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栢木寛照(かやきかんしょう)さん [<坐禅、仏教、お寺の話>]

最初に漢字を見せられた時、なんて読むのかな?と思った。

大阪の人はたぶんお名前をご存じなのではないだろうか?

昔ずいぶん長い間、桂文枝(当時の桂三枝)師匠と一緒にテレビ番組を持っていらして、たいそうな有名人だそうな。


その人を薬局に最初に連れてきたのは隣の八百屋のおじさんだった。

隣のおじさんは栢木寛照さんが40年来続けている激戦地サイパンに子供たちを連れて行く会の助っ人をしている。


寛照さんは30人にも上る子供たちを自腹でサイパンに連れて行って、夏休みに海に灯篭を浮かべて慰霊の祈りを捧げるのだという。


偉いお坊さんと聞いてはいたけど、おじさんに言われて薬局に置いてあった色紙にさらさらと書を書いてくれるとても気さくな人だった。


「花は根に鳥は古巣に帰れども 人は若きに帰ることなき 天台沙門 三宝 寛照」とある。


さすが!いい書だと思った。華奢で優しい文字だ。若いころに戻りたいと無駄な努力を重ねている九子にはぴったりな書だ。(^^;;


ところがこれは色紙に即興で書いたものだから、花押がなかった。九子は全然気にしなかったのだがそれでは悪いと思われたのか、二枚目が届いた。


「経日 如病 得医薬  比叡山延暦寺 一山 慈光院 寛照」

こちらはがらっと字体が変わって、力強い男文字だった。


時を重ねるということは、病が医薬を得た如くである。 

(時がたてば、病は医薬を用いると同様に癒えていく。)


うちが薬局だということを考慮して書いて下さったに違いない。

二枚の色紙は今、薬局のお客様から一番見えるところに飾られている。



なぜ九子は栢木寛照さんの話をし始めたのか?

実は寛照さんは、次の善光寺貫主に決まっている方だからだ。そのために今、半分長野で半分故郷の関西(比叡山のある滋賀県を中心に)という生活をしていらっしゃる。



善光寺をスキャンダルまみれにした例の困ったお貫主は、この春やっと善光寺を退いた。

これで本当に一件落着かどうかはわからない。訴訟を起こしたり、まあいろんなことをしでかしてくれる人だからだ。


彼をここまでのさばらせていたのは、善光寺の甘さだった。寛容さと言ってもいい。

貫主になる人は聖人だから、よもや悪いことなどするまいという前提で、自分で辞めるまで、他人が辞めさせる規則を作ってなかったのだ。


でもまあ、やっと火種は無くなった。次はすぐ「栢木寛照貫主」でも良かったのだけれど、困った貫主の代わりにずっと陰で善光寺を支え続けてくれていた瀧口宥誠(たきぐちうじょう)副貫主が後を継ぎ、春に晋山式(しんざんしき)があった。


栢木寛照さんは今は悠々自適の身だ。長野と関西を行き来して、KSBラジオ京都で木曜日18時から持っている一時間の冠番組「栢木寛照熱血説法 こころのラジオ」に出たりして、子供たちをまた来年サイパンに連れて行く資金を稼いでいらっしゃる。



知らなかったが寛照さんはあの比叡山の荒行「千日回峰」をやってのけた凄い行者さんの直弟子なのだそうだ。



「叡南覚照大行満大阿闍梨」は寛照さんの直々の師匠で、名前からわかるように長い間途絶えていたこの壮絶な修行を戦後復活させた「叡南祖賢大行満大阿闍梨」にもつながる人だ。


100日の行を10年かけてする。断食、断水業を含め、不眠不休で何万巻ものお経を読む、山道を毎日30kmづつ歩くなど、到底常人が成し遂げられるはずのない辛い修行を完遂する。

その上、途中で棄権したら、その時点で自害して果てなければならない。そのための短刀と自分の死体を埋葬するための10万円をずっと持ち歩くと言うから凄い!


生きて帰る可能性の方がずっと低いこの大行を師匠が満願するのをつぶさに見ておられたであろう若き寛照さんは何を思われたのだろう?


作務衣姿の栢木寛照さんを長野の街中でお見かけできるのもあと何年かの間だろう。お貫主になってしまわれたら、いつも大勧進の塀の中だ。


それとも長年の慣習を打ち破って、自由に外を闊歩するお貫主さんになられるのだろうか?


