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神戸ルミナリエと有馬温泉 [<薬のこと、ダメ薬剤師のこと、家のこと>]

「これで卒業やから、最後にルミナリエ見に来(き)いひん?」
早いもので来春神戸の薬大を卒業予定のN子から、九子からすればまるっきりの関西弁だが、本場関西の友達からはまだOKが出ていないという関西弁モドキで誘いの電話があった。

最初はN子と九子の親娘二人の予定が、次女M子も合流し、それならばスポンサーがあった方が何かと便利と、ビンボー神だが金離れだけは良いM氏(だからビンボーなのか?(^^;;)も参加とあいなった。

ルミナリエを見て、その夜どこかで一泊。
どうせならビジネスホテルなんかじゃなくて、もっと素敵なところがいいな。
( ^-^)

と、思いついたのが有馬温泉。

有馬温泉と言えば秀吉候の時代から有名な老舗温泉。もちろん宿泊料が高額なことでも日本一!

ところが!
見てみるもんですね。時代は確実に変わっている。

ネット大手の代理店を通すと、日曜日一泊にすれば一人一泊二食で一万円台が実現している!

後で神戸に住むハトコに聞くと、なんでも有馬温泉は、阪神大震災でかなりの打撃を被り、もちろんお湯が出なくなるとか建物の被害などのほかにも、今までのお得意さんが高い温泉から離れてしまうという致命的事態に陥ったのだという。

そこで若い経営者たちが「もう今までのように伝統にふんぞり返っていては商売が立ち行かない。」と、日帰り入浴プランや、シーズンオフの低価格プランなどを次々と打ちたて、こんな時期の、しかも日曜夜の一泊だったら、九子たちはそのおこぼれにありつけると言う訳らしい。

これを逃す手はないと、しぶるM氏に土曜じゃなくて月曜休診を頼み込む。

これが大正解!
そんな低価格プランであるのに、4人部屋はログハウスまるまる一棟。しかもジャグジー付である。
そして極め付きは夕食の神戸ビーフのステーキコース。

本当は但馬牛のステーキと神戸牛のしゃぶしゃぶが両方食べられるコースも選べたのだが、稀に見る節約家のため、神戸に6年間も住みながら「高いから」と神戸牛は言うに及ばず牛肉は一切食べなかったという(^^;;N子のたっての願いで、神戸牛オンリーのコースとあいなった。

いやあ、神戸牛! たかが神戸牛、されど神戸牛。
ニュースでは全国あちこちで食品の不正表示が槍玉にあげられてる時期。もちろん最初から信じちゃあいるが、このご時世では神戸牛と謳って別の牛と言うのはありえまい。

本場で食べる神戸牛の旨みと柔らかさが、人生これからの彼女たちの味覚の指針となってくれることを切に祈る。
(残念ながら九子にとっては遅きに失した。M氏は今のままの味覚音痴の方が何かと都合がいい。(^^;;)

そして、炭酸塩のじわじわと温まる温泉や秀吉候が愛した黄金色のにごり湯が夜中の12時まで利用できる。

お風呂へはログハウスから本館へ、少々肌寒い小道を通り抜けて行くのだが、びっくりしたのが夜空の美しさ。
もちろんあれほどの星々の瞬きは長野市内でもなかなか見ることは出来ない。

目の良い人にしか見えないと言われるオリオンの三ツ星の右下斜めにやっと見えるはずの小三ツ星すら、九子でも確認することが出来た。

神戸という都会の近くでこんなに美しい星空が眺められるとは・・。
いや、もともと神戸という街は、六甲の山々が背後にそそり立ち、水の美味しい自然環境の豊かな街なのだ。
N子の大学のシンボルも、秋に咲くに決まっているのになぜかこの辺では春に咲く可憐な紫色の桔梗の花だ。


さすがにこれだけ堪能した後だから、この値段でジャグジーまでお世話になったらいくらなんでも悪いよね!と最初は思っていた。

というのは、そのジャグジー付浴槽の広さときたら、縦横各2メートル近く、お湯もゆうに1トンは入りそうな豪勢なものだったから。

これって追い炊き出来ないお風呂だよね。ってことは、一人一人お湯換えるのかしら?二~三人一緒に入れないかしら? と、ケチくさいことを考えながら、九子はただただ眺めているだけのつもりだった。

