再び、東京五輪がやってくる! [<正統、明るいダメ母編>]
2020年のオリンピックが東京に決まった!
へえっ!たまげた!
決定直前になって原発の汚染水問題が浮上し、「IOC委員は皆この問題に神経を尖らせていて、安倍首相はブエノスアイレスに行くだけ無駄」という人まで現れて週刊誌の見出しを飾り、そんな中では勝ち目なんか無いと思っていた。
まあ、でも何事も負けるよりは勝つほうが断然嬉しい。( ^-^)
特に日本中が元気を無くしている時だったから、希望と夢のかたまりのようなオリンピックが首都東京にやってくるのは大歓迎だ。
7年後、九子にとっては4回目のオリンピックとなる。
特に長野冬季五輪は、まったくスポーツに縁の無い九子が、地元開催という訳で、丸2週間ボランティアとして選手村にまで踏み込んだ感慨深いオリンピックとなった。
しかも今回のオリンピックが決まった9月8日は、九子の○○回目の誕生日だ。
橋本聖子さんみたいに、「聖子」なんて名前を・・とまでは言わない。
だけど九子じゃなくて、せめて五輪の五をとって「五子」・・くらいつけても良かったかもね。(^^;;
安倍首相が言っていた。
「東京オリンピックの時、私は10歳でした。」
考えてみると、それはそのまま日本の歴史だ。
「五輪開催などまだ早い!」と反対意見も根強かったという中で開催された1964年の東京五輪。敗戦国日本は、世界の中でまだまだひよっ子の小学生くらいに見られていた事だろう。
そして1972年の札幌五輪。いくら夏と冬が違うとはいえ、わずか8年の間隔で同じ国でオリンピックが開かれたことになる。
安倍首相は時に弱冠18歳。日本はまだまだ若いながらも、青年期の力強さで世界に羽ばたこうとしていたに違いない。
それから長野五輪までは、かなり間がある。長野五輪開催が1998年。札幌からもう26年が経っていた。
安倍首相は44歳になっている。44歳と言えば、不惑を超えて、人間として脂の乗りきった充実期だ。
だが、わが日本は、バブルがはじけて「失われた20年」と言われる下り坂で喘いていた。
それでも、最初はさして期待されなかった金メダルを、モーグルの里谷多英選手やスピードスケートの清水宏保選手が取った辺りからにわかに活気づき、団体スキージャンプ陣の大活躍で頂点に達する。
白馬の同じ会場で目の当たりにしたあの時の興奮と胸の高鳴りを、九子は一生忘れない。
そして二度目の東京五輪の開催が2020年。安倍首相はその時66歳だ。
「安倍さんは次のオリンピックの時、どんな立場で会場にいらっしゃると思われますか?」と聞かれて、首相でいるかどうかには口を濁し、「間違いなく選手じゃあないと思いますよ。」と答えたのには、さすが、はぐらかし方も上手になったと感心させられた。( ^-^)
安倍さんの年からイッコ引いたのが九子の年齢だ。
(この時点で、さっき○○回目の誕生日・・ってわざわざ伏字で書いた意味はまったく無くなる。(^^;;)
次回オリンピック開催時66歳の日本。もう若くは無い。だけどまだまだやれる!
平均寿命85歳と言う時代に、最後の一花とか死に花とか言う言葉は使うまい。
もう一度日本が再生するために、オリンピックをプレゼントされたと思いたい。
きっと誰もが感じたことだと思うけれど、招致団の投票直前のプレゼンテーションは本当に見事だった。
高円宮妃のフランス語での津波支援感謝に始まり、(彼女は若い頃4年間フランスに住んでおられたのだそうだ。)猪瀬都知事、竹田JOC会長(皇室評論家?の息子さんのほうがこの頃有名だが)、フェンシングの太田選手、滝川クリステルさん、水野氏(スポーツのミズノ㈱会長)パラリンピック選手の佐藤真海さん、そして安倍首相。(順不同)
言葉と言うのは、うまかろうが、へただろうが、心を込めることは、また別次元の問題なんだ! と言う事を、これほど見せ付けられたスピーチは無い。
たとえば猪瀬氏の英語は、お世辞にもうまいとは言えない。
それであっても、あの普段ぼそぼそと無愛想にしゃべる猪瀬氏が、あれだけ大きな身振り手振りで、満面の笑みでオリンピックへの夢を語ることはかつて無かったし、彼の並々ならぬ決意を感じた。
滝川クリステル嬢は、ただそこに居てくれさえすればいいという可愛らしさでありながら、「お・も・て・な・し」などというAKB張りのジェスチャーまでサービスするのだから、IOCのおじちゃま、おじいちゃまたちにも受けは良かったと思う。( ^-^)
佐藤真海さん。よくぞこの人を見つけて来たり!
宝石のような笑顔とくじけない芯の強さが五輪を手繰り寄せる。
水野会長。知らないでいたら帰国子女だと思っただろう。
日本人には決して出来ないと思っていた眉も額も大きく動かすアメリカ漫画のような豊かな顔の表情と流暢な英語で、日本の企業戦士の心意気を示した。
今回のプレゼンテーションには 勝利請負人と呼ばれる人の存在があったのだという。
ロンドン五輪もリオデジャネイロも、彼がつかみとった。
ロンドンの国際スポーツ・コンサルタント会社創業者のニック・バレー氏だ。
大枚を叩いたには違いなかろうが、彼の起用は大正解だったと思う。
表情に乏しいと言われ、何を考えているのか掴み難いと評される日本人のプレゼンテーションを180度変化させたのが彼だ。
言うまでも無いが、心の中はその人以外にはわからない。
だからそれを伝える手段が必要になる。
日本語で'表現'。英語で'expression'。
この二つの単語を同じだと考えていたのが、今までの日本の失敗だった。
心の中、つまり表に表れない裏側にあるものをただただ言葉で表側に現す。
まるで着物を裏返すようになめらかな動作で、何の苦もなく・・。
それが日本人にとっての「表現」というものだった。
そして海外の人々と交流する際にも、その日本流を通していた。
英語の’expression'は少々違っていた。
'ex'はご存知のように’外へ’と言う意味だが、次に'press'という単語が入っていることでわかるように、少なからず強い力が加わるもののようだ。
エスプレッソというイタリアのコーヒーは、わざわざ圧力をかけて濃厚に抽出したものらしいが、′espresso'に通じるexpress'には もともと、「オレンジからオレンジジュースを搾り取るように力を入れて押し絞る」みたいな意味がちゃんとあったのだ。
だから彼らは、労を惜しまない。握手をし、ハグをし、最高の笑顔を作って、表情たっぷりに心のうちをさらけ出す。
努力をしないと心のうちを人にわかってもらうのは難しい。
特にもともと陸続きで、敵同士だった人々に心の中をわかってもらうのは至難の業であると、彼らは本能的に知っているのかもしれない。
だから、心の中を絞り出し、絞り出した心を100%生かすように、少々大げさなくらいに身振り手振りまで使って外に現す。
日本人は違う。あ・うんの呼吸やら、以心伝心とやらで、何も言わずとも分かり合える同胞だけを相手にずっと生きてきた。
それこそ、着物の裏側を表側に返すだけで、容易く、人々に気持ちを伝えることが出来た。
だが、それはあくまでも日本人同士のことで、世界に行ったら通じない。
それがわかったのが、前回の五輪招致失敗の教訓だったのだろう。
スペインのプレゼンテーションはスペイン語だったという。かの国も、日本と同様、あまり外国語は得意ではないのかもしれない。
日本人の外国語下手はきっとIOC委員の誰にもわかっていたのだろう。ジェスチャーが小さいことなんかも含めて・・。
そこを敢えて日本は、英語やIOCの第一公用語であるフランス語でプレゼンテーションを行った。
だから、うまいか下手かなんていうのはとっくに通り越して、’express'、つまり精一杯の心を絞り出す努力を感じて評価してくれたのかもしれない。
珍しくM子から誕生日プレゼントが届いた。
病院実習中の一宿一飯に対する恩義ということらしい。
プレゼントは芳しい匂いのするヘヤーオイル。ご丁寧にカードまで添えられている。
「・・・・・これからもハチャメチャな九子さんでいて下さい。
でももう少ししっかりしよう!」(^^;
(娘たちはM氏と九子を名前で呼ぶ。)
実は九子はヘアーオイルの代わりに、化粧落としのクレンジングオイルを髪に塗っていた。
だってさあ、要するに乾燥した髪に油分が補えればいい訳でしょ?
どうやら彼女はそう言うことをさして、「ハチャメチャ」と言ってる
らしい。(えっ?違う?そんなのは序ノ口で、もっと凄いのがいくらでもあるって??(^^;)
とにかくこれに関しては、ハチャメチじゃなくて合理的と言って欲しい。化学者としての薬剤師の知恵がそうさせるのよ。(^^;(^^;
娘に言われて初めて、自分はハチャメチャであるのか?・・・と悩む九子。
自分でも少しは自覚があったのよ。でも、子供に言われるとねえ・・・。
ほーら、悩ませちゃったでしょ?
一つ言われたら十気がつく細やかな心には、最小限の物言いで事足りるのだから,,,,。(^^;(^^;
M子さん。ママの言いたいことわかってくれましたか?
わかり合える人同士では感度は自然に上がるものだから、むしろ鈍感になりなさい。でも最低限のマナーは必要よ。そしてボリュームは控えめに…。
わかり合えない相手だったら、感度を上げて、ボリュームも上げて!