栢木寛照さんが、善光寺を、長野市を変えて下さるのを心待ちにしている。(^-^)


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ぴったんこカン☆カン [<九子の読書ドラマ映画音楽日記>]


九子はテレビをよく見るが、芸人さんが出てる番組はあんまり見ない。ネタ勝負の番組は言わずもがな、いわゆる芸人さんが体を張って挑戦したり、コメンテーターとしてひな壇に並ぶ番組も、さしてみたいと思わない。


九子がよく見るのは相棒だとかの刑事ものが多いが、たまたまその番組がついていたらなんとなくやめられずにずるずると見入ってしまうという番組がある。それがぴったんこカン☆カンだ。


先日新シリーズが始まる「下町ロケット」の出演者らが安住紳一郎アナウンサーとともに農業体験やご飯炊き、おにぎり作りなどに挑戦していた。


この番組の魅力の一つは役者さんの素顔が見られることだと思う。

誰一人とっても仲間づくりが上手で、愛されキャラ、さすがテレビの世界に長いこと生きてきた人たちだけあって、場を盛り上げる力に長けている。

そして話術がとても巧みだ。


この話術の巧みさだが、その一端を担っているのはやはりアナウンサーである安住紳一郎氏の相手の話を上手に引き出す力だと思う。


この人は本当に天才だ。羽鳥慎一アナと双璧だが、安住さんの方がよりくだけてる感じかな?


安住さんがそれ以前のアナウンサーと一番違うのは、自分自身が率先して爆笑してしまうことだ。


昔アナウンサーと言えば、生まじめに原稿を読んでるばかりだった。笑うなんてとんでもない!


番組に一緒に出てきた古館伊知郎氏も普通のアナウンサーとしては充分変わり種だったけれど、安住さんほど弾け切れなかった気がする。(安住さんと古館さんは20歳年が違うそうだから時代の変遷かもしれないが。)


安住さんの笑いに気をよくして、出演者は自分が持ってる笑いのネタを紹介し始める。それがさらに場の空気を和まして、大きな笑いにつながっていく。


後半ではムロツヨシという役者さんが出た。彼は東京理科大数学科に合格したが、自分がこの学校にふさわしくないと痛感し、たった3週間で退学してしまった。親御さん、さぞや辛かっただろうなあ。3週間で入学金と半期分の授業料がパーだ。


その後横浜の市場でアルバイトをしながら俳優養成学校に通い、10年以上の下積みを経て成長し、次の番組の「番宣」のために出てきたのだ。おお、やっと親孝行だ!


彼が立ち寄ったのは苦労してた頃よく食べた食堂だった。カレーライスと天ぷらそばを頼んで一口食べたのだが、明らかに動揺しているのがわかる。


「味はどうですか?懐かしいでしょう?」と安住アナに聞かれて、ついに堪え切れずに「味、うまいです。うまくなってる!ただ、昔と全然違う味!」と答えてしまう。


安住アナがすかさず「ねえ、ムロさん俳優さんですよねえ?なんかもう少し演技できなかったもんでしょうか?」

九子爆笑!


日本人は「素」の顔をさらしてくれる人間が好きなのだなあと感じるのはこういう時だ。

一つ一つの話を取れば芸人さんのネタほどは面白くないかもしれない。それでも彼らが仮面を外して披露してくれる小さなエピソードが、彼らの人間性の豊かさや、思いやりの深さや、友情の温かさなどを想像させ、見たことはあっても誰か知らなかった役者さんの名前を覚えさせ、その役者さんを好きにさせてくれる。


好きになるだけではない。もしかしたら「素」を見せられて初めてその人を信用するってことも多いような気がする。


だけどこういうのも、その人の「素」が善であるというほとんどの日本人の間でこそ通用するのかもしれない。


「素」を装うことだって出来る。ことさらにそうして人をだます悪人だっている。


海に守られて正直に生きてきた日本人が、もしかしたら変わろうとしている?

変わりたくはないが、変わらざるを得ない状況になるかもしれない。


どうやって美しい日本と日本人を守るのか?


日本ってもう一度鎖国に戻れないの?鎖国をしたらこの国は経済的に成り立たないの?


後ろ向きにこんなことをたまに考えることがある。


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