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二つの死 [<番外 うつ病編>]

同じ日に二つの自殺が報道された。
いや、一つの方はあくまでも自殺の可能性に過ぎないのであるが・・・。


一つは松岡農水大臣の自殺。
そしてもうひとつは、人気グループZARDのボーカルだった坂井泉水さんの、子宮頸がんの治療後に肺がんが見つかった後の病院の非常階段よりの転落。


たぶんうつ状態にあったと思われる二人の死だが、同じようにやりきれなさを覚えても、その意味合いは大分異なる。


少なくとも2年前まではステージに立って、人々に勇気を与える歌を歌い続けていたまだ40歳の美貌の歌姫。


たぶん健康には自信のあったはずの彼女が、まさかの子宮ガン。
予後は比較的良いと言われる子宮頸がんの手術で、ガンは完治したものと思い込んでいたであろう矢先の、肺への転移。


その年齢を考慮し、転移した部位が肺であった、肺がんであったという事実の重みを受け止めた時、人は誰でも限りなく希望の淵から遠いところへ追いやられるに違いない。


誤解の無いように聞いて頂きたいのだが、病院というところ、私たちが安心するほど安全な場所ではない。(かといって、彼女が入院していた病院がそうだと言っている訳ではないのだが・・。)


特に内科病棟に入院していた場合、その病が重かった場合の精神的ケアまでが行き届いていたかどうかは、かなりの疑問が残る。


高層建築の病院の場合、死に場所は却って家にいるよりもたやすく見つかる。


その上、閉鎖病棟に居る以外の患者は、誰にも怪しまれずに病院のほとんどどこへでも立ち入る事が出来てしまうのだ。


俗に言う反応性うつ状態、つまり坂井さんのように誰が考えても悲しい衝撃的な事柄(親しい人の死や自分の病気や不幸)の後に生じるうつ状態には、病的なうつ状態(うつ病、躁うつ病)よりも抗うつ薬が効きにくいのは確かであるようだ。


しかしもし精神科医またはカウンセラーによる適切な助言や、病院側の自殺に対する配慮がなされていたならば、また違った結果になっていたのではないかと残念でならない。



もちろん今の段階で彼女の死が自殺であったと断定されたわけではない。
しかし、その可能性は高いと思う。



うつ病というのは、気分の変動が激しい病気だ。


毎日、と言わず、一日のうちでも気分の上がり下がりは確実にある。


今日は調子が良いと思っていても、ちょっとしたことが原因で急激に落ち込む事もある。
もちろんその逆もあるにはある。


確実に言えるのは、ごくごく軽いうつ病であってもなお、ふだんの心理状態とは確実に異なると言う事。


特に、ふだんは気にも留めない「死」という文字が、手の届きそうに身近なものに思える瞬間があると言う事。


彼女が転落したのが早朝であったというのも気になる。
早朝覚醒はうつ病の典型的な症状だからだ。その上起床時の気分は一日のうちで最悪の場合が多い。


うつ状態(彼女がうつ病だったかどうかはまだわからないので、こういう表現に留めて置く)の上に、病気の苦しみや未来に対する希望の無さに後押しされたら、誰でも死に救いを求めたくなるのではないだろうか。


どうせガンで苦しんで死ぬよりも、いっそこのまま一思いに・・。
彼女がそう考えたとしても、なんら不思議はない。


そしてその悪魔の一瞬にさまざまな悪条件が重なれば、それがそのまま命取りになってしまうのだ。


こういう状況下での彼女の死は、万人が皆同情を寄せる痛ましく、切ない死である。



一方松岡農水大臣の自殺の方は、あまりにも衝撃的で誰もが言葉を失った。


数日前の答弁を見ていても、彼の目が不自然に泳いでいるように見えた割には、彼の口から出てくる言葉は威圧的で、高慢な印象を受けた。
一筋縄ではいかない人だと思った。


まさか自殺をするなんて、思いもよらなかった。



石原都知事の「彼も侍だったのか・・。」というコメントに至っては、轟 拳一狼さんのように不快感を持たれる方が大部分だったと思う。


「そんなもんじゃあないだろうが・・・。、侍ってのはさあ、侍ってのは、もっと男気のあるもんじゃないの?」九子も確かに最初はそう思った。
(☆この部分については、轟拳一狼さんからのコメントをお読み下さい。m(_ _)m)


だが改めて考えてみると、侍と言うのは主君のために、そして自分の名誉のために、簡単に切腹をする人種であった。


そういう言い方が悪ければ、切腹が忠誠心や身の潔白を示すバロメーターになった時代があったのだ。


そして一人の男の切腹によって、彼が地獄の果てまで大事に抱え込んで行ってくれた秘密がもう二度と日の目を見ることがないという事実により、ほっと胸をなでおろしていた悪い連中が一体何人居た事であろうか。



永田町という総理を頂点にした現代の城において、現代版ハラキリをした松岡農水大臣。


彼の死によって、もっとあくどいどこかの誰かがほくそ笑んでいたとしたら・・・。


そう考えると永田町と言う城を知り尽くしている石原都知事が「侍」と言ったのは、「侍の心を持った人間」という意味ではなくて、「永田町という侍社会に生きていた人間」という単純な意味だったような気もしてくる。


それにしてももっと解せないのは彼が遺書に書いた「内情は家内が知っているから家内に聞いて欲しい。」という一言だ。


その後に身辺を探さないで・・という一文があったにせよ、正直九子は松岡大臣の妻でなくて心の底からほっとした。


なんて可哀そうな奥さんなの。
夫に死なれ、その上そこまで責任背負わされたら、やってられないわよ!


ところが聞く限りにおいて、松岡夫人は通夜の席でも涙一つこぼさず、夫の言葉どおりの気丈な妻ぶりを皆に印象付けたのだという。
「夫の生涯は、太く短く悔いのない生涯でした。」


夫がああいう亡くなり方をした通夜の席でこれだけの事が言えるというのは凄い人だ。


松岡農水大臣がはたして侍であったかどうかは、後の世の評価に任せよう。
しかしながら確実にこれだけは言える。


松岡大臣は、確実に「侍の妻」を持っていた。


(・・だから彼は「侍」だった・・って論法??(^^;;)


☆九子の予測を裏付けるかのように「コラムの花道」というラジオ番組で勝谷誠彦氏がこんな恐ろしい話をしていた。

20分ほどの話だが、真偽の程はともかく実に興味深い!ダウンロードしてみてはいかが?



http://tbs954.cocolog-nifty.com/st/2007/05/530.html

ZARD 松岡農水大臣 心と体 ニュース
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不安で不安でたまらない日に坐禅(座禅)をしてみる! [<番外 うつ病編>]

前回「最低の気分の日々をかわす事が出来る薬ではないその事」と思わせぶりに書いたのは、もちろん九子が日頃からお薦めしている坐禅(座禅)・・・であるはずであった。


確かにうつ病の時はあまり役に立たないと思った坐禅だけれど、今回不安感が強かったので3日ほどは坐禅によってかなり楽にはなった。



でもやっぱり、「坐禅でこの不安感を消し去るぞ~!」と頑張りすぎるとダメなのだ。

一日ごとに坐り難くなって、集中できなくなって疲れてしまう。



結論から言うと、うつ病の時はやっぱりあんまり坐禅はうまくいかない。

決して出来ないという訳ではないが、無理を強いる事になるから、うつ病という病気にはあまりよろ しくない気がする。



だんだん坐禅の幸福感に到達するまでの時間が長くなってきて、集中力が続かなくなった。

そして、坐禅をしようという気持ちが萎えてしまった。



考えてみるとうつ病という病気そのものが、集中力が無くなる病気なのだ。



もちろんずっと長く修行されている和尚さんならこの限りではない。

かなりひどいうつ病の時でも、ウツを軽くする坐禅が組めるそうである。



以下は一応20年の坐禅歴を持つ!(^^;;九子が、うつ状態のときに坐禅をした記録である。





最後まで読んで頂くとおわかりの通り、うつ病の時にはお薦めしないが、あなたが不安や焦りや悩みや絶望感に打ちのめされている時に、坐禅はきっとあなたの頼もしい味方になる。



そんな時のために、元気な今から、 近所の禅寺(「雲水ネット」・・更新中)で坐禅を習っておきましょう!( ^-^)







前回、うつ状態の時はうまくいかないと言ったばかりの坐禅(=座禅)であるが、

この頃九子は、また熱心に坐禅を組んでいる。



理由は簡単明瞭!坐禅の素晴らしさを再確認したからである。



何十年坐ってみても、まだまだ奥がある、坐禅の凄さ、奥深さ!