ところが物事というものは思いがけない方向に転んでいく。

疲れていたのかM氏のイビキが想像以上で、寝ることにかけては自信のあるこの九子がどうやっても眠れない。
その上歩いた距離は大した事無いはずなのだが、靴が合わないのを我慢して履いていたので甲高の足が痛くてたまらない。

寝ては目覚め寝ては目覚めをくり返すうち、「そうだ!、やっぱ、ジャグジーでしょ!」
人間所詮、快楽の欲求には勝てないのである。(^^;;

水の勢いもかなりのものがあり、20分もすると準備万端。
それにしても真夜中にお風呂とは・・。普段の生活なら隣近所がうるさくないかと極力遠慮するところだが、そこはそれ、ログハウス!
隣の棟まで水音は届かない。・・・どころか、二階とロフトで寝ている3人もまったく気付いた様子は無い。

ジャグジージャグジーと一口で言うけれど、こんな大掛かりなセレブ御用達ジャグジーに入るのは初めてだ。

ボタンを押すと自動的にジェット噴流が出て、時間(たぶん10分くらい)になると自然に止まり、それと同時に浴槽洗浄用のフィルターが自然にするすると延びて来て、お湯の量がだんだん減っていく。

つまりやってみたくてもお湯を貯めておくなど出来ない構造になっているのだ。

そして人間と言うものは悲しいもので、セレブに生まれた人はいざ知らず、九子なんかの庶民の耳には、水が排出されていく金属的な悲しい音が、ついついまるで誰かの恨み節みたいに聞こえてしまうのだ。
冗談抜きでこう聞こえた。

「(せっかく)いい部屋=イイヘヤ(も)神戸牛=コーベギュー(も温泉まで付いてるのに、その上)ジャグジー(まで使うなんて、なんて)嫌な客=ヤナキャク(だろう。)」

括弧の外れたカタカナ部分が、実際にその通りに聞こえた部分である。(^^;;

もちろん身命に誓って、有馬温泉の方々がこんな事を言われるはずが無い。
大変親切に、九子がお風呂に忘れたKおじさんの形見の時計もちゃんと取っておいて下さったし、申し分ないおもてなしの心を見せて下さったのだけれど、贅沢に慣れていない人間というのは、とかく金目のものに卑屈になるものである。

たまにする贅沢は、そんな人間の心を素直に伸びやかにしてくれる効果があるらしい。(卑屈は直ったの?(^^;;)


ところで日付は前後して、肝心のルミナリエの方はどうだったかというと、これがまた素晴らしかった。

 000101.jpg

  実は九子は、そん所そこらにあるクリスマスイルミネーションといっしょくたに考えていて、もっと大きなヤツは他にもあるだろうと思っていた。神戸のが先駆けだったっていうだけだと考えていた。

ところがそれが大間違いであったことに気付かされた。

夕暮れが迫る頃、点灯された無数の光のアーチの下を、群集がぞろぞろと歩き出す。
ここがまずコースの出発地点。誰もがみなカメラを持ち、幾重にも続く色とりどりの電球で彩られたアーチの下を、アーチを見上げながらおぼつかない足取りで進んで行く。

色とりどり・・と書いたが、アーチのデザインは毎年少しずつ変わりはするが、基本的にはイタリア人と日本人アーティストの合作によるどこか宗教的なデザインで、アーチを形作るすべてのU字型の板はほとんどどれも同じような形で、それを彩る色彩と絵柄は、どの板も同じところに同じ色の電球が同じ数だけ使われている。

そしてこれも象徴的なのだが、バックに流れるのはキリスト教のミサ曲を思わせる合唱と静かなオーケストラの演奏である。

そうなのだ。あれからもう19年。神戸ルミナリエは阪神大震災の翌年に、犠牲者を悼む目的で始められた。

人間が死ぬと魂は光の玉になって、自由にどこにでも飛んでいくというのを聞いたことがある。
ルミナリエの数々の光は、震災で亡くなった方たちの魂を表しているのだと思う。
そしてそれらの魂に出会うために、近づいて何事かを伝え合うために、私たちは光のアーチの下を歩き続けるのだ。