(だからちょっと疲れるのよねえ。)
これがプレゼンテーションばかりでなく、日常にも通ずる会話の作法だとママは思う。
そうすればママ並みの(えっ?)いい薬剤師になれる......かもね。(^^;
誕生日プレゼントありがとう
なんだかんだ言いながら、すごく嬉しかったよ。( ^-^)
Nexus7(ネクサス7)に嵌ってます [<正統、明るいダメ母編>]
思えばWindows一筋の九子であった。
Windows3.1をWindows95にアップグレードした話をしてサポートの人に驚かれ、それなのにあまりにも無知であるのに二度びっくりされたのが昨日のことのようだ。(^^;;
度重なる IpadやらIphoneやらのスティーブからの誘惑をはねのけて、ビルに操(みさお)を捧げ続けた九子であったのに、Google(は、誰だっけ?)などという間男に寝とられてしまったという寸法だ。
って、なんのこっちゃ!(^^;;(^^;;
そう言えばスティーブのItunesくらいは受け入れた。
そのくらい、赦してくれるわよねえ、ビル。( ^-^)
事の起こりはこうだ。
薬局のパソコンには調剤ソフトという厄介なものが鎮座している。
これがまた毎月結構なお金を食う金食い虫なのだが、このバックアップが効かなくなった。
サポートに電話して以前のように誰かが来て直してくれるのかと思いきや、今はあちらの人がネット経由で我が家のPCに侵入して瞬く間に直してくれると言う、便利かつ恐ろしげな話だった。
結局コントロールパネル内の「プログラムの追加と削除」から、不要なファイルを削除するだけで事はすんだ。
ところでそれをやるのは勝手にわがPCに侵入してるサポートの人である。
「あっ、それは消さないで!」というソフトまで情け容赦なく、かつ復元の可能性を残さずに消されていく。
自分のPCからどんどん消されて行くプログラムをただ見てるだけで為す術が無いというのは辛いことである。嫌味のひとつでも言いたいところだった。
ところがその人曰く「普通の薬局さんはこんなにやたらにいろんなソフトをコンピューターに入れてないんですよ。これじゃあ調剤ソフト直してるのか、他のソフト直してるのか訳わかんない。別料金頂戴するような話になっちゃいます。 調剤ソフト専用にして頂くと有難いんですがねえ。」(^^;;
その上、XP仕様の現在の調剤ソフトはあと1年ほどでサポートが切れてしまい、windows7用の新しい調剤ソフトをいつかは買わなければならないと言う話。
そこで意を決して価格コムを調べてみたら、なんと!3万円ちょいでwindows7搭載のノートPCが買える!
しかも10.6インチは、売り場で見ると他よりも小さくつつまし気に見えた。
これを調剤専門に使い、なおかつモバイル的に使えば、九子の自信の無い説明をいくら聞いてもらうより、PC画面を見てもらえば一目瞭然で、患者さんの納得度も確実に上昇するはず!( ^-^)
と言うわけで手元に届いたノートPCは、量販店の店先ではあんなに小ぶりに見えたのに、我が物顔に膝を占め、重さも思ったよりかなりずっしりだった。
こんなはずじゃあなかった!
九子が想定していたのは、もっともっと小さいやつだった。
ならば10.6の下のサイズと言えば・・。
で、たどり着いたのが7インチと言うサイズ。
予備知識は何も無いままにネットを見ていたら、ついその一月ほど前に発売されたというNexus7というのが目に付いた。しかも16GBは2万円を切るというその安さ!32GBでも2万5千円という価格につられた。
こっちも買っちゃおう!
「ウツが治って今ハイなんじゃないのか?」などというM氏の言葉に誰がひるむものか!(^^;;
いやあ、これが優れものだった!
届いた時はこれがアメリカ式なのか、当然付いていると思っていた分厚いマニュアルが何一つ無いのに面食らった。仕方なく、試行錯誤で動かしてやるしかない。
ところが、何とかなるんだよね!
これは発見だった。
わからなければ、ネットが何でも答えてくれる。
九子の英語の先生、ジョン先生が、日本語はまったくと言っていいほどわからずに、十数年間日本で困らずに生活できたことを考えても、アメリカ人の生活には’try and error’が染み付いているのだということにまで思い至った次第。
日本人は痒いところに手が届き過ぎなのかもしれない。
タッチパネルというのがまた素晴らしい代物だった。
九子は自慢じゃないがスマホどころかケータイすら満足に動かせない人間だ。もちろんケータイを携帯しないという大問題も抱えている。(^^;;
そもそもケータイ嫌いの最大の原因は、あの入力方法だ。なんでオ行を押すのに5回も押さねばならないのか?ローマ字入力だと更に悲惨で、モールズ信号みたいに続けざまにキーを叩いて、機械はどうやって字と字の区切りを認識するのか?
そんな九子は、長女N子んところで10分間ほど動かさせてもらったのが初スマホデビューだった。Nexus7はそれよりもかなり画面が大きく、なおかつ動きも氷の上を動くようにどこまでも滑らかだし、ページをめくるような感触も心地よく、何より画面がとても綺麗なので、上質なグラビア雑誌でも読んでいるようだ。
その上キーボードは忌まわしいケータイ方式も、慣れ親しんだQAZ方式も一瞬にして変更できる。
(変更方法はいまだかつてよくわからずに成り行き任せではあるが・・。(^^;;)
よくパソコンが固まらないでスムーズに動くことを「サクサク動く」と言ったものだが、サクサクなんて言葉が死語になるくらい、画面がミズスマシみたいにすいすい動く感触は感動ものだ。
アプリというのも九子にとっては今までちんぷんかんぷんだった。
安いゲームのソフトみたいに考えていたのだが、基本的に縦長方向でしか動かないNexus7を横長でも見えるようにしてくれるのもアプリなら、附属してはいない文章入力ソフトもアプリ。
しかも、ほとんどが無料かびっくりするような安さ!
これではとてもビルのところのソフトは値段で太刀打ち出来ないと思った。
ちなみに九子は、文章入力は次男Sに教わった通り evernoteですることに決めた。勝手にPCと同期してくれるので楽チンだ。
ところで前にも書いたItunesだけはどう頑張ってもダウンロード出来ない。非対応と言う事らしくて、だからItunes Storeでしか売ってないアプリは入手不可能ということになる。
PCにダウンロードしてそれを何とかコピーとか出来るのかどうかはよくわからない。
早速九子は語学練習用ソフトを無料で手に入れた。
英語をドイツ語にして発音もしてくれる。(もちろんその逆も可)
最初は単語を書いて入れていたが、音声認識というのを試してみようと思って、"I love you."と言ってみた。
誰でも知ってる'Ich liebe dich."がすぐに出てくるはずだった。ところが!
機械は九子の'love'を認識してくれないのだ。
'love'ではなくて'rob'と認識されてしまう。
日本人のrの発音はlになるとよく言われるが、九子の場合は逆のパターンであった。(^^;;
こうなるともう今度はドイツ語などどうでも良くなり、英語の発音訓練だ!
もしもあなたがNexus7を手にされたら、あなたもやってご覧あれ!
"I love you."と言う行為がいかに困難な行為であるかが、まさに言葉どおりにわかるから。( ^-^)
その後はキーボードとの格闘だった。
九子はネットで見つけたNexus7用の蓋(ふた)兼キーボードになってるやつを買った、
これはぴたりNexus7と合致して、その上デザインまでNexus7と同じ黒地に穴あきドットだから、蓋としては本当におあつらえ向きなのだ。
Google Nexus 7 Bluetooth 3.0 キーボードつきケース
- 出版社/メーカー: Disk House
- メディア: エレクトロニクス
ただ、キーボードとして使うには、少々小さ過ぎる。
ピアニストみたいな器用な人が華奢なネコの手で打つならいいかもしれないが、九子みたいな怠けパンダの手では一度にキーを二つも三つも押してしまう。
はじめは値段も3000円程度で買ったものだから、液晶を保護する蓋を買ったものと割り切って、ポメラタイプの折りたたみキーボードを買い直そうかとも思ったのだけれど、それでも何度か打つうちに少しずつ要領がわかって来た。
掌をキーボードの横のほうにはみ出させるような感じで打つと、割合楽に打てる。
文章が楽に打てるようになったら今度はgmailのアドレスでも取得して、個人用のメールはそこから書こうかと思っている。となると、ますますNexus7から離れがたくなる。(^^;;
(googleのログインはgmailアドレスでなくても、どんなメールアドレスでも出来ます。)
それと、さすがgoogle!と思わされるのが、最初から入っていたearthというアプリ。
要するに地図アプリなのだが、美しい航空写真でスペースシャトルに乗ってるみたいに世界中が隈なく見渡せる。
マップというアプリではもちろんあなたの居場所はすでにGPSであちらにツウツウで、まずあなたが見るのはあなたの周りの風景に違いない。
九子の場合は善光寺が出てきて、スクロールすると我が家の屋根が見えてくる。(もちろん航空写真に切り替える。)
これまで地図や地理にあまり関心の無かった九子であるが、ニュースとタイアップさせて地図を眺めるという楽しみもNexus7に教えてもらった。
Nexus7はほぼ文庫サイズというのも大きな利点だ。
今までPCで横書きで読んでいた青空文庫が縦書きで、しかもほとんど文庫を読んでいる感覚で読めるというのは大変嬉しい。
Amazon kindleやら何やら、文庫サイズでもっと目に優しいのもあるらしいけれど、九子はNexus7しか知らないから、これでまったく不満は無い。
(目が疲れたら雲切目薬をつければいいって話である。(^^;;)
その他にも書きたいことがたくさんあったはずなのだが、いかんせんNexus7君はドック入りしてしまった。
年末年始で修理が集中しているとかで、3週間も帰って来ない。
宅急便の人が引き取りに来た時、まるで子供を旅に出すような一抹の寂しささえ覚えてしまった。(^^;;
突然音割れがするようになったのだ。
Nexus7のクチコミでスピーカーは決して音質的に良くは無いと書かれていて、九子もそれは納得していたのだが、youtubeを連続して流してBGMみたいに聞いている分には、PCの使用状況に左右されることも無く、大変便利な道具だった。
(そう言えば、連続再生機能も特別なアプリで手に入れた。)
文庫本表示だけなら50時間も電池が持つのが売りという機種もあるらしいけれど、2時間そこそこの充電でyoutubeを聞きっ放しにしていても、7~8時間前後は持つと思われるNexus7で、九子は十分満足だった。
それが突然、なんとも聞き難い金属音が混じるようになってしまったのだ。
最初は無線の接続の問題かと思ったが、Nexus7自身が発する機械音すら音割れしているので、サポートに電話をかけた。なかなか繋がらないのを必死でかけた。