(と言うか、大した坐禅も出来ていなかった九子のいい加減さ。(^^;;)



先日も書いたように、抗うつ薬と気分調整薬のお世話になってからというもの、割りに気分は安定していた。



つまりその間は、必死になって坐禅をしようという動機に乏しかった。



その結果、九子はいつの間にか坐禅を忘れていた。

夜ウォーキングを兼ねて10日に一度活禅寺に行けば良い方だった。

昔のように、朝、坐禅をすることは稀になっていた。



ところが!である。



このところ、ウツなのか、考えてみたら更年期なのか(^^;;、とにかくまた調子が悪い。



普通の人の普通の落ち込みなら、坐禅にまさるものはない。



だけど今は、ウツかもしれない。更年期かもしれない。



どちらにせよ、坐禅はあんまり効きそうも無いかな・・・・・と最初は思った。



でも、ウツに変てこな興奮が入り混じるような気持ちの時があって、抗ウツ薬を目いっぱい飲む事が出来なかった。



そうなると、気弱人間の心配性がむくむくと頭をもたげる。



調子の悪い時の九子の気分の一番の特徴は、「流れて行かない」事なのだ。

この言葉をT先生から告げられた時「なるほど!」と思った。



流れて行かないものは、思考である。



「気分が最悪だ。ウツかもしれない、どうしよう!」と思ったとたんに、不安が頭の中いっぱいに広がって、別のことを考えることが出来なくなる。



不安が、押し込めても押し込めてものど元から溢れてきて、心臓を早打ちさせる。



その不安をしまいこんでおける引き出しがあって、素早く気持ちを切り替えられる人ならどんなに良いかと思うけれども、事はそんなに簡単ではない。



その上自分の気分というものにひどく敏感な人間だから、気分の悪さは生活上のすべてを支配して、何をやっても集中できず、楽しめなくなる。





人間と言うのは厄介なもんで、すぐ隣に居る家族であっても、彼あるいは彼女の気分と言うものを実際に味わってみると言う事が出来ない。



悲しそうとか、嬉しそうとか、悩みがちだとか、幸せそうだとかはなんとなあく想像出来るのではあるが、実際にそのおんなじ気分を味わうと言う事は出来ない。



これはある意味不幸な事であるが、大きく人類の種の保全のためには大切な事だと思う。



家族の誰がが不慮の事故で犠牲になった人の悲しみ、苦しみを、安穏と暮らす私たちには同情は出来ても、本当の意味で決して同じ深さで共感は出来ない。



ひどい言い方になるけれど、情報網の発達によりこれほど多くの別れの悲しみが日常的に私たちの目の前にさらされている今日、いちいちその悲しみを追体験しようものならたまらない。





風邪のように、あるいは疫病のように、気分が感染する事があったとしたら、きっと世界はもっといざこざの多い住み難い社会になっていたかもしれない。



気分ばかりではない。痛みも、苦しみも、熱さも、寒さも、飢えも、渇きも、決して他人はそれを自分の刺激としてわかってくれることはないのである。



そんなら自分でなんとかするしかない!



そう考えた時、そこにあったものが、いや、九子にとってはそれしかなかったものが坐禅だった。



一度はあきらめたうつ状態の時の坐禅。



九子がまだ自分の症状がウツであるとわからなかった時、医者にも行かず坐禅ばかりをやっていた時期があった。1000時間以上も坐禅をしてみた。

そんなに坐禅をしても、いつものような幸福感はやってこなかった。



以来うつ状態に坐禅は無効と決めてかかって、この時期お寺に行く事も、うちで坐ることも無かった。

それをやってみようと思ったのは、今回不安がことのほか辛かったからだ。



不安な気持ちの時にする坐禅は本当に素晴らしい!

姿勢を整え、呼吸を整え、規則正しく呼吸を数える事を30分ほど続けると、びくびくおどおどして いた気持ちがぴたりと静まっている。



そして不安の代わりに心の中を占めているのは、幸福で充実した気持ちと「どうにかなるさ。」という楽観論だ。





一口に不安と言うが、九子の場合それはいつでも自分の未熟さを受け入れられない気持ちと裏表だ。



なんでもやってくれる優しい両親の庇護の下に育って、自分では何もしないままこの年まで来てしまった。



やってもらう事は何と楽であったか!

だが、いざそれを自分がしなければならない立場に立たされた時、してこなかったと言う事は、経験 が無いと言う事は、何と心もとない事か!



そんなことをいくら考えたところで、今更今までの人生のやり直しは出来ない。



それならば受け入れるしかないのであるが、受け入れるには自分はたとえようも無く未熟である。



こうして一応衣食たる生活をしているのに、幸せだと思えない自分。



それに引き換えM氏は、子供たちは、みんなそれぞれの大きな、小さな問題を抱えながら、テレビを見て笑える。マンガを読んで楽しめる。



みんな大人だなあと思う。

いい年をして、九子ひとりがのけ者みたいだ。



自分の気分に敏感なちっぽけな人間は、自分の事だけで頭がいっぱいだったり、誰かをねたましく思ったり、他人がみんな羨ましかったり、そういう自分自身に、まず腹が立つ。



せめて自分の不機嫌は、家族の誰にも知られたくない。



ちっぽけな矜持。

いや実は、そんな次元の問題で悩んでいる自分を悟られたくないだけ・・・。





29歳の春、坐禅に出会った。自分を変えてくれるのはこれしかないと思った。

そして生まれて初めて、自分を心の底から愛しいと思えた。

あれほど嫌いだった自分が、とても好きになれた。



こんな未熟な自分でもいいんだ!そのままの自分が尊いんだ!と自然に思わせてくれた坐禅を、どうして今まで忘れていたのだろう。





だめもとで坐った。

脳内のセロトニンがどうのとか、女性ホルモンがどうのとかいうのは一切忘れて坐ってみた。



そして30分後、規則正しい坐禅の呼吸が、はらわたの中にある黒いもののすべてをかき消して、仏に近い境地に導いてくれるのが手に取るようにわかった。



次の日も、その次の日も、目覚める時の気分は最悪。



でも30分ほどの坐禅が、突き上げるような不安をかき消して、平常心にしてくれる。

不安も焦りもねたみもうらやみも、すべての心かき乱すものたちはいつの間にか消えてしまう。



これが坐禅だ。これが坐禅の醍醐味だ!





九子は長い間「うつ病のときは坐禅がうまく組めない。」と言い続けた。

でもこれからはこう言い直そうと思う。



うつ病できちんと服薬していてもなかなか症状が取れない時、坐禅はしてみるだけの価値はある!

(もちろんこれは日頃坐禅に慣れ親しんでいる場合であり、初めて坐禅をするのがウツの時では絶対にうまく組めるわけが無いのであるが・・。)



この場合はうまくいく事をだけを目指してはいけない。

決めた時間だけ坐って、それ以上坐っても意味が無いことも多いから、その日はもうそこまでと諦めることも必要だ。



あまりしつこく坐り続けると、次の日以降の坐禅が坐りにくくなったりもする。

こういう感じを受ける時は、無理して坐ってセロトニンを枯渇させたのかなあと考えると合点がいく。



つまりうつ病であっても、坐禅はしても構わない。

いやむしろ手をこまねいているよりは、時には格段に楽になる事もあるはずなのだ。

むろん「必ず医者にかかって薬を飲みながら・・。」という条件付ではあるが・・・。



だがやはり一番坐禅の良さがわかってもらえるのは、間違いなく健康な人が不安で胸がはりさけそうな時だと思う。そういう不安を日常的に体験して治らずに悩んでおられる人が居たら、迷うことなく近くの禅寺で坐禅を教えてもらう事をお薦めする。



