キレタ話・・・その② [<学校の話、子供たちの話>]
あんまりネタが古くならないうちに、今日は九子はじめてのトラックバックとやらをやってみようと思う。
「おとなの隠れ家」のまあこさんの日記に、授業中居眠りしていた生徒に、カッターナイフで自分の手を切らせて、血で反省文を書かせた教師のことが書いてあった。(もう、新古記事ですね。すみません。m(_ _)m )
実は前日高校生のN子が、先生がキレた話をおみやげにもって帰ってきたので、尚更興味深く読んだ。
N子の話であるが、日頃怖い先生と恐れられていた教師が、その日ついにキレて、椅子を机の上にぶつけて、椅子のネジが飛び、部品が外れて近くの男の子をもう少しで直撃するところだったという。
幸いどこにも当たらず、誰も怪我もせず、後から他のクラスから「凄い音したけど、どうしたの?」と聞かれたくらいで済んだ話であった。
変なことを言うようだが、九子はN子が「今日H(先生)キレタんだよ。」と言った途端に、「N子は凄いな!」と思うような親ばかである。(^^;
なぜそう思ったか?
九子が高校生の頃、先生方はみんな大人、というか、近寄りがたい存在だった。(少なくても九子にとってはそう言う風に映った。)
先生方の言われることは、生徒にとって絶対だった。
だから先生に叱られる時、生徒のほうから「先生がキレタ!」つまり、先生が感情的に叱ったという冷静な観察など出来なかったように思う。
先生から叱られる時には、必ずこちらに非があるのだと思い込んでいた。
だから、「先生がキレタ!」という見方が出来る今時の高校生は偉いと思った。
考えてみると、キレル見本を見せる先生が増えてきたと言うことなのかもしれないのだけれど・・・。(^^;
この二つの事件で教師がキレタ対象は、どちらも居眠りしていた男子生徒だったそうだ。
まあこさんも書いているが、そもそも居眠りをすると言うことは、そんなに悪いことなのか?
大きなイビキでもかかない限り、他人に迷惑が及ばないと言う点では、これ以上に紳士的な授業拒否はなかろう。
処罰の対象が居眠りであったというのは、だから、ちと合点がいかない。
この教師は、絶対に間違っている!それはもう、天地神明に誓って事実である。
問題になるとしたら、この教師がこういう罰を、以前から同様のことをした子に与えていたのかどうかだ。
まあ、その可能性は極めて低いだろう。そうであれば、もっと早い時点でニュースになっていたはずだからだ。
子育ての原則として認識していることのひとつに、「教育者の姿勢が、いつでも首尾一貫していること」が挙げられると思う。
同じ事をAがした時は叱り、Bがした時は叱らない。または、昨日は叱り、今日は叱らない。こういう例外があってはならない。
教師が,正しいと信じて血の反省文を書かせたのであれば、その時間に居眠りをした子ばかりでなく、当然今まですべての時間に寝ていた全ての子供を処罰の対象にすべきであった。
いつも寝ているからと言って、何かと気に入らない特定の生徒だけを処罰の対象にしてはならない。
また、思いつきでない罰であったと主張するならば、日頃から最後通告のような形で「あと何回で、血の反省文だぞ!」というカウントダウンがなされなければならないだろう。
ある日突然!は、やっぱり誰だって困る。
まあこさんはきれる人(こちらは、頭が良いと言う意味。( ^-^))だから、高校生の頃も、理論整然と先生に反論出来たかもしれないけれど、並の高校生では、まだ九子みたいに、先生の権威に太刀打ちできない生徒の方が多いのかもしれない。
だから尚更、先生は慎重であって欲しい。
生徒は、学校の中では、先生と決して対等にはなれない。
すなわち、無条件に権威を振りかざして良いはずがない。
実は今を去るうん十年前(^^;、九子が小学校に入学したての頃、九子の担任の先生は、当時スパルタ教育で名高いN先生だった。
スパルタ教育と言っても、もう死語になりつつあるのだろうか?
