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選挙の光と影 [<薬のこと、ダメ薬剤師のこと、家のこと>]

参議院議員選挙が終わった。
結果は皆様が御存じの通りだ。


選挙が来るとなんだかいつも甘酸っぱい気持ちにさせられるのは、九子の父が長野市議会議員を40年も勤めていたので、すなわち10回もの「身内の」選挙を経験しているからだ。


選挙というと、良く「カバン、カンバン、ジバン」と言われる。
もちろん軍資金の入ったかばんと、看板になるような候補者の特徴と、応援してくれる地元の地盤が何より必要という意味だろう。


もちろんそうには違いないのだが、父の口から良く出たのが「天の時、地の利、人の和」という言葉だった。


今回の参院選では、「天の時」というのが、地の利も人の和もすべてを飲み込んで、地滑り的勝利を民主党にもたらした気がする。


もしかして「天の時」と言う言い方が正しいかどうかはわからない。


衆議院と違って、3年に一度決まってやって来る選挙の時期が、たまたま事務所費問題やばんそうこう大臣やで安倍政権が大打撃を受けている時期と重なってしまった。


自民党の落選議員さんの中には、これは天の声がもたらした天災というよりも、民の声による見当違いの無差別攻撃、いわば人災だと思った方もおいでになるだろう。


だって考えてみれば、より責任を取るべきは立法府たる衆議院議員なのであって、今回の参議員さん達は順番で、たまたまこの時期のこの選挙に当たってしまっただけなのだから・・。



薬剤師会も本当に力のある立派な人材を失った。
藤井基之氏という。


東大の薬学部を出た・・と聞くだけでも、どれだけ優秀な人物だったかおわかりと思う。


東京大学に薬学部ってあったの?と思われる方も多いと思うが、薬学科みたいな感じでたぶん理Ⅰから入るのだと思う。昔からその存在は薬剤師の最高学府として、そこを出た一握りの人々は、九子をはじめとするどうでもいい(^^;;薬科大出の薬剤師たちの尊敬を一身に集めてきた。


彼は前回よりも1万2千票も得票を伸ばしたが、比例代表の次点にすらなれず、次点から3番目で落選した。


次点で落選したのはなんと!
医師会代表の武見敬三氏だった。


武見氏といえば、お父さんの武見太郎氏は、何十年も医師会に君臨したドン(首領)だった。
強い強い医師会の象徴でもあった。


日本最強の選挙軍団医師会をもってしても今回の選挙はダメだったと思えば、まああきらめもつくというものか。


看護師さんの代表も落選したのだという。


医療業界でただ一人気を吐いたのは、例の橋本元首相献金事件で味噌をつけた歯科医師会だけだった。よほど巻き返しに必死だったのだろう。


6年間のうちに誰か死ぬ人もあるかもしれない・・と当選者の年齢を見てみたが、みんな結構若くてそう簡単に議席を譲ってくれそうにない。(^^;;



意欲も能力もある政治家を6年間失う。
いや、藤井氏のホームページを見ると、彼はこれで政界を去るのかもしれない。
つくづく惜しい!


彼に落ち度はこれっぽっちもないのに・・・だ。



考えてみると地元の市議会や県議会選挙と違って、国政選挙には自分の預かり知らぬところでの運不運というのがついて回る。


天の声ならぬ人の声という魔物が住んでいて、彼らの運命をもてあそぶ。


今回損をした自民党議員だが、前回の小泉人気の衆議院選挙では、小泉チルドレンはじめどれだけたくさんの得体の知れない自民党議員が得をしたかわからないので、それでちゃら!と言うのは簡単だけれども、運不運というものはもっと公平に分配すべきである。


どこかのカップルは、今回元々国会議員だった御主人が落選し、残るは小泉チルドレンのお料理教室の先生の奥様ばかり・・。
日本のためにはどっちが残ったほうが良かったのか・・・。


まあここは、運不運が公平に分配された結果なのだろうけれど・・・。(^^;;


ビートたけしがどこかのテレビでちらっと言ってた一言は、九子がいつも選挙のたびに思ってたことを代弁するもので、聞いていて胸の痞えが下りた。


「落選した人たちってみんな『すべて私の不徳の致すところで申し訳ない。』って言うけど、『こっちは一生懸命やったのにオメエラが投票しないから悪いんだ。』って誰か言ったら面白いのに・・。」(^^;;


たけしのは言い過ぎだけど、実際性も根も尽き果てた落選議員たちが「すべて私の不徳の致すところ・・。」というのを聞くのは、つくづく本根じゃないと思うし、あんまりだなあという気がする。


せめて「運が無かった。」と言って欲しい。


もちろんその言葉を口にする機会がない事が一番良いには違いないのだけれど・・・・。


父は運良く、40年間落選知らずだった。
家族にとっても、それは本当に幸運な事であった。
選挙下手と言われた父であったので、いつも最後のほうの当選でヒヤヒヤの連続ではあったのだが・・。(^^;;


職業欄に「○○議員」と書く人は少ない事でもわかるように、皆一応本職というのは持っている。
でも議員さんというのは、実は片手間で出来るような簡単な仕事ではない。


議会が開かれる間はもちろんだが、それ以外の時もありとあらゆる雑多な用事に翻弄されるから、父の本業はあくまでも市会議員で、薬剤師というのは飾りにすぎなかった。


(薬剤師が飾りにすぎない・・というところはこの九子にとっても長い事同じであったが、一応三人いた薬剤師の二人が去年亡くなってしまったので、雲切目薬売るためにしかたなく薬剤師を名乗っているにすぎない。あっ、薬剤師をかたってる訳ではありませんから、念のため。(^^;;)