しばらく習えばすぐに気持ちが軽くなるのを体験できるだろう。



下腹部があたたかくなるような坐禅が組めた時には、きっとあなたの不安は跡形も無く消え去っているに違いない。



うつ病と坐禅の長い体験記をお読みになりたい方は、こちらをどうぞ。


★坐禅は基本的にはうつ病には効きません。うつ病に効くのは薬しかありません。どうぞそこのところを誤解の無いようになさってください。
☆尚、現在ウツ病で苦しんでいらっしゃる方には応援歌のつもりで書いたウツ病病みの歯ぎしりも是非御読みください。
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最低の気分の日 [<番外 うつ病編>]


ゴールデンウイークは、九子にとって鬼門のウツの季節である。



今回はじめて、うつ気分に変な高揚感が混じるなんともいえないうす気味悪さを体験した。

なんでもそうかも知れないが、初めてのことを体験すると人間は不安に思うものだ。



うつ病ばかりを繰り返してきたのが、いよいよ躁病を発症したのだろうか・・とか、うつ病だったらまあ身体を横たえて寝ていればなんとか一日は過ぎるのだけれど、この不快な落ち着きなさの中で自分には一体何が出来るのだろう・・とか。





ウツが始まる前の数日、気分の上がり下がりの振幅をいつもよりも感じる時がある。

前回の割りに明るいウツ日記などは、そんな状況下で書いたものかもしれない。





ウツ人間は、ウツ状態に突入する前にふだん以上に動きまわってことさら消耗するという事も見聞きするが、そういう事ってどうやら当たっているかもしれない。



明日の朝になったら何も出来なくなっているかもしれないと思えば、その前に出来るだけのことをやっておきたいと思うのも人情だ。





どうしようもなく気分が悪い日というのはきっと誰にでもあって、特別な事でもなんでも無いんだろう。



こういう落ち込みの日々が一定の期間どうしても治らずに継続するのと、この春先という時期に足しげくやって来ると言う事だけが、九子の場合普通の人の落ち込みと違っているというだけなのかもしれない。



そして病む人の心のもろさを、身をもって体験して共感出来る季節でもある。





毎日抗うつ薬と気分調整薬のお世話になるようになってから、もう7年近く。

毎年のうつ状態はお陰でだいぶ楽になった。





以前は病気の症状だったのか毎日の気分も変わりやすい人間で、それを坐禅=

座禅によって無理やり矯正していた気がするのだが、薬を飲みだしてから気分は日常的に割合安定している。



ところがどうやっても滅入って仕方がない日がある。



女性ならおわかりだろうと思うが、要するに生理日との兼ね合いだ。



もちろんいの一番に坐禅をする。



しないよりは良いことは決まっているのだが、時間をかけただけの成果が乏しい。



これは多分うつ病の時に坐禅がうまく組めないのと同じ理由で、ホルモンの影響で脳の中の化学物質に何らかの変化が生じているせいに違いない。





どうも調子が出ない日と言うのは誰でも必ずあると思う。



それをうまくさばいて、そこそこ乗り越えてしまう事の上手な人と下手な人というのも歴然としてあるはずだ。



九子はそれが極めて下手な部類に入る。



そもそも自分の気分などというものに、全く無頓着な人もいるだろう。



頭が痛い、熱がある、吐き気がする、おなかが痛いという身体の不調の信号以外にはまったく反応しない、精神的に健全な人だ。



たぶん彼らはいつでも身体を適度に動かすのが大好きで、血液中に新鮮な酸素をたっぷり運べる度量の大きい人々だ。



九子の母もそういう人々の筆頭にいた。



そういう人々にウツの辛さをわかってもらうのは至難の業だと思うが、あえて試みてみる事にする。





ウツの気分の悪さというのは、変な言い方だが酸素不足で苦しい状態に似ている。



とにかく自覚的に苦しいのである。重苦しいのである。いたたまれないのである。



「圧迫感」と表現した医者がいて、なるほどと思った。

そこが普通の気分の悪さと格段に違う気がする。



絶えまなく襲い掛かる不安感というのもある。

誰にもわかってもらえない辛さを、イライラという形で家族にぶつけることもあろう。



何かを楽しむどころではない。

ただただ苦しさをのがれるために、なるべく活動を控えて身を伏せて横になっている。

それしかなす術が無い。



当然のことながら、全神経が自分の意識に集中する。



感じているのは、不安、絶望、イライラ、そして、ひどい自己嫌悪。

そして多くの場合、眠ろうとしても眠れない。

こういう状態が一定期間、たぶん最低で一ケ月は持続する。(うつ病診断では、最低2週間症状が続く事が条件となっています。)

 



実際ウツ状態では、自分が吸ってる空気だけが特別に悪いのではないかと感じる事がしばしばある。





ウツが治って初めて、「ああ、生きるって、こんなに簡単な事だったのか。なんで自分はあんなに大変な思いをしていたんだろう。」と感じられるようになる。



水中にもぐっていた人が、やっと空中で息が出来るようになった時みたいに・・。





そんなウツ人間は、ちょっとした気分の不調にも敏感になり易い。

気分というものを必要以上に気にしすぎるかもしれない。

また、ウツが来たのか・・とふだんから恐れているからだ。





とにかく調子が出ない日は、何をやってもうまくいかない。

もともと趣味の豊かな人間ではないので、出来る事が限られているせいかもしれない。



音楽を聴く、ポッドキャストを流す、テレビを眺める、好きな本を読む、ネットショッピングのページを開く、何か書いてみる・・etc.

たいていの場合そのどれをやっても、いつもほどのめり込む事が出来ずに、結局ゴロンと横になって惰眠をむさぼるくらいしか方法がない。



気分を変えるために昼寝しか方法がないというのはなんという情けなさだろう。



でもまあそれによって、そこそこ気持ちは上向いてくる。



たった一日であってもこうなのだ。



治らないうつ状態、神経症、そしてもしかしたら境界性人格障害と言われる人々の日常が、こういう毎日の連続であったとしたら、自分以外の人間がいかにも楽しげに人生を謳歌し、自分の主観的な苦しさだけが無限に続くように思えたら、そういう彼らの気分の中で自分を、他人を損なう行為があったとしてもそれは仕方ないんじゃないかとなんとなく大目に見られるような気になってくる。



大の男が絶望にかられて崖に身を投じるのも、他人をうらやむ身勝手な殺人鬼が引き金を引くのも、

もしも彼らの中の気分という住処の居心地がほんの一瞬良かったとしたら、避けられたかもしれない事態ではなかったのか、とも思う。





幸せも不幸せも、気分と言う魔物の中にある。



気分と言う魔物と戦う方法は、人によりさまざまなのだろう。



坐禅に出会った時、気分を変える魔法に出会ったと思った。



しかし身体のリズムに起因する気分の不調であったり、精神を病んでいる場合には、その魔法にも打つ手が乏しい。



魔物と言うもの、やっつけるよりもいっそのこと手なずけて、一緒に散歩したりするくらいの方がいいのかもしれないと思ったりもする。





最低の気分の日は、そう何日も続いたわけではなかった。

基本的には続いているのかもしれないが、なんとかかわせるようになった。



今、薬ではないその事に心の底から感謝している。


★坐禅は基本的にはうつ病には効きません。うつ病に効くのは薬しかありません。どうぞそこのところを誤解の無いようになさってください。
タグ:うつ病 坐禅
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楽しむ能力 [<番外 うつ病編>]

喜怒哀楽と一口に言われる人間の感情のなかで、一番高尚な感情はたぶん「楽しむ」だろうと思う。

夜と霧 新版の画像

例によって読みもしないのに知ったかぶって書くが(^^;、精神科医フランクルの「夜と霧」ではアウシュビッツ収容所という極限下の世界でも希望を失わずに毎日に楽しみを持ち、生き抜いた人の話が語られる。



こういう「楽しみ」は、努力によって獲得されるものであり、普通の人が感じることはなかなか出来ないのではないかと思う。精神医学者の彼ならではの、凡人には到達しにくい境地であったかもしれない。



そこまで高尚な「楽しみ」の話では無くても、確かに「楽しむ」という事は、怒ったり悲しんだりよりも数段に上等な高等動物特有の感情であろう。





うつ病の薬はここ数年で飛躍的に向上し、うつ状態にあっても九子のように前よりもずっと楽に過ごせるようになっている。本当に有り難いことである。



しかしながら薬が効いてきて、最初の頃の辛さが治まり、いろいろ出来る事が増えて来ても、最後まで残る症状が「楽しめない。おもしろくない。」という症状だそうである。



自分の経験からもこれは良くわかる。

九子の場合は死ぬまで気分調整薬を飲む位うつ病になりやすい体質らしいのだが、その代わり・・・というか、うつ状態と言っても薬を飲んでいる限り短期間(一、二ヶ月ほど)で済むようになった。



