コアラだったら・・・。 [<九子の旅日記>]
ザルツブルグの城塞コンサート [<九子の旅日記>]
以前より続く
例の地震騒ぎで、ドイツ旅行記の最終章を書こうという意欲が鈍った。
いや、九子の場合、いつだって詰めが甘いのだ。
その結果として、買った本は最後まで読まれることが少なく、やるぞ!と思った事は続いた試しがない。(^^;;
でもまあいつまでもそれではいかんから、ドイツ旅行記は本日で完結させることにする。
ドイツ旅行最後の一日は、バイエルン切符を駆使してモーツアルトが生まれた町ザルツブルグに行こうと決めていた。
言うまでも無くザルツブルグはドイツではなくオーストリアに属するが、バイエルン州限定のはずのバイエルン切符でザルツブルグまでは行く事ができる。
たったの29ユーロ、日本円でも4000円ほどで九子とM子の二人が(実は五人まで)ミュンヘン中央駅からザルツブルグへ行って帰って来られる一日限定お得切符だ。
その「一日」というのも、ミュンヘンに帰り着くのは深夜1時を回って日付が変わってしまうのだが、大目に見てくれる有難さなのだ。
これはもう使わない手は無いでしょう!( ^-^)
前に書いたごとくバイエルン切符はM子が見事券売機から入手した。
ザルツブルグ行きの列車を探すのに苦労したが、結局は駅員さんと思しき人にM子が尋ねてくれてわかった。
確かガイドブックでは治安の良い1等席を薦めていたが、M子が買ったのは2等車にしか乗れない切符で、でもそれで十分だった。日本の特急電車の自由席みたいな感じだった。
M子は長い間自分の意思で立っていたようだが、九子はすぐに40代前後の女性の隣に席が取れた。
彼女は銀行員で、幸いなことに英語が出来た。
九子は自分が日本人で娘と一緒に日本から来たこと、30年ぶりの海外旅行はペンパルのA君を訪ねるための旅であったこと、父親がスイスのケーブルカーでA君一家に出会い、たまたま父とA君のお母さんがApotieker つまり薬剤師だったことから文通を始めたこと、そして九子が一応薬剤師で(一応は訳さなかった、いや訳せなかった(^^;;)、娘が薬学部の学生であることなどを話した。
彼女はチェコ生まれだと言った。そして小さい頃に家族でドイツに越してきたそうだ。
ザルツブルグの手前の小さな町にお姉さんだか妹さんだかが住んでいるので、これから訪ねて行くのだと言う。
彼女が特に・・なのか、ドイツ人一般の傾向なのかわからないけれど、福島の放射能汚染のことをとても気にしていた。「今はもう大丈夫なの?あなたの町はフクシマから何キロ離れているの?」としきりに聞いてくる。
地理の知識が乏しい上に、数字を覚えるのがからっきしの九子であるゆえ「長野はだいたい400キロくらいフクシマから離れている。」と答えてしまったが、本当は300キロ行かないくらいらしい。
「フクシマがまだ終わっていないのに、安倍首相がベトナムに原発を売るなんておかしいと思う!!」という事だけは、一日本人の意見として彼女にアピールしてきた。
ザルツブルグでも大いに迷った。駅を出て、行けどもいけどもモーツアルトの家は現れず、またしてもM子の機嫌は悪くなり(^^;;、道を訪ねると人々は親切に教えてくれるのだけれど、行った先にはまだそのまた先があるという感じ。
そこに一人の60代後半か70代の初めとおぼしきマダムが登場。彼女はドイツ語しかしゃべらない。
彼女に道を尋ねた場所も悪かった。バスの停留所のすぐそばのところだった。
ふつう日本人なら、英語がわからないからとすぐに逃げ出すところだけれど、彼女は違った。
さあ、乗りなさい乗りなさいと九子たちを促して一台のバスに乗せた。言われるままに乗り込んで、すると彼女も一緒に乗り込んだ。
まったく理解できないドイツ語で彼女は話す。そして、さっき乗ったばかりなのにもう次の停留所で下りるように指示する。
たった一駅でも、バスの料金は一律と見えて、二人で10ユーロくらい払った。
何がなんだかさっぱりわからない。
それでも彼女はきっと困っている東洋人を助けてくれようと思ってしてくれたことだと思うので、丁重にお礼を言った。M子も得意の、満面のM子スマイルだ。
彼女はわざわざ用もないのにあのバスに乗ってくれたのかな?と最初思ったのだけれど、九子たちを降ろしてそのままバスに乗って行ってしまった。
さっきと同じように途方にくれたまま、九子とM子はさきほどから数百メートル離れた同じ円周上に取り残された。
10ユーロだけが消えていた!
