木枯し紋次郎を知っていますか? [<九子の読書ドラマ映画音楽日記>]
★この記事は「木枯し紋次郎の風景・・・上州長脇差のダンディズム」に紹介して頂きました。m(_ _)m
日本中の誰もがワールドカップサッカーの熱戦に寝不足になっている時、あまのじゃくな九子は別のものを見ては眠い目をこすっている。
それは、ケーブルテレビの時代劇チャンネルで、月曜~金曜まで夜中の12時からたぶん6月いっぱいやっている娯楽時代劇「木枯し紋次郎」である。
ああ、懐かしい!と言っても、懐かしがって下さる方はほんの一握りであろうことが悔しいが、「木枯し紋次郎」は、確かに九子の青春であった。( ^-^)
長い楊枝をくわえた左頬に刀傷のある渡世人。
「あっしにはかかわりのねえこってござんす。」が決まり文句の滅法腕の立つ強いヤツ。
九子も成長したせいか(^^;うん十年ぶりに見なおしてみると、昔はわからなかったことが見えてくる。
まずはこの時代劇が市川崑 監督作品であったこと。
映像の美しさは、東京五輪記録映画を作った市川監督ならではのものか。(古!(^^;)
主演の中村敦夫氏、当時はどうしてもイケ面とは思えなかったのであるが、今、時を経て見直してみるとなかなか渋いニ枚目である。
芥川隆行の名ナレーションによるならば、「木枯し紋次郎は上州新田郡(にったごおり)三日月村の貧しい農家に生まれたと言う。十歳の時に故郷を捨て、その後一家は離散したと伝えられ、天涯孤独な紋次郎がいかにして無宿渡世の世界に入ったかは定かではない。」という訳だ。
またWIKIPEDIAによると、紋次郎が唯一心を許したのがすでに亡き実の姉で、赤ん坊の時口減らしで殺されるところを姉に助けられたそうで、そのため姉のような年頃の女性にはついつい関わってしまうんだと言う。
先日の放送でわかった事だが、姉の名前は「おみつ」と言い、野菊が好きな女性であったそうな。
そう。紋次郎は、実はかなり優しい。
いや、優しいという言葉はすわりが悪いかな。
大変律儀である・・・というべきか。
「関わりたくない」というのは、実は、関わってしまったらとことん関わりたくなる自分の性格を良く知っているからこそ、関わることから無理して遠ざかろうとしているのだと言う事がだんだんわかってくる。
彼が関わる時と言うのは、必ず何らかの恩義を感じた時だ。
そしてその恩義というのは、どんな些細な事であれ、彼が「借り」とか「義理」とか感じたその瞬間に、その大小に関わらず、何が何でも報いねばならない「掟(おきて)」になるのだ。
たとえば先日の放送では、たまたま助けて欲しいと言われた女性の名前が姉と同じ「おみつ」であったからというおよそ考えられない理由で、命を張っての大太刀回りを演じるのだ。
当時ニヒルとかニヒリズムとかいう訳のわからない言葉が一人歩きして、紋次郎の修飾語になっていた。
実はこの言葉、今調べてみてもあんまり良くわからない。
が、しかし、なんとなく「虚無主義」と訳されている。
田村正和と言えば今では古畑任三郎だろうが、当時彼もまたニヒルな役者として人気絶大だった。
今の言葉で言えば「覚めた」とか「クールな」というのと同義語だったような気がする。
(「クール」は現代英語の"cool"、すなわち「カッコいい」と言う意味に近かったが、もう少し「冷たさ」を含んでいた。)
木枯し紋次郎は、「クール」ではない。時として熱い男である。
熱くならねば、一度に十人も二十人も殺せやしない。
並外れた脚力を使って、走りまくり、敵を蹴散らし、地を這いつくばり、泥くさい太刀まわりをしながら最後に勝つのである。
(彼の太刀まわりが泥くさいというのも、WIKIPEDIAの知識である。)
しかしながら、彼はまったく無欲である。
誰かに届けるように預かった小判や金塊が、相手に届くまでは必死で見届けるが、その相手がもうこの世に居ないことがわかって、いざ自分が手に出来る立場に立たされても、彼は絶対に自分の物にすることはない。誰かにそっと手渡して、急いでその場を立ち去るのだ。
