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二つの死 [<番外 うつ病編>]

同じ日に二つの自殺が報道された。
いや、一つの方はあくまでも自殺の可能性に過ぎないのであるが・・・。


一つは松岡農水大臣の自殺。
そしてもうひとつは、人気グループZARDのボーカルだった坂井泉水さんの、子宮頸がんの治療後に肺がんが見つかった後の病院の非常階段よりの転落。


たぶんうつ状態にあったと思われる二人の死だが、同じようにやりきれなさを覚えても、その意味合いは大分異なる。


少なくとも2年前まではステージに立って、人々に勇気を与える歌を歌い続けていたまだ40歳の美貌の歌姫。


たぶん健康には自信のあったはずの彼女が、まさかの子宮ガン。
予後は比較的良いと言われる子宮頸がんの手術で、ガンは完治したものと思い込んでいたであろう矢先の、肺への転移。


その年齢を考慮し、転移した部位が肺であった、肺がんであったという事実の重みを受け止めた時、人は誰でも限りなく希望の淵から遠いところへ追いやられるに違いない。


誤解の無いように聞いて頂きたいのだが、病院というところ、私たちが安心するほど安全な場所ではない。(かといって、彼女が入院していた病院がそうだと言っている訳ではないのだが・・。)


特に内科病棟に入院していた場合、その病が重かった場合の精神的ケアまでが行き届いていたかどうかは、かなりの疑問が残る。


高層建築の病院の場合、死に場所は却って家にいるよりもたやすく見つかる。


その上、閉鎖病棟に居る以外の患者は、誰にも怪しまれずに病院のほとんどどこへでも立ち入る事が出来てしまうのだ。


俗に言う反応性うつ状態、つまり坂井さんのように誰が考えても悲しい衝撃的な事柄(親しい人の死や自分の病気や不幸)の後に生じるうつ状態には、病的なうつ状態(うつ病、躁うつ病)よりも抗うつ薬が効きにくいのは確かであるようだ。


しかしもし精神科医またはカウンセラーによる適切な助言や、病院側の自殺に対する配慮がなされていたならば、また違った結果になっていたのではないかと残念でならない。



もちろん今の段階で彼女の死が自殺であったと断定されたわけではない。
しかし、その可能性は高いと思う。



うつ病というのは、気分の変動が激しい病気だ。


毎日、と言わず、一日のうちでも気分の上がり下がりは確実にある。


今日は調子が良いと思っていても、ちょっとしたことが原因で急激に落ち込む事もある。
もちろんその逆もあるにはある。


確実に言えるのは、ごくごく軽いうつ病であってもなお、ふだんの心理状態とは確実に異なると言う事。


特に、ふだんは気にも留めない「死」という文字が、手の届きそうに身近なものに思える瞬間があると言う事。


彼女が転落したのが早朝であったというのも気になる。
早朝覚醒はうつ病の典型的な症状だからだ。その上起床時の気分は一日のうちで最悪の場合が多い。


うつ状態(彼女がうつ病だったかどうかはまだわからないので、こういう表現に留めて置く)の上に、病気の苦しみや未来に対する希望の無さに後押しされたら、誰でも死に救いを求めたくなるのではないだろうか。


どうせガンで苦しんで死ぬよりも、いっそこのまま一思いに・・。
彼女がそう考えたとしても、なんら不思議はない。


そしてその悪魔の一瞬にさまざまな悪条件が重なれば、それがそのまま命取りになってしまうのだ。


こういう状況下での彼女の死は、万人が皆同情を寄せる痛ましく、切ない死である。



一方松岡農水大臣の自殺の方は、あまりにも衝撃的で誰もが言葉を失った。


数日前の答弁を見ていても、彼の目が不自然に泳いでいるように見えた割には、彼の口から出てくる言葉は威圧的で、高慢な印象を受けた。
一筋縄ではいかない人だと思った。


まさか自殺をするなんて、思いもよらなかった。



石原都知事の「彼も侍だったのか・・。」というコメントに至っては、轟 拳一狼さんのように不快感を持たれる方が大部分だったと思う。


「そんなもんじゃあないだろうが・・・。、侍ってのはさあ、侍ってのは、もっと男気のあるもんじゃないの?」九子も確かに最初はそう思った。
(☆この部分については、轟拳一狼さんからのコメントをお読み下さい。m(_ _)m)


