自分に甘い性格 [<正統、明るいダメ母編>]
ああ、暑い!暑い!
去年あたりまであんまりクーラーのお世話にならずとも夏を過すことの出来た我が家であるが、今年はクーラー君(エアコンと言わなきゃ古いかしら・・(^^;)、今までの分を取り戻す勢いの大活躍である。
今まで盆を過ぎると朝夕はめっきり涼しくなって、朝方などへたをすると風邪をひくほどだった長野市も、今年はお盆を過ぎてから連日の熱帯夜というバカ陽気である。
それにしても今年の夏はだらけきっていた。
いやそれは現在も進行中である。(^^;
せっかく稼動宣言しておきながら、また間があいてしまった。
ひょっとするとただでさえ無い体力が寄る年波と共に落ちてきたせいか・・・などと、考えたくない事をついつい考えてしまう九子である。
まあ得意の言い訳を言わせてもらえば、今年は父の新盆(所によっては「にいぼん」と言う所もあるやに聞くが、こちらでは「あらぼん」である。)故、結構たくさんの方がお参りに来てくださった。
父の仏壇は二階にある。その上り下りだけで普段の数倍疲れる。
・・・てな訳で、午後の大半を、九子はお昼寝して過していた。
またうまいことに、午後になるとお客はほとんどいなくなったのである。
( ^-^)
お客がいないのは、もとより薬局で慣れていた。
考えてみれば、お昼寝するのもいつもの事なのである。
違ったのはお昼寝の長さであった。
気がつけば夕方・・と言う日もざらであった。(^^;
小心者の九子の事ゆえ、そうやってだらだら過しながら「こんな事していていいのかなあ」という猜疑心には結構苛まれてはいた。
(「猜疑心は底無し沼のようだ」と言ったのは誰だっけ?)
そんな時に限って、痛い言葉たちに出会う。
活禅寺(←ここ)の機関紙を広げれば、無形大師が「惰眠を貪っておる暇があれば・・・・・」と諌めておられる。ギクッとして思わず飛び起きる九子。(^^;
そうか、坐禅もこの頃何日もしてなかったなあ。
やにわに坐ってみても、ただでさえ不足している集中力が暑さの中途切れがちで思う様に坐れない。
そうするとまたすぐに眠くなってくるんだよねえ。
眠い時、疲れている時、空腹満腹の時にはうまく坐れないと言われる坐禅である。
やっぱもう少し眠ってからにしよう!
九子はもと寝ていた位置あたりに再び横になる。
Z・Z・Z・Z・Z(^^;;
テレビをつければ、件の日野原重明医師が出てきて「人間はしなければならない事があれば一日4時間の睡眠で事足りるのです。」とおっしゃる。
またまたガバチョと起き上がる九子。
「でもさあ、お客も来ないし・・。しなければならないことなんてそんなに無いじゃん!」
そしてまた一眠り・・。
実はやることは山ほどある。
今まで母がきりもりして、なんとか美しく保たれてきた庭には草が伸び放題。
家の中は整理整頓と言うことが出来ない九子に育てられた、はたまた整理整頓嫌いのむすめどもが取り散らかしたモノの山。
「こんな汚い家はすぐに出て行ってやる!」と彼女らはのたまうが、出て行く先のアパートだってどの程度きれいなんだか怪しいものだ。
自分に甘い性格の九子には、同じように自分に甘い性格の子どもたちが育つ。
ああ、金太郎飴のごとき悪しき連鎖よ。(^^;;
ところが夏休み中、かつて「自分に甘い」と言われた人達が頑張った感動の物語をテレビで見た。
ご覧になった方も多くいらっしゃると思うが、
熊本県立盲学校アンサンブル部のアンサンブルコンテストへの挑戦である。(たしかタケシのアンビリーバボーだったと思う。)
彼らを一目見るなり先生は「彼らはとても心の優しい良い子たちだ。ただ、人に優しい分、自分にも優しくて進歩が無い。」と評されたと言う。
そんな彼らがどんな偉業をなしたのかと言えば、史上始めて盲学校が高校生の全国大会であるアンサンブルコンテストで頂点に立ったのだ。
目の見えない彼らが、そのハンディを背負いながら一般の大会に出場し、しかも優勝すると言う事の大変さは想像を絶する。
見えない目で曲を覚え、見えない目で楽器を操る。
ドラムなんかはともかく、木琴や鉄琴はさぞや大変だろう。
指揮者のタクトだって見えないのだから、どうやって合わせるのだろう?