しかし本来うつ病というのはそんなに短期間に治るものではない。



ふつうの場合薬を飲み始めてからも少なくても数ヶ月、長い時は数年に及ぶ症状である。

その代わり、生涯にたった一度あるいはせいぜい二度起こるくらいのものだそうだ。



「楽しめない。おもしろくない。」という症状はウツの独特の空気の一番の正体とも言えるものだから、うつ病の最初から最後までつきまとう。

何をやってもふだんほど楽しくないと言うのは、何かをしてみようという意欲を極端に失わせる。



たとえばうつ病の時はただでさえお昼寝好きの九子が(^^;、お昼寝のとりこになる。電話が鳴らない時、店に客が来ない時は、ただただひたすら寝て居たい。



そして実際何時間でも寝ていられる。



とにかくうつ病とは心と身体のエネルギーを猛烈に消耗する病気のようだ。



普通の時は「あんまり寝てると脳味噌が腐るよ。」なんぞと言われ、自分でもそんな気がし出してそうそう寝てもいられなくなるものだが、そんなことを考えるのも面倒なくらいとにかく身体が横になりたがるのだ。



そしてそれを助長するのが、おもしろいことが他に何もないという現実である。





少し前に春山茂雄著「脳内革命」という本がベストセラーになった。

中で著者は脳内麻薬βエンドルフィンについて述べている。



エンドルフィンは30年も前から脳内麻薬物質として有名だった。少なくても薬大の教科書には載っていたと思う。

そして、あきれた薬学生九子が覚えていた数少ない成分名のひとつだった。(^^;





同じ環境の中であっても、自分を幸せと感じる人と不幸せと感じる人があることは、「夜と霧」の例を見るまでもなく明らかな事のようだ。



誰が見ても不幸な環境でも幸せを感じる人を、私達は「素晴らしい」と誉めたたえ、人もうらやむ環境で不幸せをかこつ人を「なんてわがままな・・」とそしるけれど、もしかしたら脳内麻薬エンドルフィンの分泌量の多少・・という風に捉えてみると、また別の見方も出来そうだ。



それより何より、同じ環境のなかで昨日まで自分の不幸を嘆いていた否定的な人間

が、今日から希望に輝いて満ち足りた生活を送れるようになったということだってあるのだ。





そう。朝原九子と笠原十子の場合である。



長男次男が生まれても出来過ぎ母が大変なところはほとんどなんでも引きうけてくれて、夢のように安易な毎日を過ごしながら、劣等感と不安と焦燥にかられていた昔の九子は、世の中で一番不幸な人間のような顔で、一日をやっとの思いで過ごしていた。



そんなダメ人間を変えてくれたのが坐禅 だった訳である。



坐禅をすると、坐禅の深い呼吸にのせられて酸素をたくさん含んだ血液が脳内をめぐるようになる。

たぶんこれが脳細胞を活発にし、自然にα波を作り出し、脳内麻薬βエンドルフィンを分泌させるのではないか。



その証拠に、坐禅を終わると幸福感でいっぱいになる。

自信に満ち溢れ、少々の困難でもへこたれない強さが生まれてくる。

「私は幸せだ。私の人生はばら色だ。私の未来は輝いている。」と自然に思えてく

る。



圧倒的な幸福感のなかで、自分が陽気になっていく。

人に会えば自然に笑みがこぼれ、草木を見ればその美しさに見とれる。

そしてその満ち足りた気分が、たぶん丸一日続くのだ。



「脳内革命」をぱらぱらとめくってみると、春山氏が言っていることは九子の主張と同じ事のようだが実は少々違うのだ。



楽しいことを考えるとエンドルフィンが出て来るし、反対にストレスを貯めこむとエンドルフィンが出にくくなるから、なるべく楽しいことを考えて、エンドルフィンが出るような生活をしなさい、と春山氏は言う。



それって言うほど楽じゃないと思う。



笠原十子の証言にあるように、意志の力で「明るくなろう、楽しいことを考えよう。」と考えて明るくなったり楽しくなったり出来るのはもともと意志の強い人の話であって、落ちこみやすい弱い私達は、それが出来ないから悩んでいるわけなんだから、エンドルフィンが出るような生活をしなさい!と言われてもねえ・・・。



坐禅のすごさは、誰でも正しく坐れば、無理なくα波という脳波が出現し、自然に脳内麻薬を出す環境が整うということだと思う。

つまりわざわざ辛い時に頑張って楽しいことを考えなくても、正しく坐ることだけで自然にエンドルフィンが出てくるという事!



坐禅の効用って、つまりこれだよね。



えっ?坐禅の効用?

まずい!これじゃあ活禅寺(ここ)からクレームが来る。(^^;



「なんのため、かんのためと、目的を持って坐ってはならない。」

無形大師ならずとも、禅の先達たちは皆同様に戒める。



もちろん原則はそうなのである。

病気を治すため、性格を変えるため、幸せになるためなどなど、「・・・のため」に坐る坐禅は邪道なのである。



でも、無類の根暗ダメ人間が、坐禅で明るいダメ母に生まれ変わる事が出来た張本人の九子としては、「坐禅をすると性格変わるよ。明るくのんきに暮らせるよ。」というメッセージは、いつでもみんなに伝えていたい。



九子が坐禅を始めてから、もう20年になる。

(ひょえ~。(^^;)



軽いウツ状態が来るたびに一ヶ月、二ヶ月平気で参禅を休むし、ふだんだって一週間に一度参禅すれば良い方だ。(^^;

熱心な仏教徒と言える状態からは程遠い。



しかしそんな九子であっても、誰も叱らないし、お寺に来るように強制されることもない。

久しぶりにお寺に行くと「お帰りなさい。」と温かな笑顔で迎えてもらえる。



当然布教のノルマなんてものもない。

「来るものは拒まず、去るものは追わず。」が昔からの禅寺のやりかただ。

本当に淡々としている。





大本山活禅寺のホームページだってそうだ。

管理人のmugenさんは、極力宗教色を薄めたページを作りたい人だから、九子が「私は坐禅でこんな体験をしました。こんなに性格が明るくなりました。坐禅は素晴らしいですよ。」などと掲示板に書き込みしようものなら、即座に削除されてしまう。(^^;



でもそのお陰で、全国からホームページを見てやって来る参禅者が後を絶たないらしいから、それはそれでいい。



だけど九子はそれじゃあ物足りない。

やっぱりみんなに坐禅の良さを知ってもらいたい。

自分が坐禅のお陰でどんなに楽に生きられるようになったかを多くの人々に伝えたい。

だからこうしてこの場所で、坐禅の宣伝にこれ努めていると言う訳なのだ。

( ^-^)



ただし口をすっぱくして言っておかなくてはならないことは、そんな素晴らしい坐禅だけれど、うつ病の時にはうまくいかない。



そもそもうつ病の時は頭の中のホルモンの出方が異常になってしまう訳だから、エンドルフィンも出にくくなってしまうのだろう。



うつ病に効くのは薬と休息だけである。





とりあえずそういう限界はあるものの、やはり坐禅は素晴らしいものである。

あなたの人生をより充実したものにするために、

あなたもお近くの禅寺で、坐禅を始めてみませんか?( ^-^)
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律速段階 [<番外 うつ病編>]

皆様、お休み頂いてから一ヶ月が過ぎました。 更新が無いにもかかわらず、毎日思いがけずたくさんの方々に読みに来て頂きまして本当に有難うございました。 本人にとりまして、どれだけ励みになりましたかわかりません。ただただ感謝でいっぱいです。 さて今回のうつ状態ですが、症状は最初から軽く、辛さは少ないのですが、一ヶ月経ちましても症状が消えておりません。 ただ、そろそろ書きたい気持も募っておりますし、実際調子の良いところを見計らって書いた数篇がございますので、暫くの間不定期で更新させて頂きます。 マイカテゴリーうつ病篇から来てくださった皆様。 これからの数篇は、うつ病をあつかっておりますが、比較的楽な時に書いたものですので笑える内容も含みます。 楽しい読み物を見たくない気分の方は、時を改めてお読み下さい。 ではどうぞ。