だが改めて考えてみると、侍と言うのは主君のために、そして自分の名誉のために、簡単に切腹をする人種であった。


そういう言い方が悪ければ、切腹が忠誠心や身の潔白を示すバロメーターになった時代があったのだ。


そして一人の男の切腹によって、彼が地獄の果てまで大事に抱え込んで行ってくれた秘密がもう二度と日の目を見ることがないという事実により、ほっと胸をなでおろしていた悪い連中が一体何人居た事であろうか。



永田町という総理を頂点にした現代の城において、現代版ハラキリをした松岡農水大臣。


彼の死によって、もっとあくどいどこかの誰かがほくそ笑んでいたとしたら・・・。


そう考えると永田町と言う城を知り尽くしている石原都知事が「侍」と言ったのは、「侍の心を持った人間」という意味ではなくて、「永田町という侍社会に生きていた人間」という単純な意味だったような気もしてくる。


それにしてももっと解せないのは彼が遺書に書いた「内情は家内が知っているから家内に聞いて欲しい。」という一言だ。


その後に身辺を探さないで・・という一文があったにせよ、正直九子は松岡大臣の妻でなくて心の底からほっとした。


なんて可哀そうな奥さんなの。
夫に死なれ、その上そこまで責任背負わされたら、やってられないわよ!


ところが聞く限りにおいて、松岡夫人は通夜の席でも涙一つこぼさず、夫の言葉どおりの気丈な妻ぶりを皆に印象付けたのだという。
「夫の生涯は、太く短く悔いのない生涯でした。」


夫がああいう亡くなり方をした通夜の席でこれだけの事が言えるというのは凄い人だ。


松岡農水大臣がはたして侍であったかどうかは、後の世の評価に任せよう。
しかしながら確実にこれだけは言える。


松岡大臣は、確実に「侍の妻」を持っていた。


(・・だから彼は「侍」だった・・って論法??(^^;;)


☆九子の予測を裏付けるかのように「コラムの花道」というラジオ番組で勝谷誠彦氏がこんな恐ろしい話をしていた。

20分ほどの話だが、真偽の程はともかく実に興味深い!ダウンロードしてみてはいかが?



http://tbs954.cocolog-nifty.com/st/2007/05/530.html

ZARD 松岡農水大臣 心と体 ニュース
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轟 拳一狼

[侍ってのは・・・]
 九子さん、私のブログの引用、有難うございました。
 でも少し異論を言わせてもらいますね。

 「だが改めて考えてみると、侍と言うのは主君のために、そして自分の名誉のために、簡単に切腹をする人種であった。

そういう言い方が悪ければ、切腹が忠誠心や身の潔白を示すバロメーターになった時代があったのだ。」

 九子さん、残念ながら今の社会では、こういう「侍」に対する誤解が広く浸透してしまっているのですね。だから某都知事のような発言も出てくると思うのです。

 でも違うんです。それは「侍」という存在を正確には表してはいません。おそらく侍がそういう存在であったほうが為政者にとって都合がよいため、「侍とはそういうものなのだ」と、歴代の日本を牛耳ってきた政府が国民を洗脳し続けてきた結果です。

