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朽ちていった命 [<九子の読書ドラマ映画音楽日記>]

東日本大震災により福島第一原発の放射能漏れ事故が起こらなければ、きっと九子はこの本を買うことは無かったと思う。
1999年に起こった東海村の臨界事故のことなど、九子の記憶の中からはとうの昔に消え去っていたのだ。
だが、絶対に消してはならない記憶だった。

福島原発事故のせいで原子力や原発関係の本が売れに売れて、欲しくてもなかなか手に入らない状況らしい。
九子くんだりも何かの拍子に買いたいと思うくらいなんだから、品薄なのは良くわかる。

注文してかなり日が経ってから、忘れた頃にメール便が来た。
それが本であるという事すら、最初九子にはわからなかったほどだ。

タイトルには「朽ちていった命」と書いてあった。副題が---被曝治療83日間の記録---であり、著者はNHK「東海村臨界事故」取材班とあった。

朽ちていった命―被曝治療83日間の記録 (新潮文庫)

朽ちていった命―被曝治療83日間の記録 (新潮文庫)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2006/09
  • メディア: 文庫

「朽ちていった命」だったんだ!「朽ちていく命」とばっかり思ってた!
いい加減な九子がうろ覚えで思い込んでいたタイトルは、読み進めていくうちに「朽ちていった命」としか形容できなかった事を思い知らされた。

「朽ちていく命」では手をこまねいているうちに命を朽ちさせていったという風な傍観者のよそよそしさが漂うが、「朽ちていった命」だからこそ、出来る限りの手を尽くしてなんとしても救いたい命であったのが、その手をすり抜けて朽ちていってしまったというなんともいえない無力感がにじみ出る。


そしてもう一度タイトルを見て、ああ、あの人は83日間も生きていたのかと九子は思った。

事故の記憶は薄くなっていても、放射性物質をこともあろうにバケツで取り扱っていた作業員がひどい被曝を受けたという衝撃的な話は、九子のざるのような記憶力でもかろうじて網の目の上にひっかかって残っていた。

それは臨界事故により致死量を大きく上回る放射線、特に中性子線を浴びる事によって起きた前例のない事故だった。臨界とは、核分裂連鎖反応が持続して起きる状態のことだ。

何でも中性子線というのは放射線のなかで一番浸透力が強く、コンクリートや水の中までも到達してしまうらしい。そして体内のナトリウムをナトリウム24という放射性物質に変えてしまう。

大内久(おおうちひさし)氏が浴びた放射線量は20シーベルトだと言われている。8シーベルトがすでに致死量だ。しかも前例のない中性子線被爆。

現在福島第一原発で日夜を問わず献身的に働き続ける作業員たちの許容量が100ミリシーベルトから250ミリシーベルトに引き上げられたというけれど、大内が浴びた20シーベルトは2万ミリシーベルトにあたるからその100倍もの量を瞬時に浴びたことになる。

それでも大内は当初びっくりするほど元気だったと伝えられる。意識障害もなく受け答えも三人のうちで一番しっかりしていて、これから長い戦いの戦友となる前川医師の目から見ても重症患者には見えず、救えそうな気がしたそうだ。

身長174センチ、体重76キロのがっしりとした体躯。高校時代ラグビー選手の大内だったからこそ1週間と言われていた余後を83日にも伸ばしてくれたのかもしれない。

35歳の彼には愛する妻と10歳の一人息子が居た。もちろん両親も健在だった。
この家族が誰よりも前向きで、彼の命の戦いの何よりの支援者だった。

前川医師は「負け戦(いくさ)」を承知で大内を自分が居た東大病院に引き取った。現在の医学では救う事が出来ない事を充分わかりながら、気の毒な患者に最後まで最高の全身管理をしてあげたいと願った。


この本には15枚ほどの白黒写真や表、中ほどに4ページ分綴られているカラーの生々しい写真がある。
すべては実録だ。

何枚目かの写真は大内が東大病院に転院する際のもので、看護師さんが一番後ろを守るように大きく腕を広げている。

大内に関わった看護師さんはそれぞれ最大限の愛と真心で大内の生きようとする命を応援した。
彼女たちも一様に、初対面の大内が思いのほか元気でびっくりしたという感想を寄せている。