わからない人がいたら、「巨人の星」の主人公、星 飛雄馬の父親である星 一徹みたいな先生と言ったらわかって頂けるかもしれない。
とにかく、N先生に体罰を受けなかった生徒のほうが少なかった。
(実は、その数少ない一人が九子だったのだが・・・(^^;)
頭をこずかれる、耳を引っ張られるは日常茶飯事。
なぐる、蹴るだって、取りたてて珍しいことではなかった。
うん十年ぶりに同級会があった時、それこそ出席者全員が鮮明に覚えていた事件があった。
それは・・・。
九子の小学校には、教育実習生が毎年教えに来た。子供たちが「教生の先生」と呼んで親しんでいたその教育実習生を、N先生がぶんなぐって、教生の先生はもんどりうって机にしたたかに顔をぶつけ、口が切れて出血したのだ。
クラス全員の幼い脳みそにしっかりと刻みつけられ、うん十年たっても決して消えることの無い鮮やかな記憶だった。
N先生のような先生は、今の時代には受け入れられない。たとえどんなに教育熱心で、生徒思いの熱い先生だったとしても・・・。
星 一徹も、N先生も、あの時代だったから容認され、全部ではないが多くの父兄から崇められたのだ。
学校は社会の規範を教える場でもあるのだから、先生が、たとえ堪忍袋の許容範囲一杯までもやもやが溜まっていたとしても、キレて突拍子も無い危険な行動に出ることだけは避けて欲しい。
他人を傷つける可能性のない方法でキレルのであれば、生徒たちの理解も得られようというものだ。
N先生は力のある先生だったから、若くして出世されて校長先生になられた。
だがお酒も好きで、糖尿病だったか肝臓病だったかで早くに亡くなられた。
N先生は九子の記憶の中で、いつも白いワイシャツに青いカーディガンをはおり、ボサボサ髪を手で掻き上げ・・・・、平手打ちをしている。(^^;
賢い先生だったから、教育熱心というだけでは自分のやり方がもう通用しない時代が来たことを敏感に悟られて、人生の幕を一人静かに下ろされたのかもしれない。
「おとなの隠れ家」のまあこさんの日記に、授業中居眠りしていた生徒に、カッターナイフで自分の手を切らせて、血で反省文を書かせた教師のことが書いてあった。(もう、新古記事ですね。すみません。m(_ _)m )
実は前日高校生のN子が、先生がキレた話をおみやげにもって帰ってきたので、尚更興味深く読んだ。
N子の話であるが、日頃怖い先生と恐れられていた教師が、その日ついにキレて、椅子を机の上にぶつけて、椅子のネジが飛び、部品が外れて近くの男の子をもう少しで直撃するところだったという。
幸いどこにも当たらず、誰も怪我もせず、後から他のクラスから「凄い音したけど、どうしたの?」と聞かれたくらいで済んだ話であった。
変なことを言うようだが、九子はN子が「今日H(先生)キレタんだよ。」と言った途端に、「N子は凄いな!」と思うような親ばかである。(^^;
なぜそう思ったか?
九子が高校生の頃、先生方はみんな大人、というか、近寄りがたい存在だった。(少なくても九子にとってはそう言う風に映った。)
先生方の言われることは、生徒にとって絶対だった。
だから先生に叱られる時、生徒のほうから「先生がキレタ!」つまり、先生が感情的に叱ったという冷静な観察など出来なかったように思う。
先生から叱られる時には、必ずこちらに非があるのだと思い込んでいた。
だから、「先生がキレタ!」という見方が出来る今時の高校生は偉いと思った。
考えてみると、キレル見本を見せる先生が増えてきたと言うことなのかもしれないのだけれど・・・。(^^;
この二つの事件で教師がキレタ対象は、どちらも居眠りしていた男子生徒だったそうだ。
まあこさんも書いているが、そもそも居眠りをすると言うことは、そんなに悪いことなのか?
大きなイビキでもかかない限り、他人に迷惑が及ばないと言う点では、これ以上に紳士的な授業拒否はなかろう。
処罰の対象が居眠りであったというのは、だから、ちと合点がいかない。
この教師は、絶対に間違っている!それはもう、天地神明に誓って事実である。
問題になるとしたら、この教師がこういう罰を、以前から同様のことをした子に与えていたのかどうかだ。
まあ、その可能性は極めて低いだろう。そうであれば、もっと早い時点でニュースになっていたはずだからだ。
子育ての原則として認識していることのひとつに、「教育者の姿勢が、いつでも首尾一貫していること」が挙げられると思う。
同じ事をAがした時は叱り、Bがした時は叱らない。または、昨日は叱り、今日は叱らない。こういう例外があってはならない。
教師が,正しいと信じて血の反省文を書かせたのであれば、その時間に居眠りをした子ばかりでなく、当然今まですべての時間に寝ていた全ての子供を処罰の対象にすべきであった。
いつも寝ているからと言って、何かと気に入らない特定の生徒だけを処罰の対象にしてはならない。
また、思いつきでない罰であったと主張するならば、日頃から最後通告のような形で「あと何回で、血の反省文だぞ!」というカウントダウンがなされなければならないだろう。
ある日突然!は、やっぱり誰だって困る。
まあこさんはきれる人(こちらは、頭が良いと言う意味。( ^-^))だから、高校生の頃も、理論整然と先生に反論出来たかもしれないけれど、並の高校生では、まだ九子みたいに、先生の権威に太刀打ちできない生徒の方が多いのかもしれない。
だから尚更、先生は慎重であって欲しい。
生徒は、学校の中では、先生と決して対等にはなれない。
すなわち、無条件に権威を振りかざして良いはずがない。
実は今を去るうん十年前(^^;、九子が小学校に入学したての頃、九子の担任の先生は、当時スパルタ教育で名高いN先生だった。
スパルタ教育と言っても、もう死語になりつつあるのだろうか?