 元は君主近くに仕える「さぶろうもの」から名づけられた「侍」ですが、時代とともにその意味は変わってきました。だから「侍」という語義に関しても色々な解釈が成り立つとは思います。
 しかし、ただの職業軍人ではない、高度な見識・知識、哲学を兼ね備えた本当の「侍」という存在は、簡単に命を捨てたりはしません。なぜなら彼らは常に命というもの、死というものを見つめ続けなければならないからです。ちなみに「男気」は、「侍」の観念とはまた別の問題です。男気のない侍もいておかしくないからです。

 侍に関しては、書き出すと長くなりすぎてしまうので、また気が向いたときにブログで書きたいと思います。別に私は「侍」になりたいと思いませんが、世の中であまりにも軽々しく「侍」という言葉が使われているような気がします。私が真に不快感を感じているのは、都知事の発言ではなく、そんな世論です。
 一人の作家が何を言おうと作家の勝手ですが、その作家が人気を集めて知事に選ばれてしまう今の世の中に、恐ろしさを感じるのです。
by 轟 拳一狼 (2007-06-02 17:50) 

九子

[拳一狼さん!]
確かに侍と言う言葉を、訳も分からず使ってしまいました。

特に拳一狼さんは、武道もなさる方ですから、日本古来の侍の魂みたいなものをよくわかっていらっしゃるのでしょう。

軽い気持ちで「侍」という言葉を使ってしまったこと、お詫び致します。m(_ _)m


>ただの職業軍人ではない、高度な見識・知識、哲学を兼ね備えた本当の「侍」という存在は、簡単に命を捨てたりはしません。なぜなら彼らは常に命というもの、死というものを見つめ続けなければならないからです。

確かにその通りですよね。

それに、侍の先祖?の鎌倉時代の武士は、禅の修業をしていましたものね。禅の思想がそんなに簡単に命を落とす事を認めるはずはありませんよね。

>侍に関しては、書き出すと長くなりすぎてしまうので、また気が向いたときにブログで書きたいと思います。

拳一狼さん、是非とも!
拳一狼さんが描き出される侍の真の姿、私も読むのを楽しみにしています。( ^-^)
by 九子 (2007-06-02 20:00) 

轟 拳一狼

[侍ってのは・・・2]
侍の魂について、書いてみました。もっとも「侍の魂などというものはない」というのが私の結論ですけどね。

http://www.k2.dion.ne.jp/~ken1ro/texts/movie10.html

宜しければ、お目通しください。
by 轟 拳一狼 (2007-07-22 23:20) 

九子

[おお!超大作!]
侍は拳一狼さんの永遠のテーマでしょうか。
力入ってますね。( ^-^)

『ひとごろし』なんていう面白い映画があったんですね。

松田優作がそんな弱虫侍を演じたというのも信じられませんが、そういう侍を設定したというのがまた面白いですね。

でも侍の世の中にも、きっと六兵衛さんですか、そういう人もかなり居たかもしれませんね。

そういう人が、足は早いとか、「ひとごろし」と叫んだりする知恵を持っているとか、そういう可能性があれば、六兵衛さんはたくさん存在した可能性はあるわけですね。

でもそれを貫くという事は、当時の生活の中では大変な事だったでしょうね。むしろ精神的によほど強くないと、出来なかった事だったかもしれません。

拳一狼さんは、侍のたましいなんて共通したものは無いのだとおっしゃりたいのですよね。全ては、個人個人で違うのだと・・。
(それでよろしいでしょうか?)

そうおっしゃるお気持ちもわかるような気もするのですが、一方で桜の花のようにぱっと咲いてぱっと散るのが武士・・みたいな一般的な定義もあるわけで、世間一般に広まっているそんな侍のイメージというのはどうなのでしょう。

六兵衛さんはあくまでも例外みたいな気もしてしまうのですが・・。
by 九子 (2007-07-23 22:19) 

轟 拳一狼

[六兵衛ってのは・・・]
私にとって「侍」は永遠のテーマではありません。「裏紋次郎、走る!」を書けばもういいです。力が入っているのは、単に映画が好きだからです。
私にとっての永遠のテーマは、「自分」です。また「人間」です。そういう視点からもう一度「裏紋次郎、走る!」を読んでいただければ、また違った真実が見えてくると思いますよ。
一番いいのは、この映画を観ることですが。

