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母の病室から [<介護生活、そして父母の事>]

暗い夜の病室で、この日記を書いている。

横たわっているのは、ほんの米袋2個分ほどの体重までやせ細ってしまった母。



入院初日、はじめての場所で夜を過すことがよほど不安であったためか、母は一晩中起きていて、定まらない足で立ちあがってテレビを付けたり、ベッド脇に据え置かれたポータブルトイレに用も無いのに腰かけてみたり、はたまた私の名前を不安げに何度も呼んだりしていたそうである。



このところ極端に食欲が落ちていた母は、週二回の家庭医の先生の点滴ではいよいよ効果がなく、勧めれて入院することになった。



入院が決まる前日の夜あたりから、また例の症状が出始めた。



夜間せん妄。老人が特に夜だけ示す興奮、不眠、不穏状態。



そうそう、多弁になるのも症状のひとつ。意味のあることも無いことも、ひたすら何かしゃべっていたこともあった。



これは一種の精神病であるから、睡眠薬はまったくと言っていいほど効果が無い。

抗精神薬のみが症状を和らげる事ができる。



ただし認知症と違って、一過性で元に戻る可能性が高い。



母の場合は、身のおきどころがない状態が主症状である。



体力が無いのですぐにうとうとする。

健康な時の母であるなら、「お前はいいなあ。くわあ~っと眠れて。」と父にうらやましがられたほど寝つきがよかったものが、まあ、寝つきがいいのは今でも同じだが、眠ったかと思えばものの数分で目覚めてしまう。



目覚めると今度は「起きたい。」と言う。

起こしてベッドに腰かけさせてやるがすぐに疲れて、「ああ、疲れた。寝るしかないかねえ。」と言って横になる。



たまにその動作の間に「立ってみる。」というのが入る。

もちろん数秒も続かなくてすぐまた横になることになる。



そしてまた数分か、上手く行って十数分で目が覚める。

これが延々とくりかえされるのだ。



たまったもんじゃない!いいかげんにしなさいよ!

根性無しの私は、すぐにキレル。



最初は笑顔で応じていたのがだんだんおざなりになり、「またあ~?」という感投詞が入り、そのうち呼ばれても返事をしなくなる。



返事をしないと母は大声で私の名前を呼び続ける。



入院初日は二人部屋だった。

隣のベッドの方はどんなにか御迷惑だった事だろう。



お昼にひょっこり顔をだした私に、彼女は一言「昨夜、おかあさん、あなたの名前を何度も何度も呼んでられましたよ。よっぽど不安だったんでしょうね。」とおっしゃっただけだった。



しかしすぐに看護師長さんに呼ばれて昨日の顛末を聞かされた上で、母は即日個室に移され、私が夜の付き添いを任されることになったという訳だ。



最初の夜はまだマシだった。

この感じなら、どうにか出来そうな気がした。



ひどかったのは二日目の夜だ。

軽い催眠剤で最初の2時間(と言っても病院の夜は早いので9時から11時頃まで)の他に1時間か1時間半ぐっすり寝てくれる事があった以外は、前述の症状が朝の5時頃まで間断無く続く。



だが、本人だって辛かろう。



もともと食べられなくなって極度の脱水と食欲不振を治すために入院したのに、こんなことで要らぬ体力を使ったんでは意味が無い。



そうは思うものの、眠さと疲れで不機嫌になっている私は、母の呼びかけを再三無視した。



「九子、九子、九子ったら、居ないの?」

こう言われて、いたずら心がふと湧いた。



「いませんよ。」と答えてみた。

母はどうするだろうか?



母はすると「あっ、すいません。」と言い、再び「九子」と呼ぶことはなかった。



あまりにもうまく行きすぎてしまった悪戯をとがめられた小さな子供のように、私の心に漣(さざなみ)が立った。母がとても気の毒な気がした。



それから十分もたってからだったろうか。母が再び口を開いた。

今度の母の言葉は少し変わっていた。



「九子、起きて!おしっこだから。」



こう呼ばれて私は飛び起きた。そして「うんっ?」と思った。



以前母が夜中に言ったことがあった。

「九子は「おしっこ」と言わないと起きてくれないんだから・・・。」



少々ぼけた頭であっても、所詮出来すぎ母にはかなわない九子である。(^^;;





その後睡眠剤が強いものに代わり、母はぐっすり眠るようになった。

代わった最初の日などはぐっすりの度が過ぎて、次の日も朝からずっと寝ていた。(^^;



睡眠剤で良くなったのだから、症状は夜間せん妄ではなかったのか・・。



どちらにしても眠れなかった何日か分を補うように、母の安らかな寝息が聞こえる病室で、今はもう誰も使っていないであろうモバイルギアのキーボードの音が響くのを気にしながら、今日も私は息をひそめて日記を書いている。



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食器洗い機の話 [<介護生活、そして父母の事>]

思えば去年の今頃から、父は入退院を繰り返すようになっっていた。
そして父を見舞いに行った母までもが入院してしまう騒ぎが起こったのである。

だからその二人が相次いで退院して来た今年の正月、ただでさえ体力のない 九子はロタウイルス騒動なんかもあって肉体的にぎりぎりのところまで追い詰められていた。

優しいのが取り得のM氏は、良く家事を手伝ってくれた。
日頃は何もしたことの無い彼が、わざわざLサイズのゴム手袋を買ってきて、台所に山のように積みあがっている食器を、深夜、黙々と洗い続けてくれる姿には頭がさがった。

そういう状況下、皿洗い機、食器洗い機、もしくは食洗機は、我が家にとって必需品に思えた。
たとえ独立したガス湯沸器が必要になって、配管等工事費込みで20万円もかかったとしても・・・。

そう。当時我が家にはまだ打出の小槌があったのだ。
父である。( ^-^)

「パパあ、食器洗い機買いたいんだけどいいよねえ。パパたちのためでもあるしさあ。お金出してもらっていいかなあ?(猫なで声で・・)」(^^;;
「ああ、好きにしろ。」

この頃になると父は、もう何を言っても「いけない。」とは言わなくなっていた。
もともと一人娘の九子は、我が家じゃあ敵無しだったのであるが・・・。(^^;;

食器洗い機そのものは5万円も出せば買えるのだ。そんなに高い訳ではない。

最初から独立してお湯の出る水栓があれば、そこからお湯を分岐すればそれだけでOKであるらしいのだが、我が家のように台所用の湯沸かし器を使ってるところは、専用の結構大容量の新たな湯沸かし器が必要になる。

寒い最中に頼んでおいたのだが、何しろ雪の多い長野市のことである。
「雪が消えなくちゃあ何も始まらないねえ。」という訳で、ガス屋さんが配管工事にやって来たのはもう3月も末の事だった。

食洗機のほうはもう届いていた。
ネットであれこれ探した挙句、一番汚れが良く落ちそうなN社のものを選んだ。
低温コースと言うのがあって、プラスチックの弁当箱も洗えるのも決め手だった。

3月29日、食洗機のある夢のような生活がはじまった。

まっさらの食洗機に、始めて普段の洗いものを入れた時は正直「まあこんなもんか。」という感じだったが、圧巻は久しく使われずに戸棚にしまい込まれてるうちに油っぽくなってしまった皿や茶碗だった。

手でこするとなんとなく黒っぽくなって手がべたべたするあの嫌らしい油汚れが、放り込んでおくだけであっという間にぴかぴかになるのである!

九子は叫びそうになった。
「どうしてこんなに便利なものを、人は贅沢品と言うのか!食洗機のない生活なんて考えられない!」

考えてみれば、洗濯機というのはもう50年も前から使われているのに、食器洗い機だけが
なぜだか贅沢品扱いを受けてほとんど普及していないと言うのがおかしな話だった。

しかも5万円で買える!洗濯機なんかよりずっと安いのだ!