以来この時の話は二人の間では「謎のマダム事件」として語られている。(^^;;
偶然にも遠くにザッハトルテでお馴染みのホテルザッハ(のザルツブルグ店)が見えて、時間さえあれば絶対にザッハトルテをここで食べたかったのだけれど、時間に追われる身ゆえ諦めることにする。残念!
何百年も続く古い細い通りの両側にさまざまな店が続く。中には1600年代から続いているという古い薬局もあった。(九子は古さではウチの方が勝ち!えっへん!と思っていた。笠原十兵衛薬局。創業1543年(^^;;)
早速入ってみるが、ダメ薬剤師ゆえ「処方箋ではどんな血糖降下薬が使われてるの?」などという気の利いた質問が出来るわけではなし、「まあ、日本から?薬剤師さんと薬学部の学生さん?よく来たわねえ。」という通り一遍の会話が行われただけであった。
迷いに迷った唯一の収穫は、M氏のみやげに鞄を買えた事!
自分たちだけ贅沢して、一人日本に残って毎日激務?にいそしむM氏へのせめてもの罪滅ぼしに、なるべく軽そうなA4が入る鞄を買った。土産の中では一番高価だった。
ところが軽いと思ったのは九子たちが持ってみて「比較的」ということであって、所詮は屈強なヨーロッパ人仕様。
M氏は最初有難そうな顔をしたものの、以来使われる気配は無い。(^^;;
モーツアルトの家には程なく到着!ああ、良かった!
ネットで見ていた黄色の鮮やかな壁の家。
見た感想は・・・・・・。う~ん、普通の家だった!
たぶん事前に知識を入れていけばもっと興味深かったのかもしれないけれど、彼が使ったと思しきピアノがあったこと、彼の毛髪が残されていたこと、それが当時の標準の暮らしだったかもしれないがつつましい家だったこと・・・くらいしか記憶に残っていない。
考えてみればこの家のおかげでモーツアルトが育ったって訳じゃない。モーツアルトは天才だから、天賦の才があったから有名になったのだ。お父さんも、そりゃあ気合入れて育てたかもしれないけれど・・。
ついつい誰それが生まれた家と言われると見てみたい衝動に駆られるが、結局は展示物が充実していない限り期待はずれが多い気がする。
彼の生家よりはむしろ、彼の住居だった大邸宅の方がもしかしたら見る価値はあったのかも・・・。
住居の方もネットで見ると鮮やかな黄色い壁だった。本当に黄色だったのかはわからないが、映画「アマデウス」で見た奇妙な笑い声をあげている早熟の天才の魂は、自分を駆り立てるような目いっぱいの明るさに飢えていたのかもしれない。
本日最大の、そしてこの旅行最後のイベントが、ザルツブルグのホーエンザルツブルグ城と呼ばれるが、実は昔は要塞であったお城で行われるクラシックコンサートだった。
モーツアルトの生まれた町でほとんど毎日というほど開催されているコンサートが、一人72ユーロでしかも食事つきだ。
実は「ザルツブルグでモーツアルトを聴く」プランは何種類もあった。
最初見つけたのは街中のレストランでオペラを見るというものだった。そこを選んでいてもそれなりに満足して帰ったかもしれなかったが、後から見つけたケーブルカーで登って行くホーエンザルツブルグ城という高台のお城で夜景を見ながら食事をして、モーツアルトの演奏を聴く方がずっと良かったと思っている。
実はこのお城と食事プランにも、週末のみ開催されるプランと平日もやっているプランの2種類があるようで、最初週末のみプランしか知らなかったのでどうしても時間配分が出来ずに一旦諦めようかと思った。
でも次の日、またネットを見ているうちに平日プランもあることがわかった。こういう風に、困った時になんとなく救いの神が現れてくれるのが九子の運の良さなのだ。( ^-^)
ホーエン城から眺める夕刻から夜へと変わる景色の美しさと、丁寧に作られたたっぷりとしたコース料理は秀逸だった。考えてみたらヨーロッパに来て始めてのちゃんとしたレストランでのコース料理だった。
オーケストラは10人ほどで、要するに室内管弦楽と言われるタイプ。たしかピアノは後から入ったように思う。
モーツアルトも良かったけれど、ヨハンシュトラウスを弾いてくれたのが思わぬ収穫だった。
父が大好きだったヨハン・シュトラウス!
