SSブログ

国家の品格 [<九子の読書ドラマ映画音楽日記>]


国家の品格 (新潮新書)

国家の品格 (新潮新書)

  • 作者: 藤原 正彦
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2005/11
  • メディア: 新書




やっとこの本が九子の手元に来た。理由は簡単!百円本になったからだ。(^^;;
初版が出たのが2005年の11月で、話題になったのは2006年に入ってから・・・・。
それからもう4年も経つ。

考えてみれば2006年は九子にとって最低最悪の年だった。
オレオレ詐欺に遭ってうん百万円をあやうく振り込みそうになったのが1月で、4月には父が、12月には母が亡くなった。
国家の品格は当時鳴り物入りのベストセラーだった。今になって読んでみたらどうなんだろうか?

作者の藤原正彦氏であるが、お父様は小説家の新田次郎さん、お母様は同じく藤原ていさん。
満州で生まれ、帰国時の苦難を書いた母の小説「流れる星は生きている」の世界はそのまま彼に大きな影響を与えた。

長野県上諏訪に母方の祖母の家があり、小学校の一時期住んだ経験があるとのこと。
だから長野県人にとってみると馴染みのある人なのだ。( ^-^)

序章を読むと彼の経歴がなおさらはっきりする。
今よりももっと人種差別のひどかったであろう時代に、アメリカで三年、イギリスで一年間教壇に立つ。

アメリカから帰国後、アメリカにかぶれて論理がすべてのアメリカ流を通していたら会議で浮いてしまった。
「数学者のはしくれである私が、論理の力を疑うようになったのです。そして、「情緒」とか「形」というものの意義を考えるようになりました。」 中略 「ここで言う情緒とは、喜怒哀楽のような誰でも生まれつきも持っているものではなく、懐かしさとかもののあわれといった、教育によって培われるものです。 形とは主に、武士道精神からくる行動基準です。 ともに日本人を特徴づけるもので、国柄とも言うべきものでした。」


確かに、懐かしさやもののあわれは英語に訳せない言葉の筆頭だ。これらが教育によって培われるというのはちょっと驚きだった。

はじめに・・・・と題された序章4ページを読み直してみて、不思議なことに気がついた。
このたった4ページに、著者が言いたかった事のすべてが盛り込まれているのだ。こういう本は珍しいと思う。

数学者の藤原氏は、まづ公式の提示から始めたのだ。
それに続くすべてはその解であると解釈できる。


不完全性定理というのが数学にあるそうだ。1931年にオーストリアの学者クルト・ゲーデルがそれを証明した。

「どんなに立派な公理系があっても、その中に、正しいか正しくないかを論理的に判定できない命題が存在する。」というのがその概略で、完全無欠と思われていた数学においてさえ正しいか誤りかを論理的に判定できないことがある事が数学的に証明されてしまった。

だからこそ、論理ばかりを振りかざすのは意味がないと著者は言う。

たとえば1週間何も食べていない男がパンを盗んだ時、ある者は彼は法律を犯したのだからといって警察に通報する。またある者は、そのパンを盗まなければ彼の命がなかったのだと言って見て見ぬ振りをして通りすぎる。

どちらも論理は通っている。違うのは二人の出発点である。
一人は「法治国家である。」が出発点、もう一人は「ああ、かわいそう。」が出発点。
出発点が違うが故に、結論が変わってくる。

すなわち、論理も重要だが、出発点はより重要という事になる。

この論理の出発点の違いこそが著者の言うところの「情緒」であり、情緒とは、論理以前のその人の総合力の事だそうだ。
「論理的に正しい」ものがゴロゴロある中から、どれを選ぶか。その能力がその人の総合判断力です。 それにはいかに適切に出発点を選択出来るか、が勝負です。別の言い方をすれば「情緒力」なのです。 略 「その人がどういう親に育てられたか、どのような先生や友達に出会って来たか、どのような小説や詩歌を読んで涙を流したか、どのような恋愛、失恋、片思いを経験してきたか。どのように悲しい別れに出会ってきたか。こういう諸々のことがすべてあわさって、その人の情緒力を形成し、論理の出発点Aを選ばせているわけです。」