最初がそんなにも元気に見えたからこそ、彼女たちの献身の隙間をすり抜けて消えてゆく命に絶望し、自分達の無力を嘆き、何が戦う命のために一番役に立つのかを模索し続けた。


医師たちは大内の染色体細胞の写真に呆然としていた。
全ての染色体がばらばらに破壊されて黒い物質と成り果て、並べる事も出来なかった。

染色体がばらばらに破壊されたということは、今後新しい細胞が作られない事を意味していた。
そして最初に異常が現れたのは血液の細胞で、外敵と戦う白血球、出血を止める血小板などの数が正常値の十分の一以下にまで下がった。抗体を作り出すリンパ球に至っては数値がゼロを示した。

これではとても生命を維持できないという事で、大内の妹さんの末梢血幹細胞が移植された。この方法は臍帯血移植よりも効率がよく、骨髄移植よりもドナーの負担が軽かった。何より結果が早く出た。

83日間にも及ぶ戦いの中で、唯一の成功例と言ってもいいのがこれだった。
彼の免疫力が被曝によりほとんど機能していないくらいに低下していた事も幸いして拒絶反応も起こらず、妹さんの組織はしっかりと大内の身体の中で息づいた。

カラーページに鮮やかに青く写し出されている白血球には、女性の染色体が赤く鮮やかに浮かんでいる。大内の体内で、移植された妹さんの細胞が白血球を作り出していたのだ。


しかしその後、せっかく根付いた新しい細胞だったがわずか一週間ほどの間に染色体が傷ついて損傷を受けてしまっていたこともわかった。放射能の影響だった。放射能の恐ろしさを、専門の医師達ですらまざまざと味わった。


皮膚のありがたさなど普段感じる事も無いが、体液を保ち、外界の刺激や微生物から身を守ってくれる大きな大きな組織であり、皮膚がなかったら人間はすぐに細菌だのバクテリアなどにやられていとも容易く死んでしまう。


入院当初大内の身体をしっかりと覆い、重病人には見えない一因となっていた彼の皮膚は、しだいに水ぶくれとなり、破れて剥がれ落ちた。普通ならばその下に出来るはずの新しい皮膚は、再生能力を失った染色体にはとうてい作れない。


皮膚移植も試みられたが、一番損傷の酷い身体前面にはどうしても皮膚が再生しなかった。

皮膚の無い体表から沁み出す水分は毎日何リットルにもなった。
その上、身体の中の消化管の粘膜でも同じことが起きていた。
その結果、・・・・・下痢が止まらなくなった。

 


ここから先はもう書かない。いや、もう書くまい。

皮膚がないところを包帯で覆って、毎日何時間もかけてガーゼ交換をする。
それだけではない。

機能を失い失われゆく血液を補うために毎日何十回にもわたる輸血や点滴。


大内さんはどんなに痛かっただろうか、辛かっただろうか。
彼はそんなにしてでも生きていたかったのだろうか。

これらの疑問は九子ばかりではなく、直接の看護にあたられた看護師さんたちの疑問でもあった。

彼がまだ充分に話が出来ていた時、治療の途中に「もういやだ」「家に帰る」と叫んだ事があったそうだ。
「おれはモルモットじゃない。」と言って医師や看護師たちに衝撃を与えた事もあったそうだ。

たぶん大内をそんなに辛い状況で生き長らえさせたのは家族の存在だったと思う。
大内の家族は理想的な家族だったと医師も看護師も口を揃える。

大内にどんな変化が起きようとも、医療チームに全幅の信頼を置き、いつも賛同してくれた。
家族はいつも一緒で、互いに気遣い信じあっていた。

特にまだ10歳だった一人息子のために、一日でも長く生きたいという思いは強かったに違いない。

臨界が起きて全身に被曝した事故でそれまで一番長く生存したケースは九日間だった。大内がそれを大幅に塗り替えたことになるが、同時にそれは誰も過去に経験したことがない試みを、いわば教科書がない治療法を続けていく事を意味していた。

自分の被曝量を知らされていなかった大内が発した「モルモット」と言う言葉がより重い意味を持つ。


大内の同僚で被曝した篠原理人(しのはらまさと)も後に東大病院に転院し、221日の命の戦いを生きた。
被曝量は大内の半分以下の6~10シーベルトとされた。
もちろんこれも致死量ではあるが、当初彼は大内よりもずっと症状が軽いと思われていた。
だが、一歩遅れる形で大内と同様の症状が出てきた。
篠原は大内の場合よりも更に意識ははっきりとしていた。