**********************************


九子も一応こうしてネットでものを書いてる身の上だから、陳腐な言いまわしはなるべく避けて、人が使わない表現を使いたいという無意識の気働きがある。

一応理系の大学を出て、理解度は???ながらも授業で専門っぽい言葉はある程度仕込んだ。
そして本日の日記のタイトルは理系らしく??「律速段階」になった訳である。

化学反応では、触媒(しょくばい)というそれ自体は変化しないが、反応の速度を上げる物質が使われることが多々ある。
そして触媒があるか無いかが、反応の効率を決めるのだ。

身体の中ではさまざまな酵素が、この触媒の働きをするのである。
つまり身体の中の酵素の働きの良さ悪さが、さまざまな反応の律速段階なのである。

わかりやすいたとえでは、アルコール分解酵素。
この酵素がうまく働くか否かで、酒に強いか弱いかが決まる。

さらに話をわかり易くしようか。
たとえば流れ作業の中で、九子が一人混じっているとする。

他のみんなはてきぱきと仕事を終えるが、九子一人がのろいがために、そこで仕事が滞る。

ここで九子は触媒ではない。
なぜなら反応の効率をあげるために九子はなんら貢献していないからである。(^^;

しかし九子の仕事の出来不出来が、全体の作業の速さを決定する。
つまり九子が全体の仕事における律速段階なのである。(^^;


今日のタイトルが日記にふさわしいか否かは別として、軽いうつ状態でお休み頂きながら、こんなことを考えていた。

今回九子はほとんど毎日普通の7割くらいの感じで過ごせるほど軽い症状だったと思うが、中で何日かはちょっとしんどい日もあった。

そんな日には、ふだん考えないことを考えるものである。


うつ病と言うと、気分が落ちこむ病気という捉えられ方が一般的だし、それ自体間違いではないと思う。

ただ、そのうつ病の期間中、毎日日代わりで気分がコロコロ変わることや、どんなに薬を飲んでいても、時期が来ないと治らない病気であること、そして心の疲れもさることながら、身体も相当に疲れて参っている状態である事などは案外知られていないのかもしれない。

実際朝になってみないとわからないその日の気分の良さ悪さは、長い間その日起きたときの気持ちの重さ軽さが決めるものだと思っていたが、今回「実はそうではないのかも・・・。」と始めて思った。

つまりその日の身体の動き易さを決める「律速段階」が、気分の良さ悪さというのと別のところにあるのではないか?と始めて考えたという意味である。

九子の独断と偏見により言わせて頂くと、九子は相変わらず
雅子妃殿下の症状を「適応障害」などというあいまいな病名ではなく、うつ病であると信じているのであるが、彼女が公務をこなせたりこなせなかったりするのも、もちろんわがままでもなんでもなくて、うつ病の気分のゆらぎであろうと思う。

回復にかなり長引いていらっしゃるのも、本来なら根本的に人前に出なくてもいい仕事に変えて差し上げるとか、そういう事が立場上お出来にならないからだろう。
本当にお気の毒に思う。


うつ病とは、エネルギーが極端に足りなくなる病気である。

ふだんは当たり前のようにしているしゃべること、見ること、会うこと、話すこと、考えること、歩くこと、食べること・・・などなど。

そう言う諸々のことをするのにはかなり多くのエネルギーを消費するものなのだと言うことをまざまざと見せつけられるのがこの病気だ。

そして人間にとって一番自然で楽な姿正とは、直立したりましてや歩くことなどではなくて、地面に身体を横たえて、重力に逆らわずに寝ていることなのだなあという事に改めて気づかされる。

足りないエネルギーを補うために一番有益なのは横になって休んでいる事であり、休んで貯めたエネルギーも、一度何事もないような普通の顔をして人前に出ることによって極端に消耗し、再び充電される必要が生じる事に、「疲労感」という具体的な症状を通して気づかされる病気でもある。

雅子妃殿下がいくら微笑んでいらっしゃるからと言って、本当に元気になられた訳ではない。
むしろ人前に出て微笑む回数が増えるたびに、病気の御回復がその分遅れていると思ったほうが良いのである。

うつ病の時期の日代わりの気分の大元、その日その日が楽に過ごせるか否かを決定するのは、「その日の気分」という曖昧なものであるというよりむしろ、「その日の疲労感の度合い」という、より具体的なものである可能性が高いのではないか・・・ということに九子は今回始めて思い至った。

もちろん気分が優れない日は疲労感も強いという相関関係は確実にある。

前の日の疲れが次の日に残ると言うことは健康な時でも良くあることであろうが、うつ病の時はただでさえエネルギーが不足している訳だから、疲れは澱(おり)のように溜まる。

いったん横になってしまうと「意志の力をもってしては抵抗しがたい」と表現される気だるい心地よさに襲われてなかなか動けない。

電話が鳴る、来客を知らせる薬局のチャイムが鳴るという場合を除いて、一日中でも横になっていたいと思う訳だ。

症状が軽い時は特に、普通と変わらないつもりでいるのに、実は身体と心に無理を強いていたという事に理解が及ばないから始末が悪い。ついつい調子に乗って無理を重ねがちだ。

そもそもどうすることがうつ病にとって一番負担になる事なのか・・・?

自分ではなんとなく気乗りしない「人前に出る時」が一番のように考えてしまうが、それ以外にも、しつこいセールスの電話がかかってきてガシャリと受話器を置く時とか、ふだんよりもイラつきやすい気分の中で、さまざまな思いを自分の気持の中で消化している時だとか、結構そんな時にも気がつかない消耗があるのかもしれない。

それより何より、嫌いなこともさることながら好きな文章を書くことだってかなりの負担になっている可能性もある。まあだからと言って、やめるつもりはさらさらないが・・・。(^^;

とにかく普通の時よりも神経が高ぶりやすいのだ。
なんでもないことが、心に予想以上のダメージを与える。

ただしどういう訳か、疲労感が積もった次の日が必ず気分が悪いという訳ではない。
逆に良く休息が取れた次の日が必ずしも楽という訳でもない。


「エネルギーの消耗」を如実に示す一例として、うつ病で自殺する人の時期がある。
良く言われることだからご存知の方も多かろうが、うつ病のどん底では自殺はむしろ少ない。
死ぬためのエネルギーも不足するから死にたくても死ねないのだ。

抗うつ薬が効き始めてやれやれ良かったと周囲が思う頃、自殺が多発する。
つまりやっと蓄えられ始めたエネルギーがすべて、自殺のために向けられてしまったということになるのだろう。

もちろんすべてを「エネルギー」だけで語り尽くせるほどうつ病は単純ではない。

気分という言葉に代表される不確定要因が醸し出す独特の空気のようなもの。
これはたぶん実際うつ病になった人しかわかり得ないものだと思う。

おおざっぱに言えば沈んだウツウツとした気分が2週間以上続くのがうつ病であるとされるが、九子の場合うつ病にいつなっていつ治ったかはすぐに言い当てる事が出来る。

なぜならウツ独特の空気の違い・・・とでも言うものがわかるからである。

例えばガスの臭いが少しでもすると誰でもすぐにわかるだろう。
ガスの鼻をつく刺激臭を人間の鼻が嗅ぎ分けるからだ。

それと似た感覚で、ウツの時の重くて暗くて鉛のような空気を九子はいつも感じている。
楽しさや喜びという感情だけが欠如、もしくは薄められているような空気。
特に朝起きる時にその空気の違いを感じる限り、うつ病はまだしばらく居すわり続けるのだ。

もっとも夕方から夜にかけて比較的気分が楽になる頃には、この独特の空気も希薄になっている気がするのだが・・・。


九子のウツは頻度は多いが軽症だから、薬を飲んでいなかった時期でも死を考えるほどひどい日はそう多くはなかった。

今回も最初の頃は特に楽に過ごせたから、誰にもわかるまいと思っていた。

しかし!である。
さすが!と言うべきか、M氏は知っていた。

「九子が調子悪い時、すぐわかるよ。いつもこんな時期だし、すぐ横になってゴロゴロし出すからさあ・・・・。」


このM氏の言葉から、あなたは何を読み取りますか?