洗ってるとこを覗いて見ると、使われてる水はちょろちょろ流れてるだけ。
九子みたいに盛大に流しっぱなしはしない。(^^;;

さすが!省エネ!
宣伝文によると、手洗いよりもずっと経済的だそうである。

食洗機の得意は油汚れである。
魚焼きグリルのベタベタも宣伝みたいにきれいになった時はびっくりした。

それに反してこびりついたご飯なんかは苦手のようである。
だからこういうものには予備洗いが必要だ。

予備洗いでおおまかに汚れを取っておいた方が仕上がりがいい。
これをしないと汚れが皿にに残ることもある。

その後、機械の中にきれいに並べるという作業が待っている。

最初九子が尻ごみしていた理由がこれだった。

「えっ?予洗なんて必要なの?そんな質面倒くさいことするなんて。
その上、機械にお皿をきれいに並べて入れるだなんて、そこまでするなら手で洗った方が楽じゃん!」

何しろ整理整頓なんて、大の苦手の九子である。(^^;;

ところがこの作業、慣れて来ると意外とどうってことない。

スクレーパー(scraper)と言う汚れこすり取り器具も売ってるみたいだが、水を流しながらゴム手袋で軽くこすってやればそれでOK。(水はごく細めでね。もちろん、たらいの中なら更に良い。( ^-^))
並べる方も、ラックに沿って重ねていけばそこそこ終わってしまう。

こうやって一手間かけるのとかけないのとでは仕上がりに歴然と差が出るのだから、やらなきゃ仕方がない。

残念ながら我が家では「低温コース」は使えなかった。
「耐熱温度60度の弁当箱も洗える」低温コースは、湯沸かし器の水温を60度以下に下げないといけない。残念ながら我が家の専用湯沸かし器は家の外に出ていて、やすやすと動かす訳にはいかなかったのだ。

始めの頃水温設定もせずに「低温コース」で何度も洗っていたら、そのせいかどうか弁当箱のふたが延びてうまくしまらなくなった。

しかし以前からその兆候はすでにあったのである。

今やカリスマ主婦の君島十和子さんが、「やっと触れるくらいの熱いお湯で洗うと、すすいだものをふせておくだけですぐに乾いて、ふきんで拭う必要がありませんから・・。」と言っていたのを聞いて「なるほど!」と思った九子は、いつでも湯沸かしを最高温にして食器を洗っていた。

もしかしたらそのせいだったかもしれない。(^^;;

弁当箱は手洗いにするとしても、とにかく食洗機というのは我が家の必需品!
だって介護老人が二人もいるんだもん!

そんな訳で九子は、胸を張って食洗機を使っていた。

ところがそれも長くは続かなかった。

肝心の世話がかかる筆頭老人であった父が、それから2週間もしないうちにポックリ逝ってしまったからである。

残った母は、まだ70代。手のかかり方が父とは格段に違うのである。
つまり九子は、どうしても食洗機が必要なほどには忙しくなくなってしまったのだ。

あの時は九子と一緒に偉そうにしていた食洗機が、なんとなく居心地悪そうに大きな図体を小さくしている様に見えてくる。

いやいや食洗機よ、そんなに肩身を狭くすることはない。
食洗機に慣れた九子は、プラスティックや鍋釜その他大物以外はもうとっくに自分で手洗いすることなど忘れてしまっている。

その上娘どもがこうのたまうのだ。
「ママ、洗い方が悪い!しっかり食洗機で洗ってる?」

彼女達にとって、九子の手になるものはすべてよろしくないという事なのである。

文明の利器なる食洗機。
九子の仕事はますます機械にとって代わられ、九子はもはや口も手も出す必要がなくなって、そのうち退化して行くんじゃないかと心配になるくらいだ。

それにしても、浮いた時間で何をしよう。

そんなに考えるまでもない。

お昼寝に決まってる!(^^;;(^^;;

ロタウイルス騒動 [<介護生活、そして父母の事>]

九子の日記が次回で200回を数える。夢みたいな話である。

最初九子は、3日に一度、ドジな話ばかりを集めて一年間書き終わったらそれでおしまいにするつもりだった。

それがそうでなくなった理由が、「100回目の日記」に書かれている。

マイぷれすの日記仲間の多くの方々が、ほとんど毎日と言っても良いくらいまめに更新されている。
こう言うことが出来る彼らは、九子にとってまばゆいばかりである。

たぶん「書きたいという強い気持ち」を持てる何かが、毎日の平凡と思われる日常の中でくりかえし見つかるのだと思う。
いや、みんな、それを見つける能力に長けているのだと思う。

九子の場合今までの日記の中で、はやる気持ちを抑えて書いたのは
「オレオレ詐欺」「荒川静香・・・」、そして、余り読まれていないと思うが、「息子へ」くらいなものである。

「オレオレ詐欺」はこういう馬鹿な体験談が、少しでも新たな被害者を減らすのに役立つならと言う、いわば義侠心(^^;で書いたし、「荒川静香」は、その日が丁度彼女がトリノから帰国してしまう日で、その日を逃したらオリンピックは人々の関心から抜け落ちてしまうのでは・・と慌てて書いた。
(つまりアクセス数を気にして書いた訳である。(^^;)

「息子へ」は純粋に、当時元気を無くしていた息子をなんとか元気づけたくて書いた。

その「荒川静香・・」が皆様の目に止まり、以来ほとんど3ケタのアクセス数を保持する日々が続いているのは本当に有難い事だと思っている。


最初の目標「日記更新は3日に一度」が、4日に一度、5日に一度位になって、ようやくこの位が無理のないペースかなあと感じていた頃、父親が入院した。去年の10月のことである。

そして「救急車の呼び方」にある九子の受難物語へと続いていく訳なのだ。

実は父の入院の陰で、もう一つの物語が進行していた。

出来すぎ母の骨折事件である。

母は始めて父の見舞いに行った日に、病院の玄関で転んで大腿骨の付け根を骨折してしまった。
それこそ救急車を呼ぶより早く病院に担ぎこまれた母は(^^;、その日のうちに入院、二日ほどで手術となり、以来2ヶ月を病院で過ごし、暮れに退院してからもベッドを二つ並べて、父の隣でほとんど寝たままの生活をしている。

つまり九子は、現在介護老人を二人抱えているという事になる。
そして二人が二人とも、なかなか容態が安定してくれないと来ている。

介護保険は本当に有難いが、デイケアにせよショートステイにせよ、容態が安定していないと受け入れてもらえないという最大の落とし穴がある。

まあこれが、現在長いこと日記を更新出来ないでいる理由であるが、書くべき時を逸するとなんだかもう書く気がしなくなるという場合が往々にして出てくる事がわかった。

これはきっと、毎日のように更新していらっしゃる方には起こりようの無い事なのだろうけれど・・。

たとえばなかなか書けなかった九子の受難物語・・・。それは去年の大晦日と今年の正月に起こった。

最初は二つとも、それぞれ別の記事にして書こうと思っていた。
そこに降ってわいたように起こったのが、例の「振り込め詐欺事件」である。

ああいう強烈な出来事を経験してしまうと、昨日まで記事にしようと思うくらい輝いていた事柄が何だか急に色褪せて見えて来るのだ。

まあカッコ良く言えば、九子の心の中で自然淘汰が行われる訳である。

本来の自然淘汰では滅びたものの復活はありえないが、九子の日記の場合には至極簡単な事であるから、お正月の出来事の方をここに書いてしまおう。( ^-^)

家族のロタウイルス感染事件である。

ロタウイルス、ノロウイルスは冬場の感染が多いとされる感染力の極めて強いウイルスだ。
下痢と嘔吐が主症状で、ふつう命の危険は無いが高齢者には命取りとなる。
現に九子の地元でも、しかも病院の中で感染者が出て、お年寄り一人が亡くなっている。

(・・と、さもさも最初から何がしかの知識があったように書いているが、実は直前に九子が学校薬剤師を担当していた学校から問い合わせがあったお陰で、少々物知りになったばかりであった。(^^;)