はじめは初期化しろと言われ、言われるままに初期化したがダメ。結局修理となった。
もしかしたら一ヶ月と少ししか経っていないので新しいのに交換してくれるのかとも思ったが、修理をされて帰ってくるようだ。
気になったのはわずかな金額とはいえ有料で手に入れたアプリの事だったが、アプリを再ダウンロードする際にパスワードかなんかで判別してくれて、お金は取られずに再び使えるようになるらしかった。
ほっ。( ^-^)
彼が帰ってくるまで3週間。
記憶をなくして満身創痍で帰って来るはずの彼を、どうやって迎えたらよいものか。
えっ? はいはい。おっしゃることよ~くわかります。
ただでさえ友達少ないんだから、機械なんかにのめりこんで、更に世間を狭めないようにってね。
ご忠告、誠に有難うございました。(^^;;
再び、長野と松本 [<正統、明るいダメ母編>]
九子が「長野と松本」を書いてから、もうかれこれ7年が経つ。
当時両親はかなり体力が無くなっていて、でも好奇心だけは人並みだったため、リッチな親戚Cさんが貸してくれると言う伊豆の別荘に、夏休み、家族揃って向かっていた。
ワンボックスカーでの7時間の大移動で二人はかなり体力を使い果たしてしまい、青い海を一瞬たりとも見ることが出来た喜びと引き換えに、もしかしたら寿命を縮めることになってしまったのかもしれない。
でも毎日毎日テレビの画面と天井の両方を交互に見てるだけの生活を今日も明日も続けるよりは、「よぼよぼになって長く生きたくない。」と言っていた彼らの事だから、何かしら生きがいのようなものを感じてくれたんじゃないかなと思ったりする。
何より二人の思い出だけは確実に残った。
ふだん着物と言うものに縁の無い九子が三十数年ぶりに袖を通した着物は、母の形見の黒留袖(とめそで)だった。
思えばその前に九子が着た着物はといえば、誰が着ようともあでやかに映える婚礼衣装の打ち掛けである。(^^;;
(もちろん浴衣や活禅寺の正装である白衣(びゃくえ)は着物のうちに含まれて居ない。)
母が亡くなった時に、九子用に母が誂(あつら)えてくれた着物の数々を見て、今更ながら母の愛情を感じたものだが、(そして、出来すぎ母は株でどんだけ儲けたんだ!と感心しもした。(^^;;)
中に色留袖はあったが、正装用の黒留袖は見つからなかった。
黒留袖だけは私のを着てよねって母が言っていると思った。
母の留袖ならばお金がかかっているはずだから、まあどこに着て行っても間違いは無かろうと九子は考えた。
ところでそういう場には必ず黒留袖じゃなくちゃだめ!と教えてくれたのは義姉である。
義姉に言われなければ着古したドレスで出るところだった。
着物というのは便利なもので、母と身長差15cm以上、体重差20kg以上(言っとくが九子が太ってるのではなくて、母が痩せすぎていたのだ!(^^;;)であっても、そのまま着られる・・・と思い込んでいた九子であったが、実際のところは丈は足りたが、袖が短すぎた。
知らないということは恐ろしいもので、袖が七分丈でちょうど初夏向き!と思っていたら、今は袖の長いのが流行で、今回は直す時間が無いので「この次」までには直しましょうねと、馴染みになった近所の呉服屋さんに言われた。
「この次」って一体いつの事だろう。( ^-^)
5月19日は晴天だった。長野市じゃなくて、松本市の話である。
神社に程近い美容院では、若いがしっかり者の美容師さんがこう言った。
「あら、長野からですか? 私、長野にも何年か居たことあるんですよ。えっ?買い物?そうですね。 松本はこだわりが強い品物が多いと思う。万人向きのものが欲しい時は、長野の方が便利じゃないですか?」
優しい松本の人々は、長野市民が松本に対抗意識?あるいは、劣等感を抱いているのを知ってか知らずか、たいていはこうやって持ち上げてくれるものなんである。(^^;;
美容師さんの努力で、母の留袖はなんとか九子の凹凸の少ない身体を包んでくれた。(^^;;
ところが問題は草履であった!
何人がかりでようやく履かせてもらったのはいいけれど、数歩歩くのも難儀をするくらい足を締め付ける。
やっぱり母のじゃダメだったわね、バックとお揃いの佐賀錦(さがにしき)でちょうどいいと思ったんだけど・・。
仕方が無いので新しいのを買うことにした。
「履物や」という看板を見つけて入っていったら、親切に、うちには無いと別の呉服屋さんを教えてくれた。
(足の痛い九子の代わりに、日頃アッシー君をやり慣れてるSが動いてくれて助かった。(^^;;)
その呉服屋さんは家族4人でやっていらして、若いお嫁さんまでみんなが当たり前のように和服を着ていらした。
着物を着慣れているらしく、草履もたくさんある中から素早く見つけてくれ、もう着くずれしたらしい九子の襟元も直して下さった。
そうそう、バッグの置き場所に困ったら、お太鼓の隙間にバッグをしまう裏技も教えて頂いた。
「松本には呉服屋さんが多いんですね。」と言う九子に、お嫁さんはこんな話をされた。
「ここらへんにはお茶の文化が残っていて、だからみんな和服を着る機会が多いんですよ。呉服屋が多いのはそのせいかしら・・。」
どうりで松本から、たまに着物姿で雲切目薬を買いに来て下さる若い女性のお客様が居る。
着物を着ること事態が、九子みたいによっこらしょ!じゃあないんだね。
きっと生活の一部になっているんだ。
呉服屋さんで買った草履には本当に重宝した。N子も履きなれないピンヒールの踵でヨチヨチ歩いていて、新しい草履が無ければ彼女に肩を貸してやることも出来なかったと思う。
四柱神社は緑深い中にある堂々とした神社だ。明るくて風格がある。
長野でここに匹敵する神社の名前を探したが、思い浮かぶところは皆無だった。
長野の神社は、たいてい薄暗くて、人の気配が無い。だから自ずと人を遠ざける。
神主さんはたいてい神社の敷地の隣に居を構えているから、神社は無人なのだ。
それに長野は善光寺さんが偉大すぎて、神社の影が薄い。
四柱神社で奉納された舞には驚いた。若い巫女さんが舞を舞う。
そもそも舞が奉納されること自体が、長野ではまず無い。
もともと長野では式場へ神主さん一人が呼ばれて行って、お払いだけを済ますというのが一般的だ。
音楽がかかるとしたら、当然、録音である。
巫女さんの舞そのものも珍しかったが、横笛と笙(しょう)の生伴奏がついて、朗々とした声で神主さんが歌われたのにはびっくりした。
う~ん、こういうところにも本物を求めるんだね、松本人は・・。
そもそもサイトウキネンの齋藤秀雄先生も松本なら、スズキメソッドの鈴木鎮一先生も松本だ。
実はM氏の一番上のお姉さんが松本に嫁いで、もともと頭が良くて習い事の好きな義姉だったが、
75歳でサックス、つまりサクソフォンを習っていると言うのを聞いて驚いた。
彼女はずっと琴を続けてやってきたので、サクソフォンの先生と琴とサックスのセッションも計画しているらしい。
彼女の一人息子はずっと鈴木メソッドでヴィオラをやり、京大の医学部でもオーケストラに所属していた。
息子を京大出の医者にするなんて、九子じゃ絶対に無理だ!根性なしの母親に出来る話ではない。
彼女がもし長野に嫁いでいたら、長野でサクソフォンの先生がそんなに簡単に見つけられるとは思えない。
こういうのを聞くと、松本の人々が、音楽とか茶の湯とか、日々の糧にはならないものにたくさんの時間やお金を割いているのがよくわかる。
その後の会食会場のレストラン鯛萬も、明治時代の建物をそのまま残して、文明開化の雰囲気を醸し出している。
ここで結婚式を挙げるのが、松本市民の憧れだそうだ。
そして極め付きは、車の窓から見下ろす市内の普通の家々の庭が、どこもかしこも良く手入れされて美しいことだった。
ああ、こりゃあ長野に勝ち目は無いよ、と、九子は完璧に敗北を認めた。
子供達も東京にある店々が松本にはあって長野に無いことを、「ああ、松本に負けたよ~。」と嘆いていたけれど、事はそんなに単純じゃない。
何より松本は隙が無い街なのだ。
当たり前だ、彼らの先祖は武士なのだから・・。
松本市民は志が高いのだ。知識欲と言う意味では、池上彰氏なんかはその最たるものだ。
「学べるニュース」なんかで池上氏の解説を聞くと、彼の知識が緻密なことに驚かれると思う。
実は松本市を含む区域が、長野県一高校入試の競争率が高いのだという。
やっぱり基本、競争社会なんだなあ。
音楽も、茶の湯も、和服の文化も、庭の手入れも、店を小奇麗にしておくことも、すべてが自分を高めることだ。
そういうことを嬉々としてするのが松本市民だ。
少しは競争という側面もあるのだろう。
でも彼らの武士の血筋の中に、そういうものを厭わない頑ななものがあるような感じがする。
長野市民はその点、実に素朴だ。(^^;;
平気で隙をさらけ出す。
みんながみんなとは言わないが、少なくとも九子なんかは典型的だ。
残念ながら、店を綺麗にしようと努力するよりも、このまんまがいいと言って来てくれるお客さん相手に商売しようとか、そんな不遜なことばかりを考えている。(^^;;
そもそもが善光寺商法だ。善光寺がある限り、努力しなくても客は来てくれた。
大事なお客様がいらっしゃるなら、前もって努力して綺麗にしておけばいいのに、「散らかっててすみません。」の一言で済ませようとする。露悪趣味という言葉とはちいと違って、がっかりさせたくないばっかりに、必要以上にダメなところを強調する。
隙がある・・を通り越して、もはや隙ばかりで出来ているのが九子である。(^^;;
もともとが不器用だからして、一生懸命やればやるほど緊張してドジの種をまく。
「ほら、ほら、言ったとおりでしょ。まったくいつもこんななんだから、いやになっちゃうの。」
でもそうして言い訳さえしておけば、努力は最小限で、なんとか相手をがっかりさせずにやり過ごせると考える。
松本市民が100%を狙う完璧主義者だとすれば、長野市民は中庸の5割、6割を重んじる仏教徒と言えるだろうか。
それが積もり積もったものが今の違いなんだね。
そうなのだ!そして九子は、長野そのものなんだよね、きっと。( ^-^)
その長野市も、昨今善光寺近辺ににわかに新しい店が立ち始め、だんだん変わり始めている。
長野オリンピックを契機にしてアーケード通りの屋根が取っ払われてからと言うもの、お世辞かもしれないが「綺麗な街」と言ってくれる人も増えてきた。
残念ながら九子んとこの店は、その「綺麗」な中には確実に入らない。(^^;;
新しく店を出してくれたのは、長野にはまるで無縁の人々である。
彼らの存在によって、長野も少しずつ華やかな街になってくれたらいいのだけれど・・・。
リッチなCさんは、「九子ちゃんちの散らかり方を見ると、ああ長野の家へ来たんだなってやっと安心するのよ。」と言ってくれる。(^^;;
変わりたいと思っても、そういう人が一人でも居ると、九子はなかなか変われない。(^^;;(^^;;
岩合光昭 ねこ 展 [<正統、明るいダメ母編>]
あなたはイヌ派だろうか?それともネコ派?
