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五輪真弓 45周年記念コンサート in 松本 [<九子の読書ドラマ映画音楽日記>]

たいてい大物アーティストは松本に来る。
郷ひろみや、このあいだの五島みどりは、松本から長野にまた戻ってきてくれたが、まあ松本でいったんコンサートをやってみたアーティストは、きっと次も松本で・・と思うだろう。

何しろサイトウキネン改めセイジオザワフェスティバルを長年支えてきた土地柄だ。松田選手が最後に属した松本山雅の熱狂的なファンがたくさんいるところだ。

それだけのエネルギーを爆発させ、一致団結し持続させていく力!残念ながら、敵わないなあと思う。こういうところが長野の人間はあっさりしすぎているのだ。

まあそれはともかく、五輪真弓。さすがだった!
思えば絶頂期の彼女のコンサートに行ったことは無かった。
出来すぎ母が晩年、彼女のCDを良く聴いていた。

「恋人よ」が中国でも評価されて、かの国でもカリスマのごとき人気だったことも承知していた。
でもわざわざ上京までしては行かなかったと思うが、松本だ。
松本に来てくれる!アッシー君M氏の同意も得た!(^^;;

オペラグラスに映った五輪真弓は、まるで小さな女の子のようだった。
最初の一、二曲は声の出もあまり良くなくて、本当にこれが五輪真弓?と正直思った。
なぜだろう?なぜこんなに違和感があるのか?

理由はすぐにわかった。
おかっぱに切った髪と、人のよさそうな笑顔がその原因だった。
思っていたより彼女は、とても小柄な人だったのだ。

絶頂期の彼女は笑わなかった。
背中まで伸びた長い髪と、背筋をまっすぐにして歌う贅肉のない骨張った身体が彼女をとても大きく見せ、「笑わない」という印象も、もしかしたら彼女の全身から発せられていた「堅い」「動じない」「揺らがない」意志のようなものが、勝手にそう思わせていただけなのなのかもしれない。

彼女のコンサートのすべてをアレンジするのが、彼女のご主人なのだそうだ。そのご主人の話をされる時はなおさら大きな笑顔になられた。

そうか。彼女は45年間の間に、恋をして、家庭を持ち、魂の安らぎを得て、いい意味で丸くなられたのだなと思った。

そんな穏やかな五輪真弓を堪能しながら今日のコンサートは終了するのだなと思っていたところへ、驚きのクライマックスが訪れた。

「少女」「恋人よ」「Born again」「花のように」と続く大団円だ。

「少女」は若き日の五輪を代表する曲と言われていたが、その歌詞をよくよく噛み締めて聴くことは無かった。彼女いわく、20歳で作った曲だという。

聴き始めてびっくりした。
たいてい20歳の女の子が「少女」という歌を作ったと聞けば、きっとそれは自分を題材にして書いたのだろうと思う。

その前に彼女は、自分には兄と姉がいて、三人兄妹の一番下だったと語っていた。エピソードも温かい家庭を想像させられた。

ところが「少女」には兄姉の影は無い。それどころか、家族団らんもない。
一人ぼっちの、言ってみれば九子の小さい頃のような、ここだけは絶対に違うが、鋭い感性を持って人生を達観した少女が、あたたかい陽のあたる真冬の縁側でぼんやりと坐っている。

少女の達観は、最初はつもった白い雪がだんだんと解けていくのを眺めながら、夢がこわれていくように感じている。
その次は仔犬たちが年老いていく姿を悲しみながら、夢が風の中で褪せて消えてしまったと捉えている。
そればかりか少女は、あたたかい陽のあたる真冬の縁側というありふれた日常に身をおきながら、自分もいつか木枯らしが通り過ぎる垣根の向こう側に行くことを、つまり自分自身もいづれ老いて死んでいく身であることをしっかりと見据えているのだ。

正直鳥肌が立つのを覚えた。

20歳でこの歌詞を書いた老成した女の子はそれからどう生きていくのか?果たして幸せに生きられるのだろうか?

「少女」「恋人よ」「Born again」「花のように」
クライマックスがこの順番であったことが大いなる救いだった。

誰もが知る五輪真弓の代表曲「恋人よ」は、「少女」が結ばれない恋をして苦しんだことを教えてくれた。
苦しんだけれども、「あの日の二人は宵の流れ星、光っては消える無情の夢」であったと、かけがえのない大切な思いを彼女は胸に刻み込んだはずだ。

「Born again」も「花のように」も、命と希望の歌だ。
「命はどこに旅立つのか、この身が風に散っても愛した心は永遠に」
「たとえ短い命でも愛する人を思えばその時を捧げたいすべて」

やわらかく優しい最後の二曲のおかげで、聴衆の心は安堵と喜びにあふれる。
ああ、あの感受性の強い、生きていくのが辛そうだった20歳の女の子も、温かい家庭と穏やかな日々に恵まれたのだな。
五輪真弓の人生は、才能や成功による喜びは無論だが、なんていうことの無い日常生活の平凡な喜びにも溢れたものだったんだな。

笑わなかった五輪真弓の現在の満面の笑みは、今まで見たどのステージに立っていたアーティストの誰の笑みとも違う穏やかさで、幸せのありかを見せてくれていた。
 

★ブログ「ママ、時々うつ。坐禅でしあわせ」 頑張って更新中です。能天気そのものの九子も、坐禅を知る前はこんなでした!是非お読みくださあ~い。(^-^)


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福田君を殺して何になる [<九子の読書ドラマ映画音楽日記>]

 
福田君を殺して何になる

福田君を殺して何になる

  • 作者: 増田 美智子
  • 出版社/メーカー: インシデンツ
  • 発売日: 2009/10/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


福田君って誰?と思って手に取った。すぐにわかった。 ---光市母子殺害事件の陥穽(かんせい)---と副題があった。

一瞬迷った。
どうせどこにもあるこの手の本よ。少年は更生しているから死刑にしてはいけないっていうんでしょ?

じゃあ、買わなきゃ良かったじゃない!
それなのに、なんとなく、買ってしまった。

口にしていた。何が書いてあろうと、だまされるもんか!あれだけの重罪を犯したのに、少年だから軽い罪なんて赦されない!


現代語にすれば、やられちゃった感!満載の本だ。本を読み進めていくうちに、しだいに募っていく少年に対する同情心。


この本は、福田少年と著者の増田美智子さんとの最初の手紙のやり取りから始まる。

最初の手紙を書き出してみる。

増田美智子様
孝行です。1982年(筆者注・1981年が正しい)3月16日生 魚座 とり年
つまりペンギン(小さなペンギンのイラスト)←こんな感じかな☆
なわけないか(笑) ぼく27さいだよ。こんなのでもいいのかなー。
心配してくれてありがと。外でデートとかしたかったね♡ なんて言ってみてもいい?
けっこうこわいです。くじけそう。ふるえる日もあるよ。抱かれてねむりたいもん。
 それはそーと、面会たのしみにしてるよ。あけとくから。でもお金かかるじゃん。どうしようか。美智子さん 広島に知人、友人居る? いなかったら、ぼくの方でがんばってみるよ。とまる所とか。
 今は事件のことはふれることはできないけど(ごめんね)。これ以上他の人の心をキズつけたくないもの。でも、ぼくのこれまでの歩み、個人的なことならはなせるかもです。それでもいいかな?(いっぱいエピソードあるんだよ☆☆)
 ぼくも美智子さん(みっちゃん)のこと知りたいなー。今日はお手紙のお礼までに。
ありがとね。美智子さん。今日はゆっくりねむれそうです。次も書くね

                       孝行
                あなたが幸せになりますように。

してやられた!と思った。いや、だが、こんなことでだまされるな!とも思った。


27歳になったというのに、福田少年の幼いくらいに純朴な、無防備に初対面の女性に甘える手紙の内容にびっくりさせられる。

ちなみに著者はフリーライターだ。

ジャーナリストの綿井健陽さんが、マスメディアが流す報道をいったん疑って、自らの目と耳でこの事件を再検証すると言うのに影響されたのだそうだ。綿井氏は、イラク戦争取材などを通して、 マスメディアが流す情報と取材現場との間に、大きなズレがあることに気づいていたからだ。


「予断を排除して、まずは現場に飛び込むのが自分の仕事…」


若い増田美智子氏は、綿井氏のこの言葉をさっそく実行にうつした。
彼女は広島拘置所に収監されていた福田孝行死刑囚に会いたいと手紙を書いたのだ。
奇しくも彼女は福田死刑囚と同じ27歳だった。

最初の手紙は誰が見ても他人との距離感がまるでわかっていない幼い手紙だが、その後届いた手紙はこんな風に綴られる。

 肉体的な死を目前にひかえたぼくは、ともすれば社会的に精神的にさいさんにわたって他のきかんに殺されてきました。
 よくなろうと想って誰かをキズつけてゆく。それが人間なのですとあなたはむねをはれますか?