アーチを抜けてしばらく進むと広場が見えてくる。こちらの広場はアーチがかすんでしまうほどの鮮やかで煌びやかな電球に彩られ、まるでアラビアンナイトの宮殿を思わせる。

どこやらから教会の鐘が聞こえる。公園内に作られた誰でも鳴らせる平和の鐘だ。

屋台の的打(まとうち)よろしく(と言っては大変失礼だが(^^;;)、いくつも並ぶ鐘めがけて、人々が小銭を投げつける。
もちろん小銭はお賽銭で、九子も何回か投げてみて、1円よりも10円が、100円よりも500円が、鐘に、より当たりやすいことがわかった。
当たったからとてどんなご利益があるのかは定かではない。(^^;;


ふと横を見ると、まるで喧騒を避けるようにたたずむ車椅子の年配のご婦人とその脇に立つ娘さんのような女性が目に付いた。
娘さんのような女性が深々と頭をさげて手を合わせていらっしゃる先には、「希望の灯り」というランプみたいなものが見える。

これは震災の日からずっと長い間、心ある人々がずっと絶やさずに守り続けてきた灯りであるという。

娘さんとご婦人は震災でご家族を亡くされたのだろうか。祈るお顔の真剣さがそれを物語っているようだ。

19年間と言えば、生まれたての赤ん坊が高校を卒業する。
私たちは年を取り、時代は変わり、さまざまなものが現れては消えていく。

その流れ行く世の中で、灯りひとつを守るために、来る日も来る日も単純な作業を繰り返す人が居る。
単純とは言え、嵐の日も、寒い夜も、酷暑の夏も、雨の夕べも、皆が遊びほうけている休日だって、火種を絶やすまいと灯りを見守る人が居る。
そうやってもう19年が過ぎた。(注:灯りそのものが最初に灯ったのは震災から5年後の2000年だそうです。)

私たちの関心は、今や神戸ではなくて、東日本大震災だ。
それとて気紛れな私たちが、被災者の方々の日常に思いを巡らす機会などほとんど無い。

来年もルミナリエが存続出来るように100円募金をやっている。
神戸の人々の奥ゆかしさなのか、募金箱は100円以外入れてはいけないような書き方で、迷ったがとりあえず500円玉を用意しておいたら、千円札も何枚も見受けられた。
これだけの華やかな灯りの祭典を開くには、そりゃあお金がかかるだろうし、考えてみたら入場料をどこでも払った覚えが無い!

入場料を取っていないことを見ても、このルミナリエはただのクリスマスイルミネーションとは違うのだ、死者を弔う鎮魂の灯りであるということを来場者は理解して欲しいと言う主催者側の強い思いがあるのだと思う。


人は誰でも、生まれてから100年と経たないうちに死んでいく。
その中で一握りの才能ある人、功成し名を成した人、偉業を達成した人たちだけが、歴史に名を刻む。

ではその一握りに入れなかったごくごく普通の人々はどうだろう?
歴史になど名は刻めずとも、自分がこれと思った分野で、自分なりの才能を認められ、毎日を幸せに満足して暮らせたらその人の人生は幸福だったと言えるのではないか。

19年前の震災は、そういう普通の人々から、普通の幸せを奪い去った。
遺された人々も、彼や彼女がもしかしたら今頃辿り着いていたかもしれない夢の終着点をあきらめられずに居る。

震災の被災者は誰でも「震災を、私たちを忘れないで。」と言う。
彼らが忘れて欲しくないのは一体何なのだろう。そしてなぜなのだろう?

亡くなった家族が懸命に生きていたという証だろうか?

確かにそれが若い人だった場合には、彼らの力は活かされきらぬままに生命を断ち切られたことになる。
家族を遺してということになれば、まだまだ続くはずだった安らぎに満ちた家庭の温もりが突如失われる。

彼らの無念を、遺された者の不幸を、無関係な私たちでも容易に想像することが出来る。


ルミナリエの灯りは、思い半ばで人生を断たれた人々の、かつて描いた夢や希望、そして幸福な人生の輝きそのものなのではなかろうか。
19年間大切に守られた灯りが「希望の灯り」と名付けられているのを見ても、もはや輝きを失ってしまって語ることも歌う事も見ることも触れることも出来なくなってしまった彼らに捧げる、生きとし生ける者のせめてもの労わり。
彼らが今でも希望に輝き、あの世で幸福に暮らしていると信じる証(あかし)。
そして彼らの叶わなかった夢が、次の世ではきっと叶うと力づける(彼らと遺された者とを)勇気。

