あなたは運がいいですか? [<九子の万華鏡>]
あなたはご自分のことを楽観主義者と思われるか、あるいは悲観主義者と思われるか、どっちだろう?
九子は完璧に・・というか、ほぼほぼ悲観論者である。
出かけて行った家族が時間になっても戻ってこない。
事故にあったのだろうか?誘拐されたのだろうか?
浮かんでくるのは悪い想像ばかり。
息子に一度こっぴどく叱られた。
友人と山登りをすると言う連絡があり、それから何日経っても電話が来ない。
山で遭難したのだろうか?という想像は頭の中で日増しに大きくなるばかり・・。
ついに息子の会社に電話を入れてしまった!
「〇〇は出社しておりますでしょうか?」
その晩「会社に電話するなんて、一体何考えてるんだよ!ったく!」という元気過ぎる声(^^;;
その九子がこの頃株を始めた。実は勝負好きの出来すぎ母から譲り受けた株券があって、毎年配当を受け取るだけが嬉しくてそれだけで自己満足していた。
ところがよく調べてみると、株屋に無理やり勧められて買ったのが下がったり、そんなこんなしているうちに株券の総額は目減りして、受け継いだころの半値くらいになってしまっていた!これではいかん!
それで売買を始めてみて分かったのだが、悲観論者の九子には株が持ちきれない!
どういうことかというと、下がるのが怖くてすぐに売ってしまう。安くなっても次に上がるまでじっと持っているということが出来ないのだ。少し損して売ったとしても、銀行に現金としてある時だけが安心で、持ち株となっているときは不安で不安でたまらない。
上がり下がりに右往左往させられるのが怖いのだ。
(そんな人がよく10年間も株を塩漬け(売り買いしないでほっておくこと)していたわねえ。(^^;;)
株価が落ちてしまうことしか想像できない。株価が高くなるとはなかなか考えられないのだ。
これぞ悲観論者=ペシミストの典型だ!
若干話は違うかもしれないが、松下幸之助の有名な話に、彼は「自分はとても運が良いと思います。」と答えた人間しか採用しなかったそうだ。
自分が運がいいと考える人間は、きっと楽観主義者なのだろう。楽観主義者がリーダーなら、失意の時に明るい未来を見据えて人々を啓蒙し、舵を取ることが出来るからだろうと、九子は初めそう思った。
だけどどうやら事実は少々違うらしい。
松下幸之助氏ご本人は、大変貧しい幼少時代を過ごされて、学校も行けず、親兄弟とも早く死別し、その上数々の病気や事故で死にかけている。
決して自分がそうなりたいと思えるほど良い人生ではないにもかかわらず、彼は自分の人生は恵まれていた、自分は運が良かったと考える。
そう考えることで自分の人生を肯定し、困難な問題に直面しても、自分は運が強いのだから何とか乗り切れるだろうという信念が生まれて来るのだそうだ。
悲観論者の九子だが、自分は大変運が良い人間だと、そこだけはいつも信じている。
これは決して松下幸之助翁が言うように、自分の困難な人生を背負って未来を見据えている訳では決してなく、たまたま自分が人生の岐路に立った時、不思議なことにいつでも不幸になる道を選択せずに済んで居られる幸運な人間だと思っているわけだ。
それが島田秀平さんが言ってくれた「たくさんの人の強い力で守られている」という意味なのかもしれない。
九子のその幸運は今回もまた見事に九子の初孫にも降り注いだようだ!(^-^)
島田秀平 with 雲切目薬 [雲切目薬のこと]
皆さまは善光寺七名物をご存じだろうか。
