やるのと聞くのじゃ大違い! [<薬のこと、ダメ薬剤師のこと、家のこと>]
いやあ、instagramって難しい!この期に及んでわかんなかっことだらけ!
プロフィールまではわりに早く出来たのだけれど、投稿写真が難しい!
そもそも最初安く手にしたAmazon Kindle で始めるつもりだった。
これが間違いだったのだ!
もしもあなたがマメに写真を撮る人ならば、きっとkindleでもうまくいったと思う。
ところが九子は写真などめったに撮らないし、ピンぼけ写真を撮る名人なのでインスタ映えなどとても望めない。
だから最初から画像を借りるか、スキャンするかのどちらかにするつもりだった。
今現在、ビジネスアカウントを取ったkumokirimegusuri18のみ、1投稿だけ完了している。こちらには元祖雲切目薬の写真をあるだけ載せたいと思っているので、勢いスキャンが必要になる。
ところがスキャンした画像をkindleからなぜかうまく取り込めない。
もちろん今のkindleにはgoogledriveアプリのkindle版、ちゃんと無料で売っている。
でも、これで画像や文書は見られるけれど、編集ができない!(あくまで九子がやった結果。)
1週間以上ああでもない、こうでもないした挙句に、あきらめた!!
そうそう。スキャン文書は基本PDF形式なので、画像形式(JPGなど)にすることも必要!
このためにPDFelement pro 6 というPDF編集ソフトも買った。
このソフト、vectorで年間最優秀賞に輝いたソフトだそうだが、社長は中国人だった!
ああ、こういうことが日常茶飯事に起こるようになっちゃうんだろうな。
でも日本語のサポートはしっかりしていた。
とにかくPCに搭載してる画像編集ソフトで加工したファイルをアンドロイドで読み込めないことには始まらない。それにはどうしてもgoogledriveが不可欠なのだ。
(PCからInstagramをすることは基本的に出来ないことになってます!)
結局googledriveと相性のいいアンドロイドから投稿することになった。
最初からそうすればよかったのね。とほほ。
そうしたら今度は解像度に問題が。スキャンした画像にはいつも「画像が低すぎてインスタグラムには向きませんので投稿できません。」という注意文書が出る始末。
そう言われて必死に解像度を良くしようとした努力の結果が、同じ投稿を何度も繰り返すことになってしまった。なんと5回も!
インスタグラム側は投稿できないと言っておきながら、解像度が低くても最終的にはOKにしてくれたようなのだ。そんなら最初から注意文書なんか出さなけりゃあいい。
そして多重投稿をアーカイブにしまって非表示にするやり方を息子に教えてもらって、それでなんとか今回の投稿を見て頂けてるってわけだ。
Twitter, Instagram、Facebook の威力は凄い!
まったく宣伝しない雲切目薬が、Instagramde,Twitterで話題になっていたこと自体が驚き!
Facebookは開店休業状態になっていたけれど、、Instagramを書くとその記事が自動的にFacebookに連動されるらしい。
雲切目薬には嬉しい報告もある。
ドイツ人、スウェーデン人、アメリカ人各一人づつではあるが、注文するから送ってほしいと言われている。
ついでにあげた苦い苦い百草丸もなぜか好評なのだ!
さて、半年後、一年後。雲切目薬と坐禅の本はどうなっていることやら?(^-^)
薬剤師のピンキリ [<薬のこと、ダメ薬剤師のこと、家のこと>]
彼にはお悔やみ欄をつぶさに見る癖がある。
「おい、薬剤師さんがえらい若くして亡くなってるぞ!知ってるか?」
彼が告げた名前は、私の薬大の同級生で、同じく同級生の小、中と九子と同窓だった彼と結婚して、遠くから嫁いできた彼女だった。
彼女は一人っ子。さぞやご両親様は寂しい思いをなさっただろうと思う。薬剤師にまでした一人娘が遠くへ嫁に行ってしまうのだから・・・。
何度も言うけれど、大学時代の九子は友達もいないどころか、他人が怖くて仕方の無い未熟な娘だった。だから彼女とも、後に彼女のご主人になる彼とも、そんなに深く話したことはない。
ただ彼らはクラスの中でとても目立った。
彼はウエーブのかかった長髪にバンダナ、そしてタンクトップにジーンズの出で立ち。いかにも自動車部という風体だった。軽音(軽音楽部)と掛け持ちもしていたんじゃないのかな?
彼女の方はそんなに派手な身なりではなかったけれど、九子の記憶の中で彼女は細長い指で器用にタバコを吸っていた。
そんな二人が卒業し、結婚して長野へ戻って来て、彼が長野市薬剤師会に取り込まれて保険部長になった時はびっくりした。
あの時の長髪やタンクトップの挑発的な彼はまったく影を潜め、きちんとした身なりの老成した薬剤師然としてしまったからだ。
彼の家はもともと薬局で、お母上さまは私の母と薬専同級生だ。
薬局はもともと日赤の目の前に立っていたのだが、日赤移転に伴って新しい日赤のそばに新店舗を作った。
そして、新たに薬剤師も数人雇って、大きな調剤薬局をしていた。
その頃からか、彼女が度々薬剤師会で発言したり、プレゼンテーションをしたりする姿をみかけるようになった。
実は九子は、彼女がまだ九子に毛が生えた程度の薬剤師さんだと思い込んでいた。
子供だって小さいし、まだまだでしょ!