ぼくも、そしてあなたも、そしてあなたにとってぼくにとって不都合な方も愛されたいと想う気持ちは持っていますよね?
 大切なことですから、それだけでもねんとうにおきたいとぼくは想ってます。
 ぼくは悪人だけどこれ以上悪人になりたくはない。ましてや人の幸せをこれ以上奪ってまで生きたいとは想えません。
 その意思をかくにんすることをあなた(のまわりにいる方)はおこたっていませんでしたか?
 おてほんとなるべき本来のやくわりをになうそのてのきかんが、おてほんをしめせていない昨今、あなたはどうこれらに向きあい、自らをしめすことができるのでしょうね・・。
 
よくなればねたまれ、わるくなればそらみたこととされるのでしたら、何もしない方がいいと、今日も一般の人は悪人を見すてて、見ようともせずほうちするのでしょうか。
 
不安な気持ちはいったいどこからやってきましたか?それはほおっておかれ、ぽつんと自分がとりのこされることからおこったりもしませんか?
 
ぼくは拘置所にいますよ。
 ここはとてもさびしい住人がいっぱいやってきます。一輪のやさしさが彼ないし彼女たちにあたえられたら、みんなもうさびしい想いをしなくてもいいのに・・・。ぼくはとても無力ですね。
                2008.7.8    孝行
表現にてきせつなものがなかった際はおわびいたします。大変に申し訳ないです。


最初の手紙のあまりな稚拙さと比べ、死と向き合い、すべてを達観しているように思えるこの手紙。

彼の手紙ではもうひとつ。帯にもなっている印象的なものがある。

拘置所のなかで、よくしてくれる刑務官の先生もいるんだよ。それによって僕はここまで来られた面もあって、そういう先生がいなかったら僕はダメだったと思う。そんな親しくなった先生たちに(死刑を)執行させるというのは、先生たちの負担を考えるとよくないと思う。だから、僕はここ(広島拘置所)じゃなくて、大阪(拘置所)か福岡(同)で執行されたいと思う。

そして、衝撃の第三弾が彼の中学の卒業写真と思える写真だ。
詰襟を着た丸顔の、いかにも人懐っこそうな少年が目をへの字にして八重歯を出して笑っている。天真爛漫と言う言葉が何よりぴったりする彼の笑い顔のどこにも、これから数年たってあのおぞましい事件を引き起こす予兆など微塵も感じられない。

同じ少年Aとは言え、1年ほど前に本を出版し、自らの裸身も納めたホームページを公開して注目されたが、1ミリの悔悛の情も持ち合わせていないように見える神戸の少年Aとは確実に違う種類の少年のような気がする。

人間は変わる。変われる。良い風にも悪い風にも・・。
神戸の少年Aは良い方に変わった事を司法にことさら印象付けて少年院での矯正教育をくぐり抜けて世に放たれた。

それに比して、誰もが記憶する唐突なドラえもん発言。あの発言と、弁護団が突然法廷を欠席してしまった事への世論の批判は、彼の死刑を決定付ける方向に事態を動かす分岐点だったと思う。

とっぴな話だと誰もが呆れるあの発言は、弁護士の口から話されるといかにも荒唐無稽だけれど、この本に書かれている手紙をつなげて読んでみれば、福田君の一連の行動と齟齬はないような気がしてくる。

福田君はもしかしたら発達障害を疑うくらい幼かったためか、父親に受けたひどい体罰の影響か、わが身を守る術があまりにも未熟だったのではないか。

彼の同級生が皆、面白いヤツ、と評していた中学校時代。いつも笑顔を浮かべることで、父から受ける虐待体験の辛さを表に出すまいと必死にピエロを演じていた彼。

自分の言葉が投げかける影響の大きさに無頓着だったと思われる彼が、ドラえもんという言葉を選んで使った時、「何をふざけた事を」と応じた九子も含めた世論の大多数が彼を死刑にしてしまったのではないか?

「福田君を殺してなんになる。」
筆者からの問いかけは九子にはよく届いた。
とは言え彼は死刑が決定し、拘置所で死刑を待つ身の上だ。

裁判の結果とは、事実に厳粛なものではなくて、世論とか、検事や弁護士の能力によって大きく変わってしまうもののようだ。それがもうひとつ、読後によくわかったことだった。

罪を裁くのは何も裁判官や裁判員だけじゃない。世論というものが大きく影響する以上、私たち一人一人が真実を見極める目を養うことは非常に大切だ。
くれぐれもメディアにはセンセーショナルではない公平な報道を求む。

福田孝行君が社会に戻る道はもう閉ざされてしまったが、少なくとも世に放たれた少年Aたちがこれ以上の罪を犯さないように、観察の目を緩めないことは必要なのではないか?

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カゲロウのカゲ [<九子の読書ドラマ映画音楽日記>]

思えばこの本は数奇な運命を辿った。
「第五回ポプラ社小説大賞」などと銘打たずに俳優水嶋ヒロが書いた本とだけ言えば、その目新しさだけで同じような部数はやすやすと売れていただろうと思う。

KAGEROU

KAGEROU

  • 作者: 齋藤 智裕
  • 出版社/メーカー: ポプラ社
  • 発売日: 2010/12/15
  • メディア: 単行本
この本の大騒ぎがあってからもう5年も経つのか.
つくづく月日が流れるのは早い。

古本屋の下の棚に並んでいる背表紙の行列の中で、その本は目立たずに埋もれていた。
白い表紙に小さく細いKAGEROUの文字。一番上でちょうど小池百合子氏が選挙の時に巻いていた鉢巻の色とおんなじ正十字がひっそりと光っていた。 九子の目に止まったのはまさにそれだった。

アマゾンでこれでもかと酷評されているのは知っていた。
この本を選ぶ時、「いったいどのくらい酷い本なのか確かめたい。」という面白半分があったことも認める。
それでもこれでも文学賞の大賞を取った本なのだから、何が共感されて、どこが批評されているのか、それを知りたいと思った。


読み出してみてあれ?と思った。
「なんでこんなに酷いこと言われてるの?悪くないよ。悪くないどころか、面白いよ。」

アマゾン評から羅列してみる。
>文章力や語彙力は新人という点を考慮しても、商業作品として出版するに値しない。

>アマチュアらしさがそこかしこに表れていて、この本は自費出版だったのかと思わず錯誤してしまう。

>ただしこれを文学として見ているのであれば、三流以下。

>質より量という言葉があるが、文章量が少なく、質も低い。

個性がなく、読み終わって充実感がない。

最初の方はほとんどがこんな感じ。
これでは著者としてもさぞや辛かろう。
ようやくしばらくすると、「割りによかった。」コメントも出てくるようになる。

九子は最後まで面白く読んだ。

文章力も、語彙力も、水準以上だと思った。
もっとも「誰かの手が入ってここまで。」と言い切る人も居るには居たが、それは確かめようが無い。

タレントの本という事でピース又吉の「火花」と比べるコメントも多かった。

もちろん「火花」とは違う。ジャンルが全然別だと思う。

「火花」の作者又吉直樹は、もともと心の声に耳を傾けるタイプの人。情念の人。つまりは根っからの文学者なのだ。
ところが斉藤智裕は、そこのところが抜け落ちている。
彼が幼少時代を海外で過ごした影響か、サッカー選手だったからか、じめじめと自分の心と葛藤するような習慣はほとんど持ち合わせていないと思われる。
だから、KAGEROUに心理描写を期待しても無理だし、その分あっさりとしたSF小説のような色彩の物語が出来たのだと思う。

KAGEROUは、こんな風にはじまる。

 
 何十万という人間がひしめき合って暮らすこの街で、誰もいない暗くて静かな”寂しい場所”を見つけるのは至難の業だ。しかしヤスオが見つけたこの場所は、奇跡的にその条件をほぼ完璧に満たしていた。 
 そこは三年ほどまえに倒産して廃墟と化した古いデパートの屋上遊園地だった。
ところどころに剥がされてコンクリートの地肌がむき出しになった人工芝の上で、引き取り手もないまま野ざらし状態で放置された遊具や、動物をかたちどった電動式の乗り物が夜露に濡れて薄ぼんやりと光っている。
 その様子はまるで、かつてこの場所で遊んでいた子供たちの墓標のようだ。
 周囲に張り巡らされた転落防止フェンスの向こうの闇空に、ヤスリで削ったような細い三日月が張り付いている。風はほとんど吹いていない。
 死ぬにはまさにおあつらえむきのシチュエーションだ。

文学賞を取った小説として、違和感無く読める冒頭だと思う。


この場所から身を投じようとしていたヤスオが、謎の男キョーヤに助けられる。キョーヤはある組織に属する人物で、死にたがっている人間にとりあえず自殺を思い留まらせ、それでもまだ死にたい人間には、その人間の臓器を必要としている人間に移植し、遺族に報酬が支払われる契約を結ばせる仕事をしている。

最後まで、物語としての齟齬は無かった。
違和感があるとすれば、帯のこの文章だ。

第五回ポプラ社小説大賞受賞作

著者・斉藤智裕が、人生を賭してまで
伝えたかったメッセージとは何か?
そのすべてがこの一冊に凝縮されている。
小説の新たな領域に挑む話題作、ついに刊行! ポプラ社

裏帯となるとさらに凄い。
哀切かつ峻烈な「命」の物語。

まったく内容と合致しない。この物語にそこまでの重みは無い。
そもそも著者がそこまで考えて書いたのか。

この帯を信じて読み始めた読者が、次々と落第点をつけているのだとしたら頷ける。
売らんかな!が昂じてこの帯を付けたとしたら、非はポプラ社にある。
帯を読んで本を買う人に対する冒涜だ。

