金のなる木とガジュマル [<正統、明るいダメ母編>]
★ 金のなる木とガジュマル
金のなる木については以前長々と書いた。要するに金のまったくならないМ氏のところからやって来て、少しはましかもしれぬ薬局に居ついたのだが、九子が邪険にするのと(^^;;、冬の間ガラス戸が締め切りにならない環境に10年?も耐え続けた結果、誰が見てもいよいよ貧相で貧乏臭くなってしまったものだから、さすがのМ氏が「別のに代えよう!」と言い出した。
「俺がこの木をまた元通り元気にしといてやるからさあ。」
どこへもっていくのかと思えば、両親が元気だった頃私たちが住んでいた家。
少しくらい日当たりのいいところへ持っていっても、貧乏菌はそうやすやすとは離れないと思うよ。(^^;;
例によってホームセンターを数か所回って代わりになる割安なのを買う。
金のなる木はもういいや!
青々として威勢のよさそうなのないかしら?
ガジュマルって名前の葉っぱの艶のいい木が九子の眼に留まった。
うん。葉っぱも木の幹の感じも面白い。何より値段が安いのが最高だ!これにしよう!
帰ってきてからググって見たら、いろんなことがわかった。
今日買ってきたガジュマルはかなりの安さだぞ!(^^;;
えっ?絞め殺しの木?ずいぶんな名前がついている。
宿主に巻き付いて栄養を吸い取って生きるらしい。
我が家も吸い取られそう。(^^;;
その日は気づかなかったのだが、翌朝になって一番上の新芽にシミみたいな黒い点があることが判明。可哀そうだがむしってやる。
次の日もまた次の日も、別のところにシミを発見。
悪いところは早めに摘まねば病気みたいに広がるとまずいからね。
その他はとりあえず見えるところに病気は無さそうだ、やれやれ。
ああ、こういうことなんだな、手をかけてやるということは・・。
まずは気にしてやる。ただおざなりに水をかけるだけじゃなくて、日々の様子を観察する。
問題があったら手当てする。
九子はご存知の通り植物など育てるのは大の苦手だ。
犬猫の世話だってようやらんのに、よくぞ五人も子供を育てたな!?
もちろん偉大な出来すぎ母が居てくれたお陰だ。(^-^)
毎日水をやる。毎日散歩に行く。毎日えさをやる。
毎日・・・するというのに九子はめっぽう弱い。
一番の原因は忘れてしまうから。
やるぞ!とは思うのだ。朝のうちは・・・。(^^;;
それが、その時間帯になると頭の中からさっぱりと抜け落ちる。
さっきまで覚えていたとしてもだ。
生協の仕分け当番の時のように、他の人に持ってきてもらって始めて気が付くのだ。
最初のうちは計画的かと疑われる。当番さぼりたいんじゃないかと・・。
ところがあまりにも頻繁にそれが起こるものだから、だんだん周りも気づいてくれる。
あの人は単純に忘れっぽいのだ。仕方がない。
もちろん面倒くさがりだから、体を動かしたくないというのもある。
「毎日散歩に行く」は、この理由により始める前に速攻却下だ。
高校の時から飼ってた犬に毎日餌をやっていたのは出来すぎ母だった。
当時のことを考えると少々胸が痛む。
九子は最初のうちこそ愛くるしい顔をした縫いぐるみのような愛玩犬に愛情を示したが、餌をやり、散歩をし・・という日常が重なってくると、だんだんに煩わしくなった。
餌やりはどんどんぞんざいになって、残りご飯の上に残りご飯を積み上げる始末。
このあいだ末娘と話していたら、なんと彼女はしっかりと見てこれを覚えていた!「ママってさあ、犬にひどいご飯やってたよねえ。」
幼児の記憶、恐るべし!(^^;;
まあとにかく、これを見てお分かりの通り、よく言われる「愛情の反対は憎しみではなく無関心」というのはまったくもって当たっている。
九子の場合はどう見ても愛情が薄い。
って、これ、五児の母にして言うべき言葉じゃないんだけど。(^^;;
なんだかさあ、人間の愛情深さって生まれつき決まっているんじゃないのかな?
もちろん愛情深い人ならその方がいいに決まってるけど、九子みたいに薄けりゃあ薄いで、それがいつもおんなじで、そんなに分け隔てないなら理解してもらえそうな気がする。
ガジュマルは大きくなると20mにまで育つんだって!どうしよう!
大丈夫、大丈夫!その手のかけ方じゃあ、あと10センチだっておぼつかないから・・。(^^;;