八幡屋磯五郎の七味唐辛子、鐘鋳川岸の酒まんじゅう、善光寺境内茶屋の甘酒、川島屋の黒膏薬、豆腐のみそ田楽、和ロウソク、そして我が笠原十兵衛薬局の雲切目薬、
となる。創業1543年の雲切目薬は中ではたぶん一番古い。
今回この善光寺七名物を回る旅ということで、地元SBCテレビの情報番組「ずくだせテレビ!」がリポーターに地元長野市出身の手相芸人島田秀平さんを起用してロケを行った。
我が家にももちろん来てくれた。
ちなみに「ずく」とは地元長野県の方言で、やる気、根気、頑張りなどと訳せる言葉である。
この話に最初に色めき立ったのは娘だった。「えっ?島田秀平さんが来るの?今までで一番の大物じゃん!」
「前に林家三平さんも柴田理恵さんも来てるよ。そっちの方が凄くない?」
「いやいやいやいや、島田さんは「ヒルナンデス」で和田アキ子の手相も見たんだよ。
凄いよ、ママ!ママも手相見てもらえばいいのに・・。いや、絶対に見てもらいなさい!」
娘はそれだけ言い残すと、日課の散歩に出て行った。
収録の前は必ず坐禅をするのが九子の日課だ。
坐禅をすると、上がらず、怖気ず、自然体で落ち着いてテレビに出られる。
さて、これで大丈夫!あとはテレビ局の人と島田秀平さんが来るのを待つのみだ。
何やら外で声がする。そういえば店の外には「蘇った善光寺七名物」の幟がはためいていた。それを撮っているらしい。
思えばこれも運よく九子が新しいものに取り換えたばかりだった。今日のこの日のため・・なんてことはまったく忘れ去り、破れていたし、4月の年度初めだからと軽い気持ちで取り替えた。
島田秀平さんは背の高いイケメンさんだった。芸人さんという風にはまったく見えない真面目な感じの人だった。
坐禅のせいか、九子は結構ノリノリだったらしい。普通の人より勝手気ままにカメラの前でふるまっていたらしく、秀平さんはそれを面白がってくれたみたいだ。
例によって古い店で元祖雲切目薬などの資料を見て頂き、ひとあたり解説させていただいたところで、次はもうこの世に存在しない「川島屋の黒膏薬」の話になる。
今回幸運だったのは、今まで全く資料が無くて幻だった「川島屋の黒膏薬」を作って卸していたという家の人が偶然見つかったことだ。あろうことか、М氏が区長会で一緒になった人が「うちで作ってた薬を雲切目薬さんとこにも卸していたんですよ。」と話しかけてきて、その人のおじいさんが黒膏薬を作っていらしたことが判明した。それをうちだけじゃなく、特に川島屋さんに納めていたというのは確かな話らしい。
カメラマンさんたちが古い店の資料を撮っている間、九子は秀平さんとお話しする時間が出来た。
秀平さんが佐久長聖高校出身というのはなんとなく知っていたが、今でこそ志願して行く人も多い佐久長聖に、秀平さんは第一志望を落ちて失意のうちに入られたそうだ。
「人生最初の挫折でしたね。まあ、いろんなことは学びましたけど・・。」
ここで九子は、第一志望に落ちて長野日大高校に行った次男の話をする。そして次男はいろいろ回り道をして、寿司屋の修行して、オーストラリアで暮らすことを夢見ていますと話したのを、とても興味を持って聞いて下さる。
なんといっても秀平さんの話で一番ぐっと来たのは、占いの姿勢みたいなものだった。
「僕は辛い人、困ってる人が占いで元気になって欲しいんです。だから、悪いことは言わない。いいことだけ言ってあげたい。悪いこともたまに言うけど、最終的には占ってもらってよかったなと思ってもらえて、頑張ろうと思ってもらえるようにしたいんです。」
ああ、なんて良い人なんだろう!!この一言で、九子も島田秀平のファンの一人だ!