水嶋ヒロにも落ち度がある。
少なくとも小説家になる!と豪語して芸能界を去ろうとした以上、何作も書けるだけの才能は当然求められる。
それもSF小説に近い形であるならば、構想が次々と湧いてくるようでなければ小説家をかたる資格は無い。

ブログ友達のりんさんは、それこそ毎日のようにSF風ショートショートを綴っておられる。その努力が実って、大賞も何度も受賞され、大御所と言われる作家さんに
激励されたりもしている。
そこまでの努力があって初めて、作家と呼ばれる資格が出来るのに・・・。


「カゲロウ」を仕掛けたのはポプラ社側だったか、水嶋ヒロ側なのか。
明らかな事は、「ポプラ小説大賞」はもうこの世から消えうせ、水嶋ヒロもテレビで見る回数が極端に減ってしまったという事実だ。
カゲロウのカゲの部分は暴かれて消えた。仕掛けた側も仕掛けにおめおめと乗った側も、信用と言う大切なものを失って、今まさにその痛みに耐えていることだろう。


物語にそぐわないからと批判の多かったおやじギャグ。帰国子女の彼には、どこかつぼにはまる面白さがあったのかもしれない。




だからそれっぽく言ってみよう。



カゲロウからカゲが消えてロウだけ残った。
作家として労(ロウ)を厭わず書き続けるも良し、役者として老(ロウ)練な演技をするも良し、はたまた朗(ロウ)ろうと歌ってみるのも良し。



カゲロウは4日しか生きられないが、あなたの人生はまだまだ長い。


掛け違ったボタンの事など服ごと忘れて、綾香さんと才能を競い合うくらい、これからも活躍して欲しいと思います。









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ONE OK ROCK とTaka [<九子の読書ドラマ映画音楽日記>]

確かあれは三男の結婚式の日。軽井沢のホテルに向う車の中でのことだ。子供たちが一堂に会すのは、もうこんな機会だけかもしれない。

次男が持って来たポテトチップスの筒型スピーカーで、次女が一心不乱に音楽を聴いている。ポテトチップスを10缶買うともらえたらしい。
おもちゃみたいなスピーカーの性能にも興味が湧いて、ちょっと聴かせてもらった。

 
流れて来たのは美しい英語。中性的な声の主がのびやかに歌っていた。ああ、綺麗な声。あれ?そのうち日本語。えっ、この子いったい何者?
「これ、誰?」と娘に聞くと、「one ok rock のtakaだよ。ほら、森...なんだっけ? ママたちの頃の有名な歌手の子供。」

ははーん。ピンと来た。
森進一と森昌子の息子だ。昔確かジャニーズに居たけど、勉強を優先するとかで辞めた子だね。
ネット画像で見るtakaは、父親の口元と母親の目元をそのまま映しこんだような顔立ちだった。

次女の感性はなかなか鋭い。彼女がファンになるのは、決って実力があってビッグになるグループばかりだ。

いや、one ok rockはもう十分過ぎるほどビッグだった
。アメリカ、ヨーロッパのツアーで、一年の半分は日本に居ないらしいし、ワーナーブラザーズという大看板がアメリカのスポンサーだそうだ。

takaの英語は専門家も絶賛しているらしく、100%ネイティヴの発音と言われている。

ヴォーカルの英語力に関してはその巧拙が海外進出を左右するようで、かのX-Japanが日本だけで留まった理由もその辺のところらしい。

takaは所謂帰国子女でも、インターナショナルスクール出身でもない。
幼い頃から父親の歌ばかりを聴かされ続けて育った環境と、プロの演歌歌手二人のDNAを受け継いだ結果、耳が非常に良いのだろうと思う。

 
美空ひばりが、意味などわからなくても、完璧な英語で歌えたのと同じ理屈だ。
もちろん彼は英語で作詞もする訳で、英語を習得する努力も厭わないのだろう。

森進一は、九子よりも少し年上の戦後の混乱期真っ只中の生まれだ。

 九子はもちろん戦争は知らないが、九子の小さい頃、街にはまだ傷痍軍人(しょういぐんじん)と呼ばれる軍人(の格好をした人)が、よれよれの軍服や厚手の着物を着て軍帽をかぶり、筵の上で短くなった手足をさらして物乞いをするのを何度も見かけた。


あの時代、軍隊の悪しき風習だろう体罰は、今よりもずっとずっと当たり前だった。
九子の小学校の先生もすぐに平手打ちが飛んでくる厳しい先生だったが、母親たちの尊敬を集めていた。

そういう時代に、聞けば、貧しい家庭で苦労して育った森進一は、血のにじむような努力をして日本一の演歌歌手にまで登り詰めた。
そうして頂点を極めてリッチになった彼が、今の贅沢な生活に甘んじることなく、苦労も厭わないように子供たちを厳しく躾けて、時には体罰も辞さなかったというのは、なぜか当然の事のように納得してしまう九子が居る。

いつの時代もそうだろう。厳しく躾けて伸びる子と、厳しくされると萎縮してしまう子がいる。厳しくされて結果を出す子は、もともと強い子だけだと思う。
長男長女は厳しく叱って育てたけれど、下になるにつれていい加減になっちゃったわという方、多いんじゃないかしら?

そして、手を抜いて育てた下の子のほうが、結構逞しいのよね・・という事も。

takaは強靭な意志と反骨精神を持った強い子供だった。
厳しく躾けられても、それに反発し、抵抗する強さを持っていた。
親の敷いたレールどおりには歩まなかった。
彼が歩んだ道が順風満帆ではなかったことがそれを示している。

one ok rockというバンド名は、結成当時午前一時頃からバンドの練習を開始していたからだそうだ。
ジャニーズを辞めて、精神的に辛い何年かを経て、新参者のヴォーカルとして入ってきたtakaだが、彼は若い頃から「オレがお前らをきっと世界に連れて行く!」と豪語していたそうだ。その夢が、もはや現実となった。
まだ15や16で、「オレはオマエラを世界に連れて行く!」と宣言出来る自信は、いったいどこから来たものなのだろう?

昭和の時代、作詞家は作詞だけを、作曲家は作曲だけを、そして歌手は歌い手と言われて歌うだけだった。
ところが現在は作詞も作曲も自分でこなすアーティストばかりになった。
相変わらずの分業が残っているのは、takaの両親が今でも属している演歌の世界ばかりのようだ。

演歌というとどうしても「私を見捨てないで!」という女々しさが鼻につく。それが九子があんまり演歌を好きではない理由の一つだ。
「私を見捨てないで!」を英語にすれば、ちょっと強引だが、”Don't go!"だ。
そこでtakaが作った曲のなかで、”Don't go!"を探してみた。あるのか、ないのか?
  
あった!"Mighty long fall"に。


 
ところがこの"Don't go" は、全然女々しくなんかなかった。
「そっちへ行ったらドン詰まりだぞ!行ったらダメだ!」という警告として発せられていた。

 
takaの詞には決意がある。「失恋して寂しいよ~、心が痛いよ~という弱気な歌詞はあっても、決して「オレんとこへ戻って来い。」は無い。
ましてや「オレを一人にして行かないでくれ!」は絶対にあり得ない。
すべての歌詞が「オレは前だけを見続ける。希望はある!夢を持て!後ろは絶対に振り向かないからな!」という気概にあふれている。
もしかしたらこれがtakaの、親の音楽に対する反発であり、命がけで表現したかった彼のロック魂なのかもしれない。

X-Japanも才能あるロックバンドだったと思うが、彼らの描くものはどちらかと言うと「血まみれの狂気の世界」だった。
だからどこか、浮世離れした病的な感じを受けた。
ところがtakaが描く世界は、現実であり、ごく普通の男女の出会いであり、別れだ。
そして、絶対に後戻りをしないで、前だけを見つめて歩き続ける強い覚悟がある。

takaの強さの理由だが、もしかしたら父親の体罰と無縁ではないかもしれない。
体罰というのは究極の自己否定だ。それを乗り越えて確たる自己を確立するのは、よほど強い意志が無ければ出来ないはずだ。
そしてそう出来る強さを、takaは幸運にも生まれつき持っていたのだと思う。


takaは若干30に手が届くか届かないかの若さながら、そういう生き方を10年、20年続けてきた。
それに比べたら政治家が昨日今日思いついて口にするスローガンなんて薄っぺらに思える。

ONE OK ROCKは、数年を経ないうちに世界屈指のロックバンドになるだろう。
そして、今私たちが英語交じりの歌詞をかっこいいと憧れるように、世界の人たちがtakaの使う日本語に惹かれる日がくるのかもしれない。

その時も、会場でtakaが叫び続ける言葉は同じ。
「前を見ろ!希望はオマエラの目の前にある。後ろを振り返っちゃダメだ!」

ロッカーはファンにとってはいつでもまぶしいカリスマだけれど、takaの変わらない言葉は日本人すべてをも突き動かす力がある。

ポテチの缶の不思議なご縁だ。
ONE  OK ROCKを聴き続けよう。( ^-^)

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出会いの不思議 [<九子の読書ドラマ映画音楽日記>]