九子はずっと自分はイヌ派だと思っていた。
だって猫など飼った事無いし、もとより我が家は目薬屋。
昭和57年まで家の裏にひなびた工場があって、もともとは軟膏状だった雲切目薬を三日ほど母が一人で機械を回して作っていた。
出来た軟膏を母屋に持って来て、またしても母が一人で調剤室やたまには台所で(^^;;蒸留水に溶かしたり、ビンに分けたり、箱に入れたり・・・。(のどかな時代でした。( ^-^))
本当に出き過ぎ母がたった一人で作ってたんだよねえ。信じられない!
とにかくそんな訳で、衛生上の見地からも我が家で犬猫を飼う事は長い間ご法度だった。
ところが祖父が脳卒中で倒れて、母が祖父のリハビリのために鹿教湯(かけゆ)温泉に行ってる留守に、我が家に泥棒が入った。
裏門を越えて庭からの進入だった。
それでやにわに犬を飼おうと言う事になった訳だ。(庭に放しておけば室内に入らないから、犬ならまあいいか!という訳。)
そのあたりのてんやわんやはこちらを見てください。( ^-^)
結局それ以降犬は3代か4代我が家に居続けた。孫が5人も次々生まれて、母が犬の世話どころじゃなくなってしまうまで・・。(^^;;
だから、ほとんど手の届く所に居ない猫よりは、犬の方が九子に近いと思っていた。
九子は、我ながらあっさりした性格だと思う。
隣の八百屋さんにゆきちゃんという可愛らしい看板犬が居て、犬好きなお客さんがみんな可愛がって、顔がひしゃげるくらい頭をなでたり体中をなでまわしたりしているのだけれど、九子はそういったことをした事が無い。
もちろん可愛いとは思う。だからゆきちゃんの顔を見れば笑うし、小さく声もかける。ただそれだけだ。
たぶん何も通じてない。(^^;;
とにかく手を出すというのが苦手なのだ。
一人っ子で出き過ぎ母になんでもやってもらって育った影響だろうか。自分から手を出さなくても誰かがやってくれるという状況に慣れてしまったのだろうか。
それとも小さい頃から自分一人の世界で遊んでいる習慣がついてしまって、人付き会いの淡白さが、ありとあらゆる物に対する関係性の薄さにつながって行ったものなのだろうか?
たぶん小中学校の調理実習のはてから薬大の実習に至るまで、九子はありとあらゆる場面で参加するイコール手を動かすと言う事に逃げ腰だった。(^^;;
そして今に至るまで、その状況は進展していないように見える。
「岩合光昭のねこの写真展」は、どうしても見たいと思って行った訳ではなかった。(岩合さん、すみません。(^^;;)
ところが行ってみたら、偶然その日はサイン会の日で、まだ会場の「ながの東急百貨店」に残っていらした岩合さんご本人にサインを頂く事が出来てしまった。100人限定のサイン会で94番目だった。(なんという強運!(^^;;)
「ねこ」という今日の展覧会の写真のほとんどを、岩合氏が付けられた珠玉の一言といっしょに収められている写真集は、頬ずりしたくなるような猫たちでいっぱいだ。(なか見検索あり!)
- 作者: 岩合光昭
- 出版社/メーカー: クレヴィス
- 発売日: 2010/03/03
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
その見返しに岩合氏が一冊一冊、猫のイラストを描いた上にMitu Iwagoとサインして下さった。
写真集を買ったのはM氏なので、もちろん握手はM氏しかしてもらえないと思っていたら、岩合さんが「どうぞ」と目くばせして下さり(のように思えて)、おずおずと(図々しく(^^;;)手を差し出す。
がっちりとした温かい手だったなあ。( ^-^)
M氏と九子は珍しく歩きで来たから、九子の手もあったかかった。
ああ、残念!もっと冷たくてほっそりした手だったら良かったのに・・。(^^;;
まあそんな訳で、俄然展覧会見るのに力入っちゃったのよねえ。( ^-^)
写真はもちろん素晴らしかったけど、一言せりふがとびきり良かった。
ネコの動作に感心したり、想像したり、時には突っ込みを入れたり・・・。そして撮影された土地名が入る。
さすが!岩合さん。ぴかイチの感性は、写真でも文章でも同じように発揮されるんですね。( ^-^)
たとえば岡山県の真鍋島では、外国のタイル屋根のようなマリンブルーの瓦屋根が並んでいる上に7匹の猫が等間隔に、ちょうど瓦一枚分だけ隙間をあけてお行儀よく並んですわっている。
それに対する岩合氏のコメントはこうだ。
「猫はプライバシーを大切にします。」( ^-^)
「遠路はるばるよくいらっしゃいました、と」と書かれた猫たちは、群馬県みなかみ町の2匹。
右側の大柄な猫がまるで満面の愛相笑いを浮かべている旅館の大女将で、左の若い器量よしの猫が美人若女将みたいな風情。
実は九子もちょっとやってみたのだけれど、小学生くらいのお嬢ちゃんを連れたおとうさんが、写真だけ先に見て、一言を当てるというゲームをやっていた。
いろんな風に遊びながら楽しめるのがこの写真展の良さだと思う。( ^-^)
日本の猫が多いのだけれど、外国の猫も時々まざって出てくる。
九子にとっちゃあ猫そのものにあんまり違いはないように思うのだけれど、猫好きなM氏はどこか違うと言う。
最後は岩合さんの飼い猫の天才「海くん」の写真だ。
岩合さんがカメラを構えると即座に身構えて気合の入り方が違う、生まれながらのモデル猫だったそうだ。
やっぱり猫はかわいい。九子は今日から断然ネコ派になったよ。( ^-^)
赤ちゃんが可愛らしいのは、誰もが庇護したくなるような可愛らしさを備える事によって敵から身を守るという自然の摂理だというのを聞いた事がある。
そして赤ちゃんの顔は誰もが愛らしいと思える黄金比で出来ているのだという。
動物の赤ちゃんもこれしかり。
考えてみるとネコの顔の方がイヌのそれより黄金比に近いのではないだろうか。
小さい時は黄金比の犬の顔も長じてくるとやたら長くなったりするが、猫族の方が一様に赤ちゃんの時の顔をとどめている。
九子は昔、パンダに憧れた。
あんなふうに食っちゃ寝してるだけでみんなにちやほやされて愛されるなんて、なんていい暮らしだろうと本気で思っていた。(^^;;
だけどよく考えてみたら、中国の山の中で毎日笹の葉っぱしか食べられない生活なんて冗談じゃなかった!
やっぱネコでしょ!写真展の中にも寝そべってるネコばっかりやたら多かった。
そうじゃなきゃ日なたぼっこしてるとか、お気楽そうなヤツばっかり・・。
いいなあ。なんてうらやましい生活!
でも飼い猫ならともかく、縄張り争いやら食料確保とか煩わしいし、生魚やキャットフードばかり食べさせられるのも大問題だ!
じゃあ結局何になるのが一番幸せなんだろう?
ちょっと考えるだけで正解はすぐに出た!(^^;;
お昼寝しながら雲切目薬売って、お掃除嫌いでも何も言われないし、美味しくないご飯も文句言わずに食べてくれるM氏が夫君で、誰にも命令される訳じゃなく、何やっても叱られる訳じゃなく、眠くなれば寝て、お腹がすけば食べて、こんなお気楽人生他に無いじゃない!
