イエローキャブ [<九子の万華鏡>]
イエローキャブというプロダクションに属する豊満な肉体の女優さん軍団が人気と言う。
(「豊満な肉体」と言う場合、なぜかいつも豊満な胸が不可欠なんだよね。豊満なお腹なら、九子にもあるのに・・・。(^^;)
イエローキャブとはもともと、ニューヨークの黄色いタクシーの俗称で、キャブというのはcabriolet(キャブリオレ)という一頭立て二人乗りニ輪ほろ付き馬車を意味していたらしい。(電子辞書ってこんなに便利( ^-^))
日本からアメリカに行く女の子達が、男性に余りにも無防備に身体を許すというので、誰でも乗せるイエローキャブという有り難くない蔑称を頂戴していると、九子が始めて知ったのは確か、当時黒人男性と結婚していた家田荘子さんの本でだったような気がする。
先日Nuitさんの日記で、「国によって違うデリカシー」と言うのを読んで、う~ん、なるほどなあと思った。こう言うことって、現地で生活して見て始めてわかるんだろうなあ。(もちろんそんな事思いつかずに住んでる人も多いのだろうが・・・。)
曰く、
アメリカに限らず、白人も黒人も、「触れる」ことに関しては繊細であるはずの日本人より、遥かに優れたsensoryを持っている。
それは「領域」に対する意識の差なのだろうけど。
「領域」に関しては、日本人は、鈍いところのある人が多い。
入って行っていい領域、を察せられない。
入っていくべきとき、も察せられない。
迎え入れかたを知らない。
これは「島国ニッポン」らしい・・・。
う~ん、さすがNuitさん、鋭い!
それで思い出したのが、今を去るうん十年前。
ところは、今は無きM薬科大学の世田谷校。
当時のM薬科大学には、結構風変わりな先生がいた。
英語の・・・借りにA先生としよう。(^^;
A先生は、風貌からして、特異だった。
やせた小柄な身体に、そこだけ脂ぎった浅黒い顔。
そのために額まで狭くなっている量の多い真っ黒な髪をオールバックにして、ポマードでテカテカに固めている。
お世辞にも美しいとは言い難い顔。
しかし、精一杯おしゃれをして、生徒の机なんぞに腰をおろし、ダンディーをきどっていた。
先生は、当時はまだ珍しかった離婚歴のある人だった。
そんな事を開けっぴろげに話すと言うのもまた、不思議な気がした。
とにかくそのA先生の言葉が、忘れられないのだ。
僕は恋愛のプロですよ・・・と言わんばかりの表情で、先生はこう言った。
「日本人はlikeとloveの二つしか知らない。だから、likeの次はloveだと思いこんでいる。
loveというのは、あなたのためなら身も心も捧げますという意味だ。そうやって現実に身も心も捧げてしまうバカな女も多い。」
そして先生は黒板にこう書いた
like< admire< adore< worship< love
(意味は辞書を引いて調べてね。( ^-^))
「バカな女にならんために、loveの前に、これだけの段階があることを忘れてはいけない!」
う~ん。
専門の勉強の方もこれほど良く覚えてたら、今頃こんな情けない薬剤師にならずにすんだのに・・・。(^^;
だけどさあ、結局日本人って相手の身体に触れることに慣れてないんだよね。
(満員電車は別として・・・)
欧米人ならずとも、このあいだ金正日が中国の主席と会った時の映像でも、抱き合って頬すり寄せて挨拶してたもんね。
恋愛関係抜きで抱き合うって、よっぽどお酒でも入ったか、タイガースが優勝した時かでもなけりゃあ、無いもんね、日本の場合。(^^;
日頃から抱き合ったりキスしたりする訓練積んでなきゃあ、パニックにもなるよ。
親愛のキスと、恋愛のキスの違いだってわからない。
そういえば「All or Nothing」の法則というのもあった。日本語だと悉無率(しつむりつ)かな?