そのウイルスを、こともあろうが子供達3人とM氏がもらって来てしまった。
正月早々、ゲーゲー吐く奴、熱を出す奴、トイレに駆け込む奴で、我が家は野戦病院と化した。

そこでナイチンゲールよろしく甲斐甲斐しく立ち働く美貌の薬剤師、それが九子であった。
(えっ??(^^;)

今から考えるといったい一人で何をどうやったものか記憶も定かではないのだが、とりあえず幸いだったのは、直前に仕入れた知識で「ノロウイルス、ロタウイルスには、次亜塩素酸ソーダ(家庭用漂白剤、ハイターなど)が良く効くので、ごくごく薄めて消毒すればよい。」というのがわかっていた事だった。

もちろん一番の心配の種は、老人二人である。
特に父の方には、なんとしても来るべき4月の大学生3人の学費納入日までは生き延びてもらわなくては・・・。(^^;

彼ら二人の部屋は、文字通り隔離された。

一週間ほど彼らは部屋の中で過ごし、出入りのたびに九子は、次亜塩素酸ソーダを薄めた液(と言うか、霧吹き状のノズルのついた容器に500CC位の水を入れ、そこに次亜塩素酸ソーダを数滴落とす位の薄さで良い。)で手指を良く消毒した。(手指に消毒液をまんべんなくふりかけた。)


今考えると、年寄り二人に何事もなかったのは奇跡であった。
いくら次亜塩素酸ソーダで消毒しようとも、建てつけの悪い穴だらけの障子では、ウイルスは簡単に侵入してしまうに決まっている。

何しろ学級で一人が感染したら、そのクラス全体に広がってしまうのには目をつぶって、いかに学校全体に広がるのを食い止めるかを考えなきゃならない位の感染力なのだそうだ。

糞便や吐しゃ物からうつるのだが、思えば最初長男Rが突然吐き始めた時、たまたま飲み会の後だったので悪酔いしたとしか思えず、使い捨て手袋などまったくはめず、次亜塩素酸ソーダなどまったく使わず処理してしまっていた。

その後石鹸で手をごしごし洗った記憶はあるが、その手で父母の介護をしていた訳だから、今考えると冷や汗ものである。

こういう時、普通の人は「運が良かった。」と言うのだろうが、一応仏教徒の九子は、「きっと仏様が護って下さったのだ。」と思う。
信仰のある無しなんて、結構こんな些細な違いなんじゃないんだろうか。

まあそれはともかく、年寄り二人は無事に生き延びた。そして今に至っている。( ^-^)


実は3月の更新がたった一回になるのを回避するために、なんとか頑張って3月31日中にこの日記を仕上げる予定だったが、結局4月にずれこんだ。

ずれこんだ途端、「もういつでもいいや・・。」と思っている九子がいたのだが、ここ数日のアクセス数の伸び悩みが気になって、久方ぶりの更新が実現した。


大晦日・・の方は、またどこかに別の形で書けそうな気がしてきたので、やっぱりまだ書かない事にする。
(^^;;
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救急車の呼び方 [<介護生活、そして父母の事>]

人騒がせな病人である九子の父が、何度も救急車のお世話になっている話は以前にもした。

アメリカで救急隊員をしていらっしゃるmariaさんのブログで、どうやらアメリカでは救急車は有料で、しかも呼ぶのに大変高額なお金のかかるものであるらしい事がわかって以来、日本も少しお金を取ったらどうかしら・・・などと考える。(Mariaさん、いくらかかるのでしょうか?)

★mariaさんが救急車有料化という提案をしていらっしゃるのを見つけました。

だって福祉タクシー(寝たまま運べる)を呼ぶと病院まで8000円位かかるし、運転手さんが一人で来て病人を連れていく訳だから、我が家のように段差のたくさんある古い家ではなんだか一人では危なっかしくて、少々腰が痛くたって九子が手伝わない訳にはいかない。
(もっとも我が家の場合、いつだって隣の八百屋のおじさんが駆けつけてくれるが・・。(^^;)

それが救急車だと、頑健な若い隊員さんが必ず複数でやって来て、最新鋭の機器が積まれた車へ居ともたやすく乗っけてくれる。

病院へ行く途中から、酸素吸入等の必要な措置はもう始まっている。

何より救急車で来た病人は重篤な病人であるからして、順番なんかお構いなしに真っ先に診察してもらえるのだ。

これが一度乗ると病みつきになる(^^;救急車の魅力である。

この魅力にすっかり執りつかれて・・という訳でもあるまいが、何度も利用させてもらっている九子父の場合、もちろん彼が望んで乗りたがる訳ではない。
当のご本人はまさに死ぬか生きるかの大騒ぎを演じている訳だから、そんなこと考えてる余裕は無い。

結局救急車を呼ぶかどうかは周りにいる家族が判断するのである。

我が家で言えばこの九子が、緊急であるか否か、もし緊急であるなら、どの段階で救急車を呼ぶべきかを瞬時に判断しなければならない。

これはかなり難しいことである。

前回の入院の折は、かなり九子も慎重になった。
というのも、その少し前、父は胸が苦しいと訴えて元気が無く飲み物もむせて取れなくなり脈もはっきりしなかったので、家庭医の先生に相談すると、救急車を呼ぶことを薦められた。

今から考えると先生も電話だけで本人を見ている訳ではないのだから、うかつな事も言えなかったのだろう。

それが救急車が来る頃には落ち着いて来て本人も元気になり、病院に到着して診察してもらう頃には「十兵衛さん、どうしちゃったの?なんで救急車なんか乗っちゃったんでしょうねえ。」と言う有難い先生のお言葉まで頂戴してしまったからである。(^^;

Mariaさんのブログを見ると、アメリカではのどが痛いだけで救急車を呼ぶ人もあったり、何より大した事もないのに救急車を呼ぶお医者さんもいるそうであるから、なんだか少しほっとする。

だけど本来こういうことって、つまり救急車は患者がどういう状態のときに呼ぶものであるかと言うことはどこかで誰かにしっかりと教えて欲しい。

もちろん意識が無いときとか、出血がひどい時とか、誰が見ても重篤な場合は簡単だ。

難しいのは、高齢で体力が弱っていて、たとえば体温は36度にも満たない位で、胸がゼーゼー言っている時とか・・・・・。
今は熱の出ない肺炎というのもあるそうだから肺炎になっているかどうかは素人にはわからない。
勢い後で後悔しないように、とりあえず病院へかけつけるか・・・と言うことになる。

そしてそのかけつけ方がわからない。

8000円払って福祉タクシーへ乗せて、具合悪いところを救急待合室で長時間待たせて良いものか。

一方ただで来てくれる救急車なら、救急救命器具も揃い、到着するやいなや真っ先に診てもらえる・・・と吉○屋の牛丼ではないが、早い!安い!話がうまい!のである。(^^;


今回九子父が再び息苦しさを訴えるに及び、前回の失敗を教訓にかかりつけの病院にまず電話した。

すると看護師さんが担当医の先生に連絡してくれて、とりあえず今晩一日様子を見てから明日改めて外来に来るようにという指示を伝えられた。

そうだ!最初からこの方法を取ればよかったんだ!(^^;

一晩中うなりつづける父を心配しながらも、いつのまにか眠りこける九子。(^^;

翌日朝寝台タクシーを呼ぶが、混んでいて来てくれたのは1時間後。

平日なのにシャッターが閉められ、キャリアーが入るのを見た隣の八百屋のおじさんが早速やって来て運ぶのを手伝ってくれる。

キャリアーは救急車のものより一回り小さいみたいで、結構大柄な父には窮屈そうである。

病院でも、処置室で狭いキャリアーの中待つこと3時間。
やっと診察してもらえた時は、もう午後2時近く。

額や手足がひやっとするほど冷たいのにだまされて、迂闊なことに8度7分の熱があった事に気がつかないでいた。

爪にはさんで計る酸素濃度も93%とのことで、早速酸素吸入も始まり、即入院が決まった。
(酸素濃度95%より下だと酸素吸入がはじまるらしい。)