この灯りが、来年も再来年も、ずっと灯り続けるように、切に祈る。
一度家族という希望を亡くした人々が、もう二度とさんざめく希望の光を失うことの無いように・・・。


まだ一度も神戸ルミナリエをご覧になっていない方、是非一度iいらっしゃってみませんか?( ^-^)

 

 


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伊閣蝶

ルミナリエも有馬温泉も、まだ出かけたことはありませんが、記事を拝見していて、こちらにいる間に出かけてみたくなりました。
震災の記憶、その当事者でない我々は、どうしても日々疎くなっていくように思います。
それが自然の摂理の結果とはいえ、過酷な運目に翻弄された方々のことを、私たちはやはり忘れてはならない、そう感じております。
by 伊閣蝶 (2013-12-17 22:56) 

九子

伊閣蝶さん、こんばんわ。( ^-^)
ああ、そちらからなら割合近いではないですか。
とはいえ、今年はもう終わってしまいましたから、来年は是非!

人間は他人の痛みはすぐに忘れてしまうようです。自分の痛みならしつこく覚えているのに・・。
その人が生きていたときと同じようにというのは難しいかもしれませんが、ふとした折に思い出して差し上げるというのが供養になるのかもしれませんね。

by 九子 (2013-12-19 00:11) 

百軒

どうも初コメです。

阪神大震災は人工的に仕掛けられた地震という話を聞いたことがありますか?

神戸ルミナリエはその仕掛けた輩による輩のためのイベントです、イルミナティという支配者層がいますが、それを英語で発音するとルミナリエになります。

阪神大震災はユダヤ金融資本が殺戮のために発生させたものです、ちなみに3・11もそうです。

目的は金・人工削減・実験などです。 

阪神大震災に関しての書籍では、ヤコブ・モルガン 混迷日本にとどめを刺せ―オームは日本に動乱を起こす操り人形だ!

GEQという書籍・最近ですと、日本の魔界という本に関して、95年当時の話や陰謀が書いてありますよ。

世界の支配者層は日銀の大株主とFRB 銀行の大株主どもでお金を発行する権利を握っている連中です。

ちなみに日銀もFRBも民間ですから、日銀は上場企業で株主名簿も非公開という胡散臭い会社です。

民間が所有する中央銀行―主権を奪われた国家アメリカの悲劇 [単行本]
ユースタス マリンズ

↑日銀も民間所有です、日本の支配者はCFRのメンバーに日銀の大株主どもです、その輩どもが作為的に仕掛けた地震が神戸地震の真相です。

あとクドイようですが、911なんかもやらせです。ボストンマラソンもそう。
by 百軒 (2014-05-04 18:17) 

九子

百軒さん、こんばんわ。
コメント有難うございました。

う~ん。申し訳ないけど、ちょっと私にはなかなか信じがたいことばかり。
ボストンマラソンや、せめて9.11規模ならわかりますが・・・。

何かそういうことを研究される組織に属されていらっしゃるのですか?
専門に研究された方ならともかく、一般人にはちょっととっぴ過ぎる感じです。


百軒さん、ところで、九子日記にコメントして頂いた方には皆さんにメールを一通頂くようにお願いしています。よかったらどうぞ九子にメール下さい。
左側欄上部のメルアドが書いてありますので・・。

貴重なコメント、有難うございました。
by 九子 (2014-05-05 00:09) 

百軒

>う~ん。申し訳ないけど、ちょっと私にはなかなか信じがたいことばかり。
ボストンマラソンや、せめて9.11規模ならわかりますが・・・。

何かそういうことを研究される組織に属されていらっしゃるのですか?
専門に研究された方ならともかく、一般人にはちょっととっぴ過ぎる感じです。

この発想がすでに洗脳された権威主義的な発想です、私が信用できないとは理解できますが、自分で調べることもせずに、思考をシャットアウトしているのです。

研究している人は組織に属していない方々ばかりですよ、上記の著者さんは、 専門に研究されている人たちですので、ぜひ1冊か2冊読むかネットで検索して調べてください。

それでは失礼。
by 百軒 (2014-05-05 16:24) 

九子

思考をシャットアウト・・。なるほど。私のバカの壁ですね。
いろいろなことを気づかせて頂き、有難うございました。

メールのこと、よろしければ是非お願いします。( ^-^)
by 九子 (2014-05-05 19:49) 

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