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クリスチャン・ツィメルマン in Nagano [<九子の読書ドラマ映画音楽日記>]

この人のピアノを聴きたい。いや、正確にはこの人を一目見てみたいと思い始めてから、すでに十数年の時が流れた。


彼は律義に十数年間毎年の様に長野市でコンサートを積み重ね、他の多くのプレーヤーのごとく、より多くの聴衆を見込めるであろう松本市や上田市に逃げることはなかった。


彼はもしかしたら長野市に縁がある人なのでは?たとえば長野オリンピックの時に仲良くなった友達がいるとか・・・。


この日、十数年来の夢を叶えて「行こう!」と思い立たせたのは、長女の子供の胎教のためと言うまたとない言い訳と、いつの間にか真っ白くなってしまったツイメルマンの髪だった。


あの九子を魅了し続けた端正な美男子のツイメルマンがおじいちゃんになってしまう!

急がねば!

と、例によって不純な動機から(^^;;、娘と二人長野市市民芸術館に向かった。


妊婦と二人ちんたら行く道すがら、ずいぶん大勢の人に追い抜かれた。それになんだかおびただしい人々の群れがこぞって市民芸術館を目指していた。



「あれ?クラシックのコンサートなのに、ずいぶんな人出ねえ。どうしちゃったのかしら?

結構有名な人だとは聞いてたけど長野でこんなに人が集まるなんて。」という九子に、「変ねえ。」とうなずく長女。

知る人ぞ知るツィメルマンもまるで素人の九子と娘にとってはそんなもんですよ。(^^;;


客席もほぼ9割が埋まっている。中学生から高齢者まで年齢層が幅広いのも特徴だ。


開演時間が来て幕が上がっても、なかなか登場してくれないツィメルマン氏。

気持を整えているのか、はたまた気力が満ちてくるのを待っているんだろうか。


いよいよ登場したツィメルマンは、笑顔の素敵な、豊かな白髪の紳士だった。

ああ、もっとよくお顔が見たい。なのにこんな日に限ってオペラグラスを忘れて来ちゃった!


ツィメルマンの音には度肝を抜かれた。

天空を駆けるペガサスさながら、力強さと軽やかさが共存する。

こんな演奏、はじめて聴いたと思った。


本日の演奏はブラームスのピアノソナタ第三番とショパンのスケルツォばかり四曲。

一番有名なショパンの一曲以外は九子にはなじみのない曲ばかりだったが、ツイメルマンの世界に魅了されて、「いいわよ、あなたの行くところにどこまでもついていくわ!」という、あたら若い女の子に戻ったような心境になってくる。


聴衆もまた見事だった。クラッシック音楽を聴き慣れているようで、大きな拍手はきっかりとピアノの音が止んでから次の曲が始まるまでの数十秒間に計算されたように収まる。


たまにかかるブラボーの声は、低くて男性たちのようだ。(まあ、女性はもともと言わないけどね。)彼らがこの日の聴衆たちをリードしていたのかもしれない。


ツィメルマンも大喜びだ。

何しろアンコールを4曲もしてくれた。

そして最後に「いくらなんでももうこれでおしまい!」とでも言うようにピアノの蓋を自分でパタンと閉めた。


いやあ、普通じゃないでしょ、ツイメルマン!アンコールが4曲だよ。

自分の音が聴衆に完ぺきに伝わったことが嬉しかったんだね。


やるじゃないの!長野の聴衆!世界のツイメルマンを小躍りさせたんだよ。これが文化未開の地と言われた長野市のクラシック音楽元年になるかもしれないよ!


終わってから娘に聞いた。「あの、木漏れ日が水面に当たってきらきら輝いてる・・みたいなところ、凄くなかった?」

娘も言った。「私もそう思った。あそこ凄いよね!」


この会話が成り立ったこと自体が奇跡だった。

何しろクラシック音楽初心者の九子と、ピアノコンサートに来るのは中学校以来初めての長女との会話である。言ってみればまあ文化度未開の原始人の二人である。(^^;;


その二人が、ツィメルマンが奏でた演奏にたびたび出てきた音のつながりを捉え、その音を素晴らしいと思い、二人同じく一つの情景として捉えられたのだ!


音が言葉になった一瞬だったのではないだろうか。


音が言葉になるというのは言うほど易しくはない。

言葉とは、受けたすべての人が同じものを想像するのでなければ成立しない。

「川」という言葉を聞いた人は、全員が「川」を思い浮かべなければ意味がない。


音が表現である間は、演奏者の音が受け手にまったく違うものとして受けとられても

全然構わない。


そもそも音楽や美術には基本的に言葉は無い。

だからこそ言葉に縛られない舞台で、自由に表現された作品を受け手側も自由に鑑賞するのが醍醐味だ。作者の意図と違っていても全然構わないし、むしろそれが普通だ。


ツィメルマンの表現は、何の知識も先入観もない人間に「木漏れ日が水面に当たってきらきら輝いてるところ」を連想させた。たぶん百人が百人、ほぼ同じような答えをするだろうと思う。


こういうことって凄くない?ツィメルマン恐るべし!


すっかりツィメルマンに魅了され、九子は係の人にあの質問をぶつけてみた。

「ツィメルマンさんは長野に何かつながりのある方なのですか?毎年の様にコンサートされてますが・・。」

「いや、そんな事は無いはずですよ。ただ、日本のことはとてもお好きで、一年のうち半分くらい住んでいらっしゃるというウワサも聞きますよ。」


日本をそんなに愛して下さるのは嬉しいが、長野とは特別関係は無かったようだ。


そうか。関係ないのか。

となると、また例の疑問、というかもはや確信が頭を占める。


あの一群は、やはり長野市に降り立った松本や上田から毎年ツィメルマンを聴きに来た人々であったか。道理で礼儀をわきまえながら音を最高に楽しむことが出来る最上級の聴衆だった。

長野市民は、あの会場の何割を占めていたのか。聞くのが怖いこの問いを、来年のツィメルマンの公演時には聞いてみることにしよう。


wikipediaで調べたら、おじいちゃんだと思ったツィメルマンは九子より一っこ下だった。

あらまあ。


ツイメルマンが白髪のおじいちゃんになる心配するより先に、あなたか足腰立たないおばあちゃんになることを

心配するべきなんじやないの?(^^;;


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