こういう流れから、著者が国際化のためと称する小学校からの英語教育に真っ向から反対するのはよくわかる。

国際人とは英語を上手に操れる人間のことではなく、世界に出て、人間として敬意を表される人間のことだと著者は言う。

そもそも小学校で二三時間英語の勉強をしてもなんの足しにもならない。
少なくとも一つの言語で10割の力がないと人間としてまともな思考が出来ない。

日本語5割英語5割の人間では日本でもアメリカでも使いものにならない。
だからまず読書をさせ、情緒や形を育てる力を養わなければならない。
情緒や形は、教育によって養われるのだから・・・。

長年やってもちっとも英語がうまくならない九子は、ずっと小学校の英語導入に賛成だった。
でも藤原氏のこの一文を見てちょっと考えが変わってきた。


美しい情緒は、文化や学問にとっても一番重要だそうだ。

岡潔という天才数学者の話が出てきて懐かしかった。
というのは九子が中学生の頃、信大付属中学校へ岡潔先生がお見えになって講演された事があるのだ。子供心にも当時の先生方は凄い先生が来てくださるというので興奮されていたようで、岡潔という名前は付属の子供たちの心に強く印象づけられた。

だが残念なことに九子はまだ幼稚すぎて、ただただ痩せた白髪の先生が背筋をぴんと伸ばされて話されたという記憶しかない。

その岡潔先生が、情緒とは何かと聞かれて「野に咲く一輪のスミレを美しいと思う心」と答えられたそうだ。

藤原氏はさらに続けて「数学をやる上で美的感覚は最も重要です。偏差値よりも知能指数よりもはるかに重要な資質です。」と言う。

癌研究の分野でも、土木研究の分野でも、あらゆる理系の学問において美的情緒こそが最も重要であると著者は確信しているそうだ。



藤原氏の父小説家新田次郎は、氏に徹底して武士道の精神を叩き込んだ。
「弱いものがいじめられているのを見て見ぬふりをするのは卑怯だ。」
卑怯というのは、人間として生きている値打ちが無いという程の意味だった。

武士道は鎌倉時代以降、多くの日本人の行動基準、道徳基準として機能してきました。この中には慈愛、誠実、忍耐、正義、勇気、惻隠(そくいん)などが盛り込まれています。惻隠とは他人の不幸への敏感さです。 それに加えて「名誉」と「恥」の意識もあります。名誉は命よりも重い。実に立派な考え方です。


あれっ?最後の一行・・・。 こういう考え方ってどっかで見たぞ!と思ったら先日記事に書いた福田なにがしのこの本だった。

福田氏の本はいかにも右翼がかっていて生理的に受け付けないなにものかを感じたのだが、こうやって東大出の天才数学者で国際的にも評価の高い藤原正彦氏に理論整然と書かれてしまうと、なぜかすんなりと受入れてしまう九子であった。(^^;;

新渡戸稲造は武士道の最高の美徳として「敗者への共感」「劣者への同情」「弱者への愛情」と書いている。まさに「惻隠」を最も重要視している訳だ。

なぜ人を殺してはいけないのか?よく子供から問われる問いである。
人を殺してはいけない理由というのは、論理で考えても答えが出ない。
人を殺してはいけない理由も、人を殺してもいい理由も、考えればいくつも思いつく。

こういう重要な問いにはだから、「駄目だから駄目」「以上、終わり。」と、論理ではなく問答無用で徹底して価値感を押しつけるべきであるのだ。

「卑怯を憎む心」を育てるには今薄れつつある家族の絆を復活させる事も重要だ。
家族の絆の中に育った子供たちは、悪いことをしたら「親を泣かせる」「先祖の顔に泥を塗る」あるいは、「お天道様がみている」と考える。
だから法律に縛られなくとも、誰も見ていなくても、悪いことをしないようになる。