ああ、病院に入院出来た。これでまずまず安心だ。( ^-^)

今回はたまたまうまく行ったが、いつ何時こうやってうまく事が運ぶとは限らない。
それというのも、救急車を呼ぶ明確な線引きがないからだ。

父が待たされている間にも、数人が救急車で運ばれてきた。
交通事故で運ばれてきたとおぼしき一人などは、診察もそこそこ元気に歩いて帰っていった。(^^;

アメリカと違って、日本はタダだから、みんな気楽に救急車を呼ぶのだろうか。
本当に必要な時、本当に必要な人が乗れない可能性がある以上、誰かが「救急車利用マニュアル」を作ってもいいんじゃないのかなあ。


この入院が、実は父にとって10月以来2度目の入院だった。
一度10月末に退院してから、わずか1週間になるやならずの再入院。

緊急入院した重病人であるはずの父の病室へ入るなりの第一声は、しかし、「カステラ食いてえなあ。」であった。(^^;

そして病室を去る九子が、その日最後に聞いた父の声は「イテエ、イテエヨ!何やってるんだ!俺を殺す気か!」の大声であった。

なんの事はない。点滴の針を刺されていただけだった。(^^;
(まあいいよ。それだけ元気があれば・・・。)

そしてそれは、これから始まる九子の受難物語の序章に過ぎなかったのである。(^^;
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老いると言う事 [<介護生活、そして父母の事>]

どうもこの頃こういうテーマが多い気がするが(^^;、話は父母のことである。

父を見てると、肉体的に「老いる」と言うことがどう言うことか良くわかる。
母を見ると、精神的な「老い」の現状を見せつけられる。(^^;

九子は、寝過ごして機嫌のよろしくないわがままM子を、歩いて10分の塾まで車で送る最中である。
夕食時だが、もちろんぬかりなく、食事の準備は万端だ。
(珍しく、今日に限って・・・。(^^;)

M子は可哀想に、食事をせずに塾へ行くことも稀ではない。
6時半から9時までの長時間だが、彼女が自分で決めてきた塾なので文句も言わず続いている。

6時には食べられるようにいつも準備は始めるつもりなのだが、なぜか出来あがるのは6時15分頃。
まあ、食べて行けってほうが無理だよね。

なら、15分前に準備を始めればいいんじゃないの?
それでも結局出来あがりは同じ時間なのが謎だ!(^^;

今日の話題は、しかし、そのことではない。

とにかく歩いて10分の塾まで、車を出して、M子を置いて、また帰って来るまでの、まあ10分間に、出来過ぎ母が何をしたかと言うことが問題なのだ。

父もM氏も食卓に付いてそれぞれテレビを見、新聞を読んでいた。
食事の方は、ただ盛り付けさえすればいいように出来あがっていた。

もちろん頼んだ訳ではなかったが、当然の事ながら母が、父とM氏のご飯の支度をしてくれているとばかり思って、九子は家を出た。

ところが帰ってみると、にぎやかなのは母の前のみ。

おかずも、自分用の特別柔らかめに炊いたコシヒカリも、味噌汁もすべて揃って、しかも「これなら、つるっと入るし栄養もあるから」とわざわざすりおろした山芋まで付いている。

そして相変わらず父とM氏は、なあんにも出されていない食卓の前で、テレビを眺め、新聞を読んでいた。(^^;


母は昔、こんなじゃあなかった。
祖父のこと、父のこと、一人娘の九子のことがまず第一で、自分の事はいつも一番最後だった。

その反動が今来ているのだろうか?

母は5年前、食道ガンの手術を受けた。
食道ガンという病名を聞いた時は震えあがったが、幸い名医の先生の執刀で手術は成功し、ガンの性質も良かったためか、抗がん剤や放射線治療もしないまま今に至っている。

5年が経過し先生からは、「もうガンで死ぬ心配はありません。」という有り難いお墨付きまで頂いた。

普通ならそれで万万歳のはずが、思わぬ伏兵が潜んでいた。
めまいである。

手術直後から現れためまいが、母を以来ずっと苦しめている。
地元のいろんな病院で見て頂いたが、帰ってくる答えは「もっと太らないとだめですね。」なのだ。

もともと極端にやせていた母の今の体重は、30キロを大幅に下回っている。
あと10キロ太れというのは、母にとっては厳しい話なのだ。

手術を境に、目に見えて母が変わったこと・・と言えば、今まで見向きもしなかった料理番組や料理本に、異常に関心を示し出した事である。

耳もその頃からひどく遠くなり、再大音量のテレビから流れてくるのは、料理番組か、旅番組の旅館紹介だ。(当然、食事の献立例が画面いっぱいに出てくる。(^^;)

一度にたくさん食べられない分、いつも何か口に入れていない時はないみたいに見える母だが、やっぱり「太りたい」という欲求のなせる業なのかもしれない。

「少しは栄養取らなくっちゃ!」と「ちょこっと」が、母の今の口癖である。

取りあえず九子が帰ってきて、父とM氏はやっと食事にありついた。

栄養たっぷりの山芋は、量が幾分多かったためか、母が自分のご飯にかけた後、父の前にずっと置かれていたのだが、二口三口ご飯をほおばった後、母は父のご飯の上に申し訳程度にそれをかけると、「おじいちゃん(母は父をこう呼ぶ)、もう食べないよね。残りはやっぱり私がもらうから・・・」と、自分のわずかなご飯の上に盛大にかけた。

「もう、今日はおじいちゃん、いっぱい食べ過ぎてるからこのくらいにしときなよ。」
「見てればおじいちゃん、さっきから食べっ通しに食べてるよ。お昼はもう要らないよね。」
「だめだめ、いっくらなんでももう食べられないわ。おなか壊したら後が大変!」

九子が父に「もう少し食べる?」と聞くと、たいてい返って来るのが母のこれらの答えである。
父ならずとも、「俺の腹だ。お前が決めるな!」と言いたい気持になる。(^^;

母と九子は、昔から全然似ていないと言われ続けてきた。
何しろ母娘ではなくて、「お嫁さん」に見られることの方が多かったくらいだ。

唯一似ているのが、太くて不揃いな髪の毛。
シャンプーのCMに出てくるような艶やかな髪の毛に、どんなに憧れたことか・・・。

皮肉な事に美容院では、「親子ですね。」とすぐに見破られる。

そもそも九子は、父ともあんまり似ていない。
それで高校時代同級生の間で密かに囁かれたのが、「九子、橋の下伝説」。
つまり九子は、橋の下に捨てられていたのをもらわれたといううわさ。(^^;

でも年を取ると、若い頃は似ていなかった親兄弟に良く似てくると言う話をあちらこちらで聞くようになった。そうなのかなあ?

