SSブログ

九子流、坐禅(座禅)の仕方  その2 [<坐禅、仏教、お寺の話>]


その1より続く。



どうしたら目をつむらずに坐禅(座禅)が組めるか。

それは九子にとって究極の課題である。



何しろ生まれてこの方、お友達少ない人間で、ずっと自分一人の世界の中で遊んできた。

暇があれば始終考え事・・(というほどの事でもない(^^;;)と言うか、あらぬ妄想ばかりしていた。



とにかく集中力がないのである。



悪い事に、考え事というのはいつでもどこでも出来てしまうのだ。

特に回りがしんと静まりかえって、雑音が聞こえない絶好の環境の中では・・・。



それが三昧(ざんまい)だの、無念無想の世界などと言われてもねえ。(^^;;



無形大師も良く言われたが、自由に動くはずの手足を組み、自由にしゃべれるはずの口を閉じ、おのが全てを仏様に捧げる、すなわち自分自身の一切を供養するのが坐禅(座禅)の姿である。

供養の中で最大の供養が坐禅(座禅)であるのだ。



自分の自由になる最後の砦が思考と言う訳だが、それすらも仏様に捧げきってしまわなければ供養の意味が無い。



良く無念無想と言われるが、それは何も考えないと言う事ではない。

坐禅(座禅)中、考えは頭の中に浮かぶけれど、それを追わない、連想をしないと言う事が大事なのだ。

何も考えないよりは楽そうだが、それでも、特に九子のような人間には難題だ。



とにかく数息観(すそくかん)に徹して、呼吸を数えることに集中しさえすればよい。

そうすれば余計な事は考えなくて済む訳だ。



ところが案の定、気がつくといつも九子はあらぬ事を考えている。

そしてそんな時は必ず、目が固く閉じられてしまっているのだ。



そんなら目をいつも半眼にして、閉じない様に気をつけていればとりあえず集中しやすいのではないか。



20年以上も参禅している集大成として皆様にこんなやり方はどうだろうかとお披露目してみようと思っているのが次のやり方だ。



断っておくがお披露目したからと言って、九子が常にそれを実践出来ているかどうかはまた別問題である。(^^;;



要するに大事なのは呼吸の仕方の工夫なのだ。



無形大師は呼吸の仕方についてそんなに細かいところまで注意はされなかったと思うが、いろいろな坐禅(座禅)の本を読むと様々な方法が出ている。



たとえば「軟酥の方(なんそのほう)」と言うのが一番有名だと思うが、頭の上に柔らかい「酥(そ)」というクリームみたいなものが置かれている事を想像する。呼吸をする時にそれが溶けて身体中をめぐるような連想をするというものだ。



実践してみた結果、最初の何呼吸かは良いが・・・・。続かないのだ。(^^;;



九子のような注意力散漫な人間には、一息一息に目を開けている工夫がないと半眼を続けて行く事など夢のまた夢である。





秘訣はひょんなところに転がっていた。



無形大師の御提唱の中に、活禅寺の入門者がもらう「坐禅の仕方」という小冊子のどこにも書かれていない一項が加えられていたのに気がついた。



それが「歯と歯を噛みあわせない。」だった。



今にして思うと、どうして無形大師はこんなに重要な事を御提唱の中だけに留めておかれたのだろう。



歯を噛みあわせないということは、力を抜けということだ。

力が抜けた結果何が起こるかと言うと、呼吸が楽になる。



良く坐禅(座禅)を始めて間も無い人が「途中で息がつまるような気がして、しっかりと長い呼吸が出来ない。」と言うのを聞いた事があるが、これも今なら「歯と歯がかみあって力がはいっているんじゃ ありませんか?」と聞き直せる。



歯を噛みあわせないというのは、歯だけにとどまらず、身体中の不必要な力を抜けということなのだ。



まぶたも、法界定印(ほっかいじょういん)を支える腕も、歯も、力を抜いた結果、上まぶたと下まぶたの間に、身体と腕の間に、上の歯と下の歯の間に遊びというか、隙間が出来る。