はじめの一音を出す合図にも苦労して、息使いで合わせるという神業を編み出したんだそうだ。
最初のうちは心も技もばらばらだった彼らが、予選、地方大会と勝ち進むうちに、いつしか全国大会出場、そして優勝という夢に向かってひとつになり、そして実際優勝を果たす。
中には就職を控えた3年生もいた。
就職試験との板ばさみに悩んだが、仲間の事を考えて最後まで続けることにした。
難病でガラス細工のようなか弱い心臓を抱えて、心不全をおこしながら頑張った子もいた。
母親の「こんなに明るいこの子の姿をはじめてみました。死んでも悔いはありませんから続けさせてください。」という言葉に後押しされての事だった。
そんな子供達は頑張るだけではなく、大好きな先生の誕生日もちゃんと覚えていて、練習の最後に「ハッピーバースデー」の演奏で先生を驚かせ、大きなケーキで先生を泣かせた。
優勝を決めた曲は彼らのオリジナル曲だった。
ハンディーをものともしない圧倒的な演奏だった。
かつて自分に優しかった彼らの偉業に、すっかり感極まった九子がいた。
「すごいわあ。人間って頑張る時が来れば、頑張れるものなのねえ。」
これは所詮、論理のすりかえである。
「自分に優しい」の一言にすっかり自分を重ね合わせてしまった九子であるが、考えてみれば障害を克服して明るく生きているというひとつをとって見ても、端っから九子など同じ土俵に登れる訳などなかったのだ。
「人間って頑張れるもの・・・」ではなくて、彼らが頑張ったのである。
彼らは頑張ったが、九子は頑張れない・・のである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
なんだか自分が惨めになってきた。(^^;;(^^;;
去年あたりまであんまりクーラーのお世話にならずとも夏を過すことの出来た我が家であるが、今年はクーラー君(エアコンと言わなきゃ古いかしら・・(^^;)、今までの分を取り戻す勢いの大活躍である。
今まで盆を過ぎると朝夕はめっきり涼しくなって、朝方などへたをすると風邪をひくほどだった長野市も、今年はお盆を過ぎてから連日の熱帯夜というバカ陽気である。
それにしても今年の夏はだらけきっていた。
いやそれは現在も進行中である。(^^;
せっかく稼動宣言しておきながら、また間があいてしまった。
ひょっとするとただでさえ無い体力が寄る年波と共に落ちてきたせいか・・・などと、考えたくない事をついつい考えてしまう九子である。
まあ得意の言い訳を言わせてもらえば、今年は父の新盆(所によっては「にいぼん」と言う所もあるやに聞くが、こちらでは「あらぼん」である。)故、結構たくさんの方がお参りに来てくださった。
父の仏壇は二階にある。その上り下りだけで普段の数倍疲れる。
・・・てな訳で、午後の大半を、九子はお昼寝して過していた。
またうまいことに、午後になるとお客はほとんどいなくなったのである。
( ^-^)
お客がいないのは、もとより薬局で慣れていた。
考えてみれば、お昼寝するのもいつもの事なのである。
違ったのはお昼寝の長さであった。
気がつけば夕方・・と言う日もざらであった。(^^;
小心者の九子の事ゆえ、そうやってだらだら過しながら「こんな事していていいのかなあ」という猜疑心には結構苛まれてはいた。
(「猜疑心は底無し沼のようだ」と言ったのは誰だっけ?)
そんな時に限って、痛い言葉たちに出会う。
活禅寺(←ここ)の機関紙を広げれば、無形大師が「惰眠を貪っておる暇があれば・・・・・」と諌めておられる。ギクッとして思わず飛び起きる九子。(^^;
そうか、坐禅もこの頃何日もしてなかったなあ。
やにわに坐ってみても、ただでさえ不足している集中力が暑さの中途切れがちで思う様に坐れない。
そうするとまたすぐに眠くなってくるんだよねえ。
眠い時、疲れている時、空腹満腹の時にはうまく坐れないと言われる坐禅である。
やっぱもう少し眠ってからにしよう!
