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「空気」の研究 [<九子の読書ドラマ映画音楽日記>]

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

  • 作者: 山本 七平
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 1983/10
  • メディア: 文庫

この本を買ったのは、じつは随分前なのだ。前回「イギリス流ふつうに生きる力」を書いたけれど、本当はこっちの方を先に書くつもりだった。でも難しくて書けなかった。

この本が書かれたのはもう30年も前の事だし、大正10年生まれの著者が取り上げている話題が田中角栄首相全盛の頃となれば、「喩え(たとえ)」に使われている事件の内容が古すぎて、説明がないとよくわからないのもこの本を更に難解にしている。

山本七平さんと言ってわからない方でも、もしかしたら「日本人とユダヤ人」を書いたイザヤ・ペンダサン氏と言えばわかる人もいるかもしれない。この本も一世を風靡しましたっけ。
どっちにしてもいにしえのお話であります。(^^;;

ここんところ本のお話が3冊続いているのだけれど、実はこれらはすべて関連がある。
まずマエストロ小澤が言ったこの言葉。

「欧米では音楽家は音楽のことだけを考えていればいい。(略)
ところが日本では、対人的な感情、派閥、コネ・・・これらのことを無視しては世に出られないということである。」

次に井形慶子さんが言ったこちら。
「これまで日本人の美徳とされてきた慣習に従い、皆の意見を聞き、決して出過ぎた真似をしないようにする、周囲へ協調しようとする生き方がしがらみを生み、変化を起こしにくくする。そんな有様が、ますます私達の社会を萎縮させているのではないかと思った。」

こういう日本人の思考を形成する特性を「空気」と言う言葉で表現して、研究を試みたのが本著なのだ。

言うまでも無いが「空気」とは、福島原発爆発事故以来皆さんが心配される大気の事ではなくて、KYつまり「空気読めない」の空気の事です。( ^-^)


いつかも書いたけれど、第二次世界大戦の作戦も「空気」で決まったというのが衝撃だった。
父も叔父も戦争に行った。幸い二人とも無事で帰って来たからいいようなものの、戦死された方々やご遺族の方にとったらとんでもない話だ。

たとえば戦艦大和の出撃。

登場する人々はみな海も船も空も知り尽くした専門家ばかりで、素人の意見は介入していない。
米軍という相手は昭和16年以来戦い続けていて、相手の実力も完全に知っている。
議論しているのはいわばベテランのエリート集団であり、無知、不見識、情報不足は一切ない。

これを仮にコンピューターに判断させたら、絶対に大和を出撃させることはなかったはずなのだ。

ところが現実問題として大和は沖縄に向かって出撃し、撃沈する。

三上参謀と伊藤長官は両人とも「いかなる状況にあろうとも、裸の艦隊を敵機動部隊が跳梁(ちょうりょう)する外海に突入させるということは、作戦として形をなさない。それは明白な事実である。」という認識だった。つまり大和出撃には大反対の立場だったはずだ。

ところがその場の「空気」により、もう議論の余地はなく、「了解した」と答えざるを得なくなる。
 この場合の了解は、相手の説明が論理的に理解できたと言う事ではなく、「 空気の決定であることを了解した」という意味で、つまりはもう何を言っても無駄であったということなのだ。

連合艦隊司令長官は大戦後、責任を追求されて「その時の空気を知らないものの批判には一切答えない。」と答えているらしい。

統計も資料も分析も、またそれに類する科学的手段や論理的論証も、一切は無駄であり、そういうものをいかに精緻に組み立てておいても、いざと言う時は、それらが一切消し飛んで、すべてが「空気」に決定されることになる。

日本には「抗空気罪」という罪があって、これに反すると最も軽くても「村八分刑」に処せられるからである。

 

「空気とはなんぞや」という問いに対する答えとして、次の例はかなり興味深い。

イスラエルで、ある遺跡を発掘していた時、古代の墓地が出てきた。人骨・されこうべがざらざら
と出てくる。こういう場合、必要なサンプル以外の人骨は、一応少し離れた場所に投棄して墓の
形態その他を調べるわけだが、その投棄が相当の作業量となり、日本人とユダヤ人が共同で、
毎日のように人骨を運ぶことになった。