ところが彼女はその頃から、確実に実力を溜め込んでいたのだった。
我が家の何十倍、いや何百倍もの処方箋を扱い、たくさんの患者さんに接することによって、本来の薬剤師が身に着けなければならないスキルと患者さんへの心遣いを。
残念ながらその後彼と彼女は別れてしまう。ちょうどお子さんが独立するのを待っていたように。
そんな頃、九子は偶然彼女に出会った。薬剤師会の会合以外、卒業してから口を利くのは初めてだったかもしれない。あれは確か、どこかのスーパーの入り口の階段のあたり。
どんな話をしたのかつぶさに覚えているわけではないが、彼女のこんな言葉が印象に残った。
「私はねえ、この仕事をしたことが自分が成長出来た原因だと思ってるの。私を変えてくれたのは今の薬剤師の仕事ね。」
凄い!凄すぎる!
薬大で同じ時間を過ごしてから30年で、人生ここまで差がついてしまうのだろうか?
かく言う私は雲切目薬の売り子。たまに処方箋は来るけれど、薬の用意も少ないし、出来たら処方箋など来て欲しくないのが本音!
ところが彼女は処方箋調剤が生きがいなのだ!
薬大の同級生という立場上、彼女のお通夜に行ってみた。
やつれた感じのしない穏やかなお顔だった。
先輩薬剤師の話を聞く限り、事情はこんな風だった。
ある薬剤師さんが、もう年でもあるので、自分の薬局をすべて居抜きで買ってくれる人は無いかと探していた。そこに手を上げたのが彼女だった。
彼女はきっと薬剤師生活の最後に自分だけの店を持ちたかったのだと思う。
その薬剤師さんもいい人に買ってもらえると喜んでいたそうだ、
話が本決まりになって、さあいよいよというところで、突然彼女の側からキャンセルがはいったのだそうだ。それが3ヶ月ほど前。
何が起きたのかさっぱり知らされないまま、その人は落胆していた。せっかくよい条件で薬局が譲渡できると喜んでいたのだから・・。
そして1月のはじめ、彼女の訃報が届いたというわけだ。
彼女は肺がんだったのだという。
大学時代にタバコを吸っていた彼女を思い出した。
その後も吸っていたのだろうか?
すぐに失礼するつもりが、先輩薬剤師さんと話し込んでいて中座の機会を失ったまま納棺式に立ち会うことになった。
彼女の家は浄土真宗で、亡くなると同時に極楽に行けるという教えなので、お棺の中に旅支度と言われる装束を入れなくても良いのだという。
そして最後に故人の一番好きだったものを入れる段になり、お嬢さんが大切そうに入れたもの。
それはきれいにたたまれた白衣と、薬剤師のIDカードだった。
A子さん、あなたの人生を顕すものは、たった一つ。
薬剤師の仕事着は、燦然と光り輝くあなたの勲章!
正反対のものを表す言葉にいくつかある。
ピンとキリは良く使われるが、どちらが良くてどちらが悪いのかいまひとつ釈然としない。
では月とスッポンならわかりやすいだろうか。これもまあ、今の世の中ならスッポンも高級品だから、昔ほどの差は無い気がする。
とにかく同じ丸いものでも天井の月と泥の中のスッポンということで比べられたみたいだ。
同じ薬剤師免許を持っていても月はA子さんで、九子はスッポンだ。
スッポンの証拠に、九子は泥のように眠るのが何より大好き!(^^;;
泥の中のスッポン九子は、月を見上げて語りかける。
「ねえ、Aさん。あなたのことなんか全然羨ましく無いわ。(負け惜しみ(^^;;)
出来る薬剤師ってさぞや忙しい人生だったでしょう。
あなたはそれが生きがいだったのね。
でも私は違う。
不器用で、そそっかしくて、調剤薬局じゃあ使い物にならなかった薬剤師だから、調剤なんか最小限で、一枚の処方箋すごく時間かかって調剤して、それでもまだ間違えたりして・・。
でも出来すぎ母は、きっとそんな私のために雲切目薬遺して行ってくれたんだと思う。
これがあるおかげで、そんなに一生懸命調剤しなくてもそこそこお金は入ってくる。
知ってるわ。私が特別運が強いということ。
それをわかった上で、敢えて言いたい。
Aさんが薬剤師の仕事によって成長したように、九子だって少しは成長したんだから。
成長がまったく見えないって?
まあまあ・・。(^^;;
九子はね、あなたと机を並べていた頃、とっても不幸だったの。
無理やりにこにこしていたの。自分の不幸を悟られないように。
そして坐禅(座禅)に幸せをもらったの!!