パンダや猫よりあなたの方がよっぽど幸せだよ。(^^;;
願わくはこんな九子の日記を読んで面白いとか楽しいとかばかばかしいとか思って下さる方があらわれて、世の中にはこんなに何にもしなくても何にも出来なくても生きていられる人がいるんだね、自分はまだまだ九子さんよりマシな方じゃんと思ってくれたら・・・。
そう。この日記がネコちゃんみたいに読んで下さるあなたの心を癒せたら一番いいんだけれど・・・・。( ^-^)
雪かきあれこれ [<正統、明るいダメ母編>]
堰を切ったように雪が降った。
50センチも積もったように感じたが、8年ぶりだかの30センチだそうだ。
それでも30センチと言えば長靴の丈だ。並みの量ではない。
この位の量が降ると長野市では早朝に除雪車が来て車道の部分の雪だけかいて行く。それは有り難いのだが、それぞれのうちの前に車道の雪が高く積まれる。とりあえずそれを片付けるのが現代の雪かきである。
雪国ならではの雪かきという行事は煩わしい反面、少々楽しくもある。
我が町はまだ50、60代の世帯主が幅を効かせ、雪かたづけも行き届いている。
一番いいのは道路の裏にちょろちょろと川が流れていて、雪の捨て場がある事だ。
九子んちの駐車場を通って町の人たちが皆雪を川に捨てに来る。
礼儀正しい町の人たちはみんな「すみませんねえ、ここを通らせてもらって大助かり!」と言ってくれるが、九子にすれば町の人たちが大きな雪ダンプを引っ張って何往復もしてくれるおかげで、駐車場の雪かきが省けてこちらこそ大助かりなのだ。「こちらこそ。雪かきしなくて済んじゃうから有り難いです。」
こういう時九子は「日本人に生まれて良かった!」と思う。中国人じゃあこんなやりとりは出来るまい。
(どんだけ中国嫌いなんだ、(^^;;)
はとこのFさんとKOさん夫妻が例によって仲良く雪かきしている。
なんでも二人は昨日お客さんの接待で志賀高原のホテルに宿泊していたのだそうだ。
「二人で接待なんてずいぶん重要なお客様なのねえ。」
「ほら、例の中国の大金持ちよ。」
KOさんは実は長野電鉄の社長さんだ。
Fさんと二人で社用を兼ねて中国へ行った時、会社を20個も持っていると言うその中国の資産家に引きあわされて接待を受けたのだそうだ。だから今度はそのお返し・・という事らしい。
Fさんが言うには、中国のお金持ちというのはスケールが違うのだそうだ。その資産家御夫妻は裸一貫で20年位前に事業を起こし、身を粉にして働いて今の地位を築いたのだそうだ。
「ふ~ん。それでやっぱりいわゆる『中国人』って感じじゃないの?」
「ぜ~んぜん、ぜんぜん。だってとにかく凄いんだもの。」
何が凄いか気になったがそれ以上踏み込んで聞く時間も無くて、九子は雪をそりに乗せる。
お金持ちになると中国人もおおらかになるのかなあ。
まあいいや。KOさんとこは社長さん夫妻だから中国のお金持ちに会う機会もあるだろうけど、赤貧洗うが如くの(^^;;M氏と九子じゃあそんな人に会えるはずも無いし・・。( まあ会いたくも無いけど・・・。(^^;;)
KOさんは生まれながらの社交家だ。そこに居る誰にでも気楽に声をかける。社長になってもああいう風にされたら、敵はいないだろうなあと思わされる。
九子なんかは顔を合わせてない人には、つまり背中を向けてる人には挨拶なんかしないで通りすぎる事がほとんどだが、KOさんは背中ごしにでも挨拶してくれる。
挨拶をする意義というのを余り意識しなかった九子だが、この頃その大事さを再認識した。
それはニュースで言っていたある情報だ。
タクシー強盗がタクシーに乗った時、運転手さんに話しかけられると強盗をあきらめる確率が高いというのだ。
去年の酷暑の夏に、親に育児放棄された幼い姉弟がマンションの一室で餓死するという痛ましい事件が起きたが、マンションではその後住民たちが自主的に自治組織を作ったそうだ。
隣の人の顔も知らないからこういう事件が起こった。子供の顔も見覚えがあれば、もっと踏み込んだ対応が出来たかもしれないという住民達の善意の一歩だった。
挨拶しなさいというのは、両親からも祖父からも良く言われていたがどうして?と聞いたことはなかった。
挨拶というのはむしろ西欧諸国の方が重要なのかもしれない。
それはやはり、「私には敵意はありません。大丈夫ですよ、安心な人間です。」という狩猟民族ながらの意志表示なのかもしれないが、それをきっかけに会話が始まる良い種になる。
するとそこへ八戸工業と書いたウエアを来た一団が通りかかる。KOさんはすかさず話しかけて何か尋ねている。
KOさんと彼らとの短い会話はさっそくひとつの情報をもたらした。
彼らはエムウエーブで開かれているスケートの高校全国大会に出場するために長野へ来たのだそうだ。
九子ならわざわざ話しかけてまで聞いたりしない。でもそれでは何の情報も得られないって事だ。
KOさんの人生と九子の人生では、情報の量でなんと膨大な差があることだろう。
活禅寺で坐禅を習い立ての頃だったら、ひとつ奮起してKOさんみたいに誰でも気さくに話しかけてみようなどと思って実践していたかもしれない。だけど今の九子は頑張らない。頑張ってもいい事無いとわかったからだ。(^^;;
人にさらっと気楽に話しかけられる人なら話しかければいい。だけど九子は気持ち後引きタイプ。
あの時こう言えば良かった、いや、あんなこと言わなければ良かった、あれはこういう言い方すべきだった、ああ、あの人怒ってないかな?と、絶えず自分が言った事が気になっちゃうから、誰彼構わず話しかけていたら身が持たない。
いや、実際問題として、反省する時間が邪魔をしてそんなに話しかけられるわけが無いのだ。
そもそも九子がそんなにまでして人と話して情報集めたとしたって、その情報を処理するコンピュータの能力が低いんだから仕方ない。
早い話が九子は社長になるべき器ではない!(^^;;
小一時間もすると店の前の雪はあらかた片付く。
日頃身体を動かす事の少ない九子も、いい具合に身体がぽかぽかして心まで爽快だ。( ^-^)
雪国の人はわかるだろうけど、雪かきはこれで終わりじゃないんだなあ。
午後になって車が通って道路脇に積まれた汚れた雪をかたづける仕事が待っている。
これが同じ雪?と思うほど対照的な白と黒、ふんわりさっくりな砂糖菓子を思わせる朝の雪と泥水を含んでカチカチに凍りついた夕方の雪。凍りつかないまでも水を含むと倍ほどにも重くなって扱い難い。
だけどこれをやっとかないと、また夜の間に雪が降って除雪車が出て雪を積み上げていく。
雪かきは九子にとって恰好のエクササイスであることをお判り頂けただろうか。一日でいつもの3倍、いや5倍は身体を動かす。
(えっ?いつもは一体?(^^;;)
ところがもうひとつ、頭のエクササイズがあったのを忘れてた。
大屋根から落ちる雪をどうするかだ。
きたさん曰く、大屋根の瓦はその昔だいぶ高いお金を出して作られたもので、頑丈に(たぶん重く)出来ているらしい。九子のうちの屋根は南を向いているので、雪はみな太陽に溶かされて落ちてくるのであって、瓦ごと落ちるなんて心配はしなくていいと思うのだが、とにかく大屋根から雪が道路になだれ落ちる様子は、知らない人は地震かと思うだろう。
実は今回、九子はその瞬間初めてすぐ下の調剤室に居て、腰が抜けそうにびっくりした。(何十年も生きてきたのに初めてですか?(^^;;)
雪であることはすぐにわかって、表に飛び出した。
誰か、下敷きになっていないか!
誰も居ないようだ!ふ~っ、良かった!
この高さから雪が落ちたら、しかも圧雪だ!頭に当たりでもすればそれこそ死んでしまうかもしれない。
万が一そうなったらどうすればいい? いや、そうならないようにするにはどうする?
一応薬局が入ってる薬剤師保険がカバーはしてくれるはず。でも頭上注意の表示をどうやってどこに出すか?
一つの答えはのぼり旗。これが一番目立つ。
何しろ雲切目薬ののぼり旗をM氏の提案で出すようになってから(M氏もたまにはいい事を言う。(^^;;)わかりにくい薬局や駐車場の場所が少しはわかりやすくなった。
問題はのぼり旗を立てるコンクリートの重石だ。あれをただでさえ狭い道路に並べるのはいかがなものか・・。
隣の八百屋のおじさんは九子の思案を知ってか知らずか「ダイジョー、ダイジョー(大丈夫、大丈夫)、そんなもん無くたって何十年も誰も怪我してねえんだから。」と涼しい顔。
そう言われると尚更心配になる。今まで事故が無かったのはまったくの幸運なのだ。これからも大丈夫と言い切れるはずが無い。
う~ん、難問だ。
薬局の駐車場ももちろん雪かきの守備範囲なのだが、今年は幸運にもやらずに済んだ。
駐車場の西半分の所有者であるイチローおじさんが駐車場の管理会社に雪かきを頼んでくれたと見え、雪かき部隊が除雪車一台と人足3人でやってきた。
「ついでだからお隣もやっておきますよ。」と言ってくれたので雲切目薬を3個差し上げたら、我が家の分の方がきれいに見えるほど隅々までやってくれた。
恐るべし!雲切目薬の威力!(違うか。(^^;;)
そして後に残ったのが見事な雪の山である。車を止めるのに邪魔にならぬよう、川の近くに雪山は出来ていた。
九子なんかはそのうち融けるのを待てばいいつもりだったのだが、ここでM氏が動いた。
毎日毎日30分くらいずつをかけて、雪の山を川に投げ入れて小さくしている。
ビンボー神のM氏は性格もビンボー性と見え、なんか動いていないと落ち着かないらしい。(^^;;
雪の山も3日ほどで半分ほどになった。
あ~あ、なんだか雪の山が小さくなってく様子は、ビンボー神にどぶ川に投げ捨てられてる我が家の資産みたいだよ。
あんまり頑張るんじゃないよ、ビンボー神!(^^;;
無償の愛 [<正統、明るいダメ母編>]
無償の愛と言う言葉は、例によって薬大の哲学の講義で詳しく習った。
本来この言葉は「アガペー」というキリスト教における神の愛と同意語で、神が私達を平等に愛し給うように、分け隔ての無い、何物も見返りを求めない尽きる事の無い愛であるという。
たとえば幼い我が子が車に轢かれようとしている時、後先考えずに母親が身を投げ出して子供を救おうとする行為がそうなのだという。つまり、自分の身の危険など省みずに居ても立ってもたまらずに夢中でしてしまう行為の事なのである。
去年の今頃、大学に入学間も無い末娘のM子から「男子バレー部のマネージャーになった。」という電話がかかってきた時、九子が取った行動はまさしく無償の愛だと思った。
もとより身の危険などはさらさらないが、居ても立ってもたまらずに夢中でしてしまう行為には違いなかった。
九子は鷹揚な母親がそうするように、何事も無かったように娘の電話を聞いた。そして受話器をがちゃりと置いた途端、(我が家では九子がケータイを携帯する習慣がいまいちついていないので、子供達は薬局の電話にかけてくることが多い。)九子はあわてて調剤室に走り、それを探し回った。
いつも整理整頓の行き届かぬ調剤室だが(^^;;、そんなに備蓄薬品が多いわけではないので在り処はすぐにわかった。うちの前にアメリカ人のSさんが住んでいた頃、彼女が医者から処方されていたホルモン剤、低用量ピル、つまりは避妊用のピルである。
あれからもう4年以上になる。ピルの期限はもうとっくに過ぎていた。
それでもいい。どうしても送りたかった。そうでもしないと気がすまなかった。
だから早速、速達で送った。
送ってみたら、どうにも妹にだけそんなものを送って、N子に送らないのはN子に対して失礼ではないかという思いがしてきた。それでN子に電話することにした。
金のなる木の話 [<正統、明るいダメ母編>]
笠原十兵衛薬局に去年の11月初め頃「金のなる木」がやってきた。
まあ、寒くなる前に避寒にやってきたというところだろうか。
もともとどこにあったものかと言えば、出所はいかにも凍えそうなM氏のところである。(^^;;
なんでも女の子たちが手入れするのが煩わしくなったとかいう口実だったが、実のところは金のなる木の力をもってしてもまったく金がならないビンボー神歯科医院に嫌気がさして、というか正直力負けして、すごすごと、まだましだと思われる薬局のほうへ逃げてきたと言う方が正しいのかもしれない。
見た目が一番立派なでん!としたのが一本と、薬局のショーウインドウの上にも充分置けるサイズのが三本。
まあ古いゲン担ぎ的に言えば、つごう四本というのも数が悪かったよね。
でん!としたのは図体ばかりは大きいが、下のほうの葉っぱが赤くなっていて、まあその赤くなった葉っぱの上で気丈にも今にも花を咲かそうとしているつぼみまである。
さすがM氏のところから来ただけあって、体力が落ちているのに出費ばかりがかさむ事をしようとするのは主を真似ているとしか言いようが無い。(^^;;
「金のなる木に花が咲くというのは珍しいんだよ。」とM氏が言う。
(言外に花が咲くまで大事にしてくれよって意味!)