そしてこの頃やけに目に付く出来過ぎ母のご乱行である。(^^;

抗うつ薬や気分調整薬を毎日飲むようになってからすっかりご無沙汰が続いていた坐禅だが、九子はこの頃、とり憑かれたようにまた坐り始めた。

まあ九子の「とり憑かれたように」であるからして、普通の人のたまたま・・くらいの感覚であろうが。(^^;

どうしてって?
もちろん煩悩を捨て、少しでも愛される年寄りになるためにである。

とほほ・・・。 (´_`。)
タグ:食道癌
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人騒がせな病人 [<介護生活、そして父母の事>]

日頃ケータイを携帯する習慣のない九子であるが(^^;、その日は珍しくちゃんと持っていた。
車を運転していたら、珍しくそのケータイが鳴ったのである。

もちろんこの頃は、運転中に受話器を取ってはならない事は法律で明記されたが、九子の場合は法律が出来る以前から、こう言うときに電話に出ることはなかった。すすんでる~!( ^-^)

まあはっきり言えば、出たくても出られなかったのである。

まず、携帯が手元にある事はない。たいてい後部座席のかばんの中。

万が一助手席にかばんが転がっていたとしても、かばんを手繰り寄せて、ケータイのケースから出して、「え~と、どのボタンを押すんだっけ?これかな?」と受話器を切るボタンを押してしまう。(^^;

つまり大抵の場合、運転中にかかってきた電話に出ると言うことは、九子にとってはウルトラC級の難度の高い技なのであった。(^^;

だからその時も、いつも同様無視していた。
「まあいいや。家までもうあと2~3分だ。」

薬局の下にある坂をのぼりかけた頃、なぜか救急車のサイレン音が聞こえ、更に進むと暗くなりかけた空に、赤いライトの点滅もほの見える。

「えっ?まさか!うちじゃないでしょうね・・・・・・・。」
悪い予感は当たりであった。(^^;

実は父は、何度も救急車に乗っている。
そのうち、倒れたり、歩けなくなったり、どこかが動かなくなった・・・という緊急性のあった場合は、今から思うと3度か4度で、あとの数回は、はっきり言って、呼んでしまって後悔したというのが本当のところだった。(^^;

たぶん今回も、もしも九子がその場に居合わせていたならば、救急車は呼ばせなかったであろう。

九子はそれだけ賢い!と言いたいのではない。
さすがの九子も、人騒がせな父の病状を、何回も救急車を呼んでるうちにだんだんに学習したというだけのことだ。(^^;

出来すぎ母が騒ぐので、M氏もあわてて電話してしまったのだろう。
聞いてみると、具合が悪いからとベッドへ行って、ベッドに上がれずにう~う~唸っていたのだと言う。

九子が帰った時には、父は青い顔をしてあぶら汗をかいていたが、「大丈夫、大丈夫。」としきりに救命士さんに言いながら、担架に乗せられるところだった。

「ああ、あの時と同じだ。たぶん、一時的に貧血でも起こしたんだろう。」と九子は思ったが、救急車は後もどりと言うことが出来ない。(^^;

隣の八百屋さんのおじさんやらもやって来て、「大丈夫かい?」と騒がしい中、九子と病人を乗せて救急車は出発する。

「痛い所、苦しいところがあったら遠慮なく言ってくださいね。」救命士さんは優しい。
「どこも、なんともないよ。」とぶっきらぼうに父。

「今一応心電図とかチェックしてみますからね・・・。」

「う~ん。一応正常ですが、心電図に現れない不調も多いですから、油断は禁物です。」

「ここ押すと痛いですか?」
「痛くないよ。」

「ここはどうですか?」
「そこも痛くない。」

「こっちはどうですか?」
「あっ、ちょっと痛いような・・・。」

「痛いのここですよね。」
「あれっ、もう痛く無くなっちゃった。」
(救命士さんも、さすがに評子抜け・・・・。(^^;)

「救急車が通ります。申し訳ありませんが、道をあけてください。」大きな音を町中に轟かせて、父を乗せた救急車は赤信号もスイスイ走る。(^^;

救命士さんは最後まで、父を重病人かのごとくに扱って、病院へ届けて下さった。
「もうすぐですからね。頑張って下さいね。辛さや痛みは、本人にしかわかりませんから・・・。」

緊急外来の入り口から、担架ごと運び込まれる父。
CTとレントゲンを撮るのだと言う。

M氏と母もすぐにかけつけて、廊下の椅子で待機する。

いかにも熱のありそうな赤ちゃんを抱いた心配そうなお母さんや、青い顔で辛そうにしている妊婦さんに比べれば、至って気楽そうな様子がありありの我が家の3人である。(^^;

40分ほど待たされた後、中に呼ばれた。
今日の当直は、内科では結構名前の知られた中堅どころのN先生だ。

X線の画像を見ながら「う~ん。ここんところが、ひょっとすると腸閉塞のなりかかりのようでもあるんですが・・・。吐き気はあったのかな?最初はあったが、今はないんですね。じゃあ、たぶん違うとは思うんですが・・・・。」

「先生、お騒がせして申し訳ありませんが、お酒も少し過ぎたようです。空腹にお酒が入って具合が悪くなったのじゃあないかと思うのですが・・・。」

「でもまあこのレントゲンの所見はね、腸閉塞を疑っても不思議はないんですよ。まあどっちにしても、今日はこのまま帰って様子を見てください。吐き気が現れるようだったら、すぐに連れてきて下さいね。」

救急車で運び込まれた以上、もっともらしい病名をつけなきゃいけないのかもしれないが、救命士さんと言い、ドクターと言い、ちょっと大げさ過ぎるんじゃないの?(^^;

もっとも救急車の一件は、すぐに父の主治医の知れるところとなり、先日2ヶ月ぶりで診察してもらった時に、先生はすぐにこう言われた。
「先日の救急車の騒ぎは、結局飲み過ぎ、食べ過ぎが原因ということで良いですかね。」(^^;

もう、まったく~、人騒がせなんだからあ。
いい加減にしてよね・・・・・。


そしたら父が、ポソッと言った。
「なあ、九子。後生だからもう救急車なんか呼ばないでくれ。オレは家で死ねたら本望なんだ。病院なんかへ行かなくてもいい。オレは家で死ぬ。救急車で運ばれるなんて、オレもう恥ずかしくてご免だ!」

可哀想に、一番の被害者は父だったのだ。
そんなら一番悪かったのは、一体誰・・・・?(^^;

とんでもない話…後編 [<介護生活、そして父母の事>]

月曜日どころか、木曜日にラガーマンはノコノコ現れた。

「お待たせしました。今日はいよいよ株券を引き取らせてもらいます。このあいだ目録だけ作って見たのですが、時価でまるまる円くらいですねえ。」



まるまる円!なんと!M氏の借金の総額と同じ位・・・・・。

ひょっえ~!!(^^;



九子はおもむろに金庫を開けた。



「えっ!何これ!いつの間にこんなにきれいになってるの?!!」



株券の束があった場所には、見なれない箱が二つあり、母の字で「古い目薬資料」「コイン」と書かれてあった。



「肝腎の株券の束はいったいどこなのよ!!」



むろん九子は、金庫の中をくまなく探した。

確かに袋に入れてあったのよね。ほら、ここんんとこへ・・・。



すぐさま九子は母に尋ねた。「ねえ、ママ!株券の束どこへやったの?」



「えっ?そんなの知らないよ。株券なんてどこに入ってたの?」



「金庫だよ、金庫。きれいに整理したのママでしょ!!」



ことの重大さをやっと理解した出来すぎ母は、九子があとで探すように取っておいたごみ袋をひっくり返して探している。



そんなとこに入ってる訳ないと思うけど・・・。まあだめもとで探してみてよね。



10分近くああでもないこうでもないと二人で探した後、思い余って九子はラガーマンにこう切りだす。



「ねえAさん、とんでもない事がおこっちゃったの。株券がごっそり無いの。母がごみと一緒に捨てちゃったらしいの・・。株券って無くしちゃうとそれっきりになっちゃうの?どこかで、誰が持ってたって証明とかしてくれないの?」



ああ、その時のラガーマンの声!!