今は本当に明るくなったわ。」
坐禅(座禅)のブログも御覧くださいね。(^-^)
彼女に心よりのお悔やみをもうしあげます。
まちの翼・・・・・SBCテレビ(ネットテレビ)出演のお知らせ [<薬のこと、ダメ薬剤師のこと、家のこと>]
2017年年賀状 [<薬のこと、ダメ薬剤師のこと、家のこと>]
雲切目薬がミステリー小説に出ました! そして・・ [<薬のこと、ダメ薬剤師のこと、家のこと>]
雲切目薬が信濃毎日新聞に取り上げられました。 [<薬のこと、ダメ薬剤師のこと、家のこと>]
本日はお知らせのみです。
平成28年3月8日付信濃毎日新聞朝刊の「老舗を訪ねて」コーナーで、笠原十兵衛薬局 と雲切目薬を書いて頂きました。
いつもウチが取り上げられる時はたいてい古い店の写真がアップされるので油断してどうでもいい格好をしておりましたら、まさかこんな写真が出てしまい、その上新聞社と言うのは年齢を言わないといけないというのでおずおずと言ってみたら、明日誕生日でもうイッコ上になる予定ではありませんね?とまで釘を刺され・・・・。
まあ九子がもそっと若ければそんなことどうってことなかったんですが・・。(ブログにアップするに当たり 、精一杯の努力で年齢だけは消してあります。(^^;;)
記事そのものは本当に良く書いて頂きました。 祖母や母が雲切目薬を苦労して遺してくれたことが良くわかります。
この記事のお陰で、薬局を訪れて下さるお客様が増えています。
いつも思うのですが、テレビなどの映像媒体は直後にたくさんの方が来てくださるのですが、本や新聞の場合は当初はさどではなくても、その効果が割合長い間持続してくれるようです。
記事の最後を少しだけ訂正。娘の一人は私や母と同じ明治薬科大学卒なのですが、もう一人は神戸薬科大を出ています。どうでもいい事ながら、明治薬科大は卒業生の子弟だからと言って簡単に入れてくれる大学ではありません。
記者のTさん、ありがとうございました。本当に感謝しています。
私はただただこの家に生まれただけで何も苦労せず、持ち前の強運で新聞やテレビにまで出して頂き、あたかも私の力で店が復活したような印象で見て頂くのは本当に心苦しい限りです。
本当の雲切目薬の救世主はうちの母、17代笠原十兵衛夫人笠原恭子です。
もしも私に出来ることがあるとするならば、私の夢をかなえること。坐禅の本を出版して、30年前の私のように不安や不幸せだらけの毎日を送っている人々のお役に立つこと! もしもそれが少しなりとも我が家と雲切目薬に貢献出来ればこの上ない喜びです。
Tさん、こんどあなたにお目にかかるときは、本の出版が叶った時でありたいと願っています。 ではまた。
ついでに古い店はこちら。
シクラメンの話 [<薬のこと、ダメ薬剤師のこと、家のこと>]
長道中を耐え抜いて、花も葉っぱも堂々として自慢げだ。
そんなところが、ちょっと星の王子様のバラの花を思わせた。
行き届いた花屋さんから送られて来たのだろう。育て方の説明も丁寧で、何よりシクラメン救急便なる電話番号まで書かれてあった。
皆さんは花を上手に育てる秘訣と言ったら何を思いつかれるだろう?
温かい温度と太陽の日差し、そして上手な水遣り。
九子もそれしか思いつかなかったが、今回もう一つ条件があることに思い至った。
それが、花の素性である。
産地はどこか?・・・などという事はこの際一切関係ない。
問題はその花がどんな経緯で九子の元へ届いたかである。
九子が自分で買う花は仏壇用くらい。
他に九子が貰って来るのは葬式の花くらいか・・(^^;;
今回のように九子が勝手に恩人と思ってるような人から頂くと、俄然大事にしなくちゃ!という気持になる。
要するにモチベーションが上がるのだ。
父が亡くなる2年くらい前のメモが最近出てきて、そこに「モチベーションが上がる」という一言が書いてあったのだ。
これを書いた時父は85歳くらいだったろう。その年まで彼にとっては耳慣れない言葉をメモしては学習していたかと思うと、怠け者の遺伝子は父譲りと思っていた九子は肩身が狭い。
そんな訳で九子の中でシクラメンは物凄く気になる存在になった。
九子は迷わずシクラメンを薬局の目立つところに置いた。
この場所の難点は太陽の日差しが差し込み難いというところで、代わりと言っちゃ代わりに蛍光灯とLEDの混合灯が当たっている。
その上冬の長野だから温度もかなり気になるところだ。
だけど人目を引く花だからやっぱり大勢の人に見てもらえるところに置きたいよねえ!
お客様がいついらっしゃるかわからないわが薬局では、一日中ストーブが焚かれない日も結構あった。
そしてお客様のお顔を見てからストーブをつける。(^^;;
古い石の床、しかもガラス戸一枚隔てれば氷点下だから、温度はふだんで5、6度くらいか。
だからガスストーブひとつで21度になることはまずあるまい。
おい、シクラメン君、聞いてるかい?
君は我が家ではお客様以上の結構な厚遇なんだよ。
ところが一週間ほど経ったある日、九子は卒倒するかと思った。
葉っぱも心なしか柔らかい。説明書に「葉っぱが柔らかいと元気が無い。」と書いてあった意味がようやくわかった。
こういう時の救急ダイヤルだ!