赤貧の生まれであっても、金銭物欲は一切無い。これはかなり見事な生き方である。
無宿人というのはすなわち宿無しと言うことだ。
そのすばやい強靭な足で、身体が利く限り生涯旅を続ける事だろう。
そう言う生活に、物は要らない。
たまに宿場か一膳飯屋にやっかいになる小銭があれば事足りる。
紋次郎の横顔がそう言っているような気がする。
九子がもうひとつ惹かれるのは、彼の丁寧な言葉使いだ。
彼はいつも、誰に対しても敬語を使う。
親分さんだろうが、老人だろうが、農民だろうが、女性だろうが、必ず訳隔てなく「○○さん」と呼びかけ、丁寧な「・・・ですぜ。」「・・・せんぜ。」「・・・ござんす。」と応じる。
当時、旅する女性と言えば、「飯盛り女」とか言われた半分娼婦みたいな女性が横行していた時代だから、たぶん蔑まれていたであろうそういう女性達であっても、同様の敬意を払う紋次郎の生き方を象徴しているように思う。
ついでに言うが、彼には女性に対する性欲も無い。
淡白というよりも、皆無と言ったほうが良いくらいである。
毎回ゲストには実に美しい女優陣が揃う。
鰐淵晴子も村松英子も小山明子も、着崩れた着物姿がぞくっとするほど艶やかで美しかった。
特に鰐淵晴子に至っては、今をときめくどんな女優さんよりも際立って美しかった様に思う。
そうであっても、紋次郎は決して彼女達に心躍らせることはない。
これは実に不思議なことだが、もしかしたら有り余る熱情のすべてを刃傷沙汰にそっくり注ぎこんでしまっているせいかもしれないし、彼の禁欲的な性格が、それを許さないからかもしれない。
一膳飯屋で、ごはんに漬物と味噌汁をぶっかけて、ものの30秒ほどで食事をする彼の姿があちこちに出てくるが、不思議なことにあさましさは全く無い。見事と思うばかりである。
それから彼は「堅気の衆(かたぎのしゅう)」と自分の生き方に確たる一線を画す。
「渡世人」というやくざな生き方をする人間は、決して「堅気の衆」と呼ばれる普通の人々と交わってはならない。 これも彼の際立った哲学のひとつである。
こうして見ると、彼の生きざまは誰かを思わせる。
そう。修行に打ち込む禅僧のそれである。
食欲も性欲も物欲も睡眠欲も、欲望のすべてをこそぎ取って、ただ黙々と歩き、走り、そしてひたすら旅を続ける。
関わりたくない殺生するのは仕方が無いが、どれもこれも自分から仕掛けたものではない。
すべては売られた喧嘩、すなわち正当防衛なのである。
紋次郎の恩返しは、残念ながら報われない事が多い。
小判を届けようとした人間は、すでにこの世にいなかったり、この世に居ても殺人鬼に成り果てていたり・・・。
義理のために自分の行先を変え、命をかけて盗人から守り通した小判である。
それなのにやっと目的地にたどり着いてみれば届けるべき相手がいないのである。
ふつうなら「こんなに苦労したんだから、これは手間賃として貰っておこう。」と思うところだが、彼は決してそれをしない。通りすがりの困っている人間に、惜しげもなく施してしまうのである。
そう言う生活を繰り返すうち、彼の感覚は山川の自然の営みには鋭敏になり、人間の下世話な欲望には決して心動かされなくなっていく。
そう。こうして見てみると、木枯し紋次郎という人物に本当に似つかわしいのは、ニヒル
nihilやらニヒリズムnihilismではなくて、ストイックstoicであり、ストイシズムstoicismであることがわかる。
あたかも、修行を積んだ高僧のように・・・・。
う~ん。木枯し紋次郎は、少なくとも九子よりも余程修行を積んでいる。(^^;
そして・・・・・・。
そうか!わかった!そうだったのか!
九子はうん十年も前から、木枯し紋次郎みたいなストイックで無欲な男が好きだったのだ。
その結果選んだのがM氏であったという事実!