夜の底で聴いてみると、心配性で神経質なところのあった父だったけれど、彼の魂はとても前向きで陽気だったということが改めてわかるような明るいヨハンシュトラウスだった。
九子はその夜、ひたすら父の事を思った。
「その人を思い出すと、その時、その人の魂はきっとあなたのそばに居る。」とどこかで聞いたからだ。
「パパ、本場のヨハンシュトラウスだよ。レコードは聴いても、ヨーロッパへ何度も行ってても、ザルツブルグでコンサートなんか聴いたことなかったでしょ?ほら、聴こえる?いい音色だね。」
その時父は、本当に九子のそばに居たのだと信じている。
これが九子30年ぶりのドイツ旅行のあらましだ。
こうしてたった2ヶ月しか経っていないのに記憶から抜けて行っていることがいかに多いかに唖然とするが、きっとここに書いたようなことは何年経っても忘れずに「あの時のドイツ旅行の思い出」として九子の頭ん中に残っていく事だろう。
ところで皆さんの旅の記憶とはいったい何だろう?もちろん人によって様々だとは思う。
普段と違う景色や食、温泉、旅館、少々羽目を外した遊び、いつもと違う体験などなど。
九子の場合は、おみやげや食べたもの、有名な景色など、要するに五感を刺激するものの記憶はすぐに忘れてしまう。
かろうじて九子の頭の穴だらけの記憶網に残るものは、人々とのつながりの記憶のようだ。
今回の旅でも、ここに書かなかったけれども、九子が後ずさりした時に自転車の紳士にぶつかってしまい、彼が転びそうになったので慌ててEntschuldigung!(すみません)と謝ったら、彼が体勢を立て直して右手を挙げてOKと言いながら走り去って行った背中とか、ザルツブルグのコンサート会場で隣合せたご婦人が咳で困っていらしたので、たまたまドイツの薬局で買ってあったのど飴と風邪薬を差し上げて、渡す時にA君に教わったとおり「Gesundheit!お大事に!(ドイツではくしゃみや咳をした人におまじないのように言う言葉らしい。)」と言ったら、びっくりしたような顔で大いに笑われた話とか・・・。
30年ぶりで海外旅行に出た人間が偉そうに言う事ではないけれど、日本語が通じずに基本的にコミュニケーションが困難な場所では、つたない言葉でも誰かと心が通じ合えたという体験がとても嬉しい。そして嬉しかった思い出は記憶の中に必ず残る。
考えてみたら九子は友達少ない人間だ。いつも自分の心の世界の中に住んでいる。その九子が、海外旅行では人とのつながりの体験を喜ぶなんておかしいと思われる方もいらっしゃるだろう。
自分でもちょっとおかしく思う。
だけど考えてみたら、友達が多い人にとっては日々が人とのつながりの連続なのだ。あまりにも普通の事過ぎて、もしかしたら人とのつながりを新鮮に思う機会を逃しているのかもしれない。
そういう彼らにとっても、海外で、海外の人に出会う事は特別なのだろうと思うけれど・・。
九子みたいに日頃家族や薬局のお客様以外の人々とあまりつながりを持たない人間にとっては、浅いお付き合いの方が普通!
お客様は薬局店頭だけのお付き合いだし、一期一会のお客様も多い。
ドイツで出会った人々もおんなじで、たぶんこれからの一生で二度と会わないであろう人々だ。
実は九子はそういう出会いが結構好きなのだ。
そういう方々とご縁があってまたお会いしたり連絡を取ったりするようであれば、最低一年に一度、連綿と手紙やメールを送り続ける。
「会わない」ことが前提みたいなお付き合い。これが九子にとってはとても心地よい。
まあねえ。あなたの場合、誰かに会ったりうちに訪ねて来られたりなんかしたら、絶対に相手にがっかりされますからね・・。(^^;;
ミュンヘンはとてもお勧めの町です。何と言っても、ドイツで一番治安がいい!