と思ったが、なぜだか通じない。
ならば、この手しかない!「シクラメン ぐったり」でネット検索。
本当に今はいい世の中だ。
書かれていたとおり、水をたっぷりとあげて、花や茎を補強するようにA4用紙を縦半分に折ったものでぐるりとあてがってやり、花をその上にのっけるようにして30分!
見事花は嘘みたいに立ち上がり、柔らかだった葉っぱもパリッとした堅さに戻り始めた。
でも本当によかった!復活して・・・。
結局「毎日の水遣りは根腐れを起こし失敗の元だから、水遣りは二週間に一度、その時は水をたっぷりと。」というのを信じる余り、我が家に届くまでに何日かかかっていたのを計算に入れずの大失敗だった。
帰って来たM氏にこの話をすると、「えっ、紙?そんな事しなくとも、水やっとけばちゃんと茎が立つぞ。」
こういう豆知識はあんまり有り難くない。せっかくの苦労に水を差された気がする。(^^;;
彼んとこは斜陽の西日の良く当たる天然の温室みたいな環境で、何をしなくとも花がとても長持ちするらしいのだ。
「シクラメンだって半年も咲いていて、中には5年連続のつわものもあるぞ!」
九子は意を決した。よ~し、九子だって花一つも枯らさないぞ〜。
どんな花だって枯れる時は枯れるのだ。そして次の蕾が早く開くように、枯れた花は潔くむしってやらなきゃいけなかったのだ。
それを九子は未練がましく、枯れたままにしておいた。
それがいけなかったのだろうか。またどんどん花に元気が無くなる。
花の先っぽのほうが黒くなってきたり、そういう花がくしゃくしゃになって早く枯れたり、つぼみのまま立ち枯れたり・・・。
それと共にぎっしり詰まった葉っぱの中の方が痛んでる所も見つかった。
シクラメンを抱えて、オロオロして毎日薬局と隣の古い店との間を行ったり来たりした。
古い店の方が確実に日差しは良く差し込む。ただ気温はストーブに遠い分だけ低いだろう。
もちろん一番日に当てるべき場所は、葉っぱが密集し過ぎて下の方が腐りかけちゃってる所だよね。
ってな訳で、通りすがりに古い店を見ている通行人の方は、「何だ? シクラメンの花じゃなくて葉っぱがこっち向いてるけど、葉っぱなんか見たくもないぞう!」
と思われてたことだろう。
その手当も目立った成果が上がらずに悶々としていた頃、思いがけず恩人の奥様から電話がかかった。
普通の人ならそんな状況でシクラメンの話などしないのだろうが、九子は違った。
と言うか、気がついた時には口に出てしまっていた。(^^;;
「あら、うちのなんてもう花が一個もないわよ〜。つぼみだって開かないまま枯れちゃったみたい。やっぱり寒さのせいかしらねえ。」
何がホッとしたって、あんなにホッとした事はない!!
この言葉がデリケートだったお年頃などもうとっくに過ぎ去り、毎日これでもかこれでもかと言うほど年齢を身体で実感している九子のはずだったが、いつまでたっても無駄な努力を続けていたってことかしらねえ。
猫の話 [<薬のこと、ダメ薬剤師のこと、家のこと>]
「犬の話」なら前に書いた。もともと我が家では数年間にわたり犬を飼っていた訳だから、まあ書けて当然かもしれないとは思った。
でも猫が書けるとは思わなかった。(と言いながら、前にも書いてました。(^^;;)
猫というもの、仁義を知らない。
あなたの周りで、犬が突然誰かの家に住み着いたという話を聞いたことがありますか?
犬はたいていペットショップで買ってきたり、誰かに譲り受けたり、せいぜい子供が拾ってきたり・・であって、野良犬であってもその辺はわきまえていて、用事も無いのにずかずかと人の家に上がり込むようなことはしないものだと思う。
ところが猫と言う輩(やから)は違うのだ。
我が家に最初に侵入して来たのは雌猫と思われる。
庭の一角に何十年も物置以外に使い道の無いコンクリートの建物があって、昔は味噌蔵みたいに使っていたようだが、今では年に数回扇風機のストックを取りに行く時くらいしか使わない。
(扇風機は父の選挙の時に選挙事務所用に何十台も買った。それがまだ二階の畳の部屋にずいぶん残っていた。)
実はここで猫を見つけて大騒ぎになった事が大昔にも一度あった。あれはまだ母が元気だった頃のことだ。
その時最初に猫を見つけたのは九子だった。目と目が合って、絶叫した!
「ママ~、ママ~、大変だよ~!猫が居る~!」
我が家では「ママ~」は魔法の呪文で、そう呼びさえすればママが来て、なんでも後始末してくれるのだった。(^^;;
その時もたぶん入り込んだ猫は、そこでお産をしていたらしい。
畳の上の、たまたま置いてあった籠の中をねぐらにしていた。
ママが来てくれてから後の事は、九子は何も知らない。
「あの猫どうしたの?」と聞くでもない。
わかっているのはあれからすぐ、猫はあとかたもなく九子の目の前から消えたというだけのことだ。
こういう九子の良く言えば物事に執着しなさ、悪く言えば、面倒な事には出来るだけ関わりたくない性格が、いざ、呼べど叫べどママがもう絶対に来てくれなくなってしまってからの人生に影を落とす。
その猫をどうやってどこへ追い払ったのか、どこかに捨てたのか、誰かに貰ってもらったのか、肝心のところをもっと良くママに聞いておくんだったと後悔しても、もう遅い。
考えてみると今回の猫は、昔の猫よりも礼儀をわきまえていた。
たぶん畳のある二階の部屋になど上がらない。
ただ脱獄囚の如く、壁の下の土の柔らかい所に上手に穴を掘っては家の中に忍び込み、気がついた時にはもう5匹の可愛らしい子猫といっしょだった。
物置のどこをネグラにしていたかって?