人は皆、毎日必ずと言っていいほど誰かに会っている。
人だらけの都会に住めば特に、誰かとすれ違わずに一日を送ることは不可能に近いだろう。
でもそうやってすれ違うことを、「出会い」とは言わない。

「袖摺りあうも多生の縁」という言葉がありながら、袖が摺りあっただけでは縁は生まれないのだと思う。
満員電車で袖すりあっても誰も何も言わないだろうが、ごめんなさい、すみませんと会釈するのか、なじって荒々しい言葉を投げつけるのか、そういう次の一手があって初めて、「ご縁」が始まる。

考えてみるとネットで行き交う何億人の人々の中で交流が始まるということも現代の袖の摺りあいではなかろうか。

結婚するなどと思いもよらなかった息子が、縁によって結ばれた。
彼と彼女が出会った不思議さを考えると、確かに「ご縁」というのはあるのかな?と思う。

一年以上前の文藝春秋に(週刊文春じゃありません。(^^;;)、高倉健さん追悼の記事が載っていた。書いたのは沢木耕太郎氏。ノンフィクションライターとして著名な方である。

沢木氏は当時モハメット・アリの試合をつぶさに見ていて、アリの引退試合になるだろう今回の試合は、若く勢いのある相手に初めてのノックアウトを浴びるかもしれない、そんなアリを見たくないという気持ちがあって、ラスベガスで行われる試合のチケットを取るのをためらっていたそうだ。

そのうちにやはり見ておきたくなってアメリカ在住の知人に頼んだところ、チケットは3万枚のうち29997枚が売れてしまい、とてもじゃないが手に入る状況ではないという。
モハメッド・アリ氏の訃報が最近届いたばかりだが、彼が当時いかに人気のあるボクサーだったかがこれでわかる。

それでもなんとかと更に知人に頼み込むと、すでにチケットを手に入れていたある人が「そういう事情なら自分が見るよりもその人が見たほうが役に立つと思う。」と快く譲ってくれたのだそうだ。

その「ある人」こそが誰あろう高倉健さんだった。

沢木氏はせっかくの試合をみられなくなってしまった健さんのために、結局はアリがテクニカルノックアウトで敗れた試合の一部始終を夜中から明け方までかかって、健さんに長い長い手紙でしたためた。

それが高倉健と沢木耕太郎との出会いだった。
健さんはその手紙を読んで、沢木氏からの仕事の依頼ならどんなことでもするから、いつでもあけるから絶対に断わらずに受けるようにと事務所に伝えた。

ある時はラジオ出演の依頼にも快く応じ、テレビ局ならいざ知らずラジオ局では自分のギャラはとても出せないだろうからタダで良いと金を受け取らなかった。

沢木氏の娘さんがまだ小さい頃アパートに突然健さんが立ち寄り、手作りらしい鞄を手渡すと、風のように去って行ったこともあるという。
沢木氏の鞄が古ぼけて破れかけていたのを前にあった時に見ていたのかもしれない。

その後ごくたまに、ホテルの喫茶室で、酒が飲めず甘党の健さんにあわせてアップルパイとコーヒーで、たわいの無い話をするようになった。

ある時仕事の話になり、実は今ロバート・キャパの伝記を訳していると言う沢木氏に健さんは「キャパっていうのは、どういう人なんですか?」と尋ねて来た。

それに対し沢木氏はこんな風に語った。

<原文のまま>

スペイン戦争が終わり、しばらくアメリカへ行っていたが、第二次世界大戦が勃発し、キャパはヨーロッパに渡り連合軍に従軍して写真を撮るようになる。その時ロンドンで美しい女性と恋に落ちる。
アメリカ戦線から戻り彼女と再会すると、キャパはホテルに高価なシャンパンを用意して楽しい夜を過ごそうとする。ところが、戦線の状況が急変するや、美しい恋人と飛び切りのシャンパンを残したまま戦場に向かってしまう・・・。

 私がそこまで話すと、その説明を黙って聞いていた高倉さんがつぶやくように言った。
「どうしてなんでしょうね。」
私は意味がうまく取れなくて訊き返した。
「えっ?」
「どうして行っちゃうんでしょうね。」
「・・・・・・・・・」
「気持ちのいいべッドがあって、いい女がいて、うまいシャンパンがあって・・・。どうして男は行ってしまうんでしょうね」
 私がどうとも反応できなくて黙っていると、高倉さんが独り言のようにつぶやいた。
「でも、行っちゃうんですよね。」
 そこには複雑な響きが籠もっているように思えた。そして、私は思ったものだった。高倉さんも、どういうかたちかは正確にはわからないが、かつて「行ってしまった」ことがあったのだな、と。


沢木耕太郎氏、恐るべし!
健さんの一言で、そこまで読み取る?
あっ、そうか。
健さんが、あの映画の朴訥とした独特の語り口で肩なんぞ丸めながらこのセリフを言えば、自然に伝わっちゃうものなのかもしれない。

そして沢木氏は昭和22年生まれ。きっと高倉健と江利チエミの結婚と離婚の顛末を熟知していたのだろう。

江利チエミと言う人を九子は良く知らない。美空ひばり、雪村いづみと三人娘と言われていたことは承知しているが、どちらかと言うと三人ともそんなに好きではなかった。ファンの方には大変申し訳ないが、三人とも勝気で、あけすけで、品がない気がした。九子がその頃、勝気な人が苦手であったためかもしれない。

高倉健があまた出会ったであろう共演相手の美貌の女優を差し置いて、愛嬌はあるが美人とは言いがたい江利チエミを妻に選んだということ。
それはまさに、健さんの感性だったに違いない。
健さんは何よりも感性を重んじる人で、感性を常に高めておくための努力を惜しまなかったということだ。

離婚は望まなかった健さんだが、家族の金銭問題が高倉健にまで影響するのを怖れた江利チエミが離婚を強く言い張った。
彼女ならそうするかもしれない・・というくらいは想像がつく。

それが健さんの「行ってしまった」負い目だったのかどうかはわからない。でも高倉健は、彼女亡き後、途切れることなく命日に墓参りを続けていた。


出会いの話をしているつもりが、いつのまにか別れの話になってしまった。
出会いと別れは裏表。出会いが「ご縁」であるならば、別れもまた「ご縁」なのだろう。

「ご縁」つまりは仏様の、神様の、キリスト様のお導きと思えれば、相手に対する恨みつらみも薄まって、お互いの幸福を祈って穏やかに別れる事が出来るのかな?

結局夫婦どちらかが人間的に出来ていて、その出来てる人の努力で結婚生活という危ういものは成り立っているような気がする。
「結婚は毎日の辛抱だ。」とM氏が言う。 「こんな楽チンな毎日は無い。」と九子が言う。
我が家ではM氏と九子いったいどちらが出来た人なのか?
もうお分かりですね。(^^;;


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「ゼロ 」 堀江貴文 [<九子の読書ドラマ映画音楽日記>]

ホリエモンこと堀江貴文氏が2年近くも収容されていた刑務所が「長野刑務所」だったと聞いた時、とてもびっくりした。

長野刑務所と言っても、長野市にあるわけではない。長野の隣の須坂市にある。
昔子供たちを連れて遊びに行った時など、必ず通る道沿いにあった。
もしかして最後に通った時に、彼は収監されていたのだろうか?

そこはいつもひっそりとしていた。
刑務所と言うのは、中に居る人も、外から見る人も、その存在を消してしまいたいと思うところだ。
まあ、静かで当たり前なのかもしれない。


堀江貴文という人は、2年も収監されるほど悪い事をしたのか?一体どんな罪だったのか?
この判決については、九子みたいな何もわからない人間ばかりでなく、当事者からも「当然執行猶予が付く程度の犯罪だったのになぜ刑務所へ?」という疑問をはさむ声も出ているらしい。


「ゼロ」はそのタイトル通り、すべてを失った堀江氏が出所して文字通り「ゼロ」の時点で書かれたものだ。
真っ白な表紙に太マジックペンで手書きされた「ゼロ」の文字。
そしてその横に「何も無い自分に小さなイチを足していく」・・とある。
すっきりしている・・を通り越して、潔く見える。
まるで子供が書いたような文字をさらけ出しているからだろうか。


潔いと言えば、彼は刑務所で過ごした日々を全く悔いていないようだ。愚痴ることもない。
執行猶予が付いた程度の犯罪で収監されていたとしたら誰かを恨みたくもなるものだろうけれど、彼は誰も恨まず、むしろ高齢者の介護係として働いた刑務所の日々に感謝しているようにさえ思えた。


どんな失敗をしても、絶対にマイナスにはならない。ゼロになるだけだと説く彼の理論は終始一貫している。


もしもあなたが変わろうとしているならば、僕のアドバイスはひとつだ。

ゼロの自分にイチを足そう。
掛け算をめざさず、まず足し算からはじめよう。


この本は堀江貴文少年がどういう少年時代を過ごして東大に入り、東大でどんな生活をして、会社を立ち上げ、成功者として有名になったかの、言わば半自伝小節である。
彼が一人っ子だったことや、百科事典をすべて読破した話は割合有名だと思う。