(こっちの方は専門分野だぞ~。(^^;)
生体のもつ反応で、ある強さの刺激以下では反応がなく、その強さに達すると最大の反応が起こり、それ以上になると反応に強弱の差がないという法則。心臓、骨格筋線維、神経線維の興奮などにあてはまる。(講談社 日本語大辞典より)
つまり、反応が起こる最小限の強さに達する前は、まったく反応が起こらず(nothing)、その強さに達した時始めて反応が起こり、それ以上いくら刺激を強くしても同じ反応しか起こらない(all)。
そうそう、その強さというのを閾値(いきち)と言うんだった。
(さすが、九子さん!あの頃のまま勉強続けてたら、まだマシだったのに・・・。(^^;)
こうやって考えると、日本女性は触れられる事に慣れてないから、触れられた事によって反応する欲情ホルモン(?)の閾値がかなり低いのじゃあないかしら?
閾値が低いとは、ちょっとした刺激ですぐに反応するということ。
つまり、触れられる文化に慣れていないので、すぐに愛だの恋だの勝手に思いこみ、肩なんか抱かれたとたんにゾゾ~っとなって、その上「NO!と言えない日本」だから、その場の成り行きでベッドに直行・・・。
う~ん。有り得る!
ところで九子の長年の英語の先生であるジョン先生が、あれはいつだったか、たっぷり十年はたっていると思うのだが、とにかく、形容し難い顔でレッスンに現れたことがある。
その日は確か、一緒に習ってるMikiさんは居なくて、なぜか九子一人だった記憶がある。
英語の達人のMikiさんがいないと言うことは、流れは読めても(?)、細部まで理解が及ばない部分が往々にしてあるということだ。(^^;
とにかく、ジョン先生はその日、レッスンの間中その話ばかりだった。
ある夜、ジョン先生のドアを叩く音がする。開けてみたら、生徒の一人のX夫人だった。
こんな時間にどうしたのだろう・・と思いながらも、招き寄せた。
X夫人は、寂しい、寂しいと言ったそうだ。
ご主人とうまく行っていない? ご主人がかまってくれない?
とにかく彼女は、言ってしまえばジョン先生に抱かれるために、ジョン先生のもとを訪れたのだ。
ええっ?そんな話ってありい~?
ジョン先生は、独身である。
アメリカの一番良かった時代の、極め尽きに良心的なアメリカ人を髣髴(ほうふつ)とさせる。
とにかくいい人なのだ。それ以外の言葉が見つからない。
彼の友人が言うには、「彼は別格だ!」
まさにその通りの人なのである。
そしてその別格のジョン先生は、X夫人を抱いたのであろうか?
もちろん九子は目を皿のようにして(^^;尋ねた。
答えは謎のままだ。
記憶の中では、彼が、そこまで話しといたくせに(^^;答えなかった。
しかしX夫人は朝までジョン先生の家にいた。
でもひょっとすると、彼はわざと九子にわからんような難解な言葉を使って答えていたのかもしれない。(簡単だったけど、九子の耳にはなんのことやら・・・だったかも(^^;)
でも彼は、信じられないような日本語を使った。
「スエゼン」である。
もともと彼は、なぜか日本語習得熱が低かった。
20年も日本にいながら、基本的な単語すら理解していなかった。
その代り、ひどく変てこな単語を知っていた。
パトロンという意味の「ヒモ」とか、当時九子も知らなかった、運転手代わりに女の子に使われる男の子「アッシークン」とか・・・。(^^;
その先生が突然「スエゼン」と言ったのである。
ジョン先生がこの話を他の誰か(たぶん男)にして、その彼が「据え膳食わぬは男の恥」という、まことに困ったことわざを先生に教えたであろう事は、たやすく想像がついた。
そう言えば、ジョン先生は女性と二人で歩いていることが多かった。
かなり親密そうに見えた人も、”just friend”(ただの友達)であり、”girlfriend”(英語の場合、日本語で言うガールフレンドではなく、「恋人 」という意味)ではなかったのだと言うことは、彼がいまだ独身であるという事実に照らしてみれば良くわかる。(^^;
カップルで歩いていれば、恋人と思いこむのも、触れる文化の未熟な日本人の悪い癖なのかもしれない。
Nuitさんは、日本文化を線の細い文化と言ったが、そのとおりかもしれない。
そして、控えめに言っても120キロの巨漢ではあったが、20年も日本で過ごして、線の細い日本文化の影響をもろに受けたジョン先生は、その線の細さゆえに、いまだに独身なのではあるまいか。
ジョン先生は去年アメリカに帰って行った。
日本人のお嫁さんを貰って、日本に帰化したいという先生の夢は叶わなかった。
