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「神の手」の反論 [<九子の万華鏡>]
今回の日記はほとんどが医療従事者専門サイトm3.com編集部「失敗の研究」と題された連載記事の第一弾、福島孝徳氏独占取材記事からの抜粋であることをご報告しておきます。
「神の手」を持つ、あの福島孝徳先生が訴えられたというニュースに驚いたのは今年の春ごろだっただろうか。
ネットにも
「脳神経外科医、福島医師が、左右の脳を間違えて正常な脳の細胞を摘出されることが遺族からすれば考えられないことだと思います。」
「正常な脳細胞と腫瘍のある脳細胞は長年腫瘍手術を経験しているので、なにかおかしいと思うが、そのまま左右の脳を間違えたまま正常な脳組織を摘出する事が考えられません。
正常な脳組織を摘出されて女性が全身マヒで寝たっきり状態で最後は死亡、あわれです。」
などという批判が連日踊ったようだ。
当時なぜかあんまり新聞記事やネット記事を穴の開くほど見ようとしなかった九子であるが、最近見つけた福島先生の反論とも言える独占取材の記事には興味をそそられた。
まずは事故の背景だけれど、患者は30代の女性。病名は神経膠腫という癌の一種。
神経膠腫はグレード1から4までの4段階に分類でき、グレード1、2であれば、5年生存率は90%近くなのに対して、グレード4の悪性となれば余命は1年足らずなのだそうだ。
福島氏は原則として、予後改善が認められないとの理由で悪性腫瘍の摘出手術には応じていないという。
良性腫瘍が脳を圧迫していて、抑圧された機能が手術で取り除かれる事により元通りになるような事例を積極的に扱っているのだという。
その上さらなる問題は、女性の神経膠腫が視床で発生した点だった。視床は卵が左右に並んだ形でくっついており、幅20mm程度の脳深部組織。体性感覚、視覚、聴覚、痛覚などの感覚情報を大脳皮質に送る中継の役割を果たしていて生命活動への影響が大きく、摘出することは不可能だ。
だから女性から最初の手術要請の手紙が来た時に福島氏は手術を断っている。
ところがその後も再三女性の手紙は届いた。その上彼女の担当の脳外科医からも手術の以来を受けた。
福島氏はついに手術の依頼を受けることにする。
何より彼女の腫瘍はグレード1であるとの報告を受けたからだ。
MRI画像上、腫瘍のサイズは3cmと大きくなっていたものの、生検組織から「毛様細胞性グレード1」と診断されていて、視床そのものは切除できなくとも、視床から突出した腫瘍細胞を部分切除できれば他の組織への拡大を阻止できる可能性があると福島氏は踏んだ。
ところがここに最大の問題があった。
実は同じ生検の組織で、手術前に病理診断は2回なされていた。
1回目はグレード1の毛様細胞性、2回目の診断はグレード2あるいは3以上の悪性となっていたのに、福島氏には1回目の診断しか伝えられていなかったのだ。
つまり紹介元の病院では、悪性腫瘍のグレードは氏が術前に知らされていたよりも高いと、術前の段階で分かっていた。神経膠腫はグレード1を超えていた。福島氏は手術後になって初めて知らされた。
グレードが高ければ、福島氏は手術を引き受けなかったはずだ。手術をしても死亡を避けられないからだ。
もう一つ、今回の事故では特筆すべき問題がある。
福島氏はふだんの手術では、専用の顕微鏡をのぞき、わずか幅1cmほどの進入孔から頭蓋内の病巣を探る。
手術助手とやり取りしながら、福島氏が考案した大小様々、約300種類の手術器具を頻回に取り替えていく。
コンピュータを使ったナビゲーションシステムの画面で、今どこを切除、剥離しているかが分かる。術野の拡大像も手術室の幾つものモニターに映し出されている。
ナビゲーションシステムは福島氏の脳外科手術に欠かせない。手術ミスを回避する観点からも重要な「精密機器」である。
しかし今回は、この手術の生命線ともいうべきこれらの機器がなかった──。
つまり手術自体がまったく初めての病院でまったく初めてのチームとの共同作業だった。
