吐いた栗林忠道、後の陸軍大将なのだ。
その上、道半ばにして病魔に倒れられたあの名ピアニスト羽田健太郎氏は、彼女の従兄弟だそうだ。
はじめて参観日で彼女を見た時、なんて華のある美しい人だと思った。すると隣にいたお母さんが小声で「彼女はヴァイオリニストなのよ!」とささやいた。
え~っ?こんなに美人で色白のナイスバディー。その上誰とでも気さくに話しかける社交上手のこの人が・・・?
九子の記憶の中で彼女はいつも、「そう、そう、そうよね。」ではなくて、「そうだ、そうだ、そうだよね。」と言う風に、飾らずおしゃべりしていたように思う。
美人はどうしても疎まれやすい。それを彼女はちゃんと理解していて、敢えて誰とでも気さくな言葉遣いをしていたんだろうか?
もちろんそんな事、計算づくにするような人じゃあ決して無いけれど・・。
天は彼女に二物どころか、五物も六物も与え賜うた。
音大を主席で卒業されたと言うし、いつも人を明るくするエネルギーとオーラを併せ持っていらした。
彼女がたまに少々暗い顔で「もう、いやになっちゃう!」などと語ることがあっても、直後に、まさに楊貴妃を髣髴(ほうふつ)とさせる破顔一笑!
何事も無かったかのようにいつもの明るい彼女に戻るその鮮やかさは、彼女が音楽家である事と無縁では無いような気がした。
毎日の練習。それも、どうやら嫁ぎ先の旧家では、伝統を重んじる家族の手前、ひっそりと行わなければいけなかったようだ。
持ち前の頑張りで家事を手早くこなし、練習の時間を作る。
限られた時間の中で、納得のいく音を探し、その音を紡ぐ。
何という集中力!
九子には情けないほど欠けている集中力が、音楽家の彼女にはある。
いや、それが無ければ、音楽家足りえないのだろう。
そして気持ちを引きずらないで、次の場面、次の場面へと移って行く潔さ。
嫁は家を守るのが当たり前という古い家のしきたりの中で、ヴァイオリンを子供たちに教えることは許されても、華やかなステージに立つことは極力避けていたように見えた彼女。
彼女が輝くように美しく、若さと才能できらきらしていたであろう頃、彼女のコンサートが 開かれることは稀だった。
彼女にずっと寄り添っておられる見るからに穏やかそうで優しそうなご主人と、彼女が育てた天真爛漫な可愛らしいお子さんたち。
彼女にとってはきっと長いこと、それらが幸せの全てだったのだと思う。
彼女に電話したことがあった。あれはいつのことだったか。
電話口の彼女の声は、今までのおしゃべりの続きのように楽しげに弾んでいた。
そして電話口の後ろで、子供たちがさんざめく笑い声が漏れ聞こえてきた。
彼女が音楽の夢を封印して作り上げた家庭の温かさを思った。
今回、山本貴志氏の演奏はもちろん、飯島千鶴さんにお会いするのをずっと楽しみにしていたのだけれど、結局果たせなかった。
前の日の夜まではずっと元気で、来ていく服の心配などしていたのに、当日朝起きたら、熱や咳が出て、おなかの調子も悪くなった。
最初に考えたのはインフルエンザ!M氏が先週珍しく仕事を2日も休んだ。
検査でウイルスは出なかったのだけれど、その数日前にインフルエンザと判明した息子と症状が同じだからと、絶対インフルエンザに違いないと彼は主張していた。
ああ、結局九子のところへも来たのか。じゃあ、やっぱりM氏のもインフルエンザだったのかな?
それでもせっかくのチケットを無駄にしたくないので、何人かに電話して、次男のクラスメートのご両親が2枚とも譲り受けて下さることになった。
良かった!無駄にならなくて! でもまあインフルエンザなら仕方ないよね。
ところが!!具合の悪かったのはその日一日だけだったのだ。次の日になったら、いくらなんでもこの状態で店を開けないのはずる休みだよね・・と言うくらいまで良くなってしまった。
なんで突然大事なコンサートのその日に具合が悪くならなきゃいけない訳?
インフルエンザなら諦めもつくよ。1週間近く外出禁止なんだから。
一日で治っちゃったのに、それがたまたまコンサートの当日って、そりゃあ無いんじゃないの?
これは山本貴志氏の呪いか? でも九子は何にも悪いことしてないよ。ただコンサートの最中に咳が出たくなっただけ・・・。(^^;;
実は遠い遠い昔に、飯島千鶴さんのコンサートが珍しく開かれると聞いて、たった一度だけ聴きに行った記憶がある。
それはそれは素晴らしい音色だったのだけれど、どこかその時の事を忘れてしまいたい九子が居る。
九子の中でその時の思い出は少々ほろ苦いものだった。
彼女の美しさと、彼女の才能、そして彼女の持っているあらゆる魅力と、努力を惜しまない性格。
演奏が終わった時、その素晴らしさをめでる気持ちと同時に、九子の心の中に広がって行った認めたくない黒いジェラシー。
バカだよね。彼女と九子じゃあ持ってるものが違いすぎて、嫉妬心など入り込む隙間は無いはずだったのに・・・。
いけないいけないとそれを消そうとすればするほど、消しゴムで消し損ねて却って広がってしまう鉛筆跡みたいだったっけ・・。
当時より少々九子は賢くなった。
誰かを羨ましくなった時、その人の性格や才能ばかりでなく、その人の環境もすべて九子と交換したとして、果たしてそれでも九子は幸せか?と問い直すことを思いついた。
誰に聞くまでもなく、答えは決まっていた。
家事一切をこなし、彼女の音楽の道を閉ざしていたその人の介護をし、寸暇を惜しんで練習を欠かさなかった彼女よりも、家事はないがしろにしてM氏に手伝ってもらい、好きな時に寝て、好きな時に食べ、無理するとウツが来るからと嫌なことはすべて後回しにして来た九子の毎日の方がどれだけ楽チンで幸せなことだっただろう。(^^;;
まあ楽して怠ける生活が何よりの幸せと思ってる限り、何物をも成しえないことは良くわかってるんだけど・・・・。(^^;;
最後に彼女の言葉を上述の長野市民新聞から抜き出させて頂きます。
「バイオリンの演奏は子育てと同じ。年代も性格も違って思い通りにならない聴衆の気持ちを読み取り、自然体のまま受け入れることが大切なんです。」
「地に足を着けていれば、想像力を働かせて、心はどこまでも飛ばせる。それが夢だと若い世代に伝えたい。」
飯島千鶴さん、是非あなたも聴いてみて下さいね。( ^-^)
★ブログ「ママ、時々うつ。坐禅でしあわせ」 頑張って更新中です。是非お読みくださあ~い。(^-^)