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三寒四温 [<番外 うつ病編>]

N子の卒業式の雪にはさすがにまいったが、春の天気は三寒四温と言われ、寒かったり温かったりをくりかえす。

実は九子は春が苦手である。
特に今ごろ、生温かい風が信州の冷えた大地を包み込み、土手にオオイヌノフグリの淡い花を見つける頃、九子は空気の匂いに敏感になる。

なにか生臭いような土の匂い・・・。
それは長い間九子にとって、うつ病がはじまる匂いであった。

考えてみると二十歳前から坐禅に出会うまでの10年以上、毎年のように春になると気分が滅入った。
それが病的なものという認識がまったくないまま、ただただ春が嫌だった。

金沢から越してきたTさんに言われて始めて気が付いた。
「九子さんって、春の洋服、もっと明るい色持って無いの?」

そう言われて探してみたが、どれ一つ綺麗な色の服は見当たらなかった。

そうか、長い間春に服を買うことなどほとんどなかったのだ。

そう気が付いて以来、ことさらに明るい春向きの服を買うようにした。

次男Sの長野N大高入学式の日、とりわけ明るいプリントの上下を選んで着て行った。

後から言われた。「そんな派手な服着て来んなよ~。まったくもう、恥ずいだろ~!」(^^;
長女N子はもっときついから、入学式にあの服を着るのはやめよう。( ^-^)


春の天気をあらわす三寒四温という言葉は、実はうつ病が治る時の気分のゆり動きを示す言葉でもある。

うつ病というのは、治るのに時間がかかる病気だ。

薬が効き始めて楽になってからも、本当に元に戻るまではまだ数ヶ月の辛抱が必要だ。
特に老人になってから発症した老人性うつの場合は、本当に治るまでが年単位ということも珍しくないということだ。

まるで春の天気のように、悪い日を3日、良い日を4日と繰り返しながら、だんだん少しづつ良くなって行くのがうつ病という病気である。

・・・とわかったような口をきいたが、実は九子のは少々タイプが違うので、この治らなくてうんざりするという気持ちは余りわからないでいるのかもしれない。

軽症躁うつ病の躁病のないタイプ・・というのが九子の本当の病名である。

躁うつ病で躁がなければうつ病だろうと九子も思うが、やはり典型的なうつ病とは少々違うらしい。

10代で症状が出る若年発症、周期の短さ、つまりうつ病が頻繁に来ること、そして病気の動きやすさ等の躁うつ病の特徴が備わっているらしいのだ。

普通の躁うつ病だと、この動きやすさが裏目に出て、薬でうつ状態を治そうとすると躁状態になり(躁転と言う)、それを抑えようとするとまたうつに逆戻りというので、先生も患者さんも苦労するのだが、九子は躁病は無いので、躁転の心配はない。

逆に、飲んだ坑うつ薬によって、躁転の一歩手前、つまり正常の範囲内にまで一気に気分が持ちあがり、たった一錠を飲みこむや否や、わずか数分でうつ病が治ってしまったという経験もしている位、九子の治り方は早い。

ただしこれにはある程度の時間が必要で、うつ病と気が付いたその日に薬を飲み始めても、たとえば最低でも一ヶ月とか二ヶ月とかが過ぎないと、うつ状態が簡単に治ることはない。

病気が治るべき時期に達していたから、あの時は坑うつ薬たった一錠で治ったのだろう。

何にでも潮時というのはあるものだ。

躁うつ病に苦しむ人々からしてみれば、そんなのあり?って位の見事な治りやすさだから、とても恥ずかしくて自分が躁うつ病だなどとは言えない。

だからいつでもうつ病で通している。

でもさすがに、7年前から3年くらいの間、わずか3ヶ月の間隔で、5ヶ月続くうつを4回繰り返してしまった時にはまいった。
はじめて医者にかかった。

つまりそれまでは、病気とも思わず、一度も薬など飲んだ事がなかったのだ。
(うちが薬屋のくせに・・(^^;)

早い時期から薬を飲んでいたら、こんなにひどいうつは来なかっただろう。
でもそうしたら、坐禅に巡り合うことも無かったかもしれないと思うと、それはそれで良かったとも思う。

九子は3人医者を代えている。
3番目にめぐり合ったのが、今の主治医T先生だ。

精神科というのは、とりわけ医者との相性が大切だから、都市部で複数の精神科がある場所にお住まいなら、自分がいいと思う先生にめぐり合うまで先生を代えてもいいんじゃないかと思う。

九子の主治医T先生は本当に素晴らしい先生だ。それに薬の選び方もお上手だ。
T先生の薬を、九子は死ぬまで飲むはずだ。

薬嫌いな人にとっては気の毒な話に聞こえるかもしれないが、九子のところは売れないとは言え(^^;薬局である。

よそからは誰一人として持って来ない唯一のTメンタルクリニックの処方箋が、たった一枚ではあるが毎月舞いこむのである。
一枚が数パーセントに当たる我が家の処方箋の量だから、これは有難い。( ^-^)

その上、薬を飲み続けていると、うつ病が来ても軽く済むことがわかった。
良いことずくめなのだ。

もちろんT先生との面接は心洗われる。

しかし実は九子がよりどころとしているのは、辛くて辛くてたまらない時、思わず電話してしまった沼津のY先生の言葉なのだ。
(*該当部分にジャンプさせられずすみません。上から5分の1位の所です。)

Y先生は、坐禅ではなく「岡田式静坐法」を軸にした、薬をなるべく使わない治療をされている、たぶん異色の先生だ。
だから余計、生活する上での基本の心構えは大事なのである。

無理をするな。
好きなことだけして暮らせ。
世の中に不義理をせよ。
「長」の付く役についてはいけない。

これがすべてかどうかはわからないが、
とにかくこれらの言葉はしっかり九子の心に刻みつけられた。


そして今も、九子の生活はこの言葉の統治下にある。
・・・と言うか、この言葉を笠に着て、ぐうたら三昧の毎日だ。(^^;

うつ病人間は、実は変化に弱いのだそうだ。
当たってる!と思う。

三男Yは旅行好きだが、実は九子は何気ない日常の方を好む。

点と点を結んで移動する旅というやつ、確かにエネルギーがあれば楽しいかもしれないが、九子はことさらにそれを求めない。

記憶の中にある天下の名勝も、それを見たからと言って九子の生活やら性格やらに何ら影響があるようなもんでもなかった。
(あ~たの性格の前には、どんなもんでもお手上げですって。(^^;)

そんなら生まれついたこの場所で、のうのうと暮らしている方がずっとエネルギーを消耗しない。
(エネルギーの節約は、九子の生活で非常に大切なチェックポイントだ。( ^-^))

散らかった部屋の中で、衣類や雑誌を枕にしてお昼寝をする。
これが九子の究極の楽しみである。(^^;

旅の話とおみやげは、三男Yからせしめればよいのだ。(^^;

人様からすれば、なんてつまらない一生かもしれないが、九子は別に不足はない。
ただ、一緒に居る家族にとっては、不満かもしれないなあ。

子供にとっての「お母さん像」ってのを考えた時、この九子の、休みの日ばかりではなく普通の日もぐうたらしている姿が、5人の子供にステレオタイプに刻まれる・・・と考えると、忸怩(じくじ)たる思いもある・・・。(^^;

それとM氏!
う~ん、でも彼は、どんな環境にも適応出来る特異な才能に恵まれてる人だから、まあ良しとしておこう・・・。(^^;

うつ病になるのが嫌で春を毛嫌いしていた九子が、今、うつ病のお陰で、我が世の春を謳歌している。

世の中ってこれだから面白い!( ^-^)
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