禁欲的かどうかはともかく(^^;、確かにM氏は無欲であった。
その当然の結果として、彼がビンボーであっても文句は言えない。
文句を言いたいのは、彼がビンボーを通り越して、
ビンボー神であることだ。(^^;(^^;
日本中の誰もがワールドカップサッカーの熱戦に寝不足になっている時、あまのじゃくな九子は別のものを見ては眠い目をこすっている。
それは、ケーブルテレビの時代劇チャンネルで、月曜~金曜まで夜中の12時からたぶん6月いっぱいやっている娯楽時代劇「木枯し紋次郎」である。
ああ、懐かしい!と言っても、懐かしがって下さる方はほんの一握りであろうことが悔しいが、「木枯し紋次郎」は、確かに九子の青春であった。( ^-^)
長い楊枝をくわえた左頬に刀傷のある渡世人。
「あっしにはかかわりのねえこってござんす。」が決まり文句の滅法腕の立つ強いヤツ。
九子も成長したせいか(^^;うん十年ぶりに見なおしてみると、昔はわからなかったことが見えてくる。
まずはこの時代劇が市川崑 監督作品であったこと。
映像の美しさは、東京五輪記録映画を作った市川監督ならではのものか。(古!(^^;)
主演の中村敦夫氏、当時はどうしてもイケ面とは思えなかったのであるが、今、時を経て見直してみるとなかなか渋いニ枚目である。
芥川隆行の名ナレーションによるならば、「木枯し紋次郎は上州新田郡(にったごおり)三日月村の貧しい農家に生まれたと言う。十歳の時に故郷を捨て、その後一家は離散したと伝えられ、天涯孤独な紋次郎がいかにして無宿渡世の世界に入ったかは定かではない。」という訳だ。
またWIKIPEDIAによると、紋次郎が唯一心を許したのがすでに亡き実の姉で、赤ん坊の時口減らしで殺されるところを姉に助けられたそうで、そのため姉のような年頃の女性にはついつい関わってしまうんだと言う。
先日の放送でわかった事だが、姉の名前は「おみつ」と言い、野菊が好きな女性であったそうな。
そう。紋次郎は、実はかなり優しい。
いや、優しいという言葉はすわりが悪いかな。
大変律儀である・・・というべきか。
「関わりたくない」というのは、実は、関わってしまったらとことん関わりたくなる自分の性格を良く知っているからこそ、関わることから無理して遠ざかろうとしているのだと言う事がだんだんわかってくる。
彼が関わる時と言うのは、必ず何らかの恩義を感じた時だ。
そしてその恩義というのは、どんな些細な事であれ、彼が「借り」とか「義理」とか感じたその瞬間に、その大小に関わらず、何が何でも報いねばならない「掟(おきて)」になるのだ。
たとえば先日の放送では、たまたま助けて欲しいと言われた女性の名前が姉と同じ「おみつ」であったからというおよそ考えられない理由で、命を張っての大太刀回りを演じるのだ。
当時ニヒルとかニヒリズムとかいう訳のわからない言葉が一人歩きして、紋次郎の修飾語になっていた。
実はこの言葉、今調べてみてもあんまり良くわからない。
が、しかし、なんとなく「虚無主義」と訳されている。
田村正和と言えば今では古畑任三郎だろうが、当時彼もまたニヒルな役者として人気絶大だった。
今の言葉で言えば「覚めた」とか「クールな」というのと同義語だったような気がする。
(「クール」は現代英語の"cool"、すなわち「カッコいい」と言う意味に近かったが、もう少し「冷たさ」を含んでいた。)
木枯し紋次郎は、「クール」ではない。時として熱い男である。
熱くならねば、一度に十人も二十人も殺せやしない。
並外れた脚力を使って、走りまくり、敵を蹴散らし、地を這いつくばり、泥くさい太刀まわりをしながら最後に勝つのである。
(彼の太刀まわりが泥くさいというのも、WIKIPEDIAの知識である。)
しかしながら、彼はまったく無欲である。