東京と同じ感覚で歩けます。深夜1時を過ぎても街は明るくて、女性もたくさん歩いていました。
うっかりハンドバッグのチャックを閉めずに歩いている女性を見かけました。
それが出来るのは、平和な町の証拠です。
これがロンドンやパリやローマのいけない場所なら、パスポートもお財布も一瞬にして無くなっているでしょう。
列車の中の彼女も、日頃ミュンヘンに住んでいるのでつい気が緩んで、ロンドンでバッグを開けて歩いていて全部盗まれたそうです。
30年前と比べたら、格安航空、格安旅行社を使えば、かかるお金は半分以下です!
どうぞあなたも、親しいお友達やご主人、奥様、お子さんと、ドイツにお出かけになってはいかがですか?( ^-^)
ノイシュバンシュタイン城と中国 [<九子の旅日記>]
前回よりつづく
思えばその朝、ホテルのフロントに若い日本人女性が居てくれたのは幸運だった。後にも先にも彼女に会ったのはその時だけだったから・・。
一番聞きたかったのは、今日の集合場所。
グレイライン社という、確かアメリカのバス会社がやっているノイシュバンシュタイン城見学ツアーのバスの発着所だ。
googleの地図では良くわからなかったが、彼女が赤いラインを引いて教えてくれたのは、子供でも、九子でも(^^;;わかる単純な道筋だった。
ついでに聞いたバイエルンチケットの買い方も、的確かつ明快で、M子が実際に買う時(九子はお金払っただけ)大変役に立った。
ちなみにバイエルンチケットというのはミュンヘンを中心とするバイエルン州だけで通用する割安チケットだ。
割安なんてもんじゃない。何と!5人まで一人分の料金で電車やバスに乗れるのだ!!その上一日中乗り放題と来ている!
彼女が居てくれて本当に良かったと思うと同時に、九子の中には一抹の寂しさもあった。
これがもしも20年前なら、日本人観光客がわんさか押し寄せて、彼女たち現地日本人妻は、毎日のようにお呼びがかかって引っ張りだこだっただろう。
それが今、彼女の姿を毎日は見られないということは、何を意味するか?
そう言えばドーハの空港で貴金属店に群がっていたのは、ブランド品に身を固め、あちこちから我先にと手を伸ばす中国人女性客だった。
20年前の日本人も、よその国の人々の目にはこんな風に映っていたんだなあと恥じらいに似た気持ちが湧いた一方で、今世界の経済を動かしているのは日本じゃなくて中国マネーなんだと見せ付けられた気がした。
まあでも彼女たちも、もう20年経ったら、その頃台頭してる国の女性たちのおんなじ風景を見ておんなじ事思うんだろうか?
彼女のお陰で易々と着いたグレイラインの英語バスには、日本人が多かった。ガイドが話す言語によってバスが分けられているので、ドイツ語やスペイン語よりは、まだ英語の方が馴染みがあるからだと思う。
現地に着くまで曇り空で霧まで出ていたのが、昼近くになると嘘のように晴れて良い天気になった。さすが!強運の九子!(^^;;
ノイシュバンシュタイン城は、ル-ドヴィッヒ2世が作った数々の城の中で一番美しいと言われている。
ルードヴィッヒ2世は、若い頃はその美男子ぶりで大そうモテたらしいが、美貌の若い男たちをはべらし、密かに思いを寄せていた絶世の美女と称された従兄妹のエリザベートがオーストリア帝に嫁いでしまった失望からか、現実世界に生きる事を拒んで、自分自身の美と芸術の世界である城作りに執念を燃やした王様だ。
彼が作った美しい城の大部分は、残念ながら壮大な金をかけて作られた有名な宮殿の単なる模倣であったが、来る途中で見てきたリンダーホーフ城だけは彼の「作品」だそうだ。いかんせん、内部は公開されてはいない。
ルードヴィッヒ2世は音楽家ワグナーの最大のパトロンとしても有名だ。
実は30数年前も、九子はここへ来ているはずだった。
当時のヨーロッパ旅行と言えば、2週間弱で4、5カ国を周る駆け足旅行!