ナビゲーションシステムは高価で3000万円もするものなので、それを整備して欲しいとは言ったものの無いと言われれば仕方なかった。その上重要なエコーも揃えられていなかった。
用意すると約束されていたものが用意されていなかったとしても、すでに頭蓋骨を切り取られて脳を露出されて横たわっている患者をそのままにして手術を中止する訳にはいかなかった。
この開頭手術にしても病院の医師たちがこの病院のやり方でやっており、福島氏が要請していたやり方とは異質なものだった。
このポジショニングの違い、つまりは患者の頭の固定のされ方の違いが、百戦錬磨の福島の判断力を狂わせる一因になってしまう。
手術ミスの根幹と思われるところを福島氏自身の言葉で記す。
しかし、極めて判別しづらい状況がありました。
左の視床は以前に生検で組織を採取されていたのです。そのため左の視床は黄色に変色し、凝血塊が付着していました。
視床は右も左もよく似ています。神経膠腫はグレード1と進行度が低かったですから、神経膠腫とはいえ、見た目では正常組織と似ています。私は凝血塊と黄変から間違いなく右視床からの飛び出した組織と判断しました。凝血塊は突出した腫瘍に見えたのです。
私は小指頭大、わずか1cmから1.5cmの組織を切除し、終了しました。
今回の病院には術中の迅速病理診断をできる体制もありませんでした。病理組織で確認することもできませんでした。
術後に頭部の回旋がわずかに違っていたと分かりました。術後、患者には回復可能であるものの右半身麻痺が生じていました。それにより、切除部の判別に不備があったと判明したのです。
私は患者側に手術の直後に切除部の特定に不備があったと説明し、謝罪しました。軸のずれがあり腫瘍に到達できなかったと話しました。病院内部の問題であった「ポジショニングの誤り」「ナビゲーションシステムを使えなかった」といった言い訳はしませんでした。
今回の切除部の特定不備により、手術で組む主治医との国際的連携をより充実させるべきとの教訓を得ました
一方の患者側は、神経膠腫であっても右視床の病変を全摘していれば、予後延長したと主張しました。腫瘍の悪化や死亡は防げたのではないかと言います。
私は繰り返し、「視床本体の腫瘍は切除不可能の部分である」「グレード3、4の悪性膠腫の場合、手術で一部視床から飛び出した部分を切除したとしても生命予後は変わらない」と説明しました。ですが、ご理解は得られなかったようです。
福島氏の反論が事実であれば、福島氏自身よりも先に、福島氏が乞われて執刀した病院の責任がより重いと思う。
患者の病態を偽って福島氏に手術をさせ、また福島氏との約束を反故にして用意すべき機器を備えずに、神の手に間違いを犯させたのだから・・。
また1億円を越すと言う法外な請求額も、30代の女性患者が65歳まで生きると仮定してなされたものだと言う。神経膠腫の予後が果たしてそこまであるものなのか。
突然何を言い出すかと叱られそうだけれど、九子の愛すべきM氏は( ^-^)、愛すべき典型的な日本人である。
そしてまじめで良心的なワーキングプアーな歯医者である。
腰が低いと評判の彼であっても、患者さんとのトラブルが皆無であったわけではない。
彼は思いのほか頑固であるので、トラブルが起きる時には必ず、必要な何かがなされていないのだと、いつになくきっぱりと言い張る。
何かとはなんぞや?それは患者さんの心のケアーだそうだ。
何かあった直後に、こちらが悪かろうと悪くなかろうと、誠意を尽くして患者さんの心を思いやってあげれば、少なくとも訴えられたりまですることは決してないと言う。
まあ、それはわかるよ。でもそれを世界の福島先生の問題といっしょに語っちゃっていいのかしらねえ。(^^;;
この記事は実は連載三回分なのだけれど、福島氏の言葉の最後の部分を以下に記す。
私は臨床の実力を問わない日本の医療界に満足できず1991年に渡米しました。これまでに2万2000件を超える脳神経外科手術を重ねてきました。独自の手術器具を駆使し、世界で最初の顕微鏡下鍵穴手術による脳神経外科治療を手掛けてきました。これまでも、これからも日本の臨床医のレベルの底上げに尽力したいと考えています。