「雲切目薬をずっと使ってるんですよ~。いや、ほんとに。」と言われた時は絶対ネタだと思った。こういう時、芸人さんは分が悪い。
そんなこんなで打ち解けてきたところで、すかさず手相を見てもらうお願いをする。(^^;;
考えてみたら秀平さんが手相を見るのは、ふだんテレビで見る有名人たちばかり。誰もが島田秀平に見てもらいたくて長い列を作っているらしい。その上秀平さんは手相を見るのに夜の新宿の街角に立ったりしない。考えてみたら見てもらえるなんて余程のことなのだ。
それなのにこんな一般人の私が頼んでも、嫌な顔一つせずに見てくれる。
言ってもらったことは3つ。
1.「しぶとく生きますよ~。(^-^)」 実はその前に二人の娘を薬剤師にしたのに、二人ともお嫁に行って薬局をつぐ人間が決まらない。私が長く頑張らないといけなくなったという話をした。たぶん秀平さんは、応援するつもりでそう言って下さったものと思われる。(そこまでして長生きしたくないけど・・。(^^;;) |
2.「大勢の人が強い力で守ってくれていますよ~。」 実は昔から九子の手相には生命線や運命線を横切るしわがたくさんあって、何十年も前にこれらは「物事が続かない気まぐれな相」だと言われた。だから以来あまり手相を見てもらうのも気が進まなかった。 ところが今回島田秀平さんは、こういうしわを「十字の形」と見てくれて、「十兵衛だけに(^^;;このたくさんの十字があなたを強い力で守っていてくれるのですよ。」と言ってくれた!これは本当に嬉しかった!解釈の仕方もそうだけど、言い方一つでこんなに変わるんだ! |
3.「不思議ちゃんですね!」 不思議ちゃんという言葉、もちろん知ってはいても自分に対して使うことは無かった。でも言われてみたら、まさしくぴったりだった!「天邪鬼(あまのじゃく)」も、「友達いない子」も、「ドジ」も、「天然」も、みんな合わせて「不思議ちゃん」
今日からは自分のことを不思議ちゃんと呼ぼう!(^-^)
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占ってもらったら本当に勇気が湧いた。占ってもらって本当に良かった。秀平さんに占ってもらうとみんなきっとこういう気持ちになれるのだと思う。強く薦めてくれた娘に感謝!
運命の糸 [<九子の読書ドラマ映画音楽日記>]
若い女の子の結婚願望は果てしなく広がる。
やれ、イケメンがいいの。やれ、背が高いのがいいの、大企業に勤めてるのがいいの・・・。
だけど結局は昔から言われるように一番は「相性」だと思う。
一緒にいても疲れない。相手の嫌なところが気にならない。一緒にいると落ち着く。
そういう相手に一度で出会えた人は幸せだと思う。
この間亡くなったショーケンこと萩原健一は四度結婚をしたそうだ。
最初の頃のいしだあゆみさんなんかはすごく大変だったと思う。
若かりし頃のショーケンは相当ヤンチャだった。
次々と問題を起こしては、離婚する頃はいしだあゆみも精魂尽き果てた状態だったのだと思う。
ところが二番目、三番目と進んで4番めのモデルの彼女とはとてもうまくやっていたらしい。
これなんかは4番目の彼女の操縦が良かったというよりも、単純に運が良かったのかもしれない。
人間は年を取るとみんな丸くなる。
だからとがり放題とがっていた若い人も年を取ることで、奥さんにとってとても扱いやすくなるのではないのかな?
ショーケンみたいにたいていはご主人の方が手に余る場合がほとんどだけど、その逆もあった。
野村監督と野村沙知代夫人だ。
学歴詐称などで沙知代夫人が大バッシング受けていた時、野村監督は一人夫人をかばった。
「こういう女はねえ、俺みたいな男じゃないとだめなの。」という言葉も野村監督をとても大きく見せたけれど、「妻の言ってる学歴なんて、みんな嘘ですよ。嘘をついてでも当時俺と結婚したかったんじゃないの?」というのも事実はどうあれ、沙知代さんをほっとさせる一言だったと思う。
彼はまたこうも言っている。「俺は内心気の小さい男でねえ。妻みたいに動じない人間が隣にいると安心だった。」
日本人全員に嫌われて悪口を言われようとも、その妻を一人の夫が支える。その夫は、一億の民が知りえない妻の長所によって日々支えられている。
夫婦の機微とはよく言われるが、本当に不思議なものだと思う。
こういう風に出会った夫婦は、いろんな障碍をいともたやすく乗り越える。
いともたやすくは無くても、あれよあれよという間に障碍はどんどん小さくなっていく。
お互いが支えあい、補い合って、1プラス1以上の力が出るのだろうか。
九子の周りの若い仲良しカップルにも大きな不安が影を落としている。
でも彼らは、見事に覚悟を決め、力強く歩みだそうとしている。
彼らに捧げる一曲。月並みだけど・・。(^^;;