誰かに届けるように預かった小判や金塊が、相手に届くまでは必死で見届けるが、その相手がもうこの世に居ないことがわかって、いざ自分が手に出来る立場に立たされても、彼は絶対に自分の物にすることはない。誰かにそっと手渡して、急いでその場を立ち去るのだ。
赤貧の生まれであっても、金銭物欲は一切無い。これはかなり見事な生き方である。
無宿人というのはすなわち宿無しと言うことだ。
そのすばやい強靭な足で、身体が利く限り生涯旅を続ける事だろう。
そう言う生活に、物は要らない。
たまに宿場か一膳飯屋にやっかいになる小銭があれば事足りる。
紋次郎の横顔がそう言っているような気がする。
九子がもうひとつ惹かれるのは、彼の丁寧な言葉使いだ。
彼はいつも、誰に対しても敬語を使う。
親分さんだろうが、老人だろうが、農民だろうが、女性だろうが、必ず訳隔てなく「○○さん」と呼びかけ、丁寧な「・・・ですぜ。」「・・・せんぜ。」「・・・ござんす。」と応じる。
当時、旅する女性と言えば、「飯盛り女」とか言われた半分娼婦みたいな女性が横行していた時代だから、たぶん蔑まれていたであろうそういう女性達であっても、同様の敬意を払う紋次郎の生き方を象徴しているように思う。
ついでに言うが、彼には女性に対する性欲も無い。
淡白というよりも、皆無と言ったほうが良いくらいである。
毎回ゲストには実に美しい女優陣が揃う。
鰐淵晴子も村松英子も小山明子も、着崩れた着物姿がぞくっとするほど艶やかで美しかった。
特に鰐淵晴子に至っては、今をときめくどんな女優さんよりも際立って美しかった様に思う。
そうであっても、紋次郎は決して彼女達に心躍らせることはない。
これは実に不思議なことだが、もしかしたら有り余る熱情のすべてを刃傷沙汰にそっくり注ぎこんでしまっているせいかもしれないし、彼の禁欲的な性格が、それを許さないからかもしれない。
一膳飯屋で、ごはんに漬物と味噌汁をぶっかけて、ものの30秒ほどで食事をする彼の姿があちこちに出てくるが、不思議なことにあさましさは全く無い。見事と思うばかりである。
それから彼は「堅気の衆(かたぎのしゅう)」と自分の生き方に確たる一線を画す。
「渡世人」というやくざな生き方をする人間は、決して「堅気の衆」と呼ばれる普通の人々と交わってはならない。 これも彼の際立った哲学のひとつである。
こうして見ると、彼の生きざまは誰かを思わせる。
そう。修行に打ち込む禅僧のそれである。
食欲も性欲も物欲も睡眠欲も、欲望のすべてをこそぎ取って、ただ黙々と歩き、走り、そしてひたすら旅を続ける。
関わりたくない殺生するのは仕方が無いが、どれもこれも自分から仕掛けたものではない。
すべては売られた喧嘩、すなわち正当防衛なのである。
紋次郎の恩返しは、残念ながら報われない事が多い。
小判を届けようとした人間は、すでにこの世にいなかったり、この世に居ても殺人鬼に成り果てていたり・・・。
義理のために自分の行先を変え、命をかけて盗人から守り通した小判である。
それなのにやっと目的地にたどり着いてみれば届けるべき相手がいないのである。
ふつうなら「こんなに苦労したんだから、これは手間賃として貰っておこう。」と思うところだが、彼は決してそれをしない。通りすがりの困っている人間に、惜しげもなく施してしまうのである。
そう言う生活を繰り返すうち、彼の感覚は山川の自然の営みには鋭敏になり、人間の下世話な欲望には決して心動かされなくなっていく。
そう。こうして見てみると、木枯し紋次郎という人物に本当に似つかわしいのは、ニヒル
nihilやらニヒリズムnihilismではなくて、ストイックstoicであり、ストイシズムstoicismであることがわかる。
あたかも、修行を積んだ高僧のように・・・・。
う~ん。木枯し紋次郎は、少なくとも九子よりも余程修行を積んでいる。(^^;
そして・・・・・・。
そうか!わかった!そうだったのか!