「M氏って優しいのねえ。」
「けっこう鋭い人なのねえ。」

まあもちろんどちらも正解ではありますが(^^;、九子が一番感じ取って頂きたかったこと!
そ・れ・は・・・・!

「九子さんってふだんは、言ってるほどお昼寝しないでけっこう働いているんじゃないの!」 (^^;

まあ「鬼の居ぬ間の洗濯」ならぬ、M氏の居ぬ間のお昼寝・・・・なんですけどね。( ^-^)
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お休みのお願い [<番外 うつ病編>]

いつも九子のダメ母の証(あかし)日記を読んでくださって本当に有難う御座います。
四日に一度の更新日にはにわかに多くなるアクセス数を眺めながら、つたない日記を楽しみに読んで下さる方々がおいでになることに胸が熱くなる思いです。

このところ、うつ病の美容師さんの話とか、自分のうつ状態の話とか、考えてみると立て続けにウツのお話をしましたのは、決して虫が知らせたという訳では無かったとは存じますが、九子、例によってまた少々うつ状態に入っております。

考えてみると、去年もまったく同じ時期に症状が出てお休みさせて頂いたのでした。

思えば長野N大高の年に一度のクラス懇談会の日。
去年も今年も、九子は嬉々として長野N大高に赴いたものでした。

九子の足取りが軽かった今年の一番の理由は、我が家のもう一人のB型大物、長女N子が、長い低迷期を乗り越えて(^^;、奇跡的に良い成績を取ったからでした。

長野N大高では、個人情報保護法の世の中に逆行して(^^;、これからも上位150人の名前を廊下に張り出すそうであります。( ^-^)

いやあ、久しぶりに九子も誇らしい気持でありました。( ^-^)
(たぶん今回一度限りと思うと、淋しいものもありますが・・・・(^^;)


我が子の成績が良かった時だけ貼り出して欲しい。そうでない時は要りません!と勝手な事を考えた九子でしたが(^^;、とにかくその日もまったく自分では普通だとばかり思っていました。

その日はたまたま夜に学校薬剤師会の会合も重なり、こちらも年に一度の美味しいお料理につられて毎年出席していますが、こちらの方も普段と何ら変わることは無かったと思いました。

しかしその次の朝、たぶん九子でないとわからないいくつかの不調によって、軽いうつ状態が始まった事を知りました。

もう少し正確に言うと、それが本当にわかったのはさらにその次の日です。
症状が一日だけに留まらず、毎日必ず続くことが決定的になったからです。

思い当たる症状が最初に出た十日前頃からもう少し注意深くすべきだったのかもしれませんし、もしかしたらこういう内因性の病気では、まるで自分の身体の中に目覚まし時計のようにセットされたその時期になると、別にこれと言った理由も無く、病気が突然出てくるのかもしれません。

もしそうであるならば、注意深く無理しないようにしてもしなくても、いずれはうつ状態に陥ったと言うことになります。

とは言え、お影様で薬がとても良く効きますし、休んでいた抗うつ薬だけはいち早くまた飲み始めましたので、症状としては大変軽くすんでいます。

今感じている不調は、朝起きる時の不安感や重苦しさ、ふだんよりもひどい疲れ易さ、人に会う時の若干の億劫さ・・・くらいなものでしょうか。
それと、日記が書けません。(^^;

ただ、午後4時頃になると何か書きたくなって来ます。
遅い時間帯に症状が楽になるうつ病の日内変動というものでしょう。

笠原十兵衛薬局はもちろん普段通り営業しておりますし、雲切目薬も雲切百草丸もいつも通りお送りしておりますので、どうぞご注文はご遠慮なく。( ^-^)

前回は<番外うつ病編>を書いておりましたが、今回はおとなしくお休みさせて頂きます。

コメントやメールは大歓迎です。
これを機会に、見えない読者の方々からのお声が聞きたいとも思っております。( ^-^)

たぶんお休みは一ヶ月ほどになる予定です。

うつ状態と言えばたいてい五ヶ月続いた昔を思えば、嘘のように楽になりました。
すべてはルボックス50mgとリーマス600mgのお陰です。( ^-^)

それでは皆様、しばらくのあいだ失礼いたします。
またお会い出来る日を楽しみにしております。


九子
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美容院にて [<番外 うつ病編>]

モノモライにはゆで卵の柏倉葵さんとこで、話しかけるタイミングが絶妙に美しい美容師さんの話を読んだ。

うん!わかるなあ。

そうそう。九子も美容室へ図書館の本を持って行ったりする少数派の客であるのだが、最近はもっぱら100円本になった。パーマ(perm)液がかからないだろうか・・とか気にする必要がないからだ。(^^;

おしゃべりな美容師さんが嫌いというのも、葵さんと同じ。
エネルギー(energy)不足の九子は、おしゃべりしてるとだんだん疲れて来る。
せっかく美容院へリフレッシュ(refresh)しに行って、疲れて帰って来るんじゃあ割が合わない。

だから、余計なことを極力しゃべらない人が好みだ。

でも、九子が行ってるとこはその点、誰に当たってもそんなにわずらしさを感じなくて済む。

ところがM子が行ってるところと来たら・・・。

M子が九子の悪口を店中に聞こえる声で言ってるから気に食わない・・・・という訳では決してないが(^^;、全部女性の美容師さんは、のべつまくなくお客さんと話している感じである。

おしゃべりなM子はいたく気に入っているが、九子は送り迎えするだけでエネルギーを吸い取られそうな気がする。

それは、若い九子がさらに若かったずっと前の話。(^^;
とても相性の良い美容師さんがいた。
イケ面では無かったし、がっちり型の背もそんなに高くない男の美容師さんだった。

ただ彼はとても自信家だった。自分の技術にも、たぶん利益をあげる経営者としての能力にも、自信を持っていたと思う。

それを証明するように、彼はしばらくして店で見かけなくなった。
聞くと、そのチェーン店の現場を離れて、管理職としてのデスクワーク(和製英語)が忙しくなったのだそうだった。

彼はたぶん九子と同年輩くらいで、子供が4人いると言った。たぶんその頃九子も4人位だった頃だと思う。

数では負けなかったが(^^;、男の30ちょいとで4人はすごいなあと思ったのを覚えている。

九子はその頃から文庫本を持って美容院へ行っていたと思うが、その彼がやっぱり、話しかけるタイミング(timing)がほどよかった。


月日は流れ、九子は相変わらずその美容院に通っている。
他へも寄り道したいが、何しろ安さが魅力だった。(^^;

彼が居なくなってから、担当の美容師さんは5~6人変わったと思う。

ここんとこ2年ほどずっとやってくれていた彼女は、出産のため6月からお休みだ。
今度は誰にやってもらおうか?

実は彼女はとても腕がいい。
その前にやってもらってた人がたまたまお休みで、彼女に当たったのだ。
そうしたら彼女が九子の求めてたどんぴしゃりのスタイル(style)にしてくれて、以来担当になってもらった。たぶん良くある話である。

でも前の人は相変わらず同じ美容院にいる訳だから、目が合えば会釈はするがそう言う時すごくバツが悪い。

小心者の九子は、一言二言、詫びを言いたいと思いながらも、いつも彼がいると伏し目がちになって何も話せないでいる。


シャンプー(shampoo)係は、比較的新米の美容師さんがなるようだ。
シャンプーひとつでも、それこそ髪の一本一本という位ていねいに洗ってくれる人と、ちゃちゃっと一応洗いましたと言う人と個性が歴然だ。

若い端正な顔立ちの彼は、本当に真面目に、丁寧に丁寧に洗ってくれた。
彼が余計なことをしゃべらないのも好ましかった。

しかし、彼は1年もしないうちにすぐに居なくなった。
無口な彼は、お客さんとおしゃべりが出来ないのを気に病んで止めていったのだと言う。
彼はもう別の仕事を選んだそうだ。


実は一度だけだが洋書を持って行った事がある。
これまた一度だけだが、当時頑張って付けていた「十年日記」も持っていったことがある。
しかも下手な間違いだらけの英語で書いてた時だ。

断じてこういう事はしないほうが良い!
ものすごく気まずい。(^^;

