再び、三たび 長野と松本 [<九子の万華鏡>]
このところ用事があって何回か義姉の住む松本に赴くたびに、ああ、やっぱり松本には敵わないなあと思うことしきりだ。
もうそんなこと何十回も思った!
仕方ないよ。長野は門前町で松本は城下町。
お殿様を守り立てて参勤交代の折などに他の藩主よりもみすぼらしく見えないように、人々がこぞって知恵を絞り、高価な着物や生活用品を作り出した。
その結果、物は豊かになり、町は栄え、文化が広まった。
ところが善光寺のお上人さまやお管主さんは贅沢なんてしないもの。衣食住だって質素を旨としてきらびやかどころじゃない。
長野の町にいわゆる町人文化が栄えなくても、そりゃあしかたないんじゃないの?
そういって長いこと言い訳してきた。
ところがここへ来て、そうじゃないんじゃないの?と思うことが次々起った。
一番衝撃だったのは、松本に県下最大級のイオンモールが出来たことだった。
長野にはbigと呼ばれる小店舗があるばかりだ。
モールは義姉の住むすぐそばなので外からだけ眺めてみたが、すごい広さだ。
そしてここには広い音楽ホールにもなる多目的会場も作られていて、さまざまな目的に利用が見込まれている。
なぜ人口の多い県庁所在地の長野ではなく松本に?という話になる。
実はもう十年も前に長野にイオンモールを作る話が浮上した。
ところが時の市長さんが、そんなところに大きなものが出来たら市内の業者は皆つぶれてしまうと怖れた結果、イオンを締め出すことになった。
ところが松本はそれを受け入れた。市内の業者に大きな影響が出るだろうことはもちろんわかりきってたはずだ。
でも彼らはきっと、自分たちの努力で大きな施設と上手に棲み分けが出来ると考えたのだろう。そしてそうする自信もあった。
とりあえず今は彼らの目論見どおり動いている。イオンモールは都会からのたくさんのしゃれた店と、地元には無い珍しい飲食店が軒を連ね、たくさんの人々で賑わっている。
そして松本の町に昔からあったさまざまな専門店と共存している。(ように見える。)
これを見たとき、九子は考えた。
街って言うのは、人が作るものなのだと。
その街に住む人々のエネルギーと気合と意気込みとが、街を次々変えて行くものなのだ。
長野の人間は、きっと変化を拒むのだろう。
というか、変化が怖いのか?
とにかく地味で、保守的で、千年一日の如く同じように暮らしていくことが安心なのだ。
だけど「人だけは良い。」と言われていて、そこだけがせめてもの誇りだった。
ところがこれもだいぶ怪しくなった。
松本山雅というサッカーチームのことは皆さんご存知だと思う。元Jリーガーの松田選手が練習中に急死されたことでも有名になった。
数ヶ月前、山雅のスタジオが使えなくなり、長野パルセイロが本拠地としている長野市のグランドを今期初試合をするグランドとして使わせて欲しいという申し出が松本山雅から加藤市長のところにあったそうだ。
ああ、いいんじゃないの?使わせてあげれば!
ところが市長の歯切れは悪かった。
結局彼が言ったことはこうだった。
「こちらのグラウンドも台風の被害で芝がやられてしまっていて修理にどのくらい時間がかかるかわからない。だから答えは保留にさせて下さい。」
何?それ?
本当に貸す気があるなら「私の一存でその時までに必ず間に合わせますから。」と言って、握手でもすべきだよねえ。意地悪してると取られてもそれまでだ。
結局松本山雅の今期初試合は、山梨県ですることになったのだそうだ。
へただなあと思う。加藤市長だってこんな簡単なことで男を上げて、長野と松本が少しでも仲良くなるチャンスだったじゃない!
これでまた長野の人間は底意地が悪いなんて言われかねない。
会社のトップ、コミュニティーのトップ、そしてむろん国のトップは本当に自分の言動に注意して欲しいと思う。
彼らの言動は、もう彼ら一人のものではない。
それを言った、した人間が、すべての組織の人間を代表していると思われてしまうから。
先日中国人の女の子が二人、雲切目薬を買いに来た。中国人と言われる前は、上手に日本語を話すし、日本人だと信じて止まなかった。
だから普通の速度で普通と同じように古い店の説明した。それでも彼らはちゃんと意味を理解してくれたと思う。
でもちょっとしたアクセントが独特だったので聞いてみた。
すると、千葉大の留学生で、日本に来て2年半程だという。
はっきり言って、悪い意味での中国人らしさはまったく無かった。物静かな、「すみません。」をよく使うかわいらしい学生さんたちだった。
九子の中にあった典型的な中国人像は崩壊した。「こんなおとなしい中国人もいるんだなあ。こういう人たちばかりなら、お友達になれそう!」
人間の判断力なんていい加減なもんだ。結局自分の経験の範疇を一歩も出ない。
こんな長野市だけれど、たまには好きだと言って何度も訪れてくれる人もいる。
子供が大学で二年間いたけれど(信州大学教育学部と工学部の学生は松本で二年間、長野で二年間を過ごす)長野がとても気に入ったと言ってくれる人もいる。
そんな時は自分が誉められたように嬉しい。
ああ、そうか!