それが約一週間ほど続くと、ユダヤ人の方はなんでもないが、従事していた日本人二名の方は
少しおかしくなり、本当に病人同様の状態になってしまった。
ところが、この人骨投棄が終わると、二人ともケロリとなおってしまった。
この二人に必要だったことは、どうやら「おはらい」だったらしい。

実を言うと二人ともクリスチャンだったのだが・・・・またユダヤ人の方は、終始なんの影響も受け
たとは見られなかった。

日本人はなぜ物質の背後に何かが臨在すると考えるのか。またなぜ、何か臨在すると感じて、

身体的影響を受けるほど強くその影響を受けるのか?

これは日本人が、人の霊はその遺体・遺骨の周辺にとどまり、この霊が人間と交流しうるという
記紀万葉以来の伝統的な世界観を持つことに基づいている。

一方ユダヤ人と良く似た考え方を持つギリシャ人は、肉体を牢獄と見、そこに「霊」が閉じ込めら
れており、死は、この霊の牢獄からの開放であり、開放された霊は天界の霊界の中にのぼって
行ってしまうと考えた。そして残った牢獄は物質に過ぎず、霊がまわりをうろうろしているなどとは
考えない。

 

これは物質である人骨への感情移入により起こる「空気」に支配された例であり、これが空気支配としては原始的な例なのだそうだ。

でもこれは、ちょっと一般的な「空気」とは違うよね。とりあえず日本人はそういう「空気」に支配される素質があるという訳か・・。


たとえばある会議であることが決定される。そして散会する。各人は三々五々飲み屋などに行く。
そこで今の決定についての「議場の」空気が無くなって、「飲み屋の」空気になった状態での文字
通りのフリートーキングが始まる。

そして「あの場の空気では、ああ言わざるを得なかったのだが、あの結論はちょっとねえ・・。」と
言ったことが「飲み屋の空気」で言われることになり、そこで出る結論は全く別のものになる。

従って飲み屋を回って、そこで出た結論を集めれば、別の多数決が出来るであろう。

私は時々思うのだが、日本における多数決は「議場・飲み屋・二重方式」とでもいうべき「二空
気支配方法」を取り、議場の多数決と飲み屋の多数決を合計し、決議人員を二倍ということに
して、その多数で決定すればおそらく最も正しい多数決が出来るのではないかと思う。


誰ですかあ?我が意を得たりって顔してるのは・・。(^^;;


「あの状況ではああするのが正しいが、この状況ではこうするのが正しい。」という、いわばゴムのように伸び縮みするものさしを日本人は持っていると言うこと。

時間を越えて過去を計ろうとするのなら、過去から現在まで共通する、状況の変化に無関係な永続的尺度で一つの基準を作り、その計量の差に、過去と現在との違いを求める以外にない。


そして世界の他の国々は、当然のようにこういうものさしで計っている。


 

ここで新たに第二の概念として「水」が登場する。

ある一言が「水を差す」と、一瞬にしてその場の「空気」が崩壊するわけだが、その場合の「水」は通常、最も具体的な目前の障害を意味し、それを口にすることによって、即座に人びとを現実に引きもどすことを意味している。

 

たとえばいろいろ将来の夢を並べ立てて一同の共感を集めても、「先立つものがないなあ。」という一言で水を注されて現実にもどるいう具合だ。

戦後の一時期われわれが盛んに口にした「自由」とはなんであったのかを、すでに拝察されていると思う。それは「水を差す自由」の意味であり、これがなかったために、日本はあの破滅を招いたという反省である。

従って今振り返れば、戦争直後「軍部に抵抗した人」として英雄視された多くの人は、勇敢にも当時の「空気」に「水を差した人」だったことに気づくであろう。
従って「英雄」は必ずしも「平和主義者」だったわけではなく、"主義"はこの行為に無関係であって不思議ではない。