その気まずくなって担当をはずれた美容師さんが、何年かぶりで九子の頭をやってくれた。

彼も九子も大人だから( ^-^)、気まずかった話はおくびにも出さなかった。
もちろん以来九子も学習して、美容院へそんなちんけな物を持っていくのは止めた。(^^;

なんの話のついでだったか、九子は例の昔ひいきだった美容師さんの話をしてみた。
彼は結構その店で長いので、知っているかもしれないと思ったからだ。

彼から帰ってきた答えに、九子は絶句した。

「ああ、部長(と彼は言ったと思った。)の事ですね。」
何しろ子供が4人というのは珍しいからすぐわかってもらえる。

「実は亡くなったんですよ。何年前だったかなあ?ダムに車ごと突っ込んで。」

「自殺なんじゃあないかな。そんな事故るような場所じゃないもん。びっくりしましたよお。そんなそぶり全然なかったですからねえ・・・。」

「えっ?だって、お子さん、まだ・・・。」
「そうですよねえ。あの頃まだ中学くらいだったんじゃないかなあ。奥さんですか?たぶん美容師じゃないと思う。どうしてるんでしょうかねえ。」

自信にあふれてカットする彼の姿が、一瞬鏡に写った気がした。
そして不意にやり場の無い怒りがこみあげてきた。

うつ病よ!うつ病!
なんで誰か回りの人一人くらい、気が付いてあげられなかったかなあ?

「疲れてるみたいですよ。精神科行ったらどうですか?」
うつ病は広く認知されてきたとは言え、この一言を気楽に本人に言える人は少ない。
ましてや、何年か前の話ではなあ・・・。

精神科を標榜(ひょうぼう)すると患者が来なくなるからと、神経科とか心療内科とか、ストレス外来とかと言い換えている医院が今でもたくさんあるくらいだから、気楽に精神科へ・・というのはまだ日本の社会では時期尚早なんだろう。

だけど!だけど、悔しい!
精神科にさえかかれば、薬さえ飲めば、すぐに楽になる症状だったのに・・・・。


葵さんのタカハシさんよりも、新米シャンプー係君よりも、たぶん彼は誰よりもかっこ悪く、理不尽な理由でみんなの前から去っていった。

そして、一番哀しい去り方だった。
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日記を書くということ [<番外 うつ病編>]

日記をつけ始めてから、断りなくまる一週間更新なしだったのは今回が始めてのような気がする。

実はこの一週間、マイぷれすって九子にとってなんなのだろうと考えていた。

本来なら日記をアップしなければ・・と思っていた火曜日。
九子の気持ちが、見事なまでにそれを拒んだ。

本当のところ、恐ろしかったのだ。
持病のうつ病がまた密かに忍び寄って来ているのではないかと・・・。

うつ状態というのは、程度の差こそあれ不毛な時間だ。
薬で辛さは軽くなるが、生きている充実感がない。何をやっても面白みが無い。必要もなく生きている気がする。
そして最低1ヶ月間は、どんな薬を飲もうとも完全に癒える事は無い。

九子はこれを二十数回も繰り返しているので、変だなという前兆はわかる。
前兆があった次の日には、もう完璧なうつ状態が始まっている事がほとんどだ。

良い医者に会い、薬を飲み始めてずいぶん楽になったのだけれど、日記を書くなんていう、どうでも良いことのプレッシャーでもうつ状態は来る。

気持の上で追い詰められている自覚など全然無くても、うつは突然やって来る。
書きたいから書いていたはずだった。それが負担だったのかと気がつくのは、症状が出てからだ。

その不毛さを知り抜いているので、やっぱりうつは怖いし、落ちこむ度にうつじゃないかとびくびくする。

うつの前兆におびえたのが先日の月曜日。
おあつらえ向きに暇な薬局なので(^^;、やけに疲れてごろごろ横になりたくなるのを妨げるものは何もない。

気分は重く、何をする気力も湧かない。
日記などというものは、金輪際書けそうにない気がする。
このまま、またお休みしなきゃいけないのかな?
情けないな・・・・・・・。


火曜日の朝も悪夢におびえたが、幸いなことに電話に普通に出られた。人と話すのになんの抵抗もなかった。テレビも本もつまらなくなかった。何よりメールもコメントの返事も普通に出来た・・・。

まるで小学生が遠足の時、リュックの中身を調べるように、ひとつひとつ指折りして出来ることを数える。
一つ一つは取るに足らないことかもしれないが、これらはすべてうつ状態だと普通には出来ないことなのだ。

どうやら大丈夫だったらしいわ。
九子はようやくほっとする。


今までに書いた日記は100篇を超えた。
積み上げた経験も実績も無い自分が、ここまで書けたことを誇らしく思っている。

しかしその反面・・・・。

日記をいとおしく思えば思うほど、日記にかける時間が多くなればなるほど、そして、アクセス数などという魔物にかかわればかかわるほど、日記に縛られている自分に気づく。

先日の 「管理人日記」にもあったが、心の花のミンさんが日記を閉じられた。
短期間のうちに、彼女の日記は250篇を数えた。

250篇。すごいと思う。
毀誉褒貶(きよほうへん)の激しい日記だったが、とにかく彼女と同じ事が出来る人はそんなにいないと思う。

かくいう九子も、しがらみの多い社会の真っ只中で暮らしているので、彼女の日記はマイアンテナには入れずにたまにこっそりと覗かせてもらっていた。(^^;
あのペースでなくてもう少しゆっくりだったら、2倍の年月楽しませてもらえたかもしれない。
でもそんなことは彼女にとってはどうでも良いことだろう。

>ゴールに向かって全力疾走・・・・・・・・・。
>ひとつの日記が終わったら、また別の日記が始まる・・・・・・・・・・。

マイぷれす管理人ザンドさんの一言一言を読みながら、若いなあって思っている九子がいる。

言うまでも無いが、若いって言うのは決して悪い意味ではない。
未来がたくさんある人の言葉だなあと言う意味だ。

人生も折り返し点を過ぎると、そう未来ばかりを見つめていられなくなる。
先ばかりを見つめていると、却って疲れてしまいそうになる。

そんな時、後ろを振り返って、楽しかったこと苦しかったことを思い出す。
楽しかった時の輝きは少しも色あせていないし、苦しかったことすら、賽銭箱の中の5円玉のようにこがね色に輝いて見える。

それらを見つめながら、前に進む元気と勇気をもらう。

一年前、九子はまだマイぷれすで日記を書いていなかった。
「10年日記」というのを書いた時期もあるが、しょせん怠け者の九子だ。
どうなったかはもうおわかりだろう。(^^;

記録が無いと言うことは、過去がただただ遠のいていくということだ。
なにがしかの記録があるだけで、過去は思い出になり、財産になる。

何月何日に何があったと正確にたどる事よりも、ああそうそう、そういえばこの頃こうだったわねというそんな記録で満足である。

そういう人間にとって、たまたま出会ったマイぷれすはこの上なく自由な空間だ。

自分が元気になり、出来たら子供たちが読んで子育てに活かしてくれる日記が書けたら、それでいい。

最初の思惑はそれだけだったはずなのだが、読んで下さる方が出来、茶目っ気が出て、アクセス数なんかが気になってくると、なんだか身動きが取れなくなってくる。

じゃあアクセス数表示やめちゃえば・・・・・?
うっ、それもさびしい。(^^;


うつ病人間は無理をしてはいけない。
そう言いながら、週2回の更新にこだわってきた。

そろそろ、もう少し気ままに、ゆったりとしたペースで書いて行こうと思っています。m(_ _)m
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雅子妃の「適応障害」・・・あまのじゃくな見方・・・ [<番外 うつ病編>]

雅子妃の病名が公表された。「適応障害」だそうだ。
聞いた途端に、九子のあまのじゃくが頭をもたげた。

「適応障害」は、病名じゃない!

たとえば、あなたが頭が痛いからと医者に行って、「あっ、これは頭痛ですね。」と言われたら、お腹が痛いからといって医者で「あっ、これは腹痛ですね。」と言われたら、あなたは納得するだろうか?

