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アルジャーノンに花束を [<九子の読書ドラマ映画音楽日記>]

(最後まで読まれると、結末が予想できます。)



今から6ヶ月前、九子は母を突然亡くした悲しみにくれていた。
母は79歳で、食道ガンも完治したし、病気と言う病気はなかった。
ただ、体重が20キロを切ってしまっていた。
その危うさに、迂闊なことに気付かなかった。


どの時点で気が付いて母に栄養のあるものを食べさせていたら、母はまだ生きてここにいてくれたのだろうと、そればかりを考えて毎日を過ごした。


アルジャーノンに花束をの画像
「アルジャーノンに花束を」を買ったのは、もう10年前くらいになるだろうか。
ユースケサンタマリア主演のテレビドラマが有名になる少し前の事だった。


書店に出ていたあらすじを眺めて、無謀にも原語で読もうと思い立ち、洋書を買ったが、「超訳」でおなじみのシドニーシェルダンのシリーズなんかと比べても字が小さくて読み難そうで、すぐにお蔵入りとなった。


悔しいのでテレビドラマの方も見なかった。(^^;;


それを今回読もうと思い立った一番の理由は、時間が出来たからだった。


父も母も、去年そろって逝ってしまった。
まるで「おまえにそんなに長い間世話はかけたくないからね・・。」とでも言うように・・・。



テレビドラマをご覧になって御存じの方も多いと思うが、この話は、知恵遅れだが人一倍学習意欲の高いチャーリーゴードンが、選ばれて特別の手術を受け、一時的には手術を施した博士たちをも上回るIQの持ち主になるが、彼の前に同じ手術を受けたねずみのアルジャーノンは弱って死んでしまった。
さて彼の運命は・・・・、と言うものだ。


彼の「経過報告」という形で物語が進んでいくので、すべて口語表現、つまり話し言葉である。


この形は、永遠の英語学習者(^^;;九子にとってみると、なかなか得難い教材であった。


この本をどれだけ速く読めるかは、すなわちどれだけ速く英語を聞けるかにつながり、英語の速読速解力を判断する材料になるからだ。


その本を九子は、十日以上もかかって読んだ。
でもまあ、日数をかければ誰でも読める本という訳でもある。(^^;;


原語で読んだ直後、チャーりーが哀れでならなかった。救い様のない本だと思った。


その後日本語訳も買った。
そうしたら、チャーリーはまんざら不幸でもなかった。


上手に訳してもらってよかったよ。
九子みたいないいかげんな訳だと、ハッピーエンドもそうならなくなっちゃう危険性があることが良くわかった。(^^;;



それにしてもチャーリーの人生は、決して明るいものではなかった。
彼がもし健全な頭脳の持ち主だったとしたら、非行少年になっていたかもしれない。


彼の母親は、世間体ばかりを気にする人だった。
良い主婦である事をアピールするために、これみよがしに表通りに面した窓ガラスだけをぴかぴかにするような母親だった。


彼女は、チャーリーが知恵遅れである事を決して認めようとせず、あちらの医師、こちらの医師と彼を連れていき、少しでも可能性の有りそうな言葉を口にしてくれる医師に大枚をはたいて、彼の教育を頼んだ。


自分という人間から、チャーリーのような白痴の子が生まれたという恐怖、恥辱、罪悪感が彼女をずっと苦しめてきた。


6歳違いの正常な妹ノーマが生まれてから、彼女の苦しみはだいぶ薄まったが、チャーリーの心に、母親が望むような利口な子供になりたいという望みはいつまでも残った。
そうすれば母親がいつか自分を受け入れてくれる日が来ると思ったからだ。


しかし母親は、チャーリーみたいなのがいっしょにいると妹のためにならないと言って、彼を無理矢理養護学校に入れてしまう。


彼をかばってくれる勇気こそなかったものの、唯一家庭の中で正常な考え方の持ち主だった父親は、そんな母親に嫌気がさして離婚してしまう。


手術が成功してIQ185になったチャーリーは、20年ぶりに家族と再会するのだが、その再会もまたほろ苦いものだった。



自分の分身とも言うべきねずみのアルジャーノンは、手術前のチャーリーよりもすばやく迷路を抜けられるような優秀なねずみだったのに、手術後半年くらいで迷路にも迷い、体の機能も衰え、明らかに退行現象を示し出した。


アルジャーノンに起こる事は、ごく近い将来チャーリーにも確実に起こる。


チャーリーは、ドイツ語、ヒンディー語、日本語、ありとあらゆる文献を読み、自分に与えられた知能によって来るべき運命を変えようとする。


しかしその努力も・・・・。



チャーリーは私たちに、本当の幸せは知識を得て賢くなることによっては得られないことを教えてくれる。



彼の最後の「結果報告」がすべてを物語る。



自分の運命を呪うでもなく、手術を受けられて幸せだったと、いろいろな人に会えてさまざまな場所に行けて、何より勉強して賢くなれて良かったと、そして、またばかになってしまっても、いつでも本をもって勉強して、少しでもりこうになりたいと、チャーリーゴードンは言うのだ。


不条理という言葉でしか表現できない彼の不幸なさだめから彼を解き放ったものは、皮肉な事に手術により与えられた彼の高い知能が集めた情報でも生み出した理論でもなく、その作られた知性に埋もれて見えなくなっていた、彼の生まれ持っていた純粋な魂だった。


もしかしたらこれは、知的障害者と言われる人々すべてが共通して持っている魂の清らかさなのかもしれない。



おかげ様で時間がたっぷり出来て、いつでも好きな本が好きなだけ読めるまったく極楽気分の今の九子である。


でも、母の事だけを思って泣き暮らしていた半年前のあの頃の方が、チャーリーゴードンの魂により近い自分で居られたような気がしている。

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幸福
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コメント 2

まったん

[よかった。]
これはすばらしい。多くの人が読んでくれるといいですね。
映画で見たときはよくわからなかったけれど,この文で作者の
意図がわかりました。

やはり九子さん,ただものではないです。ともかく英語で読んで
しまうのもすごいですね。まいった。
by まったん (2007-07-22 15:30) 

九子

[おお、まったんさん!( ^-^)]
まったんさん。コメント有り難うございます。嬉しいです。
( ^-^)

まったんさん。私だっておんなじですよ。日本語訳読んでやっと「ああ、こういうことだったのか。」というのだらけです。

ただ、最後までページをめくるというのを続けていけば、達成感もあるし、いつの日かよく理解できる日が来ると信じて、たまに洋書を手にしてるだけです。(あっ、これってチャーリー的ですね。( ^-^))

これは本当にお薦めの良書でした。
訳者の方(小尾芙佐さん・・津田塾大卒の翻訳家)の和訳が素晴らしかったこともつけ加えておきます。
by 九子 (2007-07-22 23:30) 

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