「えっ?ってことは、花が咲いたらこれ死んじゃうの?」
「いや、それは竹の花の事だろう?これはそんなこと無いはずだぞ。」
M氏は知らない事をさもよく知っているように断言するので定評があるので(^^;;、ネットでよく調べてみた。
(あっ、M氏の専門については大丈夫。この限りではありません。( ^-^))
結局ネットでは事の詳細はあまりよくはわからなかったのだが、金のなる木は花が咲いたからといって枯れるというものではないようだ。
もともと生命力は強い木で、落ちたはっぱから直接根が出ていつのまにか大きな木になっているという話である。
ネットの山形の小学校だよりにこんな話が出ていた。「7.8月の暑い時期に一週間に一度それもちょっぴりしか水をやらないようにします。すると金のなる木は水ももらえず死にそうになったに違いない。そこで金のなる木は考えた。このままでは自分は死んでしまう。せめて自分の子孫だけは残したい。そう思って金のなる木は残っているありったけの力を使って花を咲かせ、実をならせて、種をつくろうとするのではないか。そうすれば自分の子供が出来るはずだ。」
「そう思って金のなる木が花を咲かせ始めた頃、校長先生が毎日水をかけ始めたことになります。すると、金のなる木は、きれいな花を咲かせた上に、死ぬどころか、このように毎日元気に育っているのです。
金のなる木は教えてくれています。死ぬ気でやれば、本気でやれば、なんでもできる。きれいな花を咲かせることができる、ということを。また、人間頑張る時期があって、その時に頑張らないと花が咲かないと言う事も。」
う~ん、校長先生のお話というのはみんなきっとこんな感じなのだろうが、久しぶりで接してみると紋切り型と言おうか、ちょっと無理やりっていう雰囲気だよね。
そのうち子供はみんな気づくんだよ。頑張ってもできないことがあるって事に。そしてその時頑張らなくても、頑張る時はいつかまた来るってことに。
でもそれは小学校の時代にはまだまだ知らなくてもいいことなのかもね。( ^-^)
おっと、またまたお得意の脱線ですみません。(^^;;
とにかくそうやって今まで、四本の金のなる木は一応笠原十兵衛薬局の一番日当たりの良さそうな古い店の前で余生?を過ごしていたのだ。
実は一ヶ月ほどたった頃に九子は気づいていた。
なんか葉っぱが余計赤くなってない?
赤い葉っぱ=元気の無い弱い葉っぱという公式が成り立つのかどうかすら定かではない九子だが、赤い葉っぱの下の地面には何枚か落ちてしまった落第組のはっぱも見える。
う~ん。日が当たるとは言え、ガラス戸一枚で暖房も無い。冬の長野は寒いからなあ。寒さに負けたのだとしたら、気の毒だなあ。でもまっ、いいか。この家にやって来たのが運の尽き。
それっきり九子は金のなる木の事などすっかり忘れて、何をやってやるでもなく何日かを過ごしていた。(^^;;
哀れ、金のなる木よ。何の因果で九子のところなんかへ来たもんだか・・。いくらビンボー神がのさばっているからとは言え、世話してくれるおねえさんの数の多い元の棲家でおとなしくしていた方が幸せだったのに・・。
ところが奇跡というものは起きるものである。
九子が買い物に行った時、それは起こった。
とあるホームセンターでの買い物帰り、入り口に近いところで九子の目が釘付けになった。
九子が見ていたのは3段重ねの緑色のパイプ棚。厚手の透明のビニールがすっぽりと覆っている。ビニールにはファスナーが付いていて簡単に開け閉め出来る工夫がされている。
そう。それは小さなビニールハウスだった。その上値段は2000円ほど!九子好みの値段。( ^-^)
これを買えばあったかくなって、金のなる木も元気になるに違いない!
九子はるんるん気分だった。
ああ、いい事するって気持いいねえ!
ここで間違ってはいけない。九子は単に自分の優しさに酔ってただけだ。
金のなる木の幸福を心から祈っていたわけでは無い。(^^;;
ホームセンターで安い棚買って喜んだ時はいつでもそうだが、家に帰ると組み立てっていう難事業が待っている。
でもまあ九子の場合、この手順は無いに等しい。「Mさん、お願い!」の一言でおしまい。( ^-^)
器用なM氏は瞬くうちに作ってくれるのだが、今回はちと様子が違った。安物ゆえキツく作られているせいか、「あっ」だの「うっ」だの「はっ」だの、うめき声にも似た低い声がいつにも増してはさまれる。
それでも30分ほどの間に綺麗に仕上がった。
「ああ、ちょうどいいねえ。」
「だめなんだよ、それが。ほら、真ん中に渡ってる棒があるせいで、一番大きいやつの頭が当たるんだ。」
「じゃあ、この棒をはずせばいいじゃん。はずれるんでしょ?」
M氏は渋い顔をした。訳はすぐにわかった。その棒をはずすためには、また最初からやり直しだったからだ。(^^;;
九子が次に呼ばれた時、気の利くM氏は棚の中に四本の金のなる木と、そこら辺にあったいつ花が咲いたのかも知らないシクラメンの鉢なんかも一緒くたにして、上手に並べてくれていた。
「わあっ、いいじゃん、いいじゃん!安くてサイズもぴったりの棚だったね。」( ^-^)
(もちろんM氏の工賃などはタダ!(^^;;)
金のなる木はそれ以来、少々窮屈そうではあるがとりあえず温かい新しい住まいを得た。
あと一番の問題は、水が与えられるかどうかだけである。
山形の小学校の君達の仲間は、本気でやれば死ぬ気でやれば、なんでも出来ることを学習したそうだ。
ところが何の因果か長野のビンボー神歯科医院に来てしまった君達は、頑張っても頑張ってもビンボー神に邪魔されて金がならないという現実に直面し、世の中には頑張ってもどうしようもないことがあることを学習したはずだ。
頑張ってもどうしようもない事があるってことに絶望しただけなら、それに甘んじておとなしくビンボー神んとこにいるべきだった。それならば命の危険はとりあえず避けられたのだ。
九子の薬局に来てしまった君達は、水ひとつ満足にもらえない過酷な環境でサバイバルゲームを強いられている。
君達は知らないだろう、かつて 九子が枯らした花のことを。(^^;;
それでもけなげにつぼみをつけてる金のなる木よ。
春まで生き延びたなら、そして花が咲いたなら、みんなでお祝いしようぜー。( ^-^)
ビンボー神その3 [<正統、明るいダメ母編>]
あれは忘れもしないN子の中学生最初の家庭訪問の時のことだった。
穏やかそうな表情のN先生は、なんと!、初対面の九子に向かって深々と最敬礼をなさり、「いやあ、先生には大変お世話になりまして・・。」とおっしゃったのだ。
実は子供達の担任の先生に最敬礼されたことはこの時ばかりではなかった。末娘M子が小学校6年生の時にもこんな事があったのだが・・。(^^;;
あっけにとられている九子にN先生は更に言葉を続けた。
「私、いつも先生に歯を治して頂いてましてね。最初は前歯を入れて頂いたんですよ。他の歯科医院を当たったら、どこもみんな保険が効かないから一本十何万だと言うんですよ。ところが先生のところで伺ってみたら、なんと!2万円でやってくださるって言うじゃないですか!もうそれ以来、家族もみんな、先生んとこばっかりです。」
ああ、そういう事だったのかと九子は合点した。合点したのはもちろんN先生の最敬礼の意味もさることながら、あれだけM氏が朝から晩まで真面目に稼いでいて、M氏の人柄もあって他の診療所よりも患者さんの数だけは多いと聞いているのに、なぜいつも「お~い九子、悪いんだけどまた銀行から金借りるから保証人のハンコ押してくれ~。すぐ返すからさあ。」という依頼が引きも切らずにあるのか・・。
名探偵コナンじゃないけど、その瞬間、全ての謎が解けたのであった。( ^-^)
M氏の診療所は価格設定が低すぎるのだ。原材料費プラスアルファ技術料人件費その他もろもろが価格として現れて来るっていうのが常識だと思うが、彼のところは原材料費の数割アップくらいで価格を決めてるようなふしがある。
しかも入れ歯でも何でも、技工所さんへお金払って作ってもらっているのにだ。
例えば彼は漢方薬を歯科治療に使っている数少ない歯科医師の一人だと思うのだけれど、これなんかももちろん保険 適応ではないから患者さんから自費を頂いている。
彼はこの漢方の勉強のためにかなりの年月とお金を費やしているのだ。
もともとは九子が通い始めた勉強会だった。
九子の場合はもっと悲惨で、もしかしたら全部で何十万円では済まない金額の講義を受け続け、お客さんはちっとも 来ず(^^;;、そのうち九子自身にうつ病があることがわかり、薬選びにストレスがかかるので今ではぱったりやめて しまった。
それを見ていて興味を示したのがM氏だった。どうしても抗生物質や痛み止めが効き難い患者さんを何とかする手段はないかと案じていたM氏だったからすぐに飛びついた。
何度か講義を聞き、実際にその通り薬を使ったら、痛い痛いと言ってた患者さんの痛みが治り、歯槽膿漏なんかも綺麗に治ったんだそうだ。
そうなると、目の前に常に患者さんが居るM氏は強い。(何しろ九子の場合は、腕をふるいたくてもお客さんなど来なかった訳だから・・。えっ?その方が良かったって?(^^;;)
これは!とピンと来た患者さんで、患者さんが漢方をやってみたいという場合は、漢方薬を出す。これがなんとも不思議に効くんだそうだ。
九子や彼が習っていた漢方薬は煎じ薬を最良とする日本の古典的な学派だったが、彼が使うのはもっぱら○ムラの顆粒剤だ。
彼が凄いのは、その量の少なさだ。
少ないときは1日分、最大限で3日から5日分で、痛みや腫れが止まってしまうのだそうだ。
これは薬局の基準から言うと、ひどく短い。お客さんの方だって漢方薬というと月単位で飲むイメージをお持ちなのではあるまいか。こんなことを言うのは憚られるのだが、あんまり早く治ってしまうと薬局の実入りが薄いという事にもなる。M氏のところなんか、日数だけから考えても実入りが薄い事この上ない。