国家の品格の中で九子がう~んとうなったのはこの言葉だ。
国民は永遠に成熟しない。放っておくと、民主主義、すなわち主権在民が戦争を起こす。国を潰し、ことによったら地球まで潰してしまう。 それを防ぐために必要なものが、実はエリートなんです。 ・・・略・・・・・ 真のエリートには二つの条件があります。第一に文学、哲学、歴史、芸術、科学といった、何の役にも立たないような教養をたっぷりと身につけていること。そうした教養を背景にして、庶民とは比較にもならないような圧倒的な大観や総合判断力を持っていること。これが第一条件です。 第二条件は、「いざ」となれば国家、国民のために喜んで命を捨てる気概があることです。この真のエリートが、いま日本からいなくなってしまいました。 昔は居ました。旧制中学、旧制高校は、こうした意味でのエリート養成機関でした。


明治政府は確かに一握りの優秀なエリート集団の集まりだったと思う。確かに藤原氏が言うように、国を動かすのはいつまでたっても成熟しない国民ではなく、一握りのエリートと呼ばれる人々の慧眼と行動なのかもしれない。

戦後マッカーサー率いるGHQの目的は「日本を再び立ちあがってアメリカに刃向わないような国にする」ことだった。そして真っ先にしたのが、旧制中学、旧制高校の廃止だったという。
現在の日本を見るにつけ、アメリカのした事はなんと「正解」だったのだろうかと思わずにはおれない。
第二次世界大戦が終って65年。真のエリートはもはやこの国のどこにも居ない。東大にも、霞ヶ関にも・・。
エリートを作り出す機関としてかろうじて思い浮かぶのは、松下政経塾くらいなものだろうか。

最近こんな記事を見つけた。「もし戦争が起こったら国のために戦うか?」の設問
これを見る限り、頼むから戦争など起きないで欲しいと天に祈るばかりだ。




日を改めて国家の品格を再読した。まったく別の思いが去来した。

数学者藤原正彦先生の理論は整然として美しい。数学の定理の如く完璧に思える。

ただ、武士道でほんとうに良いのだろうか。
がっちりと武士道精神を身に纏ったエリートが率いる日本で良いのだろうか。
そういうエリートが率いた日本は、かつて過ちを犯して戦争への道を突き進んだ。
結果的には右翼の人たちと同じ理論に陥ってしまうのでないか。

そういう愚かさに再び陥らないためにも情緒が必要なのだと藤原氏は言うが、真のエリートたちでさえ戦争の道に突き進んでしまったのに、小粒な私達が正しい判断を下せるという根拠はどこにも無い。

「いざ」となれば国家、国民のために喜んで命を捨てる気概があるのは麗しい事であると思うが、本当に命を捨ててはならないと教えるもう一つの規律が必要ではないか。

それが、仏教。特に禅の教えではないかと九子は思う。


どっちみち右翼も宗教も、普通の日本人には胡散臭いだけの話なんだろうけれど・・・。(^^;;






nice!(13)  コメント(12)  トラックバック(1) 

nice! 13

コメント 12

mu-ran

何度読ませていただいても
面白い問題提起だと感じ入りました。
ただ話しが大きいので
僕も思うことをブログに書いてみます。
素敵なお話感謝いたします。
by mu-ran (2010-08-08 16:23) 

九子

mu-ranさま、

身に余るコメントを頂戴し、心より感謝申し上げます。mu-ranさまのようにお忙しい方に何度もお読み頂けたのかと思うと身の引き締まる思いです。
有難うございました。m(_ _)m

mu-ranさまのブログも楽しみに読ませて頂いておりますが、狭い日本で、英語すらなかなかモノに出来ない私からすれば、mu-ranさまが何ヶ国語が堪能でいらっしゃるのかはわかりませんが、夢のようなお話です。