ところが彼に言わせると、当時の堀江家は共稼ぎで、両親が文化的というには程遠い人々だったため、家にはただ当時のステータスシンボルであった百科事典だけが見栄を張るようにおいてあり、それ以外の本が一冊も無かったため、仕方なく読んだものだという事だった。

それであっても何十冊もあるものをことごとくすべてに目を通していくなどという作業は、九子のような怠け者には絶対に出来ない芸当だ。
それに読み始めたときはまだ小学校の中低学年だったに違いないから、漢字や言葉の理解力も人並み以上に優れていたのだろう。


堀江氏の著書はなんと百冊以上に及ぶのだそうだ。非常に読みやすく面白いから、きっとこの時の経験が彼の国語力の礎になったに違いない。
実際百科事典のおかげで彼は国語力だけではなく、、勉強ではどの科目に置いても絶対王者に躍り出た。


彼の家族は凄まじい。
父も母も、一人っ子の堀江少年のことなどまったく眼中にない様に見える。

彼が刑務所で働き詰めに働いて一日の疲れを癒した布団のぬくもりは、家庭の温かさなどではなくて、たった一度だけ背負われたことのある曽祖父の背中のぬくもりの記憶だった。

刑務所に入れられたことでは愚痴一つ言わなかった堀江氏が、小学校の時の人生でたった一度きりの一泊二日の東京旅行の思い出では、せっかくの東京でのたった二回の食事が、全卓インベーダーゲーム機の安っぽい喫茶店と、駅の立ち食いそば屋だったことを、思いっきり悔しがって書いている。

なんだかホリエモン、子供っぽくて可愛らしいなあという思いと、たった一度の家族旅行に描いていた自分の夢が一つも実現されなかったら、特に彼のようなこだわり屋にとっては歯がゆいだろうなあという思いが交差する。


彼の事を現役で東大に入った天才と思っていたが、実は仕事大好き人間の努力の人だった。
「努力が出来るのも才能」という言葉があるけれど、彼の場合もそれであったようだ。

この本の最初に書かれているのも、
自分を変え、周囲を動かし、自由を手に入れるための唯一の手段、それは「働くこと」なのだ。  
である。
 

それともう一つ、彼の気に入ったことへののめり込み方は凄い。要するに物凄い集中力で、時間を忘れてとことんやるのだ。

こういう形の天才を九子も何人か知っている。
国を動かし、世界を仰天させるのは、皆そんな天才らしい。
 
のめり込む。それは仕事に限らない。
東大時代の彼は、自分の夢のさきがけだった先輩が就職でつまずいて貧乏生活をしているのを見て、急激に勉強に対する意欲を失い、マージャンにのめり込んだ。

そういう彼の原動力は、なぜか死への恐怖なのだという。
小学1年生の秋、木枯らしが吹く中を一人、落ち葉を踏みしめて家に帰る時に突然感じた「僕はいつか死ぬのだ。」という恐れが、それ以来ふっとした隙に襲ってくる。何かに夢中になっていればそれが襲ってこないことがわかって、彼はひたすら勉強に、遊びに、仕事に集中し出した。

実は上記の天才の中には、同じように小さい頃、死に対する恐怖を感じてそれが尾を引いていると語る人がいた。
堀江氏は一人っ子に珍しく、ひどく寂しがり屋なのだそうだ。
誰か人がそばに居ないと、寂しくて仕方が無い。
もしかしたらこれにも例の「死への恐怖」が関係しているのかもしれない。
とにかく東京拘置所の独房がなんといっても気が狂いそうに辛かったという。

この本は、一連の堀江氏の著作のなかでどうやら一番売れているらしい。
たぶんそれは、彼の言葉に重みがあるからだと思う。
これは、成功者堀江貴文の本ではない。
刑務所から出てきて、ゼロになって、皆と同じスタートラインから今始めようとする堀江貴文の言葉だからこそ、人の心を打つ。

人が新しい一歩を踏み出そうとするとき、次へのステップに進もうとするとき、そのスタートラインにおいては、誰もが等しくゼロなのだ。
つまり、「掛け算の答え」をもとめているあなたはいま「ゼロ」なのである。
そしてゼロに何を掛けたところで、ゼロのままだ。物事の出発点は必ず「掛け算」ではなく、「足し算」でなければならない。
まずはゼロとしての自分に、小さなイチを足す。小さく地道な一歩を踏み出す。ほんとうの成功とはそこからはじまるのだ。

ちなみに「掛け算の答え」とは、堀江貴文の講演会などに参加して、手っ取り早く成功する方法など探ろうとすることだそうだ。
あなたも「ゼロ」になった時、この本を開いてみませんか?( ^-^)

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夢をあきらめない話 [<九子の読書ドラマ映画音楽日記>]

森公美子さんの涙を初めて見た。明るくてパワフルで、どんな時でも豪快にガハハと大笑いするのがトレードマークと思い込んでいた彼女は、イタリアのミラノにあるスカラ座を眺めて懐かしそうにした後で、「辛い時にはいつもここに来ていたの....」と言った。
九子は始めて知った。彼女は二十歳の時オペラ歌手を目指してイタリアに留学したのだそうだ。
仙台の裕福な旅館のお嬢さまだった彼女は日本のコンクールで優秀な成績を上げて、意気揚々とかの地に乗りこんだ。
ところが努力すれど努力すれど、努力ならもうこれ以上は無理というほど努力したが、なかなか成績が上がらない。
一体どこがいけないのだろう?
そしてある日、彼女は気付いてしまった。
クラスメートのイタリア人は、母親のお腹の中にいる時からオペラを聴いて育っていた。
日本人の自分がちょっとやそっと声が良いくらいでは到底太刀打ちなど出来ない。

絶望の中で泣きながら電話をかけると、ふるさとの父の優しい声がこう言った。
「おまえはそっちで生活を楽しんでいるのかい? イタリア人はみんな楽しく生きているのだろう? おまえも充分に楽しんでおいで。」

そして彼女は絶望のフチから這い上がる。
父の言うとおりだ。一体私は何をしていたのだろう?

その日から彼女はカフェでアルバイトを始める。学校の授業はもう二の次だ。
普通の人々の当たり前の生活の中で、彼女は学校では決して学べないイタリア人の日々の暮らしの楽しみ方を、陽気に飲み歌う喧騒の中で、自分でも大いに楽しみながら学んでいった。

この時彼女の中で何かが壊れ、何かが始まったのだろう。
言い換えれば、何かをあきらめることによって、新しい何かが手に入ったということだ。
そしてその新しい始まりは、最愛の彼女のお父様の言葉がもたらしてくれた。

その後の彼女の活躍ぶりは万人が知るとおりだ。
彼女はオペラ歌手というよりもミュージカル歌手として、幅広い活躍を続けている。

ただ、結婚間もない頃にご主人が大事故に会い、介護を余儀なくされてせっかくアメリカで決まっていた大役を降板せざるを得なかったり、あの底なしに明るい笑顔の下には大きな悲しみが隠れているようだ。

森公美子さんのイタリアエピソードを見た次の日、松方弘樹が大間の旅番組をやっていた。
松方弘樹と言えば、マグロ! マグロと言えば大間!

その時に彼が「マグロの臭い」と口にした。
マグロが獲れる時には海からマグロの臭いがするのが彼にはわかるのだという。
沖に出てもマグロの臭いがしない日には、さっさと漁をあきらめて引き上げてくるのだと言う。

海がマグロの臭いになるという話の面白さはもちろんだが、上手にあきらめる話が続いたので、なんだか興味深かった。
実はブログをお休みしていた間に、フジコ・へミングを聴きに行った。
例によってウツっぽくはあったのだが、コンサートは夕方6時半始まりでその時間帯になるとウツは軽くなるし、何より上田市の新設ホールサントミューゼとあっては、知人に会う心配はほとんど無い。(ウツの症状が出ると知人に会うのが辛くなります。)
だから安心して出かけられた。

フジコさんは、CDジャケットで見るそのまんまのフジコさんだった。
フリルのついたふわっとしたドレスは彼女の手作りだそうで、理由は彼女の体型に合う服が見つからないからだそうだ。
服ばかりではない。レコードジャケットやプログラムにも取り入れられている夢見がちな可愛らしい絵やイラストも彼女の手によるものだそうだ。
天は二物も三物も彼女に与えたのだなあとついつい考えてしまうが、それは彼女を襲った悲劇のなせる業であったという事がわかる。

彼女は16歳の時に中耳炎で右耳の聴力のほとんどを失う。
その上、苦労の末にやっと掴んだデビュー直前に、またもや風邪による中耳炎が残っていた左耳の聴力も奪ってしまう。
風邪を引いたのは、貧しさ故に暖房も無い部屋に住んでいたからだそうだ。

音の無い世界に住むことを余儀なくされた彼女が、小さい頃から好きだった絵画や手芸に惹かれるのは当然といえば当然だったのだろう。

大舞台のデビューを逃した彼女は、耳の治療を続けながらピアノ教師としてほそぼそと生計を立てた。
そのうち、失った左耳の聴力の4割は回復していた。

不遇な時代が長かった彼女は、母の葬儀で日本に戻った1995年に、聴力を失って才能を開花させることが出来なかった悲劇のピアニストとして注目され、にわかに有名になった。