「意識と命を混同してはならない。」という言葉をかつて活禅寺の無形大師の口から聞いたことがあった。
例によって禅の高僧の言葉はいろいろな理解の仕方があって解釈がなかなか難しい。

意識がないからと言って生きていない訳ではないからこそ、大内の命を救うための治療を最後まで手がけた医療チームの努力は評価されるべきではあるが、それを言ったら「脳死」はあり得ない事になり、臓器移植の道は閉ざされれてしまう。


自然の驚異と雄雄しく向き合ってきた人間達よ、自然とはこれからも大いに向き合うがいい。
今後これ以上の大震災が来ても、人間がすぐに今までどおりの生活を送れるように町を整えるがいい。

しかし原子力を操るのは、もしかしたら神の領分なのかもしれない。
人間が神の領分を侵して原子力を操り、過ちを犯した時、神はここぞとばかりに「命」と言う更なる難題を突きつけて、もうこれ以上自分の領分を侵すなと迫るのかもしれない。

 


 


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Muran

あんな化け物だれが作ったのか。

でも僕やあなたにも責任がある。

そういうことになりますね。
by Muran (2011-04-25 03:19) 

九子

mu-ranさん、こんばんわ。コメント嬉しく拝見いたしました。

mu-ranさんは、日本人が個性が無くていつも人と同じ事をするのを憂うる人ですよね。
そして大衆の意見が暴走して誰か一人を糾弾しようとする時に、いや!待てよ!と異を唱える人でもありますよね。

そして何より、日本人よ、自立せよ、しがらみから自由になりなさいとおっしゃる人ですよね。

コメントを頂いて、昔どこかで読んだ「自由と責任という事」という文章を思い出しました。(小林秀雄でしょうか?すみません。忘れました。)

自由には必ず責任が伴う。

mu-ranさんがヨーロッパで活躍されていらっしゃる訳がわかる気がします。彼の地は、人間の魂が日本よりもずっとずっと自由で、mu-ranさんにはとても居心地がいいのでしょう。mu-ranさんの魂が求めているものが見つかるのでしょう。

でも自由には必ず責任が伴うんですね。

頂いたコメントから、そんな事を考えてしまいました。
by 九子 (2011-04-25 21:44) 

Muran

日本のひとが個性がないとは思いません。
一生懸命何かがおかしいという
自分への問いかけの答えを探しているだけです。

ブログは自分探しのために書いてます。

ただ日本に戻ってしばらくおりましたが
中に居ると自分がそれまで大事にしていたものが
わからなくなってしまいました。

その原因を探しました。
そして外からもう一度眺めてわかりかけているというのが
僕の今の状況です。

本当にそれでいいのかというのは、自分への問いかけです。
眼に見えない振り子に踊らされるのに慣れれば
それも幸せのかたちです。
でも本当に幸せなら、その振り子にがんじがらめの中でも
素晴らしい自由は見つかるはずです。

僕はそう思います。


by Muran (2011-04-28 00:57) 

九子

mu-ranさん、再度のコメント有難うございました。m(_ _)m


>日本のひとが個性がないとは思いません。

mu-ranさんにそう言って頂くとなんだか安心します。
おっしゃるとおり、「中」だけに居ると本当の事がわかりません。
「外」もよくご存知のmu-ranさんの言葉は、だからいつも貴重だと思っています。

ノーベル賞を受賞された鈴木博士が「日本の若者よ、海外へ出よ。」と言われたのもそういう意味もあるのでしょう。

>眼に見えない振り子に踊らされるのに慣れれば
それも幸せのかたちです。

ああ、きっと私のような人間はそういう幸せに満足するタイプなんでしょう。
肩の力を抜いて、抜きすぎて骨無しになって(^^;;生きている気がします。

自分探しのブログとおっしゃいますが、mu-ranさんのブログには私達が考えなくちゃいけない事がたくさん書かれていていつもなるほどと思います。
どうか末永くお続けくださいますように。( ^-^)
by 九子 (2011-04-28 16:00) 

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