その隙間を、ゆっくりと吐いた空気が抜けていく。



とにかく、身体の隙間を空気が抜けていくというイメージが出来あがって以来、九子の目は開けられる事が多くなった。



目と目が閉じられていると、呼気が抜けないのだ。



K和尚様に教わった「首根っこをつかまれて吊られている感じ」と一緒になって、九子が今イメージしているのは、昔良くおみやげにあった骸骨のキーホルダーである。



襟首あたりで吊られて、力みひとつ無い。

自在に操られて、どんな姿になろうと、肉に邪魔されず隙間から自由に空気が出入りする。

もとより目は骸(むくろ)なのだ。



大きくゆっくりと息を吸ってひと~~~~~~~~~~~つと数えながら出来る限り長く息を吐く。

出来る限り長くと書いたが、次の呼吸が苦しくて出来ないほど不自然に長くてはいけない。



長く息を吐くと、次の息は意識しなくとも自然に肺に入ってくる。



息を吐く時は、下腹部を意識しながら吐く。

これもK和尚様から教えて頂いた事だ。



下腹部をめがけて・・と言うと力みが生ずるから、あくまでも下腹部の良く言われる臍下丹田(せいかたんでん)を意識しながら吐く。



この呼吸を続けていると、いつのまにか下腹が温かくなってくる。

そして、無形大師が「つきたての餅のように」と表現された禅定(ぜんじょう)の姿が現れてくる。



一息ごとに自分の身体が清らかに清らかになって、最後にはからっぽになってしまう。

からっぽなのだけれど、心は何とも言えない幸福感でみなぎるばかりだ。



その結果なのか、坐っている身体はだるま様のようにまんまるになったような気持ちがする。

「つきたての餅」も自然にまんまるになるから、まんまるというのは禅定のキーワードなのかもしれない。





その日もいつものように坐禅(座禅)ぎりぎりにのこのこ活禅寺に出かけて行った九子は、初めて参禅したとおぼしき若い女性の前に陣取った。



活禅寺の和尚さん方は謙虚な人が多いのか、初心者の前に進んで坐るという事をあまりなさらない。



だけど九子は知っている。

初心者にとって、和尚様の前で坐る事がどんなに良い勉強になるかと言う事を・・。



だから、謙虚さのひとかけらも持ちあわせていない(^^;;九子は、よせばいいのに、たまに初めて坐る人の前で坐る。



九子の場合それでも長くやっているので、印を組んで座禅の姿勢が出来あがった頃には、そこそこ良い呼吸が出来る体勢が出来あがっているのである。

禅定の半分くらいの体勢にはなっているのだ。



ただし、問題はそこからなのだ。

とにかく集中力に難ありの人なので、数息観が出来る出来ない以前の問題として、考え事に夢中になってしまうあまり、ここが活禅寺で、久しぶりに参禅に来ているという事実すらひょっとすると忘れてしまったりする。(^^;;



いや、いかんいかん。今日は初めて坐禅(座禅)しているかもしれない人の前で座っているのだ。彼女の役に立つような坐禅(座禅)を心がけないと・・・。

(この時点ですでに「無心」を忘れている九子。(^^;;)



この心構えはとりあえず効を奏し、数息観も進み、いい雰囲気になってきた。 禅定もすぐそこ!っと思った途端、



「はあっくしょん。」前の女性が大きなくしゃみを・・。



思わずびくっとしてのけぞる九子!



あっ、びくっとしたの、見られたかな?見られたよね。

ああ、かっこ悪いなあ。

そうだ!やめて帰っちゃおうか。 そうしよう。(^^;;



さも最初から用事があったと言わんばかりに、本堂を後にする九子。 まあ、いいか。彼女の反面教師くらいにはなっただろうから・・。(^^;;



皆様、九子の戯言なんかに付き合ってる暇があったら、近くの禅寺でみっちりと本当の坐禅(座禅)を教えて頂きましょうね。( ^-^)



nice!(1)  コメント(8)  トラックバック(0) 

nice! 1

コメント 8

轟 拳一狼

[座禅ってのは・・・]
私はお寺に座禅に行ったことはありませんが、過去に2度ほど、実際に座禅を体験された方の手ほどきで、座禅"もどき"をしたことがあります。
その2度目は大学時代、柔道部の合同合宿で、他大学の先生に教えられて、数十人で一斉に座禅を組んでみました。そのときやらされたのは、「呼吸の回数を数える」というものでした。
10分間、とにかく何回呼吸したか、途中で何があろうとそれを数えろというお題でやってみました。
7,8分たったころでしょうか。先生がいきなり「喝!」と、文字通り一喝されました。周りの学生の中には少し動揺したものもいて、それで数えていた回数を忘れてしまったものも多かったようです。私は「多分こういうことだろうな」と予想しておりましたので、忘れることなく数え続けておりました。
そんな経験を思い出しました。