いつも必ずと言っていいほど演奏される彼女の代表曲 「ラ・カンパネラ」
実はその少し前、何気なくテレビで辻井伸行君の「ラ・カンパネラ」を聴いてしまった。

力強い正確なタッチ、少しの乱れも迷いも無く、若い情熱とエネルギーの全てを注ぎ込んだ魅力的な演奏。
はっきり言って、聴かなきゃ良かったと思った。
80代のフジコさんの演奏が完璧な辻井君のを超えられるとは思えない。

ところが!フジコさんのは別物だった。まるで鐘の響きのように軽やかに耳に残る複雑な共鳴。辻井君よりもゆったりとしたテンポは聴きやすく、彼女の年にならなければ出来ない演奏なのかもしれない。

彼女は、決して恵まれたピアニストではなかった。「私の指は太いのよ。」と見せてくれた指は、確かに普通の人の1.5倍はあろう。
ミスタッチが多いと言われるのもそのせいかもしれない。
でももちろん一番の悲劇は聴力障害と言う致命的なハンディーを背負わされた事だ。
それでも彼女はピアノが好きだった。決してピアノを捨てなかった。

彼女が一番楽しかったこと。それは夢多き若い頃、ピアノの勉強のために渡ったドイツから日本に戻る船の中で、ピアニストが居ないからと請われてダンス音楽をピアノで弾き、皆に絶賛されたことだったと言う。

高齢の品のいい紳士が「お嬢ちゃん、とても素敵な演奏でしたよ。」とキスをしてくれた。皆が喜んでくれ、フジコさんもとても嬉しかった。

自分の歌が、演奏が、誰かを幸せに出来るとわかったら、これほど嬉しい事は無い。

森公美子さんもフジコへミングも、それぞれに大きなものをあきらめたとは言え、音楽そのものをあきらめたわけではなかった。

諦めというのは禅語で「諦観(ていかん)」と言うけれど、これは決してギブアップするのあきらめるという事ではなくて、明らめる、はっきりと理解する、知り尽くすという事だ。

今のこの状況で自分は大きな夢はあきらめたけれど、では今の自分には一体何が出来るのだろう。好きな音楽を続けるために、一体何をすれば良いのだろう。それを極めつくし知り尽くすことだ。

きっと二人とも凄く悩んだに違いない。悩みながらも音楽は止められなかった。

そうだ。大好きな事は何があっても決して止められない。
そしてその好きと言う奥底に、若い頃に魂に刻まれた音楽の楽しさがあった。

下手とか上手とかに関わらず、好きな事がある人は幸せだ。
それを続ければ、努力し続ければ、(好きならば努力も容易いはずだ)
きっとあなたの夢は叶うはず!(運もあるけど.....)

 
そんな訳でいつもの調子で夢の話が書けるようになったから、九子のウツももう完治 !
まあ、世の中、いろんな事がありますよねえ。(^^;;





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想いを伝えるということ [<九子の読書ドラマ映画音楽日記>]

何気なく聞いていた綾香の曲に、迂闊にも涙がこぼれた。
綾香の曲というのは正確ではないかもしれない。
作詞作曲は中島みゆき。原曲も中島みゆきさんだ。
「空と君のあいだに」ドラマの主題歌にもなった有名な歌だ。
https://www.youtube.com/watch?v=27ieR6fe7bc
(ちょっと前までyoutubeで見られたのですが、今は見られません。)
 
中島みゆきが歌った時は、泣かなかった。
中島みゆきはきっと女々しいのが嫌いな性格のだろう。
哀しい時にも強がってしまう女の性(さが)を、さらっと歌って聴かせる歌手だ。
いい意味でも悪い意味でも彼女は鼻っ柱が強い。
自分でも泣かないし、聴いてる側に泣く事など望んでいないのかもしれない。

綾香がこの曲を歌うのを始めて聴いた。
歌のうまい人だなあという印象はずっと持っていたが、今まで積極的に聴こうとは思わなかった。

ところがyoutubeからこの曲が流れたとたん、手が止まった。
小さい男の子が出てくるビデオも良かった。(この子はママ友バトルを描いた『マザーゲーム』に出て来た主人公の息子役の子?)

「君が涙の時にもボクはポプラの枝になろう」で始まる男の純粋な愛情が、「君が笑ってくれるなら、ボクは悪にでもなる。」という危なげなものに変わろうとしていても、それでも一人の女を一途に愛する男の情念がずんと伝わってきてなんだか泣かせた。

その時、心を揺さぶられる何かというのは、もしかしたら歌い方にあるのではないかと思った。

綾香さんは、口を大きく開けて言葉を丁寧に発音して歌う人だ。
でも時に、耳にささやくような感じで「想いを吹き込む」といった歌い方をすることがある。
言い方は変かもしれないが、口をとがらせて、漏斗(ロート)で想いを直接注ぎ込むような、そんな歌い方だ。
こういう歌い方をする人は、皆、歌の上手な人ばかりだ。
例えば、平原綾香もしかり。平井堅もしかり・・。

これは、自分の胸の中に溢れる想いを絞り出すような、移し込むような歌い方をすることによって、相手により深く、より直接に想いを届けたい気持ちの表れなのだと思う。
そうした方が胸の想いがより伝わりやすくなるのかもしれない。

もちろんこう言うからには、心というものが脳の中にではなくて、胸先三寸にあるという前提でなければならないのだけれど・・・

歌における言葉の力は絶大だ。たいてい九子が好きになる歌は、曲もさることながら詞のうまさが際立っている。

でも反対に、歌は詞にがんじがらめになる。
力のある作家が作り、うまい歌手が魂を注ぎ込むようにして伝えてくれるその情景は、聴く者すべての心にいとも巧妙に、いともやすやすと刻みつけられるけれど、その情景に縛られるが故に、自由な想像を差し挟むというのは難しいのかもしれない。


so-netブログ仲間であるmu-ranさんこと指揮者の村中大祐氏と彼のオーケストラAfiAのコンサートをM氏といっしょに聴きに行った。六月の、雨の中だった。
 
紀尾井町ホールは、それほど大きくないながら、惜しみなく木を使って作られた贅沢なホールだ。
ホールには濡れた傘の持ち込みも制限されて、楽器の響き方や音色に影響しないような配慮がなされている。
こんなところにも音のプロを自認する人たちのプライドが感じられる。

ゲネプロと呼ばれる直前のリハーサルも見られる切符を、この時とばかり買ってみた。

指揮者が、コンマスというオーケストラの中心人物、(たいていはバイオリン奏者さんみたいだが)と交わしているやり取りを聴きながら、直前まで曲の進行を詰めている様子が興味深かったり、会場のいろいろな席に移動して聴くことが出来るので、ふだんのコンサートではわからない音の響き具合や、演奏家たちの息づかいみたいなものが聞こえるようで楽しかった。

ゲネプロ付き切符を買うと、オーケストラの音を間近に聴きながら関係者以外お断りの部屋でお茶もいただける。そして「リハーサルより何倍もうまく行く本番の話」など、樂祐会(後援会)事務局長さんからうんちくが聞けるのがまた楽しい。

この回は、ちょっと特別の趣向があった。客席の左右のギャラリー席になんと!小さいお子さん、それも、まだまだ赤ちゃんが何人もいた!

関西生まれの村中大祐氏の活動を、同じく関西に拠点を置く㈱ミキハウスの社長さんが応援していらして、この赤ちゃんとお母さんを招いたコンサートが実現したらしい。

そして始まってみると、この赤ちゃんたちが大活躍だった。

最初は正直、どうなることかと思った。
ハッキリ言うと、音の切れ間で会場が一瞬シンとした時や、「ここだけは静かにして欲しかった。」というところに限って、まるで掛け声みたいな泣き声が聞こえるのだ。
ピッタリはまって聞こえるのは、まあ、見事と言う他はない。
「ナリコマヤー」とか、「ナカムラヤー」みたいな感じ。

だがそれよりも秀逸だったのは、そんな事はどこ吹く風と演奏を続ける指揮者とオーケストラ。
自分の音に集中しきっていて微動だにしない。

なるほど、そういうものなのだな、プロ根性というのは・・。

九子が感心している間に、曲はどんどん先に進む。
そしてあれっ?と思った。

さっきまであんなに気になった赤ちゃんたちの声がしない!
どうしたんだろう。みんないっせいに寝ちゃったのかな?

幕間になって村中大祐氏が挨拶される。
「子供たち、みんな静かに聴き入ってくれてましたね!」

えっ?そういうこと?赤ちゃんが静かになったのは曲に聴き入っていたからなの?
本当にぴったりと泣き声がしなくなってしまった。最初は聴き入り、そのうちそれが子守唄になって、すやすや寝てしまったということなのか?