添乗員さんにくっついてバスで連れて行かれても、一体ここがどこの何という名所でどう来たのかすらわからないし、あちこち見てるうちに印象もどうしても薄くなる。
その上当時の九子はルートヴィッヒ2世同様劣等感のかたまりで、ヴェールに包まれたような自分の世界の中だけに住んでいた。
だから外界にあんまり興味が無くて、いろんなことをすぐに忘れた。
もちろんそんな九子を変えてくれたのが坐禅の力なのだが・・。( ^-^)
つまり今回九子は、まるで始めての場所に来たように新鮮な気持ちでまたお城を見られたという訳だ。(^^;;
九子がルードヴィッヒ2世に興味を持つのは、上記のごとくまあ至って当然のことなのだ。
どうしても買いたかったルードヴィッヒ2世の本。ところが買う段になったらあら不思議!何時しか九子の手はすぐ隣の王妃エリザベートの本の方へ。
いやあ、なんてったって綺麗だったもの、表紙のエリザベート妃!(^^;;
結局ノイシュバンシュタイン城のあらましはおろか、かつての九子を思わせるルードヴィッヒ2世の生涯の詳細を、九子はいまだ知らない。(^^;;
「ねえ、あの大阪弁の親子さあ、お城に入って行かなかったよ。ノイシュバンシュタイン城のバスツアーに来てお城を見ないなんて、いったい何しに来たのかなあ?」
並々ならぬ観察眼の持ち主であるM子が言った。
英語バスには夫婦と子供たち、おじいちゃんおばあちゃんであろう日本人の6人連れが九子たちのそばに乗っていた。大きな声のお母さんとおばあちゃん、これは中国人にも負けない日本は、大阪のおばちゃんたちである。(^^;;
その一団が、お城に入らなかったと言うのだ。
「えっ?そうだっけ?」
「うん、私ずっと見てたもの。(^^;; 子供が飽きるから庭にでも居たのかなあ?」
彼らがどこに居て何をしていたのかは今もって謎なのだが、確かに外国のツアーにはちょっといい加減なところがある。
ノイシュバンシュタイン城の入場券も、バスの中で渡してくれたら何の問題もなかったのに、ガイドの、英語のきれいなドイツ人?の彼女は、バスを降りてしばらく行ったみやげ屋の前あたりでおもむろに渡す。
もうみやげ屋に入ってしまっていた九子たちの分は結局渡されず仕舞い。
彼女を探すこと数十分。とりあえずお城の係りの人に聞いて門の手前まで入ってみると、彼女が「切符が2枚余ってるのよ。困ったわ。」と同僚にぼやいているところに出くわして、めでたく入場出来たという訳だ。
まあ、英語をどこかで聞き逃したのであろう九子も悪かった。だけどやっぱり確認の仕方が甘いよねえ。
「もしこれでお城に入れなかったらどうしてた?」とM子。
「そりゃあ彼女の責任を追求して、入場料全額返して貰うわよ!!」
九子とM子は、ああしてやる、こうしてやると威勢よくまくしたてる割りに、いざとなると大したこと出来ないところは似てるかもしれない。(^^;
紅葉しかかった山道を歩いてる途中、後ろから英語で呼び止められた。
「日本人だろう?すぐわかるよ。日本のどこから来たんだい?」
満面の笑みと温かみのある大きな声。中国人みたいだけど、「台湾からですか?」と聞いてみた。
「よくわかったねえ。どうしてわかったの?」
「英語がお上手だから・・。」と答えはしたが、そもそも日本人ににこやかに話しかける中国人はまず居ない。(^^;;
彼はそう、年の頃なら65、6。その声の大きさが、彼の持つエネルギーの大きさをよく表している。
ああ、こんな感じの声、どこかで聞いたことあるなあ・・と考えて、答えがわかった。
王先生だ!