九子はうん十年も前から、木枯し紋次郎みたいなストイックで無欲な男が好きだったのだ。
その結果選んだのがM氏であったという事実!
禁欲的かどうかはともかく(^^;、確かにM氏は無欲であった。
その当然の結果として、彼がビンボーであっても文句は言えない。
文句を言いたいのは、彼がビンボーを通り越して、
ビンボー神であることだ。(^^;(^^;
[知っています]
もちろん知っています。はは…同世代♪
渋くて素敵でした(そう思ったのは、こちらオトナになってからですが)
当時は竹串を口にくわえて「あっしには・・・」とまねをして、母に叱られていましたが。
by せり (2006-06-20 15:50)
[せりさん!( ^-^)]
へへ・・、同世代!( ^-^)
>渋くて素敵でした(そう思ったのは、こちらオトナになってからですが)
これも一緒!( ^-^)
あの頃はそんなにカッコ良くは思えませんでしたよね。
おかしなものでテレビって見出すとなかなかやめられず、眠い目をこすって毎日起きています。起きていられなかった日には、お昼の12時から見ています。(^^;;
あの当時は、語りのウケをねらうお笑いタレントの台頭もなかったし、まだまだ質の良い番組がたくさんあったような気がしますよね。( ^-^)
ところでせりさん、こんなところでなんですがご退院おめでとうございます。
そして、日記の復帰もとても嬉しいです。( ^-^)
by 九子 (2006-06-20 22:56)
[始めまして]
始めまして、九子さん。轟拳一狼と申します。
紋次郎の姉おみつさんのブログでこちらを知りました。私も紋次郎ファンですので、興味深く読ませてもらいました。
私も紋次郎のような生き方にあこがれますが、残念ながら物欲いっぱいの俗人ですので、都合のよいところだけ自分流にアレンジして参考にさせてもらっています。
ちなみに私はテレビ時代劇『木枯し紋次郎』と同い年、つまり1972年生まれです。もちろん本放送は観ておりません。何度かなされた再放送ではまったくちです。
時代を超えて愛される、名作だと思います。
by 轟 拳一狼 (2007-05-18 00:44)
[轟 拳一狼さん、こんにちわ。( ^-^)]
おお、おみつさんのブログの第一回で紹介されてた方ですね。
もちろん読ませて頂きました。( ^-^)
木枯し紋次郎の美しい所作!まったくその通りですよね。
彼の中にある礼節の美しさが、彼の最大の魅力かもしれません。
>ちなみに私はテレビ時代劇『木枯し紋次郎』と同い年、つまり1972年生まれです。もちろん本放送は観ておりません。
私はしっかり本放送を見てました。(^^;;
でも、今になって木枯し紋次郎がまたこれだけ愛されている理由は何なのでしょうか?
私やあなたが記事を書いた1年前より、確実にサイトが増えていますよね。何かきっかけになる出来事があったのかどうか、知りたい気もします。( ^-^)
by 九子 (2007-05-18 10:34)
[きっかけは・・・]
たぶんきっかけは、時代劇チャンネルでの再放送ではないですかね。去年の集中放送のさらに1年位前に、第1シリーズだけ週に1本のペースで放送されて、時代劇チャンネルでも結構力入れて宣伝していましたので、それでじゃないでしょうか。
あくまで私のあて推量ですが。
私自身は、さらにそれよりさかのぼること3年位前ですかね、「ホームドラマ・チャンネル」で全3シリーズを放送したことがありまして、それで観てはまりました。
格差社会と言われる昨今、紋次郎のような格差の最底辺でも誇りを失わず生きる生き方が見直されてきているのかもしれません。
by 轟 拳一狼 (2007-05-19 09:14)
[確かに・・]
>格差社会と言われる昨今、紋次郎のような格差の最底辺でも誇りを失わず生きる生き方が見直されてきているのかもしれません。
あの時代、「お天道様に顔向けできない事はしちゃならねえ。」みたいな規範が確かにあったような気がします。
今の世の中、そのお天道様っていうのが無くなっちゃったのかしらねえ。
by 九子 (2007-05-19 11:37)