よく聞く話が、赤ちゃんはずっと長いこと聞いていたお母さんの鼓動のリズムがお気に入りで、この音を聞かせてやるとやすやすと眠りにつくということ!
コンサートの途中、赤ちゃんの脳の中で、きっとこれに近いことが起こったのかもしれない。

もちろん赤ちゃんが感じていたものは、心地よさだったのだろう。
なんだか変てこなところに連れてこられて、聞いたことの無い音がする。だから最初は不安に思って泣いていた。
ところがだんだん、その音を聴くのが気持ちよくなってきた。気持ちいいから静かになった。眠くなった。


オーケストラに人々が興奮する理由はいろいろあると思う。
音楽の大天才が心血注いで作り出した大曲を、才能ある奏者が技巧を凝らして奏でるから・・。
その人は超一流の弾き手であり、世界で活躍する有名な奏者だから・・。
つまり類まれな才能と努力で競争を勝ち抜き、一等賞を取った人が、楽聖が紡いだ曲を名器と言われる高価な楽器を使って、この世のものとも思えない音を生み出すから・・。

凡人はこんな風にあれこれ頭で考える。
だけどきっと、そうじゃない。

村中大祐氏のコンサート資料に、80歳を超えられた老婦人の感想がはさまれる。
「音の美しさに、いつの間にか涙が流れていたのよ。」

言葉という伝達手段を持たないクラシック音楽の最高の聴き方がこれなのかもしれない。
片や赤ちゃんが泣かなくなり、片や老婦人が泣ける話だが、根っこにあるものは同じだと思う。

指揮者も楽団員も、自分が楽譜から読み取った最高の音を、聴衆一人一人に精一杯届けようとする。
そのために血の出るような努力をする。
もちろんそんなことおくびにも出さずに、あっさり、楽々と、楽しげに弾く。

コンサート会場を埋めるのは音だけじゃない。そこここに、音楽家たちの熱い想いが色付いた木の葉のように輝いている。
言葉の無いところにさまざまな言葉を感じ取る日本人は、もしかしたら世界一クラシック音楽を愛でる素質があるのかも知れない。

では聴衆はいかにあるべきか?
きっと難しい知識は要らない。もちろん知識があった方が理解は広がるのだろうけれど・・。

だけど理解じゃない。赤ん坊が泣き止んで、大人の目から自然に涙がこぼれるのは、理解したからじゃない。

音のありったけを感じる。体中の細胞の一つ一つで感じ取り、味わい尽くす。
身で、心で咀嚼して、最高に楽しむ。そして夢見心地になる。

素晴らしい音楽を有難う!
お返しに、手が痛くなるまで拍手をする。

曲名も作曲者もすぐに忘れてしまう九子はいつになってもクラシック通なんかになれないけれど、ああ、良かった!また聴きに来よう!と、心満ち足りて帰路に着く。

それで、それだけで充分なのじゃないかしら?

指揮者村中大祐氏のコンサート、次は12月11日金曜日夜、東京の紀尾井町ホールであります。
あなたも一度是非いらしてみては?( ^-^)

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セカンド・ラブ [<九子の読書ドラマ映画音楽日記>]

どうも九子が見ているテレビはすべからく視聴率が悪いらしい。

たとえば平清盛以来なんとなく見続けているNHKの大河ドラマ。
平清盛は確かに以前の「絵」と比べると汚なさが際立っていたけれど、まあ考えてみれば当時の生活をより忠実に描こうと思えばああいうことになったのだろう。

去年の黒田勘兵衛だって、視聴率は苦戦していたらしいけど、面白かった。
何より勘兵衛のおじいさんが目薬屋だったというのが気に入った!( ^-^)
勘兵衛の家の目薬は、「めぐすりの木」を使ったものだったと言う。

今年の「花燃ゆ」の視聴率は、更にいけないことになっているらしい。
だけど九子は第一回に感動してしまった。
日本の夜明けに船を漕ぎ出す若者たちの心意気が言葉の端はしにみなぎっていて、希望と勇気を与えられた。 
歴史嫌いだった九子が名前しか知らない登場人物たちの人となりが垣間見えるのも楽しい。
だから、毎回なかなか見ごたえがあって目が離せない。


大河ドラマはいくら視聴率が悪かろうと、「見てます。」と言うのは誰の前でも容易い。
ところがどうも「見てます。」と言いにくいのが、今回のタイトル「セカンド・ラブ」なのだ。(^^;;

悪いけど、亀梨くんも深田恭子もほとんど興味なかった。
興味があったのは、昼メロじゃなくて夜メロという言葉!
それに大々的に宣伝されていたベッドシーン。(^^;;

ところでメロドラマのメロってどんな意味?
いろいろ見てみたが、男と女が不倫をする・・みたいな意味は皆無だった。
単純にmelodyから来る、要するに歌劇という意味だったらしいが、今日では衝撃的な内容のドラマを一般的にメロドラマと言うらしい。

主人公の平慶(タイラケイ)はコンテンポラリーダンサー。つまり現代舞踊の踊り手である。
所属していたドイツの劇団を解雇され、現在は就職活動中。

ただし、いつ世界からのオファーが来るかわからないので、いつやめても良いように仕事を選んでいる。
とは言うものの、実際は日雇いの肉体労働に甘んじているのが現実だ。

ドイツの劇団で彼の後がまに入ったのは一之瀬佑都。
天才的なダンサーであり、欧州の劇団に日本人二人は不要という事なのか、彼が入ったがために慶は追い出される形になった。

「君ほどの才能があれば職なんてすぐに見つかるだろう?」別れる時ドイツ人の団長はそう言った。

ところが、彼にどこの劇団からのオファーも来ない。入団テストも落選続き。

その時から、彼の心をよぎるある疑問。
「席が無いということは、才能が無いという事なのか?」


もう一人の主人公は高校教師の西原結唯(にしはらゆい)
辛辣な女の園の今時の高校生は、鵜の目鷹の目で彼女を見ては、噂の種を日々探している。

彼女と上司、高柳太郎との不倫は、生徒たちに知られないまま五年が過ぎた。

高柳の家族は妻と子供二人。息子は東大受験を目指している。
表面上はとても穏やかな家族の間に、さざ波が立とうとしていた。


結唯の母を、 結唯は娘として愛しながらも、その過干渉と身勝手さに辟易している。


別々だった慶と結唯の日常が交差する日が来る。
それは、平慶が西原結唯を初めて見初めた日。

頼みの綱だった最後の入団テストにも落ちて、夢を見出せないで居た慶の目の前に突然現れた幸運の女神!
それが西原結唯だった。

結唯は慶より6歳も年上。
だけどいいよねえ、美人のナイスバディーは!(^^;;

結唯と知り合ってから、慶の運命は見る見る好転していく。

まずは慶が所属していたドイツの劇団の日本公演が決まったと団長から慶に電話が届く。
もちろん主演は一之瀬佑都だが、日本のスタッフとのやり取りに通訳が要る。
その通訳を慶にしてくれないか?という提案だった。

また何かチャンスが巡って来るかと喜んだ慶にとっては屈辱的な仕事。

それでも慶は、結唯との生活のために、依頼を引き受ける。
結唯と暮らしていなければ、絶対に引き受けなかった仕事だ。

ところがそこで、慶はチャンスを掴む。

主演の一之瀬が怪我をし、こんな状態では踊りたくないと言い張る。

それを慶は、彼の才能の素晴らしさを語り、振り付けを負担にならないものに工夫し、実際に踊って見せ、穴をあけることなく舞台を終わらせることに貢献する。

彼の活躍は新聞で大見出しで報じられることになり、以来「振付師」としての彼の名前はビッグになっていく。

この回はちょっと皮肉な結末だった。

慶は一之瀬のダンスの素晴らしさに感動する。一之瀬のために自分が舞台を追われたという悔しさよりも、何よりその見事さに感動している自分を発見する。
そしてその瞬間こそ、彼が今まで追い求めてきたダンサーの夢が終わる一瞬だったのだ。

ところがそれはもうひとつ、慶の才能が開花する瞬間でもあった。

慶の振付師としての才能だ。


だけどさ、世の中ってこんなにうまいこと行くものだろうか?

よく言うじゃない!いい選手、即ちいい監督じゃあないって。
その言葉通り、長島さんが監督してた時、彼はいろいろボロクソに言われ続けた。

ダンサー一筋にやっていた人間に、そんなに簡単に振付師が務まるのだろうか?
そんなラッキーストーリーではなくて、「席が無いということは、才能が無いという事なのか?」というところをもっと深く追求して欲しかったな。
(あなたの言うなりにドラマは進みませんって。(^^;;)


そもそも人間の才能を決めるのは誰なんだろう?
その道のプロ?批評家?観客?それとも、本人?

平慶応は、自分の才能が一之瀬佑都に完璧に及ばないと悟った時に、「慶、お前が代わりに踊るか?」と言う誘いの言葉を断った。

結局これじゃないかな?