名前もよくわからないしもちろんお会いしたことも無いのだけれど、「王先生が、この目薬を薦めていらしたから・・。」と言って、雲切目薬を買って下さるお客様が何人もいらっしゃるのだ。
王先生と言う名前と、東京都内で鍼治療だか整体院だかを開業していらっしゃることくらいしかわからなくて、御礼のしようが無くて困っていた時に、あるお客様から電話番号だけをうかがうことが出来た。
そして早速かけてみた電話に、王先生ご本人がお出になられた。
「雲切目薬の・・。」と申し上げると、「いやあ、良い目薬作って頂き、凄く嬉しいです。お礼を言うのはこちらの方です。」と、決して社交辞令とは思えない真心の言葉で対応され、始めて電話した九子にまで「今度東京にいらっしゃる時は、必ずボクのところへ遊びに来て下さいね。」と締めくくられるその言葉の熱さと、懐の深さと、古き良き時代の中国人の包容力を感じて、思わずたじたじとしてしまった。
その王先生の温かい底知れないエネルギーを、その台湾人男性からも感じたのだ。
ああ、これぞ台湾人、いや、古き良き中国人のエネルギーだと思った。
そしてその瞬間、九子はちょっと空恐ろしくなった。
九子のひいおばあちゃん、若くして亡くなった15代十兵衛さんの未亡人で賢夫人の誉れ高かったと聞くそのひいおばあちゃんが、遠い昔、日清戦争に勝って日本中が浮き足立っていた時に言っていたそうだ。
「中国はあんなに大きな国だもの。本気を出せば日本などすぐにやられてしまうよ。」
中国は強い。そして、中国は怖い。
中国は実質世界を動かすような大国になり、日本にとっては日々平安を脅かされる困った隣人だ。
だけど本当の意味で中国が脅威になる時っていうのは、きっと今の中国人に、本来持っていたはずの、言ってみれば現在の台湾の人々のような成熟した人間性が加味された時だと思う。
つまりそうならない限り、中国人はいつまでたってもただの身勝手な子供なんじゃないかな?
わがままな子供の言う事など、一体世界中の誰が聞くだろう?
実はA君も3年前上海に招かれて、ビジネスを始めようと思ったそうだ。
「都合3回上海に行ったけど、最初の時は凄かったよ。物凄い歓迎だった。これは良いビジネスチャンスだと思った。だけど、2度目、3度目は違うんだ。彼らは言ってる事とやってる事が全然違う。あの時は本当にがっかりしたよ。」
中国は侮れないけど、日本が今までと同じように誠実さを忘れずに良いものを作っていたら、今まで同様日本人が当たり前に日本人であったなら、日本にもまだまだチャンスは十分あると思う。
大事なのは発信力だ。小さい日本が大きい中国に勝つためには、世界を味方につけなければならない。そしてそのために、もっともっと世界に向かって大声で日本の立場を、主張を、はっきりと知らしめなければならない。
そのために英語力が必要なのだとしたら、幼稚園からだって英語を教えるべきだ。
政府が言わないこと、言えない事を、今の時代いくらでも一般人が発信できるのだ。
The Washington post紙にたった一回投稿を試みたからって大きい顔するわけじゃないんだけど(^^;;、九子より英語が上手な人はごまんと居るのに、英語でアクションを起こそうという人は少ないみたいだ。
その人達がみんな、世界の主要な新聞社に投稿を始めれば、きっと日本人の本音が世界に伝わる!!
難しいことはいらない!!たった200語の英文で、大事な母国を守れるかもしれないのだ!!
ルードヴィッヒ2世も日本人も、内向いてばかり居てはいけない。
ありがちなテレビ番組みたいに外国人を連れて来て日本の技術を見せてびっくりさせ、誰かが作った過去の技術に自己満足するのは百年早い!
