大物伝説・・・・サクラ記念日に [<学校の話、子供たちの話>]
3月6日が再び巡ってきた!と、九子は久しぶりに感傷に浸っている。
去年の3月6日は、次男Sが合格可能性10%をはねのけて、難関ではない某国立大学に合格した九子にとっては特別の日である。
俵 万智さん風に言うと
「やった!受かった!とあいつが言ったから、3月6日はサクラ記念日」
ってなもんである。 オソマツ!(^^;
彼、次男Sは、そう言えば昔から図太いところのあるやつだった。
最初に通った幼稚園の始めての作品展。
他の子たちは、たくさんの牛乳パックやら段ボールやらで、見栄えの良い作品を作っていた。
中には、自分の背丈ほどもある東京タワーを作った子もいた。
Sの作品はいったいどれだ?
やっと見つけたそれと来たら・・・・・・。
トイレットペーパーの芯を二つ、こ汚くちぎったガムテープで止めただけ!
「望遠鏡」という題名が付いていた。(^^;
この子は決して手の器用さを要求される仕事にはつけない!と思ったが、彼が選んだのは工学部だった。
あんまり心配で、九子は大学の入学式の質疑応答の時間に「うちの息子は不器用この上ないのですが、大丈夫でしょうか?」と思わず聞いてしまった。
すると教授は、「お母さん、心配ありません。今は製図でもなんでもコンピューターですから・・・。」と言われた。ほっとした。(^^;
見ず知らずの、しかも年上の男性に「お母さん」と言われたのは心外だったが、あの場合ほかにどういう呼び方があろう・・・。
三男Yに発達の遅れがあったので、なるべく早く保育園へ入れて社会性を付けた方が良いと言われ、次男Sも、通っていた幼稚園を止めて保育園へ移った。
転校初日、血気盛んな保育園の子供達が、パンチ数発で歓迎してくれた。
どうなることやらと九子はハラハラしたが、パンチで応酬した彼は、すぐに仲間として受け入れられた。
その保育園で、彼はどうしたわけか友達の髪の毛を切ってしまうという事件を起こした。その子は次の日、丸坊主で園に来た。
前の幼稚園で「S君は正義感のかたまり。」と評されていたにもかかわらず、この時はなぜか最後まで自分がやったと白状しなかった。
このハサミ事件のお仕置きで、彼もしばらく丸坊主にさせられた。
小学校6年生までスイミングに通った。スイミング教室の先生と、まるで友達みたいな口をきいた。いわゆるタメ口ってやつ。
附属小学校に毎年来る教育実習生の女の先生に、一番人気があるのがSであったと、ホントかうそか知らないが、担任の先生から言われた。
中3の時、クラスで一番優秀な女の子の隣になった。
参観日の時、Sは居眠りをしていてその女の子に突ついて起こされたそうである。そしたら彼は、「ねえ、ティッシュ取って・・・むにゃむにゃ」と言うなり、再び眠りについたそうである。(^^;
その女の子のお母さんが、卒業式で九子にこう言った。
「S君、もうちょっと早く勉強始めてたらN高絶対大丈夫だったのに、惜しかったわねえ。」
そして次の日、果たして我が家の期待の星だった次男Sは、友達がほとんど合格した中、彼女の言葉どおりN高に落ちてしまうのである。
彼女には未来が見えていたとしか言い様が無い。(^^;
そう言えば長野N大高の試験の日も、前日受験票を中学校へ置いてきたことに気づいて、試験のまぎわに中学へ寄り、大慌てで受験票を取り、一目散で試験場へ駆け込んだ。