自分の才能なんて、他人にとやかく言われて気がつくものじゃない。
その他人が、たとえ偉い先生であれ、批評家であれ、そんなこと本当は関係ない。

自分の才能は、最後の最後まで自分が信じ続ける。

根拠なんか無いけど、なんとなく自分は人に負ける気がしない。
だって、これだけ努力した。思う存分やって来た。
自分と同じように出来る人間を他に知らない。

だから自分には才能がある。

誰が何て言ったって、その思いは揺るがない。

そう信じること。そう信じ込むこと。
そう信じ込めるかどうかが最後の砦だと思う。

そう信じ込めなくなって、素直に一之瀬の素晴らしさに脱帽した時が、平慶のダンサーとしての才能の終わり。
もちろん幸運なことに彼には振り付け師という才能もあった訳だから、それならそれでもいい。


他人はいろんな事を言う。正解なんて何も無い。
いちいちそんなどうでもよい事に煩わされるよりも、たった一人、自分だけは自分の味方でありたい。
永遠に自分の味方でありたい。

そんなことを、九子は考えてしまった。

物語は進んで、慶は振り付け師として更にビッグになって、どうやら今度はロンドンデビューが待ってるらしい。
このチャンスを逃さずに、言葉の要らないバレエの世界で世界に羽ばたく夢を見る慶。

それとともに、単純に結婚して、平凡な暮らしを望む結唯との間に、日常の上でも気持ちの上でもすれ違いが生じる。

慶はどうするのだろう。気心も知れていて、語学も堪能な仕事仲間の元カノに、また気持ちは移っていくのだろうか?


だけど九子は信じたい。
慶が見初めた、女神だと思った、そして実際に幸運を運んできた女神の結唯を、そんなに簡単に嫌いになれるものだろうか。

一つの仕事に徹する人間は、きっと女性にも一途だと思う。
その一途な努力が、今日と言う日の幸運をもたらしたのだ。

いろいろあっても、きっと慶の方から別れを切り出すことは無いと思う。
それが男だ!男気ってやつだ!

来週も、九子が思うように物語は進まないだろう。
だけどきっと、九子はセカンドラブを見ていると思う。(^-^)


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ヴァイオリニスト飯島千鶴さん [<九子の読書ドラマ映画音楽日記>]

ああ、またしても!!
山本貴志というピアニストに、九子は縁が薄いのだろうか?


彼のピアノコンサートが今度は長野のお隣、須坂市のメセナホールであると言うので、九子は早速M氏の分と2枚チケットを買った。
さあこれで、前回のリベンジが出来る!!
今回こそは、前の分までしっかり聴かなくちゃ!

チケットはそれはそれは申し訳ないくらい魅力的な値段だった。そして奏者の中には、あの飯島千鶴さんがいらした。


★ここから先は、九子の思い込みの部分もあるかもしれません。こちらも是非参考にして下さい。


飯島千鶴さんは麗しいヴァイオリニストだ。
実は彼女の上二人のお嬢さんと、我が家の上二人の息子が、それぞれ小学校6年間の同級生・・というご縁もあった。

彼女のおじい様は、きっと誰でも知ってる凄い人だ。
当時の栗林中将。そう「硫黄島からの手紙」で渡辺謙が演じて有名になった玉砕を諫めて一人気を吐いた栗林忠道、後の陸軍大将なのだ。
その上、道半ばにして病魔に倒れられたあの名ピアニスト羽田健太郎氏は、彼女の従兄弟だそうだ。


はじめて参観日で彼女を見た時、なんて華のある美しい人だと思った。すると隣にいたお母さんが小声で「彼女はヴァイオリニストなのよ!」とささやいた。
え~っ?こんなに美人で色白のナイスバディー。その上誰とでも気さくに話しかける社交上手のこの人が・・・?

九子の記憶の中で彼女はいつも、「そう、そう、そうよね。」ではなくて、「そうだ、そうだ、そうだよね。」と言う風に、飾らずおしゃべりしていたように思う。
美人はどうしても疎まれやすい。それを彼女はちゃんと理解していて、敢えて誰とでも気さくな言葉遣いをしていたんだろうか?
もちろんそんな事、計算づくにするような人じゃあ決して無いけれど・・。

天は彼女に二物どころか、五物も六物も与え賜うた。
音大を主席で卒業されたと言うし、いつも人を明るくするエネルギーとオーラを併せ持っていらした。

彼女がたまに少々暗い顔で「もう、いやになっちゃう!」などと語ることがあっても、直後に、まさに楊貴妃を髣髴(ほうふつ)とさせる破顔一笑!
何事も無かったかのようにいつもの明るい彼女に戻るその鮮やかさは、彼女が音楽家である事と無縁では無いような気がした。

毎日の練習。それも、どうやら嫁ぎ先の旧家では、伝統を重んじる家族の手前、ひっそりと行わなければいけなかったようだ。

持ち前の頑張りで家事を手早くこなし、練習の時間を作る。
限られた時間の中で、納得のいく音を探し、その音を紡ぐ。

何という集中力!
九子には情けないほど欠けている集中力が、音楽家の彼女にはある。
いや、それが無ければ、音楽家足りえないのだろう。

そして気持ちを引きずらないで、次の場面、次の場面へと移って行く潔さ。


嫁は家を守るのが当たり前という古い家のしきたりの中で、ヴァイオリンを子供たちに教えることは許されても、華やかなステージに立つことは極力避けていたように見えた彼女。
彼女が輝くように美しく、若さと才能できらきらしていたであろう頃、彼女のコンサートが 開かれることは稀だった。

彼女にずっと寄り添っておられる見るからに穏やかそうで優しそうなご主人と、彼女が育てた天真爛漫な可愛らしいお子さんたち。
彼女にとってはきっと長いこと、それらが幸せの全てだったのだと思う。

彼女に電話したことがあった。あれはいつのことだったか。
電話口の彼女の声は、今までのおしゃべりの続きのように楽しげに弾んでいた。
そして電話口の後ろで、子供たちがさんざめく笑い声が漏れ聞こえてきた。
彼女が音楽の夢を封印して作り上げた家庭の温かさを思った。


今回、山本貴志氏の演奏はもちろん、飯島千鶴さんにお会いするのをずっと楽しみにしていたのだけれど、結局果たせなかった。
前の日の夜まではずっと元気で、来ていく服の心配などしていたのに、当日朝起きたら、熱や咳が出て、おなかの調子も悪くなった。

最初に考えたのはインフルエンザ!M氏が先週珍しく仕事を2日も休んだ。
検査でウイルスは出なかったのだけれど、その数日前にインフルエンザと判明した息子と症状が同じだからと、絶対インフルエンザに違いないと彼は主張していた。

ああ、結局九子のところへも来たのか。じゃあ、やっぱりM氏のもインフルエンザだったのかな?


それでもせっかくのチケットを無駄にしたくないので、何人かに電話して、次男のクラスメートのご両親が2枚とも譲り受けて下さることになった。

良かった!無駄にならなくて! でもまあインフルエンザなら仕方ないよね。


ところが!!具合の悪かったのはその日一日だけだったのだ。次の日になったら、いくらなんでもこの状態で店を開けないのはずる休みだよね・・と言うくらいまで良くなってしまった。

なんで突然大事なコンサートのその日に具合が悪くならなきゃいけない訳?
インフルエンザなら諦めもつくよ。1週間近く外出禁止なんだから。
一日で治っちゃったのに、それがたまたまコンサートの当日って、そりゃあ無いんじゃないの?

これは山本貴志氏の呪いか? でも九子は何にも悪いことしてないよ。ただコンサートの最中に咳が出たくなっただけ・・・。(^^;;

実は遠い遠い昔に、飯島千鶴さんのコンサートが珍しく開かれると聞いて、たった一度だけ聴きに行った記憶がある。
それはそれは素晴らしい音色だったのだけれど、どこかその時の事を忘れてしまいたい九子が居る。

九子の中でその時の思い出は少々ほろ苦いものだった。
彼女の美しさと、彼女の才能、そして彼女の持っているあらゆる魅力と、努力を惜しまない性格。

演奏が終わった時、その素晴らしさをめでる気持ちと同時に、九子の心の中に広がって行った認めたくない黒いジェラシー。
バカだよね。彼女と九子じゃあ持ってるものが違いすぎて、嫉妬心など入り込む隙間は無いはずだったのに・・・。

いけないいけないとそれを消そうとすればするほど、消しゴムで消し損ねて却って広がってしまう鉛筆跡みたいだったっけ・・。


当時より少々九子は賢くなった。
誰かを羨ましくなった時、その人の性格や才能ばかりでなく、その人の環境もすべて九子と交換したとして、果たしてそれでも九子は幸せか?と問い直すことを思いついた。


誰に聞くまでもなく、答えは決まっていた。

家事一切をこなし、彼女の音楽の道を閉ざしていたその人の介護をし、寸暇を惜しんで練習を欠かさなかった彼女よりも、家事はないがしろにしてM氏に手伝ってもらい、好きな時に寝て、好きな時に食べ、無理するとウツが来るからと嫌なことはすべて後回しにして来た九子の毎日の方がどれだけ楽チンで幸せなことだっただろう。(^^;;

まあ楽して怠ける生活が何よりの幸せと思ってる限り、何物をも成しえないことは良くわかってるんだけど・・・・。(^^;;


最後に彼女の言葉を上述の長野市民新聞から抜き出させて頂きます。

「バイオリンの演奏は子育てと同じ。年代も性格も違って思い通りにならない聴衆の気持ちを読み取り、自然体のまま受け入れることが大切なんです。」
「地に足を着けていれば、想像力を働かせて、心はどこまでも飛ばせる。それが夢だと若い世代に伝えたい。」

飯島千鶴さん、是非あなたも聴いてみて下さいね。( ^-^)

  ★ブログ「ママ、時々うつ。坐禅でしあわせ」 頑張って更新中です。是非お読みくださあ~い。(^-^)



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