繊細な彼が、「スエゼン」などという忌まわしい日本語を、一刻も早く忘れてくれていることを願う。(^^;
英語
(「豊満な肉体」と言う場合、なぜかいつも豊満な胸が不可欠なんだよね。豊満なお腹なら、九子にもあるのに・・・。(^^;)
イエローキャブとはもともと、ニューヨークの黄色いタクシーの俗称で、キャブというのはcabriolet(キャブリオレ)という一頭立て二人乗りニ輪ほろ付き馬車を意味していたらしい。(電子辞書ってこんなに便利( ^-^))
日本からアメリカに行く女の子達が、男性に余りにも無防備に身体を許すというので、誰でも乗せるイエローキャブという有り難くない蔑称を頂戴していると、九子が始めて知ったのは確か、当時黒人男性と結婚していた家田荘子さんの本でだったような気がする。
先日Nuitさんの日記で、「国によって違うデリカシー」と言うのを読んで、う~ん、なるほどなあと思った。こう言うことって、現地で生活して見て始めてわかるんだろうなあ。(もちろんそんな事思いつかずに住んでる人も多いのだろうが・・・。)
曰く、
アメリカに限らず、白人も黒人も、「触れる」ことに関しては繊細であるはずの日本人より、遥かに優れたsensoryを持っている。
それは「領域」に対する意識の差なのだろうけど。
「領域」に関しては、日本人は、鈍いところのある人が多い。
入って行っていい領域、を察せられない。
入っていくべきとき、も察せられない。
迎え入れかたを知らない。
これは「島国ニッポン」らしい・・・。
う~ん、さすがNuitさん、鋭い!
それで思い出したのが、今を去るうん十年前。
ところは、今は無きM薬科大学の世田谷校。
当時のM薬科大学には、結構風変わりな先生がいた。
英語の・・・借りにA先生としよう。(^^;
A先生は、風貌からして、特異だった。
やせた小柄な身体に、そこだけ脂ぎった浅黒い顔。
そのために額まで狭くなっている量の多い真っ黒な髪をオールバックにして、ポマードでテカテカに固めている。
お世辞にも美しいとは言い難い顔。
しかし、精一杯おしゃれをして、生徒の机なんぞに腰をおろし、ダンディーをきどっていた。
先生は、当時はまだ珍しかった離婚歴のある人だった。
そんな事を開けっぴろげに話すと言うのもまた、不思議な気がした。
とにかくそのA先生の言葉が、忘れられないのだ。
僕は恋愛のプロですよ・・・と言わんばかりの表情で、先生はこう言った。
「日本人はlikeとloveの二つしか知らない。だから、likeの次はloveだと思いこんでいる。
loveというのは、あなたのためなら身も心も捧げますという意味だ。そうやって現実に身も心も捧げてしまうバカな女も多い。」
そして先生は黒板にこう書いた
like< admire< adore< worship< love
(意味は辞書を引いて調べてね。( ^-^))
「バカな女にならんために、loveの前に、これだけの段階があることを忘れてはいけない!」
う~ん。
専門の勉強の方もこれほど良く覚えてたら、今頃こんな情けない薬剤師にならずにすんだのに・・・。(^^;
だけどさあ、結局日本人って相手の身体に触れることに慣れてないんだよね。
(満員電車は別として・・・)
欧米人ならずとも、このあいだ金正日が中国の主席と会った時の映像でも、抱き合って頬すり寄せて挨拶してたもんね。
恋愛関係抜きで抱き合うって、よっぽどお酒でも入ったか、タイガースが優勝した時かでもなけりゃあ、無いもんね、日本の場合。(^^;
日頃から抱き合ったりキスしたりする訓練積んでなきゃあ、パニックにもなるよ。
親愛のキスと、恋愛のキスの違いだってわからない。
そういえば「All or Nothing」の法則というのもあった。日本語だと悉無率(しつむりつ)かな?
(こっちの方は専門分野だぞ~。(^^;)
生体のもつ反応で、ある強さの刺激以下では反応がなく、その強さに達すると最大の反応が起こり、それ以上になると反応に強弱の差がないという法則。心臓、骨格筋線維、神経線維の興奮などにあてはまる。(講談社 日本語大辞典より)
つまり、反応が起こる最小限の強さに達する前は、まったく反応が起こらず(nothing)、その強さに達した時始めて反応が起こり、それ以上いくら刺激を強くしても同じ反応しか起こらない(all)。
そうそう、その強さというのを閾値(いきち)と言うんだった。
(さすが、九子さん!あの頃のまま勉強続けてたら、まだマシだったのに・・・。(^^;)
こうやって考えると、日本女性は触れられる事に慣れてないから、触れられた事によって反応する欲情ホルモン(?)の閾値がかなり低いのじゃあないかしら?