「竹槍戦術」を批判した英雄は、「竹槍で醸成された空気」に「それはB29にとどかない」という事実を口にしただけである。
(略)

この生き方が日本を破滅させたということは、口にしなくても当時はすべての人に実感できたから、「水を差す自由」こそ「自由」で、これを失ったら大変だと人々が感じたことも不思議ではなかった。

 

そうなんだ。日本の人びとは長い間「自由」という言葉すら履き違えていた。それだけ「空気」の圧力が強かったということか。

実は九子にも苦い思い出がある。
「空気」にしてやられた話。しかも九子の場合、1対1の接客の時に起きた。

笠原十兵衛薬局の東側に元祖雲切目薬の資料館みたいになってる古い店があることは御存知だと思う。
そこをいつものように案内していた時のことだ。

その人は大変立派な紳士のように思えた。
いろいろな話から、九子は彼が専門の学者さん、または大学教授ではないか?と予想した。

当時例の「一子相伝の石」は、帝京平成大学の鈴木先生が分析して下さる少し前だったから、海のものとも山のものとも正体がわからないで居た頃のことだ。

九子はもしかしたらこの人にお願いすれば成分を分析してくれるのではないか?と思った。

そして貴重な「一子相伝の石」をビニールの子袋に入れてその人に託すことにした。

鈴木先生が分析してくださった時、分析のためにお送りした量はたった5~6グラムだった。

ところが九子は、その人に、たぶん50グラムか100グラム近い量の石を渡してしまった。
だって九子が分けてる時、その人はいつまでたっても「そんなにたくさん・・」とか「もうそれくらいで結構・・」とか言わなかったから・・。
分析にどのくらいの量が必要なのかわからないので、九子はビニール袋がいっぱいになるまで石を詰めた。
九子に貴重な石をたくさん分けさせてしまったのは、他ならない「空気」である。

その人は連絡先も告げずに帰ってしまった。
さすがに九子は連絡先を聞きたかったけど、その場の「空気」では難しいものがあった。

その人に落ち度は無い。たぶん彼は、「一子相伝の石」はふんだんにあって、気まぐれに店主から割合たくさん分けてもらったに過ぎないと思ってるはずだ。

 

明治以来、われわれは何一つ創造的な思想も体系も体制も生み出さなかった。われわれは何かを忘れていた。
それは、新しく何かを生み出すものは、前記のようなあらゆる拘束を自らの意志で断ち切った「自由」すなわち「自由なる思考」だけであり、それに基づく模索だけである。

 

山本七平氏の結論は、「あらゆる拘束を断ち切った自由なる思考」をせよという事だと思うけれど、なんだか難しそうだ。

だけど九子はこの体験以来、空気がどうの、水がどうのって話じゃなくて単純に、「言いたい事はその場で言い、聞きたい事はその場で聞かなければ、またという機会はもう来ない。」って事を学んだ。

生粋の日本人である九子が、その教訓を日常に活かし切れているかどうか・・は、また別の話。(^^;;

そしてKY「空気読めない」の代表格、学習障害の子供たち、そして大人たち!
今こそあなたたちの出番が来ましたよ~。( ^-^)

 

 


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般若坊

確かに空気というものがありますな・・・ おかしいと思ってもその場では反対できない雰囲気です。
大和の出撃は日本海軍のシンボルを米軍に渡してはならない!という暗黙の了解(空気)でしょう。その為にはこの艦と共に海の藻屑となる・・・計算では絶対に現れない結論です。
乗員全てがそうだったか?今は知る術はありませんが、そうだったと思いたい。
by 般若坊 (2012-04-08 23:19) 

九子

般若坊さん、こんばんわ。( ^-^)

>大和の出撃は日本海軍のシンボルを米軍に渡してはならない!という暗黙の了解(空気)でしょう。

ああ、そうだったんですね!
集団自決なんかとおんなじようなメンタリティーなんですね。

「人権」よりも尊い「恥」の文化でしょうか。

今では人権に関しては、もちろん以前よりずっと尊重されるようになりましたが、空気の方は問題ですね。なかなかなくなりそうにありません。

もしかしたら「教育」が鍵でしょうか?