そんなことは九子は知らない。九子が見に行く訳がない。だって、なんか出てきたら怖いもん。(^^;;
でも確実に、彼らは日なたの猫だった。家の中にいるよりも外で過ごす時間の方がずっと長かった。
子猫は皆ブチで、生後数週間ほどだろうか。よくyoutubeに上がっているようなのが4匹と・・・・、おやまっ、もう一匹。ひときわ小さい生まれたてみたいなのが一匹。この子だけは色が真っ黒だった。
猫ってもんは不思議なもんで、どこにでも居る普通ののら猫の子供でも、どれもみんなネットに上げたいくらい可愛らしい。なぜかブス子ブス男が居ないのだ。
それから数日間というもの、猫派のM氏は目を細めた。
チュチュチュと舌打ちをしては猫たちの姿を追うのを仕事から帰ってきてからの何よりの楽しみにしていた。
もちろん餌付けをしてはいけないことはわかっているから何もやらないが、良くしたもので母猫がかいがいしく餌を届けているらしい。
一度は彼女がどこからかトカゲの小さいみたいなのを運んでいるのを目にした。
母は強し!とはよく言ったもので、母猫は九子の顔なんか見ても全然動じない。大きな目で却ってじっとこちらをにらみつける。
「トカゲを取って何が悪いの?子供たちの大事な食料なんだから!」と、彼女のびくともしない目が語りかける。
まあとにかく、母猫はそうやって子供たちを大きくするまでは一人木戸を乗り越えて辛抱強く餌を運び、子猫たちが成長したら、もしかしたらみんなであの木戸を超えて外に、広い世界に出て行こうとしていたのかもしれない・・・と、今になるとそう思う。
「犬の話」に書いたように、そして実は二十年も前に当時名の知れた芸人さんがロケに来て恐ろしそうに眺めているところがテレビ放映されたように、我が家の裏木戸の上にはギザギザの錆びた鉄製の泥棒よけが設置されていて、しかもそれを鉄条網で頑丈に幾重にも巻いてあるから、普通の人間ならまず入ろうとは思わないはずなのだ。
だけど猫にとっては、そんなもの朝飯前なのだろうか。
木戸の施錠も泥棒よけもまったくとんちゃくせずに、母猫は自由に木戸を出入りする。
あの肉球とやらがショックを和らげるのか、それとも彼らは錆びた釘を踏んでも破傷風にはならないのだろうか?
残念ながらそんな平穏な日々は長く続かなかった。
どこからか話を聞きつけてやってきたのは我が家の守護神、きたさんだ。
「猫ってもんは住みつかれちまうと困るんだぜ~。それにココのうちは普通のうちと違って薬売ってるうちだ。目薬に猫の毛でも付いていたなんて話が広がったら、それこそ信用問題だ。
悪いことはいわねえ。 オレが明日うまいこと捕まえてやるから、まあ見てな!」
次の日、きたさんは何か道具とプラスチックの大きな籠と紙袋みたいなものを持ってやってきた。
きたさんはいつの間にか居なくなり、また何時間かしてやってきた時も、いつものように九子は格段気に止めていなかった。
後から聞けばその日、子猫は5匹から3匹に減っていたそうなのだ。
またその次の日、きたさんが昨日と同じように風のように去って行ってから、ずいぶん大きな声で猫が鳴いていた。
泣き声は一日中続き、親猫も心なしか神経質そうな大声を出していた。
きたさんから「わな」と言う言葉を聞いたのはこの時だ。
どうやら一匹がわなに挟まって動けなくなってしまったらしい。
可哀想になあとは思うけれど、九子は何も出来ないでいた。
ところがM氏は違った。
帰るやいなや、暗くなりかけた庭に出て、泣き声のする方ににじり寄った。
「こんなに強く挟まれて、気の毒に!これじゃあ足が死んじまうぞ!九子!マイナスドライバーの大きいヤツ持って来て!」
九子はただ言われるままに動くしか出来ない。
猟師のきたさんが仕掛けたわなは、山でウサギや鳥を仕留めるためのものらしく、子猫を取るにはごっつい。小さい草履みたいな形をしていて、かかったのは例の一番ちっこい黒猫らしかった。
M氏はずいぶん時間をかけて猫の足をわなから抜いてやっていた。
次の朝早く、きたさんから電話がかかってきた。わなにかかった子猫を今から捕まえに行くと言っていた。
「きたさん、あのね、Mさんが猫をわなから放しちゃったんだよ。」といくら言っても、耳の遠くなったきたさんにはわかってもらえない。
結局来てくれたきたさんに事情を話した。
きたさんが気を悪くするのではと心配したが、割合淡白に「逃がすのはいいけれど、後になって困るぜ~。」と一言。
それから何事も無かったかのように、池の掃除などしてくれた。
居なくなった2匹がまだ元気で居ることはこの時きたさんから聞いた。
「うちのそばに気に食わねえばあさんが居てさあ、挨拶もしくさらないし、オレに文句ばっかり言いやがるんだ。面白くねえからな、わなで捕まえた2匹を、そのばあさんちの庭に放してやったんだよ。ばあさんの困る顔見るのが楽しみさあ。」
きたさんが殺生したわけではないことを知ってほっとした。
それにしてもきたさん、90歳になっても気持ちはいたずらっ子みたいだ!