柔道を学ぶとき、最初に教えられるのは、立ったときの姿勢です。柔道の基本姿勢には、自然体、右自然体、左自然体の三つがあります。最初はこの姿勢を何度もやらされます。次は歩き方。座り方立ち上がり方、礼の仕方。その動作を何度も何度もやらされました。
そのときの動きが、柔道のすべての動作の基本になっていることに気がついたのは、かなり後になってからでした。さらにそれが柔道という哲学を表していることに気がつくまで、もっと多くの時間を必要としました。
単に「礼に始まり礼に終わる」というだけではない、もっと奥深い思想がそこには隠されていました。それに気がついたとき、ますます柔道が好きになりました。

何事も、長く続けてきて初めて見えてくるものがあるようです。
by 轟 拳一狼 (2008-03-10 12:07) 

eiko

[座禅を組むって大変なのね^^]
「どうしたら目をつむらずに坐禅(座禅)が組めるか」
ウヒャー凄い。
私は到底ムリ!
座ると、万有引力の影響で上まつげが
自然と下に下がってくるのよね(^^;

睡魔に襲われて、頭の中は無になるけど
座禅は組めませんね。

すごいなぁ~座禅って大変なんですね。
by eiko (2008-03-10 18:00) 

九子

[拳一狼さん!( ^-^)]
>先生がいきなり「喝!」と、文字通り一喝されました。周りの学生の中には少し動揺したものもいて、それで数えていた回数を忘れてしまったものも多かったようです。私は「多分こういうことだろうな」と予想しておりましたので、忘れることなく数え続けておりました。

さすが拳一狼さん、根性が違いますね。( ^-^)
なかなか良い体験をされたと思いますが、10分はちょっと短いでしょうね。やっぱり30分は欲しいところです。

柔道には3つも自然体というのがあるのですか。しかもそれが全ての柔道の基礎になるんですね。

私みたいに無駄に年ばかりくってる人間ですが、長いこととりあえず続けていれば見えてくるものって絶対にありますよね。

道と名前がつくものの奥深さ。
日本人が培ってきた物の凄さに圧倒されますね。
by 九子 (2008-03-10 20:32) 

九子

[eikoさん!( ^-^)]
>座ると、万有引力の影響で上まつげが
自然と下に下がってくるのよね(^^;

まったくeikoさんと御同様でござりまする。(^^;;

でもまあ、一人でやってる訳じゃないのでなんとかなるのよね。

坐禅って、私みたいにエネルギー少ない人間に向いてるのかも。
eikoさんみたいにエネルギッシュな人ならヨガとかの方が合うかもしれませんね。

どちらにしても呼吸法が大事なんだと思います。

機会があったらやってみてねえ。( ^-^)
by 九子 (2008-03-10 20:40) 

eiko

[機会があれば挑戦!]
「呼吸」は、高山病にかからない為にも
大事なトレーニングよ。山の上りを楽にさせるのも、
呼吸だぁーと気がついたのは、いつだったかな~笑

ハーハーヒーヒーと言っていた私も、呼吸を意識すると
すごく楽になりましたね。
身体で呼吸の大事さを知りましたよ。
ヨガやインナーマッスルを鍛えるピラティスも
すでに行ってます(^^)
いつか、禅寺へ行ってみたいですね
by eiko (2008-03-14 09:28) 

九子

[eikoさん!]
呼吸と高山病、なるほど!そんな関係もあったんですね。
ヨガやピラティスも実践済み!

さすが、eikoさん!行動が早い!

身体の細胞の中に新鮮な酸素を取り入れる事って、何につけても大事な事なんですね。( ^-^)
by 九子 (2008-03-15 10:09) 

mu-ran

この「歯をかみ合わせないで力を抜く」ということ
すごく大きなヒント。全てに通じますね。
これは大きいヒントをいただきました。感謝。
by mu-ran (2010-08-20 23:57) 

九子

mu-ranさん、こんにちわ。
今は薬局の営業中ですが、今日は暇なので・・。(^^;;

>この「歯をかみ合わせないで力を抜く」ということ
すごく大きなヒント。全てに通じますね。

ああ、そうなんですか!
私こそなるほどと気づかされました。
こちらこそ感謝です。m(_ _)m
by 九子 (2010-08-21 10:55) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。