実はこの頃九子は段々とこの長野市に愛着が湧いてきた。
母親が出来の悪い子どもを可愛がるように、なんともパッとしない我が長野市に愛おしさを覚えるようになった。
年とったせいかしらねえ。(^^;;
そして思いついた。
長野市は九子に似てるんじゃないかしら?
何よりエネルギーが無いところが。(^^;;
保守的で新しい何ごとかをやり遂げようという意気込みの足りなさ。
出来るならば難しいことは目をつぶってる間にどうか頭の上を通り過ぎてて欲しいと思うところ。
そして、まあ住んでて困ることもなし、そこそこの物はなんでも揃うのだから、
目くじらを立てる必要もないでしょう・・という向上心の欠如。(^^;;
それでもこれでも、長野市にはたくさんの人が来て欲しい。
期待が大き過ぎなければ、そこそこ見るべきところも美味しい食べ物もある。
負けゆく者の美学もある!(たぶん)
そして忘れずに正真正銘の長野市民九子に会いに、雲切目薬の笠原十兵衛薬局まで足をお運び下さいね。(^-^)
佐渡裕が長野にやってきた! [<九子の読書ドラマ映画音楽日記>]
だって「指揮者村中大祐氏いのち!」のブログを書いてから間が無いからだ。
Mu-ranさん! 例によって音楽のことはまったく良くわからない九子のことゆえ、中身に音楽的要素はさっぱり・・のブログですからどうかご安心を!(^^;;
佐渡裕が長野に来るのは十数年ぶり。そして、かつて高校の管弦楽部でトランペット奏者だったM氏が珍しく行きたがった。
タクシーの運転手さんがふるっていた。
「お客さん、どちらまで?」と聞かれて、文化会館までと答えると「今日は誰が来るんです〜?」
「あっ、佐渡裕です。」と答える九子に、微妙な間が待っていた。
中高年の夫婦連れが二人そろって一体何見に行くの?みたいな、いぶかしげな感じ。
だから九子は重ねていった。「佐渡裕。指揮者の佐渡裕と彼のオーケストラです。」
運転手さんはほっとしたような、あっ、そうか!とも思えるような答え方をした。
「あっ、佐渡裕!ああ、あの指揮者のね!」
もしかしたら佐渡裕と言う名前を聞いて、一瞬運転手さんは演歌歌手でも想像したのかしらん。
そうだよね。演歌歌手にはどんぴしゃりな名前だ。(^^;;
「それで演目は何です?」
「えっ?演目?」なんだっけ?佐渡裕、佐渡裕ばっかりで、演目なんか良く見なかった。(^^;;
あわてて広げたリーフレットにもクリスマススペシャルと書いてある他はようわからん。
運転手さんは続けてこんなことを言った。「日本のオーケストラの切符は高すぎるよね。二人分で一万4千円?ヨーロッパじゃあ2、3000円だってね。そのくらいじゃなきゃ行けないよね、庶民は。みんなで楽しめなきゃつまんないよね。」
良くご存知ですね、という九子に、彼はこう言った。
「僕はそんなに詳しいわけじゃないんだけど、テレビでね、BS見てると良く出てくるのよ、そんな話が。」
「BSですか?ずいぶんしぶい番組を見ていらっしゃるんですね?」と言うと、
「僕んとこ山の方なの。地上波の電波がうまく来ないから、地域によっちゃあ、BSしか映らないの。だからNHK受信料払わなくていいんだよ。」 あらまあ!
