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束の間の軽井沢夫人 [<正統、明るいダメ母編>]

この夏は例のリッチな親戚のCさんがどこへも行くところのない九子達を哀れに思ってか (^^;、軽井沢の別荘を貸してくれることになった。

「軽井沢にも別荘があるのよ。」という話はずっと聞いていたのだが、何しろ子供たちはディズニーランドに近いT市の別荘の方に断然行きたがり、やっとディズニーランド熱も治まってきたところで、今年は足のおぼつかない年寄り孝行に、軽井沢でも行ってみようかという事になった。

幸い大人数で出歩くのを嫌う上の息子二人も、別の車で来て嫌だったら気ままに帰っていくということで、友達と旅行中の娘一人を除く総勢8人の大移動が相成った。

実はもうひとつ、今回の軽井沢行きには欠かせぬ話がある。

九子のハトコの、今は亡きS子さんの友人KWさんが、数年前から九子のことを軽井沢の別荘に誘って下さって、今回初めてお招きに甘えて伺ってみようと思っているわけだ。

薬局のHPの「Fujiwara氏との書簡集」に書いた「S子さんの桜」のS子さんは、親戚一の美貌だったが、美人薄命という言葉そのままに、40代半ばで癌に倒れた。

彼女の友人だったKWさんと九子が、彼女のお葬式の日、果たしてどの時点でお行き会いしたのかの記憶ももう無いままに、以来年賀状だけは交換していたのだが、数年前KWさんが長野に見えた時に、一緒にS子さんのお墓参りをさせて頂いた頃から、夏になると毎年「軽井沢へいかがですか?」というお誘いのメールを頂くようになった。

S子さんは大変な努力家で、T女子大出の才媛だった。
S子さんやKWさんを見ていると、当時のT女子大の、多分今とはまた一味違うある種の雰囲気というのを感じる。

当時女子大へ娘を出せる家庭は、多分特別だったに違いない。
いわゆる良家の子女であり、男女同権が掛け声だけでなく、実をともなったものとなった最初の頃、キリスト教の校風に彩られた自由な教育を受けた彼女たちは、多くが恵まれた家庭に嫁いだ事だろう。

夏の軽井沢は不思議なところだ。

辺鄙(へんぴ)な田舎町でありながら、東京の、しかも一握りの経済的にも社会的にも恵まれた人々が、ことさら豊かさを競うわけでもなくごく自然に、緑の中に各々の別荘を築く。

彼らは都会での豊かな食生活そのままに上質な食材を買い求め、ゆえに地元資本のスーパーであっても、庶民感覚では「ほうほう!」と思う値段と、豊富な品揃えのいかにも軽井沢らしい店が出来あがるわけだ。

九子が感激したのは、一番外側の葉っぱまで甘くて柔らかいシャキシャキレタス。だから誰も外側の葉を捨てる人はいない。そうだよねえ、高原野菜の特産地だもの。(それに庶民値段だったし・・・。(^^;)

長野市内の店に並ぶ頃には、可哀想に一番外側の一ニ枚は、達人主婦たちによってお店のくず箱に直行なのだけれど・・・。

その他すぐそばの海(?)から取れたてみたいなまぐろのトロの刺身とか、ブルーベリーのジャムや、カナダ産メープルシロップの大瓶とか、食卓に乗っていたらきっと気持が豊かになると思う品物が、所狭しと並んでいる。

スーパーの駐車場には、色も形も様々なベンツが並ぶ。
骨身を削って貯めたお金で買ったなけなしのベンツではないのだから、買い物の間中、犬がベンツの中で留守番していたり、木立を抜けて走る時に出来たすり傷がそのままであったり、とにかく無造作なのである。

KWさんが九子を案内して下さったのは、南ヶ丘美術館だった。
今はある専門学校の持ち物という事だが、以前は天皇陛下をはじめ錚々(そうそう)たる有名人がおいでになったと言う数十年前の豪農の萱ぶき屋根の家である。

回りの芝生は見事に手入れされ、鬱蒼と茂る木々の名前のひとつひとつを、都会育ちのKWさんが九子に教えてくれる。(^^;

その一室でバイオリンとチェロのミニコンサートが開かれる。奏者は井村美由紀さんと匡利氏。わずか十数人の客のために、夏の間たった二日間だけの演奏だ。

入館料の中に、このコンサート代と別の喫茶室でのお茶代が含まれる。
もちろん南ヶ丘美術館というだけあって、東西の有名画家の秀作を集めた小さな美術館もある。
儲けるつもりなら、この値段では絶対に合わない。

軽井沢はどこへ行っても、生演奏の聴けるコンサートに事欠かない。
大きな会場でのかしこまったそれではなく、お昼を食べながら、お茶を飲みながらの気楽なものがほとんどだ。

今日はどこそこで誰のコンサートがある、花火がある、ゴルフ大会があるというような情報も、新聞チラシみたいなものでわかるようになっているらしい。

KWさんと並んで座っていると、九子までがどこやらの品の良い奥様然としてくるから不思議だ。(^^;

喫茶室では偶然、先ほどの奏者の井村夫妻と御一緒するが、著名な演奏家であろうと、案内係りの店員さんであろうと、気さくに声をかけるのがKWさん流だ。

でもお陰で、医者仲間にはクラッシック愛好家がとても多くて、名医は演奏で気分転換を図るのだ・・・とかいうこぼれ話を伺うことが出来た。

(そういう世界もあるんだなあ。(^^;)

KWさんの愛車ベンツで、別荘に案内される。

「アルツハイマーの義母(はは)といっしょに住んでいるの。夏も冬も軽井沢に来ると、92歳の義母も少し元気になるのよ。」

大きなログハウスの別荘は、ご主人が亡くなられてから建てられたのだそうだ。
40代で亡くなったS子さんほどではないが、KWさんもまだまだ働き盛りでご主人を亡くされ、いくら人もうらやむ優秀な息子さんたちに恵まれていらっしゃるとは言え、幸せそのものという人生を送られた訳ではない。

お義母様は難病の人とは思えぬほど、静かな、笑顔の美しい老婦人だった。
「薬が効くようになって、とても楽になったの。発病の頃はひどい事言われたりして辛い思いもしたのだけれど・・・。」

S子さんにもKWさんにも同じように受け継がれた自由博愛の精神。もっと言えば艱難(かんなん)辛苦を耐え忍び、人を愛するキリスト教精神の真髄・・・・とでも言うものを垣間見た思いがした。


次の日からの九子の生活は、束の間の軽井沢夫人そのものであった。
朝から夜まで一歩も家を出ず、家から持ってきた年代物の山崎豊子著「白い巨塔」上下2巻を読みふけり、食事はスーパーのお惣菜。

家事一切から開放されて、艱難辛苦を耐え忍ぶ生活とは正反対の軽井沢夫人ぶりであった。(^^;

親が親なら子も子と言うことらしく、「体がなまるからどこかに遊びに行こう!」などと言い出す子は皆無。

別荘にあった横山光輝の「まんが三国志全60巻」を奪いあって読み、満足そうに日を送るのであった。

 かくして艱難辛苦を耐え忍べない軟弱な親から、どこを切ってもおんなじ顔の飴細工のごとくに、情けない子供たちがつぎつぎと生まれ育つのであった。
(^^;
タグ:軽井沢
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