九子にゃあ、天使に聞こえたよ。



「いえ、大丈夫です。たぶん信託銀行が証明してくれるはずですから・・・。」

ほっと胸をなでおろすと言うか、その時の九子は胸をなでおろすどころではない。

胸をなでおろし過ぎて、やがて胸がえぐれた・・・・・みたいな。

(^^;(^^;



とにかく一応もう一度探してみると言ってラガーマンを帰したのだが、当人たちは探す気など毛頭失せている。



あるわきゃないっしょ。ごみに出しちゃったんだもの。

再発行してくれるなら、そうしてもらえばいいんだから・・・。( ^-^)



それにしても耳に残る母のあの言葉・・・。



「株券なんて、なくしたらそれっきりよ。あってナンボのものだもの。

 二足三文どころか、再発行なんかどこでも出来やしないわよ。」



・・そう思ってたんだったら、もっと注意深く扱って欲しかったよね。(^^;



それにしても出来すぎ母の立ち直りの早さときたら、勲章もんだった。

青い顔してごみ袋あさって、無い無いどうしよう!って騒いでからわずか30分後には、話題は今のフライパンの話になっていた。



「今のフライパンってさあ、黒くこげないように出来ているのかねえ。」



さっきの今でしょ。九子ならもっと済まなそうな顔してるとこだよ。

いや、一晩くらいは、株券無くしたショックから立ち直れずにいる、きっと。



さすが出来すぎ母!九子は言ってやりたかった。

「出来すぎ母ってさあ、絶対落ちこまないように出来ているのかねえ。」(^^;



まあ何はともあれ、やれやれだ。

株券は再発行してもらえるのだから・・・。( ^-^)



夕食の後、ほっと一息つく九子。

目の前に、さっき母がひっくり返して株券を探したごみ袋が二つ。



いっけな~い。明日はごみの日。

今日中身を確かめなくちゃ、無形大師のハガキやらなんやらが、株券と運命を共にしてしまう!



うん!良かったね。やっぱ探してみるもんだ。

これはおばあちゃんの書いた古いハガキでしょ。

あっ、これは昔の選挙の陣中見舞いの控え。

おじいちゃんの頃のかなあ?

5円とか10円とか、そういう時代だったんだねえ。



えっ?何?何?

これってなんかの権利書って書いてある!大事なもんじゃないのかな?



そしてごみの中からどさっと勢い良く落ちてきた見覚えのある袋!



あっ、あったあ!!株券の束だよ~。うっそ~!信じられない!



だってさあ、ここ、さっき出来すぎ母がひっくり返して探してたところだよ。

もっとも捨てる時だってわかんなかったんだから、拾う時わかんないのも無理無いのかも・・・。



仏教徒九子は、思わず仏に祈った。



「仏様 ! 無形大師の手紙を探すために収集に出さずに取っておいたごみ袋の中から、なんと!我が家の大事な株券が出て参りました。そうでなければ、今ごろごみ処理場の中で灰になっているところでありました。

これぞまさしく、仏様のご加護でございます。はっは~あ。(ひれ伏すさま)(^^;」



普通の人が「ラッキー!」と思うときに、「仏様に守って頂いた。」と思うくらいが関の山の情けない仏教徒の九子であるが、今回は、というか、今回もと言うか、とにかく我が強運には舌を巻いた。



本来なら、おとといの火曜日の朝にはゴミトラックに積まれてしまっていたはずのゴミ袋。

成り行きが成り行きゆえに、今度こそ本当に、無形大師が直接九子を助けてくださったと思うのだった。



お空の上では、無形大師が祖父16代笠原十兵衛と何やらひそひそ話をしている。



(無形大師)「やれやれ、あなたには随分世話になりましたから、お孫さんが入門された時には、こりゃあひとつ守ってやらなきゃなるまいと心に決めておりましたが、それにしても世話の焼ける家族ですなあ。私もだんだん胃が痛くなって参りましたわい。」



(祖父十兵衛)「まあそんなことおっしゃらず、ここはひとつ、我が家の善光寺百草丸でも飲んで、これからもよろしくお願い申し上げます。」



大本山活禅寺(←ここ)の開祖に、「善光寺百草丸」を薦めるというのも、いかがなものか・・。(^^;



まっ、仏様は寛大だから、ぜ~んぜん問題ありませんって。( ^-^)
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とんでもない話・・・前編 [<介護生活、そして父母の事>]

世の中よりによって、とんでもないことが起こるものである。

人間長くやってると(^^;、九子のような能天気な人間にもとんでもない話がふりかかるもんである。



話は株のことである。

九子やらM氏やらという根がまじめ人間(?)は、株などというものにはとんと御縁がないのであるが、我が家にもなぜかささやかながら株券というものが転がっている。



その訳は・・・・・・。



出来すぎ母であった。彼女はもともと大の勝負事好きである。

彼女が好きだったプロレスも野球も、バレーボールもテニスも、勝ち負けが常にはっきりしている。



家庭マージャンや花札をやれば、ちょっと千円賭けない?というのは、決まって彼女だった。

勝ち負けがもっとはっきりした現金の形で出る株と言うものに、彼女がのめり込まないはずがない。



もともとは彼女が儲けたお金である。どう使おうと彼女の勝手・・・ではあるのだが、父を巻き込み、挙句のはては九子まで巻きこまれて「絶対上がる。」と言われた株を買ったのがもううん十年も前。



株の売買と言うもの、日々頭を回転させて市場の動向を研究し、社会情勢に常に目を光らせて初めて出来るものと思うのだが、出来すぎ母の場合はちと違った。



熱くなれば買い、冷めれば売る。

彼女の感情のたぎるままに、我が家の株は動いていたような気がする。



とどのつまりが、父のこの言葉である。

「あ~あ、どっかから来たばあさんのおかげで、うちの財産ちゃちゃめちゃになっちゃった。」(^^;



ちゃちゃめちゃというのは、めちゃくちゃという意味である。

そのめちゃくちゃにした張本人も、さすがにバブルがはじけたショックでやっと目が醒め、株から足を洗い、何分の1かの値段になってしまった我が家の株券は、ずいぶん長い間銀行の貸し金庫に眠っていたのである。



ところが、なんでも来年から、個人持ちの株券を売り買いした場合は、面倒な税金の計算を自分でしなければならなくなったという。



そして、今年12月31日までに、証券会社の「特定口座」というのに株券を預けた場合に限って、その手続きを今後一切証券会社が肩代わりしてやってくれるのだそうだ。



お金の計算など大嫌いな九子は、もちろんなにがしかの手数料はかかっても、証券会社に預けようと言い張った。



それには、このところ我が家のあたりをうろつくようになった某N証券のAさんの影がちらつく。



Aさんは、すぐにわかる関西人である。

N証券という会社は、入社したてはそれこそ日本全国どこに飛ばされるかわからないそうである。



ラグビーの名門大卒ラガーマンの彼は、いつも汗をかきかき自転車こいで、坂の上にある笠原十兵衛薬局にやってくる。



よそ者に冷たいと言われたくない良いかっこしいの九子は(^^;、二度三度とやってこられるとついつい情にほだされて、気になってた「特定口座」の話を切りだす。



相手も、渡りに船である。

とんとん拍子に話が決まって、我が家の株券のほとんどすべてが、N証券の特定口座に移されることになった。



長いこと使われなかった貸し金庫の中、眠っていた株券が目を覚ます。

心なしか震える白魚のような九子の指が(^^;、株券の束を取り出す。



細心の注意を払って株券をかばんに入れ、駐車場へと急ぐ。



数年前なら出来すぎ母が、これらすべての九子の動作に寄り添い、間違いの無いように監視してくれていた。



その母ももう当てに出来ず、平日の昼間となれば一応ボディーガード役を期待できる男の子もいない。

すなわち、九子に全責任がのしかかって来る訳だ。



皆さんは株券をなくすとどうなるかご存知だろうか?



出来すぎ母は言ったものだ。

「株券なんて、なくしたらそれっきりよ。あってナンボのものだもの。

 二足三文どころか、再発行なんかどこでも出来やしないわよ。」



そんなもんかなあ?なんか手立てはあるんじゃないかなあ・・とは思ったものの、株の知識では一枚も二枚も上の母の話を信じるほかはない。



そう言う以上、よもや母がそういうとんでもないことをするとは夢にも思わず、貸し金庫から取りだした株券の束を、九子はうやうやしく家の金庫の中に入れた。



ほっ、やれやれ・・・・・。



緊張が緩んだ九子が、いつもより長いお昼寝を取った事は言うまでもない。

(^^;



N証券のラガーマンは、いつも出足が遅い。金曜日に来て欲しいところが、月曜日になる。

そうだ責任の一端は彼にある!