脳神経外科はチーム医療を行いつつも、指導医と術者の手技の影響を受けやすいものです。個人の技術向上がほかの外科領域よりも大切になります。ですから「チーム福島」の弟子らをあと5年ほどで一人前にしたいと本気で考えています。スポーツに例えると脳神経外科はゴルフ。個人の技量を高めるのは欠かせません。胸部外科、移植外科などのほかの外科は、よりバスケットボールのようなチーム色が濃いと思います。
理由のない批判や不当提訴があると、難手術を引き受ける医師はいなくなります。不当な理由で訴訟が起こされる事態があるとすれば問題です。過大な請求が横行すれば、外科医は萎縮するでしょう。
私の実年齢は68歳ですが、生理的な年齢は48歳と思っています。手術の技術と実年齢はかかわりありません。
今でも体力、気力は充実しており、現在も世界で手術を連日引き受けています。世界の医療格差を乗り越えて頑張ってきました。
今回の経験により、条件がそろわなければ手術を実施しないと決めました。正しいポジショニング、正しいオープニング。さらにナビゲーションシステム利用の大切さを改めて痛感しています。今回私が得た教訓です。
最後の一文が示す通り、この事件により福島氏はこれからの手術の方針を変更せざるを得なくなった。
いわば無条件に手術に応じていたものに条件をつけることになった訳だ。
こういうことが、つまりは福島氏の神の手を包帯で締め付けるようなことが一番慎むべきことだと思う。
福島孝徳公式ホームページには"The last hope"の文字がある。
まさにたくさんの医療機関を渡り歩いてもうこれ以上打つ手は無いと言われた患者たちにとって、福島先生は藁をも掴む気持ちでたどり着いた最後の望みなのだ。
福島先生がこれからも多くの患者たちの希望の光であり続けるように祈る。
より詳しくは以下の記事をお読み下さい。
会員登録できない方は、下記のサイトに全文の抜粋がありますのでご覧下さい。
no.1 no.2 no.3
こんにちは、九子さん。最近は寒いですが、お元気ですか?
神の手を持っていても人間だからすべてがうまくいくわけではないし、
直接責任が持ちようもない要因もありますよね。
私の友達は動脈血栓が頭に二か所も見つかってしまいましたが、
たまたま神の手に手術してもらって、失明することもなく成功しました。
なににでもリスクはありますね。
それも含めて、手術に挑むべきですね。
私も結構難しい手術を、その専門の先生にしてもらってラッキーだったことがありますが。
by niki (2011-12-06 15:06)
nikiさん、こんにちわ。( ^-^)
昨晩はそちらの美しいブログを読んでるだけで手一杯で(いつもすごい量ですものね。)コメントにお返事し忘れました。すみません。m(_)m
あっ、長野は寒いけど、雪はまだです。( ^-^)
もしかしたら福島記念病院のわりとお近くなのかしら。いいですねえ。
目が見えるか見えないかって、それはもう人生の一大事!
福島先生に助けて頂いたご友人は本当に幸せでしたね。
そして、nikiさんも。
どの病院を選ぶか、もっと言えばどの医者を選ぶかでその後の結果が左右されるってことが、本当は出来るだけ少なくなるといいんでしょうけれど。
一番最後に全文を書き出してあるブログを見つけてリンクしましたので、ご覧になっていらっしゃらなければどうぞ。
それから、nikiさん、左欄トップにありますように、どうぞ九子にメールを下さいませ。お待ちしております。m(_)m
by 九子 (2011-12-07 10:44)
ご訪問&Nice有難う御座いました。宜しくお願いします。
遠州軍は残念ながらまだ一度も信州側に侵入したことが
ありません。
夏はよく長野に行っていましたが、雪道の運転に自身がなく
躊躇しています。
by yam (2011-12-10 21:54)
事実は当人のみぞ知る。
すべからく公平性が欲しい。法治国家として当然のことなり。
初めて訪問いたしました。九子さんは本当は強靭な方ですね。
それに見事な文才!