「すごいんだねえ、そんなにぴしゃりと治っちゃうなんて。ところで一日分、いったいいくらもらってんの?」と九子。
「一律150円。」と、こともなげにM氏。
「ええっ~?それじゃあ、原価にもなんないじゃん!」
○ムラの漢方薬は一回分が大抵2.5グラムの分包で、一日3回分の7.5グラム。薬の種類によって値段はまちまちだが、例えば葛根湯の1グラム15円ほどから、サイコケイシトウの1グラム30円ほど、一番高いのは1グラム60円弱くらいまであるから、一日150円もらったってほとんどが採算割れなのだ。
「あのさあ、もう少し高くしないと、他の薬局にも迷惑だよ。大体の漢方薬局はどんなに安くても一日分300円はもらってるはずだから、そんなに安くあげちゃったら薬局の商売上がったりだよ。東京の有名な先生のとこなんか一 日千円なんてとこもあるんだから!」
と、一応九子は言ってはみる。だけどM氏は変なところで猛烈に頑固な人なのだ。彼が九子の意見を聞き入れるはずがないのである。
もともとM氏は九子と結婚しなかったら僻地診療に生涯を捧げるつもりだった人だ。身体を悪くしてその夢も破れたが、赤ひげ歯医者の気骨と精神はそのままなのである。
まあ、だからビンボー神なのか?と言われればそれまでだが、ここで口を酸っぱくして言っておきたいのは、ビンボー神などという有り難くも無いあだなをM氏に付けたのは決して九子ではないってことだ。もちろん出来すぎ母でも父でもない。M氏自らが率先して言い出したことなのである。
思えば彼の人生はビンボーの連続だった。ビンボーじゃなかったためしが無いそうだ。
(そりゃあそうだろう。何しろビンボー神なんだから。(^^;;)
確かにM氏の実家のN家は、M氏が生まれた頃は先代の作った銀行の倒産騒ぎで大変苦しい時代だったそうな。それがM氏をお婿に出した頃からは以前と同じ、いや以前以上の資産家に戻り、羽振りがいい。
そしてそこそこのお金はあったはずの我が家は、今ではひゅうひゅう懐に木枯らしが吹き込んでいる。
酒も飲まずタバコも吸わず、競馬も女も縁の無いM氏のただ一つの趣味がパチンコである。
つい最近までどこから名簿を仕入れてくるか知らないが、梁山○とやら言う会社から立て続けにメールが届き、彼の方も立て続けにナケナシのお金をつぎ込んでいた時期があった。なんでもパチンコの攻略法というのがもらえるというのだ。
何通めかの攻略法が届いた後、さっそくそれを試して来た彼は有頂天になってご帰還遊ばされた。
「おい九子、大変だ!この方法は凄い!怖いくらいに当たる!これでもう負け無しだ。」
「そんなに凄いなら、Sにも教えてあげれば?」
次男Sも父親に似てパチンカーだ。いや、遊びならなんでもござれの遊び人か。(^^;;
「いや、まてまて。もう少し試してみて、確実だとわかったら教えるよ。」
これってちょっと毎年良いキノコが出る場所を誰にも教えないで死んでいくという田舎のジイサマと同じじゃないの?とも思ったのだが、結局彼が攻略法をSに教えることは無かった。次に行った時M氏は、ものの見事に負けて帰って来たのである。
結局「攻略法なんてデタラメダ!」という至極簡単な結論に到達するまでに、彼が費やしたお金と時間がいかばかりだったか九子は知らない。
でもまあ世の中には知らない方がいい事だってたくさんある。( ^-^)
最近になって攻略法を売る会社が集団訴訟を起こされたというのがヤフーニュースに載った。彼が信用していた会社では無いことを祈るばかりだ。
と言う訳で唯一の趣味のパチンコも、追い詰められて(いや、九子に精神的に、ではなくて、経済的に。(^^;;)行き難くなってしまったM氏は、手持ち無沙汰に雲切目薬のパンフレット折りやら、ハンコ押しやらをやってくれる。
たとえばパンフレットを折る時は、九子などは5枚10枚一度に折ってきつく折り目をつけ、一枚一枚中から抜いてはずして行くという方法を取る。その方がずっと効率がいい。
ところがM氏は違う。一枚一枚きちんきちんと折ってくれるのだ。やたら時間がかかる!
だけど九子は何も言わない。自分がやらずに人に頼んだ事に文句をつける筋合いは無いからだ。
それにしてもいかにもやり方がビンボー臭い!
あっ、仕方ないか!ビンボー神だもんね。(^^;;
そんな訳であなたが買って下さった雲切目薬の資料や袋には、M氏の汗や努力がしみこんでいるかも・・。( ^-^)
両親が相次いで亡くなって、相続したわずかばかりの株券を分けてくれたのはM氏だった。一応九子と等分になるように分けてくれたものらしい。
ところが配当をもらうようになってから、その額がだいぶ違っている事に気が付いた。彼の方は何百円という配当がほとんどで、九子のは万に手が届くのもあるのだ。( ^-^)
M氏のしょっぱい顔を眺めながら、九子は高笑いをする。
「まあこのお金でお正月に美味しい物でも食べようよ。だって九子が株を分けたんじゃないんだよ。(^^;;」
考えてみるとビンボー神のM氏が我が家に来てくれた時から、というかそのずっと前から、九子は自分がひどく運が良い生まれつきである事に気が付いていた。
「運がいいとか悪いとか人は時々口にするけど そう言う事って確かにあるとあなたを見ててそう思う。」という歌がさだまさしにあった。(無縁坂)
とても悲しげなメロディーで歌われているその歌の意味とは正反対の意味で、九子はそれを確信する。
「大変だあ!」という事件や事故は数々あった。だけど本当に困る事態に陥る事なしに、全ては過ぎて行った。
あまりにもそう言う事が多すぎたので、いまや九子は自分の幸運が死ぬまで続くであろう事を信じ込み始めている。
そう口に出して言うのは憚られるので「仏様に守って頂いている。」などという言葉まで持ち出してきて・・。
そんなら九子は福の神か?という訳だが、残念ながらそれは違うと思う。福の神と言うのは他人を幸せにする神様のことだが、九子は自分が幸せになるだけである。人を幸せにする力なんてどこにもない。
M氏はビンボー神であるが、家族や他人の誰をも幸せにさせる福の神でもある。とにかく人に尽くすのが何より好きで、その上ビンボー神にあるまじく、「超」がつくほどのお気楽なのだ。
M氏からは一日何回も電話がかかる。大抵は「今日、何か買って帰るものあるか?」っていうのがほとんどだが、年齢と共に忘れやすくなった頭では頼んだ物が一度に覚えきれずに、最低でも二、三度はかかる。(^^;;
診療時間中にかかってきた意味不明な電話もあった。
「あれっ?どうしたの、こんな時間に・・。」
「この間ニュースでやってた閉店したハンバーガー屋なんて名前だっけ?」
「ウエンディーズ?」
「あっ、そうか!」
(あっ、そうか!ここんとこずっと患者さん少ないからこんな時間にもう患者さん居ないんだ!(^^;;)
一番良かったのは、夕方かかってきたこんな電話だった。
「おい、九子、空見てみろよ。きれいな夕焼け空だぞ~。」( ^-^)
一度M氏に聞いたことがある。M氏は九子と結婚して幸せだったのだろうかと。
すると彼は神妙な顔をしてこう言った。
「う~ん、そうだなあ。別の人と結婚した事無いからわかんないよなあ。」
まあそりゃあね、その通り、真実ですよ。
やっぱりお腹の中ではビンボーくじ引いたと思ってるんでしょ。
そりゃあまあ仕方ないよ、なにしろビンボー神ですから。(^^;;(^^;;
ビンボー神(その1)はこちら
お弁当事件 [<正統、明るいダメ母編>]
あれっ、この話とっくに書いてたと思ってたけどまだだったんだ!
一応タイトルに「事件」がついてるのは、面白いかどうかはさておき、ドジが際立ってるものなのですよ。( ^-^)
おっちょこちょいの九子が、子供達のお弁当を作った時の失敗談など数知れず。お箸を入れ忘れる位は日常茶飯事。でもまあこの辺りは他の達人お母様方でもたまにはある失敗のよう。
今まであった中で、これはちょっと誰もやってないんじゃないかと自信があるのが、次男Sと三男Yを捲き込んだ二段重ねお弁当箱事件。
当時高三と高一だったSとYはそろって二段重ねの、それもぴったり同じサイズの弁当箱を持っていた。
今考えると、それが悲劇のはじまりであった。(^^;;
その上、おしゃれなSは、ご飯は少な目、伸び盛りのYは、ご飯大好きと言う訳で、Sの二段重ねの浅い方にはいつもご飯が、Yの二段重ねの浅い方にはいつもおかずが入っていた訳だ。
ここまで話せば勘の良い方は「はは~ん!」と思われると思う。
その日九子は、だんだん形の変わってきたプラスティック製の弁当箱を上手に重ねる事だけで頭がいっぱいだった。この日に限って、脇目もふらずに弁当箱をただただ重ねていたのだ。
お昼頃、毎月4万円近いバスの定期代をかけて中条村の中条高校まで通っていたYから電話があった。
「だめよ。忘れ物なんて言っても、お店あるんだから届けてなんかあげないよ。」
何回か忘れ物を届けさせられた経験の有る九子は、剣もほろろにこう言いかけた。
「そうじゃないよ!なんだよ、この弁当!上の段も下の段も両方メシばっかりだよ。」
ふと、九子の頭をよぎる、朝の風景。
そう言えば、中身良く見てなかったなあ。
そして次男Sに渡ったもうひとつの弁当箱の中身は、さしずめ・・。
上もおかず、下もおかず・・。(^^;;
九子の中で、なぜか安堵の気持ちが湧きあがった。
上も下もご飯の弁当が、おしゃれなSのとこへ行ってたら今頃・・・。
Yがご飯の方を持ってってくれたのはまあ、不幸中の幸い。(^^;;
案の定不機嫌に家に帰り付いたSだが、「Yの方メシばっかりだったんだろう。俺んとこへそんなの来てたらぶっとばす!」という仮定形おどし文句の一言ですんだ。ほっ!