さああなたも坐禅をして、あなたの内なる力を100%、120%出し切って、その力で社会を、日本を少しでも良い方向に変えていきましょうね。( ^-^)
そして九子さん!身内が勤める会社だからとトヨタばかりに熱くならずに、これからも投稿していきましょうね。
継続は力なり!!あっ、あなたの一番不得手とするところでしたね!(^^;;(^^;;
たぶん次でドイツ日記完結。
オクトーバフェストと嫁姑 [<九子の旅日記>]
前回より続く
ミュンヘン行きの電車の中には、九子の目にはチロル地方の民族衣装を思わせる色鮮やかな衣装を身にまとった集団が乗り合わせた。
ここまで来る街中でも、また一人、また数人と目にした人々だ。
民族衣装と言っても日本の着物ほど格式ばっては居ない。どちらかと言うと浴衣みたいな感じだろうか、子供が着ても汚れたらすぐに洗濯が出来る薄っぺらな化繊のブラウスとスカート。男性用は半ズボンとシャツにハイソックスと帽子がセットで、駅前で数十ユーロで売られていた。
...と九子が下手な説明するよりも、こちらをどうぞ! (九子が見たのは安っちい方の衣装だったらしい。)
彼女たちはあと2日間で閉幕するミュンヘンのオクトーバーフェストに繰り出すためにこんな格好をしていたのだ。
そしてまあ、この女性たちがまた良くしゃべるったら!
電車に乗ってる間中、ずっとしゃべりまくっているそのエネルギーたるや大したものだ。
女性たちはこんな風に、世界中どこでも強くてエネルギッシュだ。(^^;;
オクトーバーフェストとは何ぞや?
ちょうどその時期に重なるから見ておいたほうがいいよと、M子は友達に言われたそうだ。
九子はまったく何の知識もなく、とりあえず収穫祭みたいなものだろうと思い、収穫祭をミュンヘンみたいな大都市でするのかなあ、おかしいなあと思っていた。
結局のところはビール祭りだった。ジョッキの大小は問わずすべて一杯10ユーロ!というところで、ケチな九子は気持ちが萎えた。
敬虔なカソリック教徒のA君も否定的だった。「一杯10ユーロなんてお金を捨てるようなもんだよ。だから僕も行かないよ。」
我が家はみんな酒に弱い。つまり酒に関する知識も乏しい。ミュンヘンがビールで有名だったなんて、九子は始めて知った。(^^;;
100cc、いや50cc以上のアルコールが目の前のグラスに注がれると、どうやって身体の中を通過させようものか大いに逡巡したあげく、哀れビールの快活な白い泡も、シャンパングラスの底から立ち上る光輝く無数の気泡も、いつの間にか視界から消え去ってしまって、あとにはどんよりと物言わぬ液体がグラスのふち近くまで残るばかりだ。
や~めた!オクトーバーフェストなんて! ゆっくりホテルで寝ていよう!
・・と言えたのは、九子があくまで一人でドイツに来た場合。
M子はこう言い張った。「ママ、だってせっかくドイツに来たんだよ。もったいないじゃん!時間が!」
そして結局九子とM子は夜の街に繰り出したのだ。
考えてみると若いM子が時間を惜しみ、人生の残り時間の少ない九子が惰眠をむさぼろうとするというのもちょっと変な話なのではあるが・・。(^^;;
九子とM子の確執・・とまでは行かない小さな諍いがはじまったのはたぶんこの夜からであった。
地図の読めない九子と、必死で読みたがるM子。
頼るばっかりの人間に、頼られる側はたまにイラついて怒りをぶつける。
「こっちばっかり頼りにしないで、たまには自分で動いてみて!」
ところが、地図が読めない九子は、とんちんかんな方向に向かうばかり・・。
「あなたの最大の利点は私より英語が出来ることなんだから、誰かに聞いてみてよ!」
と言われても、こう酔っ払いばかりだとねえ・・。
ちなみに彼女が九子を「あなた」と呼ぶ時は、たいてい機嫌が悪い。
(^^;;
結局、幸運にもなんとなあく辿り着いた会場で、九子とM子はその夜、入場料以外1円、いや1ユーロも使わなかった。
人で満杯のホールの中ではドイツ人たちが酒盛りの真っ最中なのだろう。
実は思い切って入ってみたら海の向こうから来た東洋人という事で大歓迎された・・と、叔父との思い出を嬉しそうに語る叔母の話には大いに心動かされたが、いかんせん、ビールを飲むという苦行を思うと二人とも足が進まなかった。
そうそう。会場には数々の仮設の遊具がたくさん並んでいて即席の遊園地になっている。
電飾に飾られて夢のように美しいが、酔っ払って絶叫マシンみたいなものに乗って果たして心臓は大丈夫なのかと、一応医療人の端くれと卵の二人はいささか気懸かりになる。
いずれにしても仮設なのだ。あと一日したらもうこの場には無くなってしまうのだ。
そう思うと、是非とも乗っておかなくちゃ!と思うか、仮設なんかで大丈夫なのかなあ?と思うかで答えが分かれる。
そして九子とM子はとにかく乗らなかった・・・という訳だ。
九子とM子は何より年が違う。
今から考えると、M子が本当はこうしたかったのに、九子に遠慮して出来なかったって事、無かったんだろうか?
