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有名になるという事 [<九子の万華鏡>]

田舎町の長野から、都会へ出る度に考える。

圧倒的な量の人、人、人の群れ。
この人たちはみんな九子にとっては無名の人々に過ぎない。

その中から友人の顔をひとつ探し出す。
その友人がただ一人、群衆の中で名前を持っている。
九子はその友人を、顔と名前で何千何万という人々から識別する。

友人はもちろん九子と同じ一般人だ。
名前が有るというだけで、別段有名な訳ではない。

その人の名前を誰もがみんな知っていて、おおよそどういう人なのかという事を共通認識として理解している・・・という段階に至ってはじめて、その人は有名人という事になる。

もしかしたらその群衆の中には、無知な九子にとっては全くの知らぬ顔のもの凄い有名人が混じっているのかもしれない。

たとえそうだったとしても、気づかない限り、知らない限り、九子にとってその人は無名の人と何ら変わらない。


人はみな多かれ少なかれ有名になりたいという欲望をもっているらしい。

とりあえず目立ちたい。人と違うと思われたい。
目立つというのが一番手っ取り早い有名になる手段のようだ。

中には有名人になりたい病が高じて、どうしても一年のうちに有名になる方法を教えて欲しいなどとネットに書き込む人も居て、案の定「犯罪を犯して新聞沙汰になればいい。」等、辛口な答えをもらっていたりする。

たいていの人は目立つためにあれこれ努力する。

すごくお洒落をする。見るからに高価な品々で身を飾る。奇抜な格好をする。
人の注目を集めるような行動を取る.... などなど。


中にはたぐいまれな美貌に生まれついた幸運な人もいて、そう言う人々は何の苦労もなく人々の視線を集め続けることが出来る。

ああ、本当にそうだった!
大きなマスクをかけて目しか見えなかったのに、なんて凄い美人なんだろう!
と九子をびっくりさせた林家三平さんの奥さん、国分佐智子さんなんてその典型だ。
もちろん女優オーラが彼女を包んでいたのも間違いない。


顔が知られていること。名前が知られていること。
顔と名前のどちらが大切なのだろう。

たぶん顔だけが有名と言う人はあんまり居ない。
最初の時点ではそうであったとしても、その顔を持ったその人の名前は、遅かれ早かれ知れ渡るようになる。
だってその人の事を話す時、いつまでも「ほら、あの化粧品のコマーシャルに出てるあの人」じゃあ困るからだ。

顔は知らない場合もあるが、名前は誰もが知っている。
それが即ち字のごとく「有名」ということなのだと思う。

ちょっと調べてみたら面白い事がわかった。
中国語でも韓国語でも「有名」はこの文字で、この意味のままで通じるらしい。

famous(有名)、infamous(悪名高い)という西洋人の言葉には、fameという単語が入り、fameか否かが問題になるようだ。
fameはすなわち評判であり、「名前」ではない。

「名」や「家」を重んじるのは東洋人共通と言うわけなのだろうか?

ちなみに北朝鮮の金正恩主席は、自分と同じ名前の人間を絶対に認めず、すべて改名させるのだそうだ。


有名人に会う、話す、サインをもらう。
きっと誰もがドキドキして舞い上がる。

でも一体なぜなのだろう?

非日常的な、特異的な体験だから?
これも煎じ詰めれば、有名人は特別!って言ってるのとおんなじだ。

意識しているにせよ、無意識にせよ、それによって有名人と何らかのつながりが出来たと考えるから?
うん。これはあり得る!

有名人とは即ち成功者であるからして、自分の人脈の中にたとえほんのわずかであっても有名人と接点があったなら箔が付く!みたいなことはみんな考えるのだろう。

まあちょっとうがった見方の人ならば、テレビで見ているあの人も、所詮自分と同じ一人の人間なのだと確認出来るからか?
同じ人間なんだから、自分にもいつか有名になるチャンスは巡って来ると考えたいからか?


「テレビの顔」の誰もが・・かどうかは知らないけれど、多趣味で器用な人が多いと思う。
本業の他に、絵を描く。楽器を弾く。書をしたためる。陶芸をやる。そういう趣味の分野でも超一流だったりする。

そういうのを見ていると、さすがだなあと思う。
やっぱり有名になるには有名になるだけの素養があったのだ。
人より抜きん出る要素がたくさんあったという事なのだと思う。


だけど一番すごいのは、その道一筋で、コンクールに優勝したとか、展覧会の一等を取ったとか、スポーツならば大きな大会で大活躍したとか、そういう有名になり方をした人だと思う。

そういう評価はゆるがない。日本で何位、世界で何位、紛れも無くプロの目が評価した結果だからだ。

「頂点に立つ」という言い方があるが、底辺には1.2億の日本人が、70億の世界中の人々が居る訳で、そうなるためには才能と努力と運と、すべてにおいて超人的でなければならない。


そしてこういう人達は、別に有名になりたくてなった訳ではない。
100%を目指して精進した結果がたまたま順位に表れ、大きく報道されて有名になったというだけなのだ。

そもそも人々はどうしてそんなに有名になりたがるのだろう?