心配した担任の先生が、玄関前で受験表を持って待っていて下さった。
そんな状況でも、決して慌てないのが彼である。
そのお陰で、滑り止めの一つだった長野N大高に受かることが出来た。(滑り止めは出来るだけ多く受けておくようにというのが、先生の指示だったので、目一杯受けた。(^^;)
N高の合格発表の日、彼は友人多数と一緒に発表を見に行った。
九子なら、そんなことはしない。
自信があるならともかく、すれすれだと思えば絶対一人で見に行く。
(いや、彼は自信があったのかもしれない。(^^;)
家族は彼の不合格を、ケーブルテレビの報道で知った。
「あっ!番号無い!落ちた・・・・・!」
何しろ彼は、ずっと我が家の期待の星だった。
勉強嫌いだったから成績は芳しくなかったが、N高へ入ると言う目標を持って以来、成績は右肩上がりに急上昇した。
やっと我が家からN高生が誕生する!・・・・はずであったのに。
家族の落胆もまた大きかった。
さすがの彼もその日一日はしょげていたようだった。何しろ一緒に発表を見に行った中で、落ちたのは彼一人だけだったのだから・・・。
そのわずか3日後の事である。
彼はN高に合格した友人達と一緒に、ディスニーランドへ遊びに行ってしまった。
なんと、その日は長野N大高の登校日に当たっていたのである。
仕方が無いから、九子が代わって出席した。
ディズニーランドへ行っているなんて口が裂けても言えないから、風邪をひいたことにした。
九子以外、出席しているのはみんな生徒だった。
でも長野N大高は、息子が第一志望に落ちてがっかりしている母親には優しい学校だった。
N高落ちの子だけを一室に集めて、先生が檄(ゲキ)を飛ばされた。
「皆さんはN高に落ちてさぞや落胆しているかもしれないが、3年後はN高へ行った友人達を上回る成績を取って、一流大学へ進もう!」
中には、こんなことを言われた先生もあった。
「この中から、早稲田、慶応へたくさんの生徒が入学するように祈る!」
間違えないで欲しいが、ここはN大附属高である。(^^;
この時ばかりは、休んでくれたSに感謝したいようだった。
母親の自尊心は大いに癒された。
そうだ!3年後にもう一度チャンスがある。
N高へは行けなかったが、3年後ニッコリ笑えるようになればいい!
すっかり長野N大高のファンになった母親は、今年も長女N子を同校に送りこんだ。
大物伝説はさらに続くが、次回はまた某記念日に書かせて頂くことにする。( ^-^)
去年の3月6日は、次男Sが合格可能性10%をはねのけて、難関ではない某国立大学に合格した九子にとっては特別の日である。
俵 万智さん風に言うと
「やった!受かった!とあいつが言ったから、3月6日はサクラ記念日」
ってなもんである。 オソマツ!(^^;
彼、次男Sは、そう言えば昔から図太いところのあるやつだった。
最初に通った幼稚園の始めての作品展。
他の子たちは、たくさんの牛乳パックやら段ボールやらで、見栄えの良い作品を作っていた。
中には、自分の背丈ほどもある東京タワーを作った子もいた。
Sの作品はいったいどれだ?
やっと見つけたそれと来たら・・・・・・。
トイレットペーパーの芯を二つ、こ汚くちぎったガムテープで止めただけ!