運転手さんの話を聞いていると、BSも今度見てみようかと言う気分にさせられた。
何度も書きたくないが、長野市は文化が不毛であると良く言われる。
そんな長野でも地元生まれ地元育ちのピアニスト山本貴志氏の世界的活躍や、隣の中野市出身だが、ジブリ映画の音楽監督として有名になり、今や世界的活躍の長野市民芸術館総監督・久石譲氏などの出現は、長野市民に希望を与えてくれる。
それでも佐渡裕ともなるとどこからともなく人が現れ、満席とは言わないまでも9割がた席は一杯になった。
佐渡裕氏もかつてブラスバンドをやっていたらしい。そのせいでか、彼のオーケストラ「シエナ」にはバイオリンが無くて、弦楽器はコントラバスひとつ。よりブラスバンドに近い構成になっている・・ということを、九子はM氏から教わった。
佐渡裕氏は長身で、ルパン三世と見間違うほどの細くて長い足を持っている。
あの細さで、時には1万人の合唱団の第九を指揮するのは荷が勝ちすぎないかと思うほどだ。
今日の演目はクリスマス特集で大曲は少なく軽めだったと思う。しかし韓国人歌手のキュウ・ウオン・ハンの歌は秀逸だった。佐渡氏と、彼がキュウちゃんと呼ぶキュウ氏は、パリ時代に同じ釜の飯を食った仲なのだそうだ。まあキュウコのキュウつながりでもあるし、彼の歌には★★★かな?(^-^)
さて、そろそろあの時間の到来だ。
そう。佐渡裕の真骨頂?
会場に集まった観客たちがそれぞれもち寄った楽器をかかえてステージに登る。
九子はちょっと心配になった。ここは恥ずかしながら文化不毛の長野市である。
クラシックコンサートにこれだけの人数が集まったことだけでも驚きなのに、
楽器を持ってステージに上がる人なんて、何人居るんだろう?
ちょぼちょぼとしか集まらずに佐渡さん困るんじゃないだろうか?
ところがそんな心配は無用だった。
まあ一体彼らはどこにあんな楽器を隠し持っていたんだろう。
中には巨大なチューバを持ってる人もいる。
来るわ、来るわ。九子の心配をよそに、ステージは立錐の余地もないほどに。
その上なんと!中学生くらいの男の子と女の子は、指揮棒を持って佐渡裕に迫る。
「あっ、指揮者もいるのかあ。オレここに居たらじゃまね。」と、すごすごと指揮台を降りる佐渡裕氏。
演奏が始まった。「星条旗よ永遠なれ」。急ごしらえの素人合奏団が奏でる誰もが知ってる佐渡とシエナの代表曲。もちろん指揮者は中学生カップルた。
演奏だって大したものだ。何より彼らの熱気が凄い。夢の舞台で一世一代の瞬間だ。
この音を記憶に残して欲しいと、一人一人の上気した顔が輝く。
わあ、すごいよ~。長野市だってやるもんだねえ。あんなにたくさんのクラシック人口が育っていたとはねえ・・。
九子とM氏も熱い思いで聴き入る。
うん?その考えは突然稲妻の如く去来した。
ああ、思いつかなきゃ良かった!そうしたらもっと幸せでいられたのに・・。
でも一度気づいてしまったことを気づかなかったことにはもはや出来ない。
果たして、このステージ上の人々は長野市民ばかりであろうか?
もしかしたら、上田!いや、松本!!
クラシックの、いや文化の先進地として鳴り響く松本や上田。
佐渡裕のためならどこへでも足を運ぶ面々がたくさん居るはずだ。
そういう人がほとんどなら、わかる!この熱気!この活気!
九子は係りの人に聞きたかった。今日来た人たちは、いったいどこから来てますか?
長野市の人は何割ですか?もちろんそんなことに答えてくれる人は居ない。
長野市民よ。せめて半分、いや、三分の一、いや四分の一でいい。
満員の客席を埋め、楽器を持ってステージに立っていて欲しかった!
いや、せめて祈ろう!
佐渡裕を聴き、ステージに上る人々にあこがれて、音楽の海に漕ぎ出す人々が僅かずつでも
増えることを!
Mu-ranさんこと、指揮者の村中大祐氏は言った。
「響きを愉しむ」いうのは誰にでもできるようだが
これが日本人にとっては意外に難しいのではないのか?
愉しむためには
「自分に合った」言葉の響きを
選び取る作業が必要になる。
多分この辺りで差が出るのだろうが
日本人は自分だけの選択をすることが
異常なくらい下手くそ。
他人のフリを見てから動く体質は
こういうところにも表れると思うのだが
やはり「自分だけの価値を選び取る」ための教育が
そもそもできていないようなのだ。
じゃあ、自分に正直になるにはどうすりゃいいか、って?
そりゃあ、音楽を聴くことさ。
これなら出来る!これから始めよう、長野市民よ!