九子はとりあえず、大した未練もなく大いに満足して帰って来たのだけれど・・。
例えばオクトーバフェストの大観覧車。とてもきれいで、考えてみたらあれだけは乗ってもよかったかなあと今になると思う。
M子は乗りたくなかったのかな?
思えば一人で行こうとしていた九子に「九子さん一人じゃ心配だから、Mちゃんお目付け役に連れて行けば?」と言ってくれたのは長女N子だった。
そしてそれは、今にして思えば非常に有難い忠告だったのだ。
九子一人では集合時間に遅れてバスに乗り損なったり、行けども行けども目的地に辿り着けなかったりする心配があった。
M子がついていてくれたおかげで、全ての行程を滞りなく終えることが出来た。
だけれども、眠たい時に眠り、食べたい時に食べ、休みたい時に休む・・という自由は、一人の方が格段に謳歌出来たはずだった。まあそれが、「ドイツまで行って、寝てばっかりだったの?もったいない!」という辛口評価を受けようとも・・。(^^;;
いつでも一人の世界に住んでる九子は、誰かと一緒の煩わしさに慣れていない。
たとえそれが実の娘と一緒の旅であっても、皆無かと言えば嘘になる。
それでもやっぱり、娘というのは特別だ!
「娘と二人は気楽でいいわよ!」と何人もの人に言われたが、まったくもってその通り!
気まずさや言い争いがあったとしても、次の日になるともう都合よく忘れて後に残らない。
ずっと長い間一緒に手の内を見せ合って暮らしてきたからか、とにかく気を遣わずに済む。
きっとどんなにいいお嫁さんでも、実の娘みたいになるのは、時間がかかるんだろう。
気の抜き方がわからずに、必要以上にお互い気を遣い合って疲れてしまうのかもしれない。
敢えてお嫁さんと二人だけで旅してみるのはどうかな?
言葉の全く通じない場所で一蓮托生を経験すれば、距離はぐんと縮まるのでは.・・・・?
(残された舅と婿どのは生きた心地がしなかろうが.....(^^;)
そう言えば何の話からだったか、日本では嫁、姑の大問題があるという話をしたら、A君の家族中「それ、こっちでもおんなじ!おんなじ!」と大合唱されてびっくりした。
欧米ではお姑さんとは別に住むことが多いから、そんな事は問題にならないとばかり思っていた。
人も羨む一番の美人と誉れ高かったオーストリアのエリザベート妃ですら、自分の子供をお姑さんに取り上げられて(当時はきっとそういう制度だったのだろうが)恨んでいたらしい。
彼らの世界では日本人みたいに「互いに気を遣いあって疲れてしまう」なんて事は無かろうが、意見のぶつかり合いが確執を生むのだろう。
いづれにしても嫁姑問題は、洋の東西を問わず、過去から現在にまたがる普遍的な大問題であるらしい。(^^;;
M氏がよく「九子もたまには友達とどこかへ旅行でも行って来たらどうだ?」と言う。
世の奥様方ならこれ幸いと、お友達を募って意気揚々と出かけられるに違いない。
ところが友達少ない九子の場合、一緒に居て一番気楽なのは、 気がつけば 毎日顔を付き合わせているM氏、それっきゃない!と思うに至っている。
何しろ文句を言わない。怒らない。こっちの好きなところへどこでも連れてってくれるアッシー君。地図にはめっぽう強い。ビンボーなのに金離れがいい。
.......と来れば、こりゃあもう最強でしょう(^^;
えっ? 言いませんよ、言いませんとも。口が避けても、そんな事、M氏には....。(^^;;
2、3回で終わらせるはずのドイツ旅行日記がこの分では遅々として進みそうもないので、次回はもう少し急ぎます。m(_ _)m