当時高校生で何を話していいか気を遣いながらこわごわ話していた次男Sも、大学生になって家を離れた途端、普通に話が出来るようになった。
それにしてもあの一件はやはり「事件」というにふさわしい一件で、以降さすがの九子もよくよく学習し、その手の失敗は皆無である。( ^-^)
つい最近になって、あの事件ほどではないが、破滅的な結果を招く可能性のあった事件が持ちあがった。
今回の被害者は、M子であった。
今回も二段重ねの弁当箱で起こった。
考えてみると九子が二段重ねばかり買うのは、おかずが少なくても見栄えがするからである。(^^;;
今回はどうしたか。
おかずは、おかず入れに、ご飯はご飯入れにちゃんと詰めたし、お箸も入れた。
では、何を忘れたか?
二段を束ねるゴムをかけ忘れ、なおかつお弁当袋に入れ忘れたのである。
なぜかしらんが、いつもたいしたお弁当作ってる訳ではないのに、出来あがりが娘の出かけるぎりぎりになってしまう。
特にその日は「もう今日は完全に遅刻する~。」と娘はカリカリしていた。
慌てた九子は重ねたままの、というか重ねただけの弁当をいつもお弁当袋ごと入れる手下げバックに入れて「ほらほら、お弁当出来たから、早くしなさいよ。」と娘を急き立てた。
急いでた娘は、手下げバックのふたの上から箸箱があることだけを確認して慌てて家を飛び出した。
それに気が付いたのは、少し遅く出ていくN子のためにゆっくりと弁当箱を重ねた直後だった。
あれっ?ゴムと袋が二組もある!もしかして!
そうですよ。そのもしかして!でしたよ。(^^;;
九子の頭の中で最悪の光景が展開する。
急ぐM子の自転車かごの中で、跳ねあがり、揺れ動き、飛び散る弁当の中身。
そして激怒するM子の顔。
ぞ~~っ。(^^;;
M子の怒涛の第一声を想像して一日中生きた心地がしなかったのだが・・・。
なんと!幸運は再び三度九子に味方し・・。
弁当は手下げ袋の中で微塵も動かず、M子は普段どおりの弁当を食べる事が出来たのである!
今考えてみると中身がこぼれなかったのも不思議だが、毎日規則的に二段重ねの弁当にゴムをかけ、袋に入れるという半ば習慣化された一連の動作が、なぜその日に限ってなされなかったか。そして、その動作がなされない事に対して、なぜ疑問が生じなかったのか・・が腑に落ちないところである。
まあそんなに難しく考える事も無い。
九子さんがやることだから、そんなもんでしょう。(^^;;
と、いつも受けとめてくれているM氏と家族ののおかげで、九子は幸せに生きております。( ^-^)
弁当 失敗
気がつけばネット中毒!? [<正統、明るいダメ母編>]
皆様、遅まきながら明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い申しあげます。m(_ _)m
品格の話の続きのはずが、題名の如く今年もとんでもない話で始まる予感であります。
ねずみ年のこの年に猫をかぶると言う事が出来ない性格上、この話をしておかないと次に進めない事情をどうぞお汲み取り下さい。
次回は必ず品格の話に戻ります。
(・・・って、こんな話のあと読んでくれる人いるのかいな?(^^;;)
九子は昔から「熱くなる」という経験を余りした事が無い。
と言えばいかにも冷静沈着な人間のようだが、そうでないのは言うまでもない。(^^;;
スポーツ音痴の、友達居ない人間なので(^^;;、友人と何かの試合を観に行って感激したとか、ましてや自分の所属するチームが勝ったの負けたの・・とか言う状況はうん十年の人生の中で皆無だったし、まあ自分でも冷めてる方なんじゃないかとずっと思って居た。
誰かに夢中になるにしても自分は薬局の一人娘だから長野へ帰って家を継ぐというのはいつでも頭の中に有り、UTADAHIKARUのADDICTED TO YOU
みたいになれない自分を感じていた。
もちろん身体が受け付けないので煙草やお酒におぼれる事も無いし、根がケチなのでギャンブルなどしようとも思わない。
とにかく熱くならない性格なんだと信じて疑わなかった。
ところが!この正月、神話は一気に崩れ去った。
九子はネット中毒に陥っていたのだ。
「陥っていた」と過去形で書いた。
本当に過去形で有って欲しいと祈るばかりだ。(^^;;
たぶん今までの流れでもうお分かりと思うが、九子はネットショッピングに嵌っていたのだ。
しかも「嵌っていた」=中毒という自覚が出来たのはほんの昨日今日のことである。
昨年はいつになく年賀状も早く書きあげ、暮れの掃除やおせち作りもまあまともにやった。
(もっとも子供達には「貧相なおせち料理!」と言われたが・・・。(^^;;)
元旦にM氏の実家に家族そろってお呼ばれした。(お義姉さん、いつもの事ながらご苦労さまでした。)
・・・・そして、その後三日間の記憶がどうも乏しい。
もちろん息子達も帰って来たし、人数が増える分だけ洗濯やら料理やら余計な仕事が増える。
得意のお昼寝の時間もそんなには取れ無かった。
だからと言って、いつも楽しみにしている年賀状もろくすっぽ読まず、ブログを読み歩いたり、読書もぜずにいた理由にはならない。
実は、空いた時間のすべてをネットショッピングに継ぎ込んでいたのである。(^^;;
そもそものはじまりは、暮れに観たSMAPと今年の美女(?)20名が出てきた「今年一番嫌だった女」についてのトーク番組で、神田うのちゃんがしていたゆれるイヤリングだった。
彼女は御主人のパチンコ会社を意識してか、婚約発表の時のパチンコ玉ジュエリーをはじめ、ボール形状のジュエリーを上手に身につけている。
その時彼女がしていたのは、たぶんグレーの変形パールの長さが異なるのをいくつか重ねた長さ6センチ以上はあろうかというロングイヤリングで、彼女が話をするたびに耳元で音がしそうに可愛らしく揺れていた。
ああいうの、欲しい!
九子は年がいもなくそう思った。(^^;;
思えば活動的だった母はいつもショートカットだったから、彼女のイヤリングはほとんどすべてが耳の上にのるだけのデザインのものだ。
九子はと言うと、長い間なぜかイヤリングには興味が無かった。
自分がおっちょこちょいなのを自覚しているので、すぐに落としてしまいそうなイヤリングなど買うつもりもなかった。もちろん、ピアス穴もあけていない。
それがその時、うのちゃんの耳元で揺れたロングイヤリングが九子の心に火をつけたのだ。
いつものネットショッピング会社のは、なんだか物足りない気がした。
そもそもロングタイプというのは割に数が少ない。
その上、いつ落とすかもしれないイヤリングに何万円もかけるのはばかばかしい。
だけど、若い娘じゃあるまいし、おもちゃみたいな偽物はつけたくない。
ちょっと隣近所に出かける時につけても嫌みにならない目立たない普段使いのものはないだろうか。
出来たらゴールド系とシルバー系の両方を・・・。
と、これだけとってもなかなか厳しい条件である。(^^;;
最初に見たのは外国サイトだったのだが、海外ではイヤリングというのはほとんど見当たらない事がわかった。ほとんどすべてがピアスなのだ!
たまにあっても、驚くほど高価だ。
(ここで海外サイトが外れたのは、九子にとっては幸いであった。)
そこで「イヤリング ロング」と検索を入れてみたら、なんと!今まで見た事も無かった楽天市場の膨大なジュエリーサイトが引っ掛かった。
気に入ったものがあると、それぞれの店サイトまで出向いてさらに探し出す。
探せども探せども、デザインの良いものは値段も高いし、すでに売り切れていたりする。
この売り切れというのが問題で、今なら買えるものでも次に見た時はもう買えなくなっているかもしれないという不安をあおる。
しかし、まだまだよその店を見ればもっと良いのがあるかも知れぬと、田舎町長野市の狭い通りの店を漁るのとは到底規模の違うネットショッピングの底無し沼にはまっていく訳だ。
もうこうなると、あらゆるものは無意識の彼方。
お正月だから料理も仕事もしないでいい分、朝から夜まで気がつけばパソコンの前でイヤリングを探し続ける毎日。
もちろん罪悪感が無い訳ではないから、誰かに覗かれるとあわてて別のサイトを見ているふりをした。
中毒という根拠は、「それをしないではいられない不安感」と「それをしている時のみ感じられる満足感」そして、「他の事をする間も惜しんでし続ける時間の長さ」であったのだが、そんな事はネットに没頭してる最中は気がつかない。
わずかに頭をもたげた「このままではやばいなあ。」が、「この状態、どうにかして卒業させなくちゃ。」に変わったのは、けなげな受験生N子が、予備校へ行く前に山のような資源ゴミ(雑誌や新聞)の束を一人で運んでくれた事実に気がついた時。
受験生にそこまでさせて、それでも母親?!
しかしいったん陥った中毒状態は生半可な事では治らない。
そこで九子が取った手段は・・・。
恥ずかしながら、とりあえず買ってしまうという方法。(^^;;
欲望が満たされないから陥っている現在の状態であるならば、少しばかり高くても医者に行ったと思って買ってしまえばいい。それで欲望は満たされて、とりあえず現在のネット依存からは立ち直れるはず!
この作戦は見事効を奏し、おかげさまで本来の生活に戻る事が出来た。
ケチな性格と我が家の経済状況が導き出したおあつらえむきイヤリングは、医者に数回通えばもとが取れるくらいの金額だった。めでたしめでたしである。( ^-^)
パソコンのデスクトップからとりあえずネットショッピングのアイコンは消えた。
しかし24時間やってるテレビショッピングチャンネルを消すのは不可能だ。
しかも、何も面白い番組がないと、ついついテレショップチャンネルを覗いてしまう九子である。(^^;;
いつ何時再びあの狂乱の世界に足を掬われるかもしれない不安と共に、ドラッグやら麻薬やら、精神的依存のみならず、身体的依存( 禁断症状を伴う )も生じてしまうものに嵌る恐ろしさを今更のように感じた次第であった。
そんな訳で、年賀状やメールをもし御無沙汰しておりましたら大変申し訳有りません。この後すぐに書きますので何卒御容赦を・・。m(_ _)m
ネット依存症