でも、そのmu-ranさまが、「日本はいい国だ。」とおっしゃると、俄然勇気が湧いてきます。こんな時代であればあるほど・・・。

もしもこれに関連したブログを書いて頂けるのであれば、それはそれは楽しみにしております。( ^-^)


mu-ranさん、もしよろしければ上記のプロフィールから九子にメールを頂戴できませんでしょうか?大事なお話がございますので。
何卒よろしくお願い申し上げます。m(_ _)m
by 九子 (2010-08-08 22:21) 

mu-ran

何ヶ国語が堪能かとよく聞かれますが
どれひとつとっても一向に上手になりません。
日本語さえおかしいくらいです。

ただ自分らしくいるためにブログを書いています。
誰のためでもなく自分のために。

それを誰がどう理解するかは
まったくその方の自由だと思うのです。

わたしは表現の自由がほしいのです。
自分らしさの表現の自由が。

そのために読んで感じたことを
別の国の言葉で書くことがあります。

でもそれをどう捉えるかは
読み手の判断になります。

日本はどこの国よりも凄い国だと思います。
だから日本語が大切だと思うんです。

外国語は日本語の表現能力が上がってくると
上手になるんですね。僕の場合ですけれど。
相関関係があるんですよ。きっと。

そういう自分の体験・考えを
自分の言葉で表現し、自分の世界でうめつくすために
ブログを書くわけです。あくまでも僕の場合ですが。
by mu-ran (2010-08-09 04:10) 

九子

>何ヶ国語が堪能かとよく聞かれますが
どれひとつとっても一向に上手になりません。

たぶんmu-ranさまの場合は、表現者としてのレベルでの言語能力を仰っていらっしゃるのですね。
私なんぞは日常会話の、初心者レベルだって何ヶ国語は夢のまた夢なので、難関の外語大を出られた方はなんと凄いのだろうとただただ驚くばかりです。
(ご承知のとおり、薬大は昔はドイツ語必修でしたが、現在はフランス語でも中国語でも好きに選べるらしいです。長野オリンピックの時ドイツ語は少々やり直しましたが、結局どうにか通じるのは英語以外ありません。)

自由に表現するために他の国の言語を習う!
他の国の言語が必要としない日本でmu-ranさまのような才能が育つ事自体が日本の凄さなのかしら?

>外国語は日本語の表現能力が上がってくると
上手になるんですね。

面白いですねえ。

ただ、日本語の表現能力が高い?おしゃべりな次女の方が、少なくとも話し下手な私よりは英語がうまくなりそうだという感じはあります。
あっ、話の次元が違いました。すみません。(^^;;

世界を見て来られたmu-ranさまに「日本は凄い国」というお墨付きを頂き、
夏バテでへたっていたのが少しシャンとしてきました。
有難うございました。( ^-^)
by 九子 (2010-08-09 17:14) 

秋川滝美

小学校から英語をやっても
上手くなる子はなるし,ならない子はなりません。
結局,語るべき内容があるか,というか
伝えたい内容があるか,ということでしょうね。
相手とコミュニケーションしたいという想いがあれば
言語はどんどん上達すると思います。
私は,中学から英語を,大学でフランス語,
40歳過ぎからドイツ語を学びましたが
結局,一番短期間で上達したのは,どうしても必要だった
ドイツ語でした。
言葉というのは手段に過ぎないと実感させられましたね。
人間として尊敬されることの方が重要だという意見に賛成します。
そうした意味で,つつけばうんちくがあふれて止まらぬような
エリートの存在の必要性も感じます。
この人の話を聞きたい,と思わせる大人は常に必要です。
それが,なんの役にも立たない知識だったとしても・・。

by 秋川滝美 (2010-08-09 22:24) 

九子

>結局,語るべき内容があるか,というか
伝えたい内容があるか,ということでしょうね。

そうですね。その一言に尽きますね。

でも、その思いが何より強いからと言って、秋川滝美さんのように英語もフランス語もドイツ語も・・という人はたくさんは居ません。

もちろん生まれながらの才能はもとより、毎日の努力を惜しまない才能と言うと言うか、努力する才能が必要なのだろうと思います。

>つつけばうんちくがあふれて止まらぬような
エリートの存在の必要性も感じます。
 
面白い言い方ですね。( ^-^)
池上彰さんとか、テレビでももてはやされてますね。


☆秋川滝美さま、重要なことを言い忘れました。
コメントを頂いた方には、是非九子にメール頂くようにお願いしております。
上記プロフィールよりアドレスを探してください。よろしくお願いします。
m(_ _)m
by 九子 (2010-08-10 12:06) 

upa

ご訪問&niceありがとうございます♪
>なぜ人を殺してはいけないのか?
自分が殺されたくないからです。単純に

by upa (2010-08-10 18:22) 