事実として六兵衛のような侍がいたかどうか、それは重要ではありません。なぜならこれは作り物ですから、事実としては六兵衛はこの世に存在したことがありません(仁藤昂軒は実在したみたいですが)。そうではなく、六兵衛によって誇張されて描かれている死への恐怖、生への執着というのは、人間なら誰しも持っているという“真実”が重要なのです。「足が速い」「知恵はある」というのは、そういう戦術的な視点でこの映画を観る見方もあるでしょうけど、基本的には枝葉末節の議論です。
「死への恐怖」「生への執着」という真実は、「侍だから・・・」というほどの理由では曲げることはできません。たとえ事実がどんなに捻じ曲げられようと。「人間」であることの前には、「侍」であることなど、風前の灯にしか過ぎません。

私が「裏紋次郎、走る!」でも引いた高田渉さんの曲に、「自衛隊に入ろう」というのがありました。それは自衛隊のリクルート・ソングをかたって自衛隊を皮肉った歌なのですが(放送禁止になりました)、そこでも「男の中の男として、見事に花咲かせぱっと散ろう」という歌詞があったと思います。笑っていいのかどうかわかりませんが、自衛隊は本気でこの歌の一節を募集のキャッチフレーズに使ってしまって、高田さんが困ったらしいですが。
「侍はぱっと咲いてぱっと散るもの」というのが一般的な定義かどうかは確信を持ってはいえませんが、もしそうだとしたら、おそらくその定義は第2次世界大戦中に作られたものでしょうね。いや、もっと前、日本が明治維新後に初めて近代的な軍隊を作ってからかもしれません。軍隊という道具においては、兵士は大量生産型の一個の消耗品でしょうから、「ぱっと咲いてぱっと散った」ほうが都合がよかったでしょうけど、侍はもっと確立した個体としての人間です。

「魂」は個人に宿ります。所有権はその宿り主にのみ存在します。でもその魂によって選び取られた「哲学」として、「武士道」というものは存在するでしょう。それも人によりさまざまですが、もしそこに共通性があるとすれば、「命」というものでしょう。「ぱっと散る」ことであるはずがありません。

いろいろ書きましたが、一度この映画ご覧になられてみればどうでしょうか。あまり堅苦しいこと考えず、松田優作の演技を見るだけでも、なかなか面白いですよ。木枯し紋次郎を作った男がこの映画を作ったというのが、また面白いじゃないですか。さらにコント55号の『初笑い、びっくり武士道』も観て比べてみると、もっと面白いかと思います。
by 轟 拳一狼 (2007-07-25 09:57) 

九子

[「命」なんですね。]
実は私の禅の師匠が、「お前の一番大事なものはなんだ!」と質問して、弟子が「自分の命」以外の答えを出すと「このうそつきめが!」と叱ったという話が残っています。

禅は単刀直入ですから、まったくその事実に間違いないのでしょう。そしてどんなに取り繕っても、自分の命に代えられるものなどありません。

武士としての面目上、命が惜しいという言葉を誰も言えない時にそれを言えた六兵衛さんは気骨がある人だったということでしょうね。

高田わたるさんの「戦争をしましょう」という歌を、高校時代の一年間だけ組んでいたバンドで歌っていました。今から考えたら凄い歌でしたよ。「今すぐ戦争の用意をしましょう。今すぐアメリカを攻めましょう。」

究極の反戦歌なのでしょうが、当時は何も分からず歌ってました。(^^;;

拳一狼さんは、本当に映画がお好きなんですね。( ^-^)

私もやっと時間が出来たので、そろそろ夫婦二人で映画やコンサートでも楽しみたいと思います。
 
by 九子 (2007-07-25 20:58) 

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