「そんなことは百も承知よ!だから、なんで頭痛がするのか、腹痛がするのかそれを聞いてんだよ!」と怒鳴り出すだろう。

「適応障害」というのは、あくまでも「環境に適応出来ないという症状」を述べただけのものである。病名ではない。

・・・・と考えて、九子はいつものようにメルクマニュアルを開く。
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メルクマニュアルというのは、ほとんど全ての病気の症状、診断方、治療法、を書いた本である。(まっ、一応薬剤師だからして、こういう本も持っているのだ。(^^;)

ここに「適応障害」なんていう名前がのっているはずがない!

そう思った九子は、一瞬裏切られた気がした。

「あるじゃん!」
メルクマニュアル日本語第16版 2172ページ「適応障害」。

ところがこれがどこに載っているかと言うと、「小児期および思春期の精神障害」という項である。

読み始めた九子は、わが意を得たり!と思った。
最初の数行をそのまま写す。

☆適応障害  基本的に十分適応能力のある思春期の子供が、環境からのストレスに示す急性反応。ストレスが減少するにしたがって、症状は和らぐ。 思春期の子供に世間体や予後が悪い病名を付けることを避けるために、この診断名はしばしば慢性的な適応困難や、もっと重い精神学病名の代わりに用いられる。 しかしながら、基礎疾患の確証がほとんど無い時や環境のストレスが強い時はそれは適当である。

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

ここまでは、事実である。

これから先はあくまでも九子の考えだから、間違っているかもしれない。いや、間違っている可能性が高い。(^^;

ここには二つの情報がある。
①「適応障害」という病名は、より重い病名を隠すために付けられる事がある。
②「適応障害」という病名は、本当の病名がはっきりしない時、または環境のストレスが非常に強い時つけられる。

九子は最初、①に違いないと思った。

だって、日本一の医師団が何人もついていて、本当の病名がわからないなんてことがあるだろうか?

きっと、隠しているのだ。本当の病名を・・。
そんなら、本当の病名ってなんだ?

やっぱ、うつ病だろう。
いろんな情報を総合すると、それが一番近い。

こんなにみんながうつ病に理解を示し、先ごろ啓蒙パンフレットも新しく出来あがったというのに、プリンセスがうつ病になるのは好ましくないんだろうか?

癌なら認めるんだね。昭和天皇も天皇陛下も・・・・。
だけど、うつ病はだめなんだ。

抑うつ状態は認める。だけどうつ病はだめ。
英語で言ったらおんなじdepressionだと思うのだけれど・・・。

今、うつ病という病名はたぶん使われなくなりつつある。
気分障害(mood disorder)と言う。

うつだけのを単極と言い、うつと躁が来るのを双極と言う。
「適応障害」よりは、「気分障害」の方がまだ事実に近いんじゃあないの?

そもそも日本の皇室は、世界の皇室の中でも、その純血性という言葉があるのかどうか知らないが、つまりは、源(みなもと)からの由緒正しさというので際立った皇室なのだと言う。

その穢れ(けがれ)無き血筋に、うつ病などという胡散臭い(うさんくさい)病気は有り得ませんと言うことなのか。

一生うつ病の薬飲まなきゃいけない九子は、ここで納得行かない訳よ。
うつ病って、皇太子妃がなってはいけないそんな忌まわしい病気なんですか?

年間三万人もの人は、人に言えないほどおぞましい病気になったので、悲観して死んでいくのですか?

これだけうつ病の理解が進んできて、情報をもとに自分で医者に行ったり、家族や同僚の介入のお陰で、死ななくても良い命が助かりつつあるという時代に、時代錯誤もはなはだしいのではないでしょうか、宮内庁さん!

「プリンセスはうつ病です。」と告白すれば、100万人以上がかかる可能性のあるうつ病患者やうつ病予備軍の人々が、どんなにほっとすることか、考えたことはないのでしょうか?


・・・・・と言うのはあくまで①が正しいと仮定した場合。(^^;

良い子の日本国民の皆さんは、②が正しいと素直に納得してくださいね。

でも、その場合でも・・・。

宮内庁さん、ストレスが非常に強くないと「適応障害」は起きないそうですから、そこんところは是非是非反省しながら考えて頂きたいと思います。

皇太子妃の代わりはいません。
雅子妃殿下に耐えられないことを、いったいどこの誰が耐えられるでしょうか?

バツイチ子持ちのプリンセスだっていらっしゃる時代です。
皇太子妃にいろいろなことを求めすぎるのは、もう終わりになさったらどうですか?
ねっ、宮内庁さん。
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番外編・・・うつ病あれこれ・・・その12 心の傷あと [<番外 うつ病編>]

番外編「うつ病あれこれ」を書くのも、そろそろ最後にしようと思っている。

まあ根が真面目と言うか、バカ正直というか、うつ状態が良くなっているのにうつ病の日記を書くことに罪悪感がある。
だからと言って100%大丈夫かと言われれば、多少不安もある。

うつ病日記を書く気分ではなくなった、うつ病日記を書くのに疲れた・・・とでも言うのが、正直なところかもしれない。

調子が悪かった時と今一番違うと思うのは、自分から話題を提供して話を始めるようになったこと。今までは、聞かれたことに反応するのに精一杯だった。
まあそれだけ、世の中の出来事に関心が出て来たってところかな?


うつ病が、誰でもかかる「心の風邪」と言われるようになって久しい。
確かに誰もがかかり得るありふれた病気であると言うことが、この言葉によって強調された。

だけどやっぱり、風邪とは違うんじゃないかな?
では何に一番近いか・・・?
う~ん、これは難しい。
少なくとも生命の危険があるという意味で、「心の肺炎」くらいにはして欲しい。


心はどこにあるのか?という議論が、いつもどこかでなされる。
脳の中枢にあると答える天邪鬼(あまのじゃく)もおいでだろうが、ここはやっぱり心臓に近い胸のあたり・・・・と答えたい。

なぜなら、そう答える根拠があるのだ。

2年半の間に、5ヶ月続くうつ状態を4度繰り返した話は以前にもしたが、その時、少なくても薬を飲んでいなかった時、あるいは飲んでも効いていなかった時、その感覚は突然やってきた。

それが来るのは必ず、うつ病が良くなる時であった。

ご承知のとおり、私のは典型的なうつ病と少々違う。躁病は経験していないが、うつ病の回数の多さや、うつ状態からの抜け出しやすさ、つまり「動きやすさ」は、うつ病と言うよりも躁うつ病に近いのだろう。

だから、これをすべてのうつ病患者の方が経験するとは思わない。
もしかしたら私のように、あんまり早く良くなり過ぎる者の痛みかもしれない。

それに、薬を飲み出して、うつ状態がかなり軽く抑えられるようになってからは、一度も来ていない。

うつ病真っ盛りの時にはわからない。
それなのに、これで治るなって思う時、(それはなんとなく自分でわかる。)その感覚は突然やってくる。

傷口に薬をつけた時のあの感じ。

痛いというのか、しみるというのか、とにかく心のざらつきがわかる。
こんなに心がささくれ立っていたんだ、こんなに荒れていたんだと・・・。

うつ病の治りかけの時期のわずか数分間、あれっと思うと、間違いなく胸のあたりがざらざらっとしている感触を味わう。

それがすぐに全く感じられなくなるところを見ると、荒れた心は元に戻っていくのだろうか。

PTSD(post traumatic stress disorder)は、「心的外傷後ストレス障害」と訳される。

心の傷は、トラウマになるほどの強いストレスばかりで起きるのではない。

うつ病で長い間不健康な状態にあっても、心には無数の細かい傷がつくのだと
私は頑なに信じている。


カテゴリー健康・メンタルヘルスから始めていらっしゃたお客様、どうもお越し頂き有難うございました。 12回に渡り「うつ病あれこれ」を書かせて頂きましたが、次回よりは他のカテゴリーからのエントリーになると思います。 前の日記はほとんど全て、もしかしたらウツ状態にあるあなたがお読みになるには、明る過ぎて不適当だと思います。 本当に元気になられて、明るい話題が欲しくなった時に、覚えておいて読んで頂けたら嬉しいです。 尚、右側マイカテゴリーのアーカイブより「番外 うつ病編」や、「ちょっ暗 ダメ母編」を探していただくと、あなたの今の気分で受け入れ易い日記を読んで頂けると思います。 一足お先にこのカテゴリーを抜け出しますが、またどこかで元気になったあなたにお目にかかるのを楽しみにしております。 あなたが一日も早く元気を取り戻されますように・・・・。
タグ:うつ病
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