騒動があってから丸二日、九子は裏の木戸を開け放しておいた。
親猫はずっと庭で鳴き続けていた。居なくなった2匹が帰ってくるのを待っていたんだろうか?
その声が三日目にぴたっと止んだ。
猫たちはどうやらわなに懲りて、引っ越して行ったようだ。
静かになった庭を眺めながら九子は考える。
ハリーポッターが力量ある魔法使いである証拠は、ヘビ語が使えることだったっけ。
ヘビ語なんぞはどうでもいいけど、猫語なら使ってみたかった。
ねえ、こないだの母親猫や、ちっちゃい黒い子のわなにはさまった足は大丈夫かい?
どっかへ行っちゃった2匹の子猫の行方を教えてあげようか。
なんなら家族みんなでそっちへ引っ越すってのはどうだい?
嫌なばあさんちの庭に、きたさんはもう二度とわななど仕掛けるはずが無いし、たぶん一生みんなで平和に暮らせるはずだから・・。
そして子供たちには良く言い含めるんだよ。
もう二度と決して、九子んちの庭なんかに来るんじゃないって。
ついに我が家にも猫が!と対面を楽しみにしていたM子がどんなに心底がっかりしていようとも・・・。(^^;;
6月3日(水)BS-TBS夜8時から! [<薬のこと、ダメ薬剤師のこと、家のこと>]
皆様、ご無沙汰致しました。
善光寺ご開帳もあと十日を残すのみとなり、普段よりは多いお客さまにだいぶ疲れてはおりますが、元気でやっております。
その間ほとんどブログの更新もせず、よほど忙しいのだろうかとご心配して頂いた方には申し訳ないのですが、これを機会にちょっと九子にとって大切な仕事をしておりまして、そちらの方もどうやら目処が立って参りました。
ところで、ご開帳明けの6月3日(水)BS-TBS夜8時からの「美しい日本に出会う旅」よかったらご覧下さい。
8時から8時54分までの約一時間で、新潟県、富山県、長野県の3県を回る旅番組の中で、雲切目薬を紹介して頂けることになりました。
4人のクルーが半日かけて丁寧に撮影して下さいました。
どんな出来栄えなのか、ドキドキですが、一応ご紹介させて頂きます。
本日はご報告のみ。
申し訳ありませんが、日記は6月に入ったらまた始めさせていただく予定です。
ではまた。
有難うございました。
九子家の年賀状2015・・調剤事故、調剤過誤 [<薬のこと、ダメ薬剤師のこと、家のこと>]
・・・・・迎春・・・・・
最後の娘の学費を払い終わりやれやれと思ったところへ地震が来ました。屋根や壁などの修理には、娘が二人、一緒に留年したほどかかりそうです。お金には縁のない我が家ですが、幸いなことに耐震工事をして貰った直後で、家が潰れずに済んだ幸運を噛み締めています。
3月の国試が無事済めばいよいよ5人とも社会人。社会人という看板のせいで、今まで親の権威を振りかざして好き勝手言っていたのに沈黙せざるを得ず、ストレスばかりが溜まります。
賢明な皆様は、きっと麗しいお正月をお迎えのことと存じます。今年もどうぞよろしく。(笑)
平成27年 元旦
///////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////
今年はちょっとお正月に似つかわしくない話題となりますがお許しください。
事の発端は帰省した長女が何気なく発した「調剤過誤」という言葉。
おおみそかに帰省した彼女は、なんと!四国から15時間かけてバスでの帰省と相成りました。
なんでも飛行機の予約を早めに申し込んだら「一ヶ月前にならないと予約は出来ぬ。」と言われ、それを信じ込んで1ヶ月前に行ったらもう売り切れていたのだそうです。
ならば新幹線!と考えるのが普通の人。節約家の彼女は迷わずバスを選び、結局新幹線とあまり変わらぬ金額を支払った上、疲れ切って帰って参りました。それがN子という娘です。要するに要領が悪いのです。いや、彼女の辞書に効率と言う文字はないみたいです。九子と違ってひたすら努力し、報われないとわかっていても最後まで頑張れる愛すべき娘なのです。
彼女は新卒の薬剤師の卵。確か10月頃から夜勤が始まり、もうそろそろ10回ほど任されているらしいのですが、その度に上司の先生が心配そうに見回りに来るという、まあ言ってみれば何やらやらかしそうな、そこだけは九子に似てしまったのか、気の毒な生まれであります。
そして長野に帰る直近の夜勤で、彼女は「調剤過誤」を実際にやらかしてしまったそうなのです。
「えっ?何やったの?一体何と何を間違えたのよ?」と畳み込む九子に、彼女が言った一言は、たぶん九子のようなダメ薬剤師でなくとも、普通の薬剤師さんがたですら「・・・?????」とクエスチョンマークがいくつも付く品目でした。
「葛根湯だよ。」
「えっ?葛根湯??」
そう。漢方薬の誰もが知ってる風邪薬。 「えっ?モノが葛根湯で、それをどうやったら調剤過誤が起きるわけ?」という反応の方がむしろ大正解。(^^;;