わからない人がいたら、「巨人の星」の主人公、星 飛雄馬の父親である星 一徹みたいな先生と言ったらわかって頂けるかもしれない。
とにかく、N先生に体罰を受けなかった生徒のほうが少なかった。
(実は、その数少ない一人が九子だったのだが・・・(^^;)
頭をこずかれる、耳を引っ張られるは日常茶飯事。
なぐる、蹴るだって、取りたてて珍しいことではなかった。
うん十年ぶりに同級会があった時、それこそ出席者全員が鮮明に覚えていた事件があった。
それは・・・。
九子の小学校には、教育実習生が毎年教えに来た。子供たちが「教生の先生」と呼んで親しんでいたその教育実習生を、N先生がぶんなぐって、教生の先生はもんどりうって机にしたたかに顔をぶつけ、口が切れて出血したのだ。
クラス全員の幼い脳みそにしっかりと刻みつけられ、うん十年たっても決して消えることの無い鮮やかな記憶だった。
N先生のような先生は、今の時代には受け入れられない。たとえどんなに教育熱心で、生徒思いの熱い先生だったとしても・・・。
星 一徹も、N先生も、あの時代だったから容認され、全部ではないが多くの父兄から崇められたのだ。
学校は社会の規範を教える場でもあるのだから、先生が、たとえ堪忍袋の許容範囲一杯までもやもやが溜まっていたとしても、キレて突拍子も無い危険な行動に出ることだけは避けて欲しい。
他人を傷つける可能性のない方法でキレルのであれば、生徒たちの理解も得られようというものだ。
N先生は力のある先生だったから、若くして出世されて校長先生になられた。
だがお酒も好きで、糖尿病だったか肝臓病だったかで早くに亡くなられた。
N先生は九子の記憶の中で、いつも白いワイシャツに青いカーディガンをはおり、ボサボサ髪を手で掻き上げ・・・・、平手打ちをしている。(^^;
賢い先生だったから、教育熱心というだけでは自分のやり方がもう通用しない時代が来たことを敏感に悟られて、人生の幕を一人静かに下ろされたのかもしれない。
[どもども♪]
初のトラックバックだとのこと、光栄です。(*^_^*)
この記事書いた時には、わたしもキレてたかも。(苦笑)
教師がどういう感情であったにしろ、生徒がどんなことを
しでかしたにしろ(居眠りだったのだけど)刃物で脅すということに
腹が立ってしまって。
ああいう事件(小六殺害事件)があって間もないのにとね。
なぜか、こういう関連事件(こども関係)には、熱くなりやすい
ところがあるみたいです、わたし。
わたしも中学生の時までは、先生の言うことは絶対的なものだと
思っていたと思う。
多少疑問はあっても、おおむね筋が通っていたような。
高校生の時は、教師の性格が見えたこともあったなぁ。
先生として言っているのか、自分かわいさなのかって。
教師にとっても、やりにくくなった時代だろうとは思いますが
こども相手にキレるのは、やはり限度を考えてほしいかなと。
一般企業ならば、即クビかもしれないな。
by まあこ (2004-07-22 22:32)
[おお、まあこさん!]
まあこさん、コメント有難うございます。( ^-^)
>この記事書いた時には、わたしもキレてたかも。(苦笑)
この辺りは、なんとなくそんな気もしていました。(^^;
だけど、あんまりな仕打ちだよね。
>教師にとっても、やりにくくなった時代だろうとは思いますが・・
それはそうかもしれません。昔の先生は偉かったから、誰も「違う!」とは言えませんでしたから・・・。
今の先生は大変だなあと良く思います。
でもやっぱり、器の小さい先生が増えたのかな?って気もします。
by 九子 (2004-07-23 12:34)