閾値が低いとは、ちょっとした刺激ですぐに反応するということ。
つまり、触れられる文化に慣れていないので、すぐに愛だの恋だの勝手に思いこみ、肩なんか抱かれたとたんにゾゾ~っとなって、その上「NO!と言えない日本」だから、その場の成り行きでベッドに直行・・・。
う~ん。有り得る!
ところで九子の長年の英語の先生であるジョン先生が、あれはいつだったか、たっぷり十年はたっていると思うのだが、とにかく、形容し難い顔でレッスンに現れたことがある。
その日は確か、一緒に習ってるMikiさんは居なくて、なぜか九子一人だった記憶がある。
英語の達人のMikiさんがいないと言うことは、流れは読めても(?)、細部まで理解が及ばない部分が往々にしてあるということだ。(^^;
とにかく、ジョン先生はその日、レッスンの間中その話ばかりだった。
ある夜、ジョン先生のドアを叩く音がする。開けてみたら、生徒の一人のX夫人だった。
こんな時間にどうしたのだろう・・と思いながらも、招き寄せた。
X夫人は、寂しい、寂しいと言ったそうだ。
ご主人とうまく行っていない? ご主人がかまってくれない?
とにかく彼女は、言ってしまえばジョン先生に抱かれるために、ジョン先生のもとを訪れたのだ。
ええっ?そんな話ってありい~?
ジョン先生は、独身である。
アメリカの一番良かった時代の、極め尽きに良心的なアメリカ人を髣髴(ほうふつ)とさせる。
とにかくいい人なのだ。それ以外の言葉が見つからない。
彼の友人が言うには、「彼は別格だ!」
まさにその通りの人なのである。
そしてその別格のジョン先生は、X夫人を抱いたのであろうか?
もちろん九子は目を皿のようにして(^^;尋ねた。
答えは謎のままだ。
記憶の中では、彼が、そこまで話しといたくせに(^^;答えなかった。
しかしX夫人は朝までジョン先生の家にいた。
でもひょっとすると、彼はわざと九子にわからんような難解な言葉を使って答えていたのかもしれない。(簡単だったけど、九子の耳にはなんのことやら・・・だったかも(^^;)
でも彼は、信じられないような日本語を使った。
「スエゼン」である。
もともと彼は、なぜか日本語習得熱が低かった。
20年も日本にいながら、基本的な単語すら理解していなかった。
その代り、ひどく変てこな単語を知っていた。
パトロンという意味の「ヒモ」とか、当時九子も知らなかった、運転手代わりに女の子に使われる男の子「アッシークン」とか・・・。(^^;
その先生が突然「スエゼン」と言ったのである。
ジョン先生がこの話を他の誰か(たぶん男)にして、その彼が「据え膳食わぬは男の恥」という、まことに困ったことわざを先生に教えたであろう事は、たやすく想像がついた。
そう言えば、ジョン先生は女性と二人で歩いていることが多かった。
かなり親密そうに見えた人も、”just friend”(ただの友達)であり、”girlfriend”(英語の場合、日本語で言うガールフレンドではなく、「恋人 」という意味)ではなかったのだと言うことは、彼がいまだ独身であるという事実に照らしてみれば良くわかる。(^^;
カップルで歩いていれば、恋人と思いこむのも、触れる文化の未熟な日本人の悪い癖なのかもしれない。
Nuitさんは、日本文化を線の細い文化と言ったが、そのとおりかもしれない。
そして、控えめに言っても120キロの巨漢ではあったが、20年も日本で過ごして、線の細い日本文化の影響をもろに受けたジョン先生は、その線の細さゆえに、いまだに独身なのではあるまいか。
ジョン先生は去年アメリカに帰って行った。
日本人のお嫁さんを貰って、日本に帰化したいという先生の夢は叶わなかった。
繊細な彼が、「スエゼン」などという忌まわしい日本語を、一刻も早く忘れてくれていることを願う。(^^;
英語
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