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臘八接心(ろうはちせっしん)その2 [<坐禅、仏教、お寺の話>]

その1よりつづく



臘八接心は8日間だから、少なくても最低一回は日曜日が入る。その日曜日が唯一、九子が朝のお行を全うできる日であるわけだ。



普段は子供の学校があるので、暁天坐が終わる5時には即御帰還なのだが、本来はその後7時まで、清掃、水行、読経、そしてもう一度一時間の坐禅がある。



その日曜日、九子は清掃を終え、早めに本堂に陣取った。これから読経が始まるのだ。



その時Fさんの姿に目が止まった。薬局のHPで、書簡集をアップすることをOKして下さったあのFさんである。



あちらも九子に気が付いた様子。お互い合掌をして、長い無沙汰をわびるべく深々と頭を下げた。



そこへ和尚様に連れられて、Oさんが入ってきた。



Oさんはお若くして交通事故で両目を失明され、全盲でいらっしゃる。



「あっF君、O君をよろしくね。頼んだよ。」



和尚様はFさんに全てを任せきっている。隣には九子がいるのだが、九子のことなど全く目に入っていないのが、手に取る様にわかる。



そりゃあ仕方ありません。仕方ありませんとも・・・。



とにかく九子は、人に不安を与えることは得意中の得意だが、(たとえば、「ここの薬局に任せといて、一体いつになったら薬が出来あがるのかしら・・・。」とかあ・・・(^^;)人のためにいろいろしてあげるというのが、大の苦手なのである。



そりゃあそうだろう。自分の事も満足に出来ないくせに、人のことまで手は回らんだろう・・・(^^;



Fさんはその時、「はい。」と答えるのと同時くらいにすばやく、ささっとOさんの方へ肩を差し出した。そしてOさんの手を取って自分の肩に乗せ「Oさん、こんにちわ。Fです。」と言った。



こうやって、Fさんの位置を確認したOさんは、満面の笑みを浮かべてこう言った。「ああ、Fさん。いつもすみませんねえ。」( Oさんの笑顔は、どきりとするほど美しい。彼に一度でいいから見せてあげたいといつも思う。)



そうか、こうするのか・・・。



なんだか九子は、すっかりいい気分になってしまった。ああ、日本の若者も捨てたもんじゃないなあ