by 北のほたる (2011-12-11 15:00)
yamさん、こんばんわ。
こちらこそ、美しい景色をたくさん見せていただき有難うございました。
蓬莱橋というのはあのまま許可なく渡れるのでしょうか?それにしては人が少ないような・・。
雪道は本当に怖いです。慣れるまでは避けたほうがよろしいかと・・。
すぐにまた温かくなりますから。( ^-^)
yamさん、左欄上にありますように、よろしければメールをお願いします。
m(_)m
by 九子 (2011-12-11 23:04)
北のほたるさん、こんばんわ。( ^-^)
「すべからく公平性」、まったくその通りですがなかなか難しいですよね。
>九子さんは本当は強靭な方ですね。
いえいえ。真逆なんです!!(きっぱり)
ただたまあにですが、ブログを読んで下さる方からそう言われることあるのです。文章にエネルギーがあると言って頂いたことありました。
もしそれが本当だとしたら、文章にエネルギーを吸い取られて実生活ではまことに困ったちゃんな人間です。(^^;;
素敵な喫茶店ですね。夢と希望と温かさを皆様に分けていらっしゃる・・。
( ^-^)
北のほたるさんも、ぜひ左欄一番上を読まれて九子にメールを一通下さい。
お待ちしています。m(_)m
by 九子 (2011-12-11 23:25)
ひとにものを頼むとき、自分は相手を選ぶ。
その結果が吉と出るか凶と出るか
そのすべての責任は選ぶ側の責任だ。
そう思って生きる覚悟がないと、幸せになれないと思っています。
すべては自分の責任。
目立ちすぎるヒーローに対してさまざまな思いがはたらいていませんか?
それを神の手といわれる人の子は自覚されていたのでしょうか。
そうなる危険も覚悟のうえで、テレビ番組にも登場し、ドキュメンタリーも作られたのでは?
確かに九子さんのお話になる意味はよくわかります。
でも有名になること、ああして神の手といわれることの大きな弊害も出てきますよね。
それこそがM氏のおっしゃる心のケアのお話。
でも患者の心と向き合うほかに、マスコミや世間のこころとも
神の手は向き合わなければならなくなったのではないでしょうか。
それこそが、こういったケースを生み出したと
言えなくもないような気がします。
あくまでも推測の域を出ませんが。
神の手が末永く、ひとの幸せに貢献される環境を
ご本人の努力だけでなく
周囲が協力して作ることができるような
そんな形が一番素敵だと思いますね。
by Muran (2011-12-14 18:16)
muranさん、コメント有難うございました。( ^-^)
>ひとにものを頼むとき、自分は相手を選ぶ。
その結果が吉と出るか凶と出るか
そのすべての責任は選ぶ側の責任だ。
本当にその通りだと思います。
昔のこと思い出しました。
私がよく父にこんなことを言っていた記憶があります。
父はなんでも人に頼むのが当たり前だと思ってたみたいな人で(まあ頼むと動いてくれる人たちに囲まれて生きていたせいもありましたが・・。)
私もよく頼まれごとをして、せっかくやってあげたのに文句言われることが多くて、カチンと来ると良く「頼んだ以上どんな仕上がりでも文句は言えないはずでしょ!文句言うなら自分でやれば!」と言ってケンカしてました。
レベルの低い話ですが・・。(^^;;
福島先生は確かに神の手と言われ続けて本来人間の手であることを忘れてしまっていらした部分はあると思います。
もしかしたら術後の患者さんやご家族との会話の中に思わずまあ言ってみれば傲慢に思われるような一言二言が挟まってしまって、ご家族の心象を
害してしまわれたのかもしれません。
仰るとおり、そしてM氏の説の通り、患者家族の心象を最大限考慮して傷つけないようにするという配慮は必要であったと私も思います。
ただやはり、この1億円という数字はどうかな?と思ってしまいます。
弁護士さんが世間的に影響力のあるDr.福島相手ならこのくらい取れるんじゃないか?と悪知恵をつけたとしか思えません。
法外な値段をふっかけられれば、身を守ろうとする意識が強く働きます。あれだけたくさんの手術をされながら、すごい設備の大きな病院を建てた福島先生は借金がたくさんおありだそうですから、1億円を払うか否かは大問題だと思います。
もし訴訟金額がもっと一般的な金額ならば、もしかしたら先生の口からもう少し柔らかいというか、違う言葉が聞けたかも知れないと思ったりします。
>神の手が末永く、ひとの幸せに貢献される環境を
ご本人の努力だけでなく
周囲が協力して作ることができるような
そんな形が一番素敵だと思いますね。
私も同感です!( ^-^)
by 九子 (2011-12-14 22:35)