SSブログ

惜別、山口村・・・・・信州長野県 田中康夫知事のことば [<九子の万華鏡>]

2月12日付のたぶん長野県の新聞全紙(信濃毎日新聞ばかりでなく、読売新聞にも載っていたところをみると朝日新聞や毎日新聞にもたぶん・・)に「惜別、山口村」と題した一面記事が載った。ほとんどが、田中知事の県民と山口村村民への最後のメッセージである。

そう、2月13日午前零時をもって、長野県木曽郡山口村はもはや存在しない。岐阜県中津川市となったのである。

まずは「合併申請に当たっての県民の皆様へのメッセージ」から。

「国家が、パスポートを保有する自国民に対して、その保護を約束している様に、仮令(たとい)、それが相対的には少数者であろうとも、長野県民であり続けたいと願う方々を護らねばならぬ責務が、長野県知事としての私には課せられています。」
ではじまる文章は、以下のように続く。

「集落が、そこに暮らす人々を中心として構成されるコモンズであるように、長野県も又、自律する信州としての統一性をめざすコモンズなのです。」

出ました!コモンズ!なんのこっちゃ?(^^;
house of commonsは英国下院議会のことらしいけど、ってことは日本に移すと衆議院。
衆、すなわち民衆ってこと?それとも、より意味が近そうな共同体っていうことなの?

「そのコモンズの未来は、構成員全員の意思を踏まえて決定されねばなりません。」

その結果、知事は去年9月の県議会で一万人規模の意向調査の実施を議会に上程したが、県議会の中で県民の意思確認の必要性を認められず、12月定例議会で山口村の越県合併が賛成多数で可決された。

知事が危惧するのは、麻生太郎総務大臣の「これ(越県合併)が道州制導入へのさきがけ」発言で、中央政府の都合で区割りされた道州制導入の結果、長野県が一つの州に丸ごと帰属できず、北陸州、関東州、東海州と三分割されてしまう悲劇の可能性が高い点だそうだ。

「であればこそ、覚悟と想像力を冷静に持ち合わせた上での御議論と御判断を、と県議会の皆様に対して繰り返し御願いしてきたのです。」

そして今後同様の「越県合併」の申請があった場合にも、今回と同様の決定を下さねば整合性に欠けるから、
「・・・・・・・・・・県庁所在地から遠く離れた山口村だけの特例とするのでは、憐憫(れんびん)という名の無関心がもたらした議決だと、歴史の厳しい審判を受けるでありましょう。」と続く。

「とまれ、長野県議会を構成する58名の選良の内の49名が山口村を岐阜県へと送り出そう、と白票を投じ、議決されました。」

「県知事としての私の再選よりも八ヶ月近く後に実施された統一地方選挙で、県下各地の代表として県民の皆様が送り出された県議会議員の過半数を大きく上回る選良の方々が、岐阜県中津川市への「越県」合併をお認めになった、この事実に目を瞑(つぶ)る訳には参りますまい。呻吟(しんぎん)の末、私は県議会に於ける議決を厳粛に受け止め、山口村の「越県」合併申請を行うことを決意しました。」


「長野県民であり続けたい、と涙ながらに訴え続ける老齢の山口村民に接すると、今でも涙を禁じ得ません。様々な「優遇措置」を伴う平成の合併特例法を国が施行しなければ、「越権」合併など思い至りもしなかったであろうとの加藤出・山口村村長の吐露(とろ)を思い起こすと、より一層、複雑な思いで胸が一杯となります。」

そして、

「中津川市との合併後も、長野県への想いを断ち切れぬ現山口村民の方々からの御相談に対しては、私を始め、まちづくり支援室、コモンズ・地域政策チームの面々が、誠意を持って個別対応させて頂きます。」と続き、

最後は、

この間の議論を通じて、向上心に溢れる220万県民の方々が、長野県の将来、或いは住民自治や民主主義の在り方に関し、幾許(いくばく)かでも沈思黙考(ちんしもっこう)して頂ける機会を得たとするなら、それも又、2500年前のソクラテスの昔から遅々とした歩みなれど少しずつ成熟していく私達の民主主義の過程の一つだと言えるのでは。無念な想いと共に、私は今、そう考えています。

平成17年(2005年)1月4日        信州・長野県知事  田中康夫

で終わる。

*************************************

続いては山口村閉村式での挨拶。冒頭に「二月八日(火)山口村閉村式が行われました。正副県議会議長はご都合がつかず、やむなくご欠席されましたが、長野県を代表する形で私が出席し、山口村というコモンズを育んできた人々や風土、歴史に敬意を表し、惜別の情を左記の通り、山口村の皆様に申し述べました。」という一文が添えられている。

知事が家族と共に馬籠を訪れたのは小学校の頃だと言う。木曽は山の中に在るのだ、と子供心に改めて鮮烈な印象を受けたという。

「星霜(せいそう)を経て私は、信州・長野県の地勢と県勢が今後大きく変貌していくであろう萌芽とも呼ぶべき「越県」合併問題に県知事として立ち会う数奇さを、ここ数ヶ月に亘(わた)って自身の中で反芻し続けてきました。」

「・・・・・・日本列島の背骨に位置し、数多(あまた)の水源を擁する信州・長野県は、それぞれに異なる風土と歴史の下、同じく少なからず異なる気質の県民が暮らしています。

然し乍(なが)ら、県歌「信濃の国」を唱和する際には、そうした様々な風土と歴史と気質の違いを乗り越えて、あたかもフランス国民が国歌「ラ・マルセイエーズ」に愛着を抱くが如く、県民は心を重ね合わせるのです。正に、信州・長野県に暮らす私達にとっての精神的支柱として。」

「而(しか)して、信州人にとってのもう一つの精神的支柱は疑いなく、文豪・島崎藤村でありましょう。であればこそ、戦後の混乱期にも拘らず、全県下から藤村記念館建設の為の浄財が寄せられたのです。彼が生まれ育った馬籠も、その意味に於いて信州人の精神的支柱と言えます。」

「220万県民に奉仕する長野県知事としての私は就任以来、心優しき目線を少数者や弱き者に対して向けるサーヴァント・リーダーたれ、と自身に課してきました。」

「(中略)願わくは、山口村に生まれ育ち、或いは移り暮らしておられる方々が今後も、信州人としての自分を顧みる瞬間を時として抱かれます事を・・・・・・・・・。以上、木曽郡山口村の閉村に当たり、信州・長野県知事としての感懐を申し述べました。どうも有難う御座います。」

*************************************

ああ、疲れた!
ここまで読んで下さって、どうも有難うございます。

「コモンズ」では一言申し上げましたが、こんなに長く書いて来て、さらにこれから先を書き連ねるのは、努力と言う単語を持たない九子には到底無理と言うことで、九子の見解は次回にさせて頂きます。ごめんなさい。

さすが作家でいらっしゃる田中康夫知事の名文を皆様にお届けして、本日の日記とさせて頂きます。m(_ _)m


☆最後に来て、疲れた九子をさらに打ちのめす事実が判明致しました。この全文がネットで読めたのです。 興味のおありの方は、ここと、ここをどうぞ。 (´_`。)うぅっ。。
タグ:田中康夫
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。