彼が金曜に来てくれていさえすれば、とんでもない事は起きずにすんだのだ。



土曜日、我が長野市は資源ごみ回収の日である。この日に会わせていつものように、出来すぎ母は家の整理をしていた。今日は金庫の入ってる古い戸棚の整理だそうだ。



幾箱もの段ボールに詰められた古い書類やら、ごみ袋に入った古い手紙の束やらが、母の手により捨てられた。



つくづく思うことであるが、整理する人間によって捨てられるものと取っておかれるものは大部変わってくる。



出来すぎ母が残したのは、雲切目薬の古い注文ハガキとか手紙。

「切手がきれいでしょ。」と本人は涼しい顔である。



えっ?そんなもん取っとくわけ?

九子はにわかに心配になった。



実は九子にはどうしても探したかったものがあった。

それは、活禅寺初代管長無形大師がもしかした祖父16代十兵衛に宛てて書かれたかもしれない手紙である。



いつもお寺に行くたびに「お宅にきっと無形大師の手紙があるはずだよ。探してごらん。」と言われていた。



なんでも市議会の顔であった祖父十兵衛が、活禅寺が宗教法人になるときにお寺のお役にたったことがあるのだそうだった。



それにしても雲切目薬の古い注文ハガキを後生大事に取っておくような母である。



九子が思う大事なもの、例えば、おばあちゃんが父に宛てた手紙とか、おじいちゃんの所へ来た無形大師をはじめオエライサンからの手紙とか、そういう本当に重要なものが、捨てられているかもしれない!



そして九子は、火曜日に出す可燃ごみの中から、出来すぎ母が捨てたと思われるごみ袋2個を選び出して、九子の最終チェック用により分けて取ってあったのである。



今思えば、これがつまりは仏の御加護であった。(^^;



(後編に続く)























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ちょこっと [<介護生活、そして父母の事>]

出来すぎ母は大手術のあと、なかなか太れないで困ってるのだが、一度にたくさん食べられない分、少しづつを回数多く食べるようになり、以前は全く興味の無かった料理番組やうまいもん情報を、目を皿のようにして見るようになった。

要するに、食べることに目覚めたのである。

そして、母の口癖が「ちょこっと・・」になった。

「わたし、ちょこっとあればいいから。」
「それ、ちょこっとだけちょうだい。」

この手で、身の回りにあるできるだけ多くの食材を、とりあえず口に入れようとする。

この頃九子の家では、カニ玉よりもむしろ、かき卵のえびチリがけが頻繁に食卓に昇る。

わからない人がいるかもしれないので、違いを説明すると・・・・・

カニ玉というのはカニの身(たいていカニ缶づめ)と、時には日本ねぎなんかを混ぜた卵を、たっぷりの油を熱した中華なべでいためて、大ぶりのカニ入り卵焼きを作る。
その上に、ケチャップ、砂糖、酢、砂糖等で調味して片くり粉でとろみを付け、グリーンピースなんかもあしらったソースをかける。

かき卵のえびチリがけは、文字どおりシンプルな卵だけを中華なべのたっぷりの油でふっくらと焼き上げ、その上にえびのチリソースをかけたものである。

この頃良く食卓に昇る・・・というところが実は味噌である。

ご存知の通り、九子のうちの食卓は、経済の影響をもろに受ける。(^^;
大学生二人、そして来たるべく大学生三人時代に備え、贅沢は敵である。

そんな昨今選ばれるものに、高いものがあろう筈は無い。

手の内はこうだ。

カニ玉のカニはかつて、いつも父の冠婚葬祭の引き出物やら贈答品やらで「ただで」手に入ったものだった。
ところが父が要職を退いて5年も経つと、さすがに蓄えてた分も底をつく。

昨今カニ缶というのは貴重品である。

またえびチリソースというのも、それだけをおかずの目玉にしようとすると、結構な量のえびが必要だ。

それを少しでも安くあげるために、九子は大量のたまねぎを良くいためて混ぜる方法を長年やっていたのだが、娘達に「たまねぎまず~い!」と言われて、考えついたのがこのかき卵のえびチリソースがけであった。

考えついたというか、どこやらの中華料理やさんで見つけたんだけどね。
( ^-^)

まず、主役は卵である。
それも、カニなどはいらない、シンプルかつ安価なやつ!

ちょっと豪華なのは、上にかかるソースだけだ。

えびはエビチリにする時は、おおぶりでないと格好がつかないが、上にかけるソースだからして、小ぶりなやつを、さらにまた半分に切ったやつでも事足りる。もちろん量もちょこっとで良い。(^^;

それと、緑色があった方が見栄えがいいから、ねぎでも、グリーンピースでも混ぜて、これでかさも増やせる。(^^;

エビ入りソースはトマトケチャップに甘酢を利かせてたっぷりと、卵を覆い尽くすほどに・・・。
つまりこの場合、エビはアクセントね、アクセント!( ^-^)


先日、またしてもこの卵のエビチリソースがけが食卓を飾った。

大きい卵を6個使って卵焼きを作ったのだが、ソースの量が結構多かった。
卵にたくさんのっけたけど、エビ入りソースがかなり余った。

そうだ!九子に名案が浮かんだ。
ソースだけ冷凍しといたら、いつか高校生二人とM氏のお弁当用に、朝たまご焼くだけで簡単にエビチリたまごが出来る!( ^-^)

九子はソースを入れる保存容器を探していた。
我が家の冷凍庫はいつも結構満杯だ。
だから、なるべく小ぶりで場所をとらないやつが良い。

やっと容器が探せたから、さあ、ソースを入れるぞお・・・・・・!

あっ、あれっ???
ソースが・・・無い!!


その時ひょっと母を見ると・・・。

「あっ、あたしちょこっとだけもらったから、たまごは要らないから、これだけでいいから。」
母の前には、残ったソースに入ってたエビだけきれいにすくったやつが・・・。

「たまごにかかったの、ちゃんとこっちにあるのに・・・・。」と必死の九子。

「いいの、いいの。あたしちょこっとあればいいんだから・・・・・」
母は気のせいか、お皿を手で覆って死守してるように見える。(^^;


・・・・・負けましたわ。


それとこの頃とみに気になるのが、母の視線だ。
とくに九子がお茶飲んでたりする時に、母が確かにこちらを見ている。

最初は気のせいと思っていたのだが、九子ばかりではなく、娘たちがなにか食べている時も、娘たちの口のあたりに、母の視線が注がれている。

なんなんだろう、この不気味な気配・・と思っていたら、理由がわかった。

この視線を感じるとほどなく、母はこう切り出す。

「ねえ、それ、ちょこっとだけちょうだい!」
要するに一人では食べきれないのだけれど、少しなら食べてみたいということなのだ。

そしていつも「おい、おい、それがちょこっとかよ。」とか、「残った分こそちょこっとだよ。」とか、さまざまな思いを九子の胸に刻みながら、母のちょこっと攻撃は続く。


今日も母は「ちょこっとだけ。」と言いながら、すいかの真ん中の十分大きなとこを選んだ。案の定食べきれなかったのか、「悪いけど九子の分半分切って残してあるから、食べてね。」と来た。

お皿に残ったすいかを見て、九子はたまげた!
残ったすいかは、向こう側が透けるほど薄かった。

だいたいさあ、半分ってことは等分ってことじゃあないわけ?