すぐに思いつくのはマスコミに取り上げられてお金儲けが出来るということだろうが、そんなのは枝葉末節で、もっと色々なメリットが有るらしい。

まずは有名人になると、人脈が出来る。
その実績に見合う更なる師匠が見つかったり、下世話な話をすればマスコミ関係者と仲良くなり、露出が増えればますます引っ張りだこになる。

「名前」を利用して講演会をする、本を出す、品物を売り出すなどなどが容易に出来る様になる。
つまり更なるお金儲けが出来る。

実は「有名人が書いた原稿じゃないと本にしない。」と公言してはばからない編集者を知っている。
逆に言えば、有名人が書いたものなら、どんな原稿でも本にしてもらえることになる。

誰もが持っている何のへんてつもない名前だけれど、人々に名前が知られているということは、それだけでもう特別であり、特権でもあるのだ。


だけど有名になりたいという欲求の一番深いところにあるのは、この悠久の歴史の中に、自分が生きた証をほんの少しでも残したいということなのだと思う。
その思いはよくわかるし、身につまされもする。

もちろん教科書に名前が載るような業績を残せたら一番だけれど、そんな人はほんの一握りなのだから、取り敢えずは誰にも名前の知られている存在になりたい。 

教科書は無理だけど、wikipediaとかなら何とかなるんじゃないの?

かくして人々の有名になるための競争が始まる。
男性の出世欲なんて大部分がそうなのかもしれない。


都会の雑踏に紛れ、電車の中から高層マンションを眺めながら、田舎者の九子は考える。
これだけの人々と競争しながら、闘いながら、名前を知られる存在になるって事は、なんと凄まじく大変な事だろう。
九子にゃあ絶対無理だな!

と、そこである考えが天恵のように閃いた!
そうか!その手があった!

有名になる方法、その2。
棚ぼた式に有名になる!

考えてみたら雲切目薬なんて正にそうだった。

と言うわけで九子は、またしても性懲りもなくその路線を狙っている。(^^;;(^^;;


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とまと

藤井雅子さんの検索からこちらに来ました。
初めまして

一人娘がとてももがいています。
何をしていいかがわからないまま時が過ぎています。
良かれと思うことを探しにネットを見ています。
九子さんのブログを読みながらなぜか泣けてきました。
大変失礼ですがどこがと言うわけではなくこちらのブログの持つ力なのでしょうか?自然と涙が出ます。
涙もろい年齢でもあるのですが、娘の辛さが九子さんのブログから伝わるのかもしれません。
助けてあげたいのに自分の無力さが情けないです。
とりとめのないコメントで申し訳ありません。

ありがとうございました。
by とまと (2016-01-18 09:44) 

九子

とまとさん、こんばんわ。過分なお言葉を頂き、こちらこそ感謝です。

お嬢様、きっと夢の途中でいらっしゃるのですね。一人頑張ってもがいていらっしゃるところでしょうか。

よくわかりませんが、ご自分の才能がどこまで通じるのか試そうとしていらっしゃるのかしら?

他人の私にはどんなことも言えます。彼女の本当の辛さがわからないから・・。
でもとまとさんにしてみたら、胸が痛むのでしょう。

我が家にはそんな頑張り屋の子供は居なかったので、とまとさんのような気持ちにならずに済みましたが、夢を追いかけて会社をやめて外国を放浪したい子は居ます。夢と言っても確たる夢があるわけではなく、外国を見てみたいという、まあそれだけの気持ちです。
あと3日ほどで出発の予定です。

せっかく安心安全な会社に入ったのに・・。
外国で一体何するつもり?

言いたい事はいろいろありますが、彼の場合言い出してから6年経っているので、あきらめました。30歳が限度のワーキングホリデイパスでの旅立です。

とまとさん、もしよかったら九子にメール下さいませんか?
左欄上にメルアドがあります。

何か少し話せば、楽になることもあるかも知れませんよ。( ^-^)
by 九子 (2016-01-18 21:42) 

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