調剤過誤と言うのは、Aという薬品と間違えてBという薬品を渡してしまったというのが一般的ですが、彼女の場合は葛根湯の1袋=大人量を12歳の子供さんにお渡ししてしまったということで、もちろんこういうのも調剤過誤に含まれます。
まあ彼女の肩を持つ訳ではないけれど、実は漢方薬製剤の量というのは新薬と違ってかなりあいまいで、薬剤師さんたちもたぶん新薬の風邪薬に比べたら、あまり厳格に考えない人が多いと思います。
その上漢方薬のエキス剤は、本来の漢方煎じ薬の半分もしくは三分の一くらいしか効かないとも言われ、そんなこともあって「調剤過誤」という範疇からは遠いところにあると思われることが多いのです。
その患児さんのお父さんはパンチパーマの怖げな人で、N子はそのお父さんからも怒鳴りつけられた挙句、上司の先生にもしこたまお説教をもらったらしいです。そして彼女は怖さと申し訳なさと切なさで心臓が踊り出しそうだったと言っていました。
九子ならたぶんしくしく泣きじゃくりながらママに電話して慰めてもらっていたでしょうが(自分をよ~く知っていた九子は当然、病院などへは勤めませんでしたし、調剤薬局もそういう状況に至る手前でさっさと辞めてしまいましたが。(^^;;)、彼女は親に弱みを見せないタイプです。
N子の場合そこに至る前もいろいろあったらしいのですが、九子に電話して来ることはありませんでした。
頼っても仕方の無い親だと諦めているのでしょう・・。(^^;;
おおみそかその話題で持ちきりだった我が家が正月を迎えた早々、元旦の新聞の片隅に本当に深刻な調剤過誤、というより調剤事故の記事が載りました。
大阪の病院、25歳の女性薬剤師といえば、もしかしたらN子の同級生の可能性だって充分あります。
その上次女M子も4月から、市は違うけれど大阪府の病院に就職が決まっています。
とても他人事とは思えませんでした。
その薬剤師さんが癌で入院中の60代の男性に、指示された抗生物質の注射薬と間違えて隣の棚にあった筋弛緩薬の注射薬を投薬袋に入れ、その投薬袋に書いてあった抗生物質の名前だけを見て看護師さんが抗生物質と思い込んで患者さんに点滴投与し、患者さんが亡くなってしまったという悲しい事故でした。
若い薬剤師さんが間違いに気づいたのは、2時間後同じ抗生物質注射薬が次に出た時だったそうですが、その時にはもう患者さんは心肺停止状態だったそうです。
このあたりも悲劇です。
2時間後に気がついて申告したのだから、もしもそんな筋弛緩剤などという恐ろしい薬ではなく普通の薬であったなら、そこまでの大事に至らないうちに対処できたはずなのです。
薬局で彼女は一人だったのでしょうか?年末で忙しかったのでしょうか?
本来なら少なくとももう一人の薬剤師が監査しなければならないはず・・。
そこは救急病院でした。救急病院などに就職しようとする薬剤師さんはきっと優秀な薬剤師さんです。
頭がいいだけではありません。ガッツがあって、使命感に燃えて、肉体的にも強靭な理想家肌の頑張りやさんのはずです。調剤監査(出来上がった調剤に間違いが無いか二人以上でチェックする)がどんな形で行われていたのかはわかりませんが、もしかして一人で任されていたのだとしたら(暮れも押し詰まった29日です。)、彼女は日頃の実績を評価されて、新人ながらその重責についていたのだと思います。
これが九子や、九子よりは大部マシでもN子みたいな薬剤師であったなら、よほどしっかりとした監査係の薬剤師さんをつけとかないと危なっかしくてやっていられませんから。 (^^;;)
誰にでもある単純な「渡し間違え」という行為が人の命を左右してしまう。そういう現場にいるのが病院薬剤師です。
薬剤師のうちでも新卒薬剤師が総合病院に就職したがるのは、もちろん全ての科の薬を扱い薬の知識が増えるという理由の他に、今回のような注射剤の処方箋も含めて多様な処方に触れられるので、要するにどこに行っても使ってもらえる薬剤師になれるというメリットがあるからだと思います。
新卒の、N子と同じ3月に希望に燃えて卒業したはずの若い女性薬剤師さん。
あなたは本当によく頑張って来られたと思います。
九子が同じ立場なら、いや、万が一九子にあなたと同じ能力があったと仮定しても、あなたと同じことはきっと出来なかったでしょう。
たった9ヶ月で全ての薬を覚え、その薬が棚のどこにあるのかを把握し、年末の混雑の中を忙しく一人で調剤をこなし、二時間後にさっきと同じ抗菌剤の注射の処方箋を受け取り、その棚から注射剤の瓶を取り出した瞬間に、自分が2時間前に抗菌剤と思って取り出した薬が、実は別の棚にあった、しかも絶対に間違ってはいけなかった筋弛緩剤だったと気がつくなんて!!