by 九子 (2012-04-09 19:48) 

伊閣蝶

「空気」の研究、私は読んでいませんが、九子さんの解説を拝見し、山本七平氏も、この本ではかなりまともなことを書いているのだなと見直しました。
場の「空気」、確かに恐ろしい力を持っていると思います。
先の大戦では、消極的な意見を出すと、それだけで「臆病者」とか「非国民」なんていわれたのでしょうし、軍部自体も国民から期待されて引くに引けなかったということもありそうです。
つまり、徹底的にやらなければ「気が済まなかった」のではないか、と。
何だか、今の北朝鮮みたいな気もしますね。
by 伊閣蝶 (2012-04-10 12:39) 

九子

伊閣蝶さん、こんばんわ。( ^-^)
あら?山本七平氏は伊閣蝶さんには馴染みませんでした?
彼のマトモじゃないのをたまたま読んでいなかったので、大した人だと思ってました。

でもこの本の中にもキリスト教に関する批判がかなりページを割いて出て来ていて、難しそうな人なんだろうなとは感じてました。(^^;;

>何だか、今の北朝鮮みたいな気もしますね。

まったくその通りですね。日本は戦後なんとか繁栄を築くことが出来ましたが、かの国の場合は本当にどうなってしまうのか・・。

うちのKYの三男あたりに期待しましょうか。( ^-^)

by 九子 (2012-04-10 21:49) 

Muran

このお話、おもしろく拝見いたしました。
祈りにも似た思いなのですが
日本、そして日本人の選択が
その都度責任のあるものになってほしいと思います。
責任とは自分の島の中の責任はおろか
世界のなかの自分という位置づけで。

空気というものに流されること。
それがもし日本人の「大切にしているもの」なら、
空気の流れでふらふらとして
それを繋ぎ止めるのは
一体誰なのでしょうね。

アメリカでしょうかね。
価値基準、判断基準を
仮に現代日本人が持ちえないと「仮定」するなら

アメリカや世界の厳しいパッシングの中で
うろたえながらも
右に行き、左に行き
彷徨する日本の姿が
世界にとって一番安全なのでしょうね。

大戦中の日本の気分を持ち出したくなるのは
やはり日本人皆が今抱えている危機感なのでしょう。

でも最後は「人間のこころ」ひとつですね。
じぶんのできることは限られていますが
「こころ」を感じ、伝えることが
自分の責任だと自覚し始めています。
by Muran (2012-04-14 15:54) 

九子

Muranさん、こんばんわ。お返事遅れてすみません。

>祈りにも似た思いなのですが
日本、そして日本人の選択が
その都度責任のあるものになってほしいと思います。
責任とは自分の島の中の責任はおろか
世界のなかの自分という位置づけで。

う~ん。ハードルが高いような・・。(^^;;

でもこれからは私達一人一人の責任で、トップを動かす時代にしなければいけないようですね。せっかく期待した民主党政権もいったい何をやっているんだか・・。

>アメリカや世界の厳しいパッシングの中で
うろたえながらも
右に行き、左に行き
彷徨する日本の姿が
世界にとって一番安全なのでしょうね。

確かにそうなのかもしれませんね。
本当は、油断させといて、実は・・というのを狙いたいところなのですが、まだまだ夢のまた夢でしょうか・・。(^^;;

>でも最後は「人間のこころ」ひとつですね。
じぶんのできることは限られていますが
「こころ」を感じ、伝えることが
自分の責任だと自覚し始めています。

そうです!それが出来るMuranさんのような方にはこれからもどんどん活躍して頂かなくては!

心ある方々は決して少なくないはずです。そういう方々の力がひとつになれば・・!
私たちの中の力を信じたいですね。( ^-^)
by 九子 (2012-04-15 21:46) 

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