九子

upaさん、はじめまして。
コメント有難うございました。m(_ _)m

>>なぜ人を殺してはいけないのか?
自分が殺されたくないからです。単純に

簡単明瞭ですけど、核心を突くお答えですね。

介護のお仕事をなさっていらっしゃるとさまざまな人生をご覧になる機会がおありなのでしょう。まさしく命と向き合っていらっしゃる訳ですね。
割に合わない仕事と敬遠されがちなお仕事を選らばれた時点で、素晴らしい方だと尊敬しております。これからもよろしくお願い申し上げます。
m(_ _)m

ところで九子日記にコメントして頂いた方にはどなたにもメールを頂くようにお願いしています。ちょっと大切なお話がありますので・・。
上記のプロフィールをご覧下さい。m(_ _)m
by 九子 (2010-08-11 10:29) 

紺碧の書架

結局「どのレベル」かということですね。藤原教授がオックスフォードにいらしたときに夏目漱石の作品に出てくる人物と三島由紀夫自身の生き方の関係について尋ねられ、慌てたという話を聞いたことがあります。

 英国人が英語で、そういう質問をしてくるのです。質問者は相手を選んで質問してくるでしょうから、それなりの答えを期待しているのでしょう。


 経験則から言いますと、小学生で英語を学ぶ児童の保護者は英語ができないことが多く「早期教育」という言葉の響きに弱いようです。

 私立中学に進む児童は英語などやりません。国語と算数を鍛えて中高6年間の教育に備えます。

 政治学の世界で言えば、「三権分立」を英語で言えても、国により、仕組みが異なることを理解していないと意味がありません。

 
by 紺碧の書架 (2010-08-12 11:16) 

九子

紺碧の書架さん、こんばんわ。
nice!と興味深いコメントを頂戴し、有難うございました。m(_ _)m

>藤原教授がオックスフォードにいらしたときに夏目漱石の作品に出てくる人物と三島由紀夫自身の生き方の関係について尋ねられ、慌てたという話を聞いたことがあります。

そういえば藤原正彦さんは国家の品格にも似たような体験談を書いていらっしゃいました。今ちょっと見直してみましたら、「こころ」の先生の自殺と三島由紀夫の自殺とのつながりを聞かれたと書いてありました。
藤原先生を慌てさせる英国人のエリートって、どれだけ要らない知識をもっているのでしょうか?

>経験則から言いますと、小学生で英語を学ぶ児童の保護者は英語ができないことが多く「早期教育」という言葉の響きに弱いようです。

まさに自分のことを言われているようです。(^^;;
英語は小さい頃から教えた方がいいというのは、自分がたっぷりとお金と時間をつぎ込んだのに、たったこれだけ?という悔しい思いが子供に夢をかけるような形で、半ば強迫観念みたいになってしまっていて・・・。

> 私立中学に進む児童は英語などやりません。国語と算数を鍛えて中高6年間の教育に備えます。
 そうなんですか!なるほど!

教育に携わる方々の中では、小学校の英語教育というのは疑問符なのですね。私も大いに考えを改めたいと思います。

紺碧の書架さん、大事なお話がございますのでよかったら上記プロフィールより九子にメールを下さいませ。お願い申し上げます。m(_ _)m


by 九子 (2010-08-12 23:12) 

まこ爺

数学好きな割に出来ません(=_=)
フェルマーの法則解きたかった・・・・
無理に決まってるだろう!!って あははは
そうですよね、でも法則を見つける素晴らしさって
生きがいを感じるなぁ~(^O^)/
by まこ爺 (2010-08-15 22:29) 

九子

>フェルマーの法則解きたかった・・・・
よくわかりませんが凄い事だけはわかります。(^^;;

物事をシンプルに割り切るのがお好きなのでしょうか?
中国で生きていけるって、私にしたら信じられない事です。( ^-^)
by 九子 (2010-08-15 23:55) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 1

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。