それだから・・と言うべきだろうが、議員報酬というものはかなりの高額になる。


一年生議員だろうが、ベテランだろうが関係なく一律に支給されるわけだから、杉村大蔵議員ではないが(彼って今何してるんでしょう?)昨日までニートで無報酬だった人が、いきなり200万に届くほどの月給を取るなどという夢のような話が出てくる訳だ。


その代わり落選したら、お金はその日からもう鐚(←こんな字!ビタ)一文入らない。


そしてはかない議員生命は、きまぐれな有権者の容赦ない一票によって、ある日突然絶たれるのである。


父が良く言っていた。
「猿は木から落ちても猿だけれど、議員は選挙に落ちたらなんにもならない。」


議員年金がもらえるだけの年数議員を勤めた人ならいざ知らず、昨日や今日議員になって、突然選挙のみそぎを受けて落選したら、その日からの生活にも事欠く事態が待っている。


みそぎと言えばかっこ良いが、結局のところ気ままな有権者が彼の名前を書いてくれるかどうかに全てがかかっている訳だ。



考えてみると、この世の中で議員さんほど不安定な職業はない。


失業保険があるなんて話も聞かないし、そもそも自分がした仕事の評価をしてくれるのが、上司でもなんでもないただの知らない人なのだ。


そのただの知らない人は、テレビに、まあ良くて新聞に取りあげられる、情報というこれまた怪しげな怪物だけを頼りに、良い事、悪い事、正しい事、間違っている事、十把ひとからげにして頭に詰め込んだ挙げ句、選択を下す。


情報を頭に詰め込んでくれるならまだマシで、中には党の名前を言っただけで拒否されて、肝心の頭で考えるところにまで至らない人だっている。



頼りにするのが情報という得体のしれないものだけ・・という事情は、実は候補者の方だって同じだ。


父の選挙の頃は、ローラー作戦なるものがあって、どこの陣営でもやっていた。
ローラーをかけるように塗りつぶしていくという意味か。


夜、家族が団らんについてる時間を見計らって、地図と懐中電灯を頼りに、2、3人が組になって割り充てられた地域を一軒一軒回っていく。


個別訪問にならないように、決して玄関から中に一歩入ってはいけない。


そしてその家に候補者の名前を覚えてもらうとともに、その家の印象、つまり一票入れてくれそうか否かを、選挙事務所に帰ってから地図に塗り込めていく。


当時は模造紙にマジックで手書きの地図を書いたり、住宅地図を拡大コピーしたものに色づけして、その地域の趨勢(すうせい)を事務所の目立つところに貼り出して、今後の選挙運動の目安にしていた。


そしてその結果は、何にも増して良く当たるのだ。
要するに情報の信憑性が高いというのだろうか。


情報と言えば、マスコミの「誰が一歩リード」とかいう情報が、公示日のどの地点で出るかも票の行方を左右する。


まあそう書かれてその候補に有利な事は何もない。
投票しようと思っていた人まで「この人はもう大丈夫だから、別の人に入れよう。」となる訳だ。


40年も議員をしていた父なども、「笠原さんが負けるはずはない。」と言われ続けていつでも最後のほうの当選だった。(^^;;


でもまあそれが投票日の前日辺りなら、「勝ち馬に乗る。」という現象が現れて、リードしてる方に有利に働くものらしい。



今回の選挙で「うまいなあ。」と思ったのは、安倍内閣の教育審議会の委員も勤めたヤンキー先生こと義家弘介氏だった。


実は義家氏は長野市の出身なのだ。


長野市も長野市。
彼が出た中学は、うちの5人の子供たちの通学区で、彼らが信大付属小中学校に行かなければ当然通うはずだった市立柳町中学校なのだ。


投票日の前日の新聞の折り込みちらしには、選挙管理委員会のシールが貼られた義家氏の目立つ写真の高そうなビラが一枚入っていた。


みんな「あれっ!」と思っただろう。
新聞広告に写真と数行のコメントを出すのは一般的だが、個人の選挙のビラが折り込みちらしにはさまる事はまれな事だった。(都会では一般的なのだろうか?)


長野市のかなりの人が、義家氏が長野市出身であることを知っているはずだが、中には今回このビラに書いてある彼のプロフィールを読んではじめて、彼が地元の人だった事を認識した人もいたと思う。


そこへ持ってきて、投票日前日という時期のビラだ。


しかも誰に入れたらいいかよくわからない比例代表だったら(^^;;、
「義家なにがしって人、テレビで良く見る人だよね。長野市出身の人だったんだね。」って、たったそれだけの理由で投票した人だって数百人はいたんじゃないのかなあ。


もちろん、義家さんの悪口を言うつもりはさらさらなく、彼には教育者として日本の将来を担う子供たちを育てる大切な教育問題をなんとかして欲しいと切実に思っているのだけれど・・。



とにもかくにも選挙は終わった。


喜ぶべきは、自民党員だが保守系無所属議員であり続けた父が長年言い続けた「日本の政治もアメリカやイギリスみたいに二大政党制になって、あっちがだめならこっちという選択が出来ないとだめだ。」というのが、どうやら実現しそうなことだ。


地元長野県の羽田孜元総理が小沢一郎氏らとともに新進党を作って自民党を飛び出した時、「羽田さん、良くやった!」と喝采したのが父だった。


当時は海のものとも山のものともわからなかった新進党が、紆余曲折を経て民主党となり、今回の大躍進で次の政権を確実に狙えるところまで来た。


父に結果を見せてやりかったなあ。


民主党の大躍進を早速父の仏前に報告した。


薬剤師の代表が落ちた方は、数少ない薬剤師議員の一人だった父ががっかりするだろうから、言うのを止めておいた。


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