母の名誉のタメに言っておくが、若い頃の出来すぎ母はこうではなかった。
家族のために良いところを取って、自分はいつも一番端っこだった。

食事の途中に客が来ると、大慌てで店に出て、帰ってくると自分が食べていたことすら忘れてしまって、もうそれ以上食べなかった。

そんな母を、子供ながらに、かっこいいと思った。
がつがつしてる九子には(^^;、とても真似できないと思っていた。

とにかく、食べることに欲の無い人だったのだ。
それが、この変わり様である。(^^;


お年よりは大切に。だんだん楽しみが限られてくるのだから、食の楽しみくらい奪っちゃいけない。

それにさあ、たかが娘と母親のたわごとじゃあないの。
嫁姑の確執とは訳が違う・・・。

う~ん、でもなあ。
このもやもやした思いはなんなんだ!(^^;

キレタ話・・・その① [<介護生活、そして父母の事>]

キレルって日本語、一体誰が考えたもんだろう。

九子の独断と偏見で言ってしまうと、「堪忍袋の緒が切れる」って表現から来たものではなかろうか?と思うのだが、それよりずっと直説的で、怒りによって脳の毛細血管の数本が切れてしまう・・・みたいなことまで想像されて、言い得て妙って気がする。

九子の説が正しいと仮定すると、身体のどこかに堪忍袋という袋があって、その中にはしょうもないグダグダした怒りのかけらやら、行き場の無い感情やら、コンプレックスに裏打ちされたわけのわからない衝動やらがいっぱい詰めこまれて行って、普段は緒という紐で口がくくられているのだけれど、堪忍袋の許容量を越えて中身が満杯になったとき、緒が切れて中身がはじけ出す・・・ということになる。

自分がキレタ時のことを考えてみると、結構そんな感じが強い。

堪忍袋の口って、本人が気づいていなくてもずっと開きっぱなしになってるもんなんだね。開いていても1度入った物は逃げ出せないで、タコツボみたいになっている。そしてどこまで一杯だったかは、キレルまで本人にわからない。

キレタ時言われた言葉が、いつものそれよりひどかったり程度が悪かったりという感じはしない。むしろ積もり積もったものがたまたま許容量に達していて、一度に爆発した・・・みたいな感じだが、その日の気分なんてものにも影響されそうだから、堪忍袋自体が気紛れな物なんだろう。

昔、九子が良くキレルのは、いつも父の言葉だった。
父が介護保険を受けるようになってから、父に対する怒りは静まり、矛先(ほこさき)は母になってきたみたいだ。(^^;

母はあまりキレない。
というか、しょっちゅうキレテばかりいるので、ことごとくをキレルと表現していたら身体が持たない気がする。(^^;

母の言葉は、感情表現であふれている。
嬉しい、楽しい、おいしい、まずい、イヤだ、困った、まったくもう~!

その上、手早で気も早いので、元気だった時の彼女が出来たようなスピードを誰にも求める癖がある。

九子はその点、言いつけても言いつけ甲斐のない筆頭だ。
生返事するだけで、いつやるとも限らない。(^^;

娘二人は何も言い付からない。
長女Nは言いつけたくても勉強やら部活やらで、日曜日も無い位学校に縛られている。次女Mは、恥ずかしながら、文句ばかりを言って決して言うことを聞かない。(^^;

となると、一番の犠牲者はたぶん三男Yである。
何しろ我が家に残っている唯一の男の子だ。それに図体もでかい!
母が出来ない力仕事を頼むにはうってつけだ。

その上、学習障害がある位の子だから、基本的に優しいのだ。(障害のある子は、無垢で優しいと良く言われるではないか。)
とにかく言われたことは、きちんとやる。

きちんとやるものだから、余計おばあちゃんに頼りにされる。
「ねえ、Y、裏の畑の土おこしといて。それから、木の根っこも掘り起こしてゴミの日に出して。」
「ストーブもう要らないから、みんなの分裏の2階へ片付けといて・・・」
「厚い毛布もういらないでしょ?屋根に干して、ついでに布団も干しときなさい。」

そして、それぞれの言葉の最後に必ず付け加わるのが、「ママが可哀想じゃない。ママが倒れちゃったら困るでしょ・・・。」である。

あまのじゃくの九子は、ここで沈黙する。

もちろん、そう言ってくれるのは嬉しいと言わなきゃいかんのだろう。
でもなあ・・・。

一度や二度なら嬉しい・・たぶん・・・。
でもなあ、こう毎回となると・・・。

Yの優しいのをいい事に、その気持に付け込んでるみたいな感じがするんだよなあ。


そうそう、ゴク最近九子がキレタ時、母はこう言った。

「もう、やだよ~!お風呂入ってるって言うから入ろうとして行ったら、栓が抜けてて空っぽじゃない!ハダカになっちゃったのに!その上電気は晧晧(こうこう)と点いてて・・・。」(良く考えてみると、気の毒に・・(^^;)

あのね、九子が言ったのは「お風呂入ってる!」じゃなくて、「お風呂入れるから・・。」
つまり、お湯が入って準備が出来た!じゃなくて、これからお風呂のお湯を入れ始めるってこと!
栓のほうは知らない・・・。(^^;

彼女の怒り方には特徴がある。
まず初っ端の威嚇が「もう、やだよ~!」である。
そして必ず二つのことを絡めて怒るのだ。

お風呂に水が無かっただけならまだしも、電気も点いてた。
ゴミを片付けといてと言ったのに、片付けてないばかりか、きのうの弁当箱も出し忘れている。
そして、だめ出しが「あんたはいっつもそうなんだから・・!」である。

つまり母に言わせると「もう、やだよ~!」で始まり、「あんたはいっつもそうなんだから・・・!」で終わる真ん中の部分が、常に、日常的に、繰り返し
行われていることが、我慢ならないという事になる。

ところが、相手(ここでは九子(^^;)にとっては、それは日常的に繰り返されていることでも何でも無くて、たまたま偶然そうなったことを取り上げて、あたかも継続的に行われているが如き言い方をされる事が気に入らない訳だ。

お風呂のふた(湯冷め防止の柔らかいやつ)をした時、たまたま何かの拍子に栓がついてる鎖に触れて、栓が抜けちゃうことはいつもあることではない。(5~6回はやっているが・・(^^;)

お風呂に晧晧と電気が点いてるからといって、テレビも電気も扇風機も一日中つけっぱなしの誰かさんに言われる筋合いはない。

気がついたらキレていた。
「そんなこと、ママに言われたくないね!!!」

娘どもが引いている。

そして、九子はひたすらその場を逃れる。
九子は何しろ気が弱いので、居たたまれずにその場を逃げ出すというのが本当のところなのだが、回りにしてみると、怒りを吐き捨ててるようにも見えるだろう。


まあ、九子がキレルことはそうたくさんは無い。(・・・と信じたい。
これでも一応は坐禅をして、修行積んでるからね・・・。(^^;)

だけどなあ、あんまり良い気分じゃあないよね。
一時の快感と、長い後悔を引き換えにしたような気持ち。
Nuitさんの気持も良くわかる。

ただ我が家の場合は嫁姑じゃなくて、親子だからその点はかなり楽なんだろうと思う。
相手をフォローする努力というのはあんまり考えなくても、お互いゴメンも言わずに、明日になれば元通りになっている。
まあ、これはうちの出来すぎ母の性格にもよるんだろうが・・・。

母も九子と同じ様に「気持ち後引きタイプ」なら、ちょっと修復に時間がかかっていたかもしれない。

つくづくうまく出来ているなあと思う。

堪忍袋の緒が弱くて、いつでも小爆発を繰り返してる母みたいなタイプは、キレてもすぐ修復できて後腐れがない分、回数キレルのかな?

九子みたいに、そんなに回数キレル事は無いけど、キレルとなかなか修復できないタイプは、防衛反応が働いて回数キレナイようになっているのかも・・・。

M氏やN子はどうだろう?
あの二人がキレタところ、まだ見たことないんだよね、考えたら・・・。
よっぽど堪忍袋が大きいのだろうか・・・・・・・・・・。


だんだん空恐ろしくなってきた!(^^;
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