それだけあなたは大変にしっかりとしていらっしゃいました。きっと緊張の糸を張り詰めていらっしゃったんだと思います。
九子だったら自分がいつ、どこから、何を取り出したかなんて、正直覚えていられません。ついさっきの事でも忘れてしまいます。(だから薬剤師には不向きなのですが・・。)
普通だったら、たった二時間のうちに薬一つでそれほど深刻な変化が身体に現れるはずはありませんでした。いくら60代の癌患者さんであったとしても・・。
それがたまたまあなたが手を伸ばした先にあった薬は、筋弛緩剤という殺人鬼も用いる毒薬だったのです。
この当たり、病院には猛省を望みたいところです。毒薬は厳重に、まったく別の貯蔵所に保管する。日頃の利便性は多少失われても、今回のようなひどい調剤過誤が起きるよりはましではありませんか?
それから、忙しいからと言って新卒の薬剤師一人に調剤を任せる・・というのはいくらなんでも酷ではありませんか?
メーカーさんには毒薬の注射剤のボトルは黒色なりの色つきプラスチックボトルにして頂く。そうすれば万が一薬剤師が間違えても、現場の看護師さんが容易に気がついて下さるのではありませんか?
25歳の新卒薬剤師さん、あなたはまだまだ将来のある身です。
もちろんあなたの心に今回の事故が与えた打撃は計り知れないでしょう。
患者さんに何事も起きなかったN子ですら、ぶるぶる震えるほど怖かったというのだから、あなたが今もただ中にある恐怖や衝撃や自責の念の大きさはいかばかりでしょう。 本当に心が痛みます。
でもあなたに敢えて申し上げたいと思います。
後生だから生きてください。精一杯生きてください。
あなたが死んで罪を償おうと考えるのは、今の時点では正しいように思えるかもしれませんが、あなたを一生懸命に育てられたお父様お母様に、それはそれは罪深いことです。
あなたが死んでも誰も救われません。それによって亡くなった方が還ってくる訳でもなければ、ご家族やご友人や、死んだあなた自身の行く末も含めて、不幸が大きくなるばかりです。
だから何があっても死んではいけません。
あなたは自分で選ばれて救急病院の薬剤部に就職されました。薬剤師の中のエリート中のエリートです。
それだけの志を持って、夢を持って、希望に燃えて就職し、そして誰よりも早く一人前に調剤が出来るようになって、病院にも認められて一人で任されて、あなたも、あなたのご家族もきっと誇りに思い、喜ばれていたはずです。
そんな立派な薬剤師さんには、夢を捨てて欲しくありません。あなたの能力を活かしきって生き抜いて頂きたいと思います。
考える時間はまだまだたくさんあります。しばらくはご家族の中でゆっくりと休まれるのがいいかもしれません。
一年でも二年でも三年でもいい。
ゆっくりと休まれて、また調剤がやりたくなったら、出来るところから始めてください。薬剤師は一生の資格です。
今回のトラウマが大きくて、病院や調剤薬局で調剤なんて真っ平!と思われても、薬剤師はつぶしの効く資格でもあります。
保健所に勤める、薬問屋に勤める、漢方薬局へ勤める、製薬会社の研究所へ勤める、いくらでも選択の余地はあります。
あなたが6年間かかって薬科大学で学ばれた知識の全てを社会に還元してください。
決して嫌がらせに屈しないで下さい。日本人はこういう時、思いもかけない闇の顔を、集団の力を借りて見せ付けることがあるようです。
あなたに起こった事は、うちの娘たちにも、その級友たちにも、いや、全ての薬剤師に起こり得ることなのです。
あなたが手にしたのがN子の時のように葛根湯みたいな薬だったらどんなに良かったでしょう。
たいていの薬剤師さんは生涯で何回も調剤事故にならない程度の間違いを繰り返しています。「ヒヤリ、ハット事例」と言うそうです。その度に上司に注意され、バツの悪い思いをして、次は気をつけようと思い、明日につなげているのでしょう。
かく言う九子だって、いったい何度やらかして処方医の先生に謝りに行ったことか。(^^;;
処方箋枚数、わずか1ヶ月に一桁、二桁!のわが薬局にして、この体たらく!! 九子が処方箋調剤を極力避けている理由をご理解頂けるでしょうか?
誰にでもある「取り違え」という単純な行為が、人間の命を左右してしまう。人を助けるはずの薬を渡したはずだったのに、間違って人の命を危険にさらしてしまう。
薬剤師と言う仕事は、特に病院の薬局というところは、まかり間違うとそういう怖い場所にもなり得るということを、今回の事件で娘たちの心にも深く刻み込まれたようです。
これ以降、さまざまな不備が改善され、何より日本中の病院でシステムが見直され、もう二度とこんな悲しい調剤事故が起きないよう切に祈ります。
今回の事故は病院のシステムが原因の事故です。
薬剤師さん一人の問題ではありません。
亡くなられた患者さんとそのご家族には本当にお気の毒でした。重ねてお悔やみ申し上げます。