「望遠鏡」という題名が付いていた。(^^;
この子は決して手の器用さを要求される仕事にはつけない!と思ったが、彼が選んだのは工学部だった。
あんまり心配で、九子は大学の入学式の質疑応答の時間に「うちの息子は不器用この上ないのですが、大丈夫でしょうか?」と思わず聞いてしまった。
すると教授は、「お母さん、心配ありません。今は製図でもなんでもコンピューターですから・・・。」と言われた。ほっとした。(^^;
見ず知らずの、しかも年上の男性に「お母さん」と言われたのは心外だったが、あの場合ほかにどういう呼び方があろう・・・。
三男Yに発達の遅れがあったので、なるべく早く保育園へ入れて社会性を付けた方が良いと言われ、次男Sも、通っていた幼稚園を止めて保育園へ移った。
転校初日、血気盛んな保育園の子供達が、パンチ数発で歓迎してくれた。
どうなることやらと九子はハラハラしたが、パンチで応酬した彼は、すぐに仲間として受け入れられた。
その保育園で、彼はどうしたわけか友達の髪の毛を切ってしまうという事件を起こした。その子は次の日、丸坊主で園に来た。
前の幼稚園で「S君は正義感のかたまり。」と評されていたにもかかわらず、この時はなぜか最後まで自分がやったと白状しなかった。
このハサミ事件のお仕置きで、彼もしばらく丸坊主にさせられた。
小学校6年生までスイミングに通った。スイミング教室の先生と、まるで友達みたいな口をきいた。いわゆるタメ口ってやつ。
附属小学校に毎年来る教育実習生の女の先生に、一番人気があるのがSであったと、ホントかうそか知らないが、担任の先生から言われた。
中3の時、クラスで一番優秀な女の子の隣になった。
参観日の時、Sは居眠りをしていてその女の子に突ついて起こされたそうである。そしたら彼は、「ねえ、ティッシュ取って・・・むにゃむにゃ」と言うなり、再び眠りについたそうである。(^^;
その女の子のお母さんが、卒業式で九子にこう言った。
「S君、もうちょっと早く勉強始めてたらN高絶対大丈夫だったのに、惜しかったわねえ。」
そして次の日、果たして我が家の期待の星だった次男Sは、友達がほとんど合格した中、彼女の言葉どおりN高に落ちてしまうのである。
彼女には未来が見えていたとしか言い様が無い。(^^;
そう言えば長野N大高の試験の日も、前日受験票を中学校へ置いてきたことに気づいて、試験のまぎわに中学へ寄り、大慌てで受験票を取り、一目散で試験場へ駆け込んだ。
心配した担任の先生が、玄関前で受験表を持って待っていて下さった。
そんな状況でも、決して慌てないのが彼である。
そのお陰で、滑り止めの一つだった長野N大高に受かることが出来た。(滑り止めは出来るだけ多く受けておくようにというのが、先生の指示だったので、目一杯受けた。(^^;)
N高の合格発表の日、彼は友人多数と一緒に発表を見に行った。
九子なら、そんなことはしない。
自信があるならともかく、すれすれだと思えば絶対一人で見に行く。
(いや、彼は自信があったのかもしれない。(^^;)
家族は彼の不合格を、ケーブルテレビの報道で知った。
「あっ!番号無い!落ちた・・・・・!」
何しろ彼は、ずっと我が家の期待の星だった。
勉強嫌いだったから成績は芳しくなかったが、N高へ入ると言う目標を持って以来、成績は右肩上がりに急上昇した。
やっと我が家からN高生が誕生する!・・・・はずであったのに。
家族の落胆もまた大きかった。
さすがの彼もその日一日はしょげていたようだった。何しろ一緒に発表を見に行った中で、落ちたのは彼一人だけだったのだから・・・。
そのわずか3日後の事である。
彼はN高に合格した友人達と一緒に、ディスニーランドへ遊びに行ってしまった。
なんと、その日は長野N大高の登校日に当たっていたのである。
仕方が無いから、九子が代わって出席した。
ディズニーランドへ行っているなんて口が裂けても言えないから、風邪をひいたことにした。
九子以外、出席しているのはみんな生徒だった。
でも長野N大高は、息子が第一志望に落ちてがっかりしている母親には優しい学校だった。
N高落ちの子だけを一室に集めて、先生が檄(ゲキ)を飛ばされた。
「皆さんはN高に落ちてさぞや落胆しているかもしれないが、3年後はN高へ行った友人達を上回る成績を取って、一流大学へ進もう!」
中には、こんなことを言われた先生もあった。
「この中から、早稲田、慶応へたくさんの生徒が入学するように祈る!」
間違えないで欲しいが、ここはN大附属高である。(^^;
この時ばかりは、休んでくれたSに感謝したいようだった。
母親の自尊心は大いに癒された。
そうだ!3年後にもう一度チャンスがある。
N高へは行けなかったが、3年後ニッコリ笑えるようになればいい!
すっかり長野N大高のファンになった母親は、今年も長女N子を同校に送りこんだ。
大物伝説はさらに続くが、次回はまた某記念日に書かせて頂くことにする。( ^-^)
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