九子はもと寝ていた位置あたりに再び横になる。
Z・Z・Z・Z・Z(^^;;
テレビをつければ、件の日野原重明医師が出てきて「人間はしなければならない事があれば一日4時間の睡眠で事足りるのです。」とおっしゃる。
またまたガバチョと起き上がる九子。
「でもさあ、お客も来ないし・・。しなければならないことなんてそんなに無いじゃん!」
そしてまた一眠り・・。
実はやることは山ほどある。
今まで母がきりもりして、なんとか美しく保たれてきた庭には草が伸び放題。
家の中は整理整頓と言うことが出来ない九子に育てられた、はたまた整理整頓嫌いのむすめどもが取り散らかしたモノの山。
「こんな汚い家はすぐに出て行ってやる!」と彼女らはのたまうが、出て行く先のアパートだってどの程度きれいなんだか怪しいものだ。
自分に甘い性格の九子には、同じように自分に甘い性格の子どもたちが育つ。
ああ、金太郎飴のごとき悪しき連鎖よ。(^^;;
ところが夏休み中、かつて「自分に甘い」と言われた人達が頑張った感動の物語をテレビで見た。
ご覧になった方も多くいらっしゃると思うが、
熊本県立盲学校アンサンブル部のアンサンブルコンテストへの挑戦である。(たしかタケシのアンビリーバボーだったと思う。)
彼らを一目見るなり先生は「彼らはとても心の優しい良い子たちだ。ただ、人に優しい分、自分にも優しくて進歩が無い。」と評されたと言う。
そんな彼らがどんな偉業をなしたのかと言えば、史上始めて盲学校が高校生の全国大会であるアンサンブルコンテストで頂点に立ったのだ。
目の見えない彼らが、そのハンディを背負いながら一般の大会に出場し、しかも優勝すると言う事の大変さは想像を絶する。
見えない目で曲を覚え、見えない目で楽器を操る。
ドラムなんかはともかく、木琴や鉄琴はさぞや大変だろう。
指揮者のタクトだって見えないのだから、どうやって合わせるのだろう?
はじめの一音を出す合図にも苦労して、息使いで合わせるという神業を編み出したんだそうだ。
最初のうちは心も技もばらばらだった彼らが、予選、地方大会と勝ち進むうちに、いつしか全国大会出場、そして優勝という夢に向かってひとつになり、そして実際優勝を果たす。
中には就職を控えた3年生もいた。
就職試験との板ばさみに悩んだが、仲間の事を考えて最後まで続けることにした。
難病でガラス細工のようなか弱い心臓を抱えて、心不全をおこしながら頑張った子もいた。
母親の「こんなに明るいこの子の姿をはじめてみました。死んでも悔いはありませんから続けさせてください。」という言葉に後押しされての事だった。
そんな子供達は頑張るだけではなく、大好きな先生の誕生日もちゃんと覚えていて、練習の最後に「ハッピーバースデー」の演奏で先生を驚かせ、大きなケーキで先生を泣かせた。
優勝を決めた曲は彼らのオリジナル曲だった。
ハンディーをものともしない圧倒的な演奏だった。
かつて自分に優しかった彼らの偉業に、すっかり感極まった九子がいた。
「すごいわあ。人間って頑張る時が来れば、頑張れるものなのねえ。」
これは所詮、論理のすりかえである。
「自分に優しい」の一言にすっかり自分を重ね合わせてしまった九子であるが、考えてみれば障害を克服して明るく生きているというひとつをとって見ても、端っから九子など同じ土俵に登れる訳などなかったのだ。
「人間って頑張れるもの・・・」ではなくて、彼らが頑張ったのである。
彼らは頑張ったが、九子は頑張れない・・のである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
なんだか自分が惨めになってきた。(^^;;(^^;;
[九子さん、同類だわ^-^]
冠婚葬祭にうとい私は、「にいぼん(こいぼん」って言葉きいたことがありませんでした。そんなのもあるのですね。
>自分に甘い性格
>整理整頓と言うことが出来ない九子
どちらも、私とおんなじ。
特に、整理整頓は、自分のなかで優先順位が最下位で、なまけもの時間がいっぱいあっても、なかなかできないの。
だから、「○○がない!」なんて事、しょっちゅうありますトホホ
by あずーる (2006-09-16 10:29)
[あずーるさんも?]
いやいや、そう聞いて安心するわけにはいかない。
程度ってもんがあるわけだから・・・。(^^;;
言い訳するようですが、子供の頃いつもいつも出来すぎ母にやってもらっていたツケが回ってきています。とほほ。
そうそう。探し回る時間がバカにならないのよね。
お昼寝の次に、それに費やしてる無駄な時間が多い九子です。
(^^;;
by 九子 (2006-09-19 17:56)
[九子さんも・・?]
>子供の頃いつもいつも出来すぎ母にやってもらっていたツケ
私もですよ!
アメリカにホームスティに行かなかったら、もっとひどかったかも・・・。
でも、妹は、ずっと結婚するまで親の家にいたけど、綺麗好きで、ちゃんとできるのよね。やっぱり、これは素質の問題でしょうかね^^;;
by あずーる (2006-09-24 12:16)
[安心しました( ^-^)]
実はこんな母親に育った娘どもの行く末が心配だったのですが、「素質」の問題ならなんとかなるでしょうか?
ううん、どうだろう~。(^^;;
でもホームステイって、きっと得るものが多かったでしょうね。
末娘がここへ来てどこか外国に行きたいと言い出しました。
日本以外は危ないから大嫌い!なんて言ってたのですが・・。
自分の英語がどんなに通じないかを実感させられて、ショック療法にはなるかもしれませんね。私が初めてハワイへ行った時のように・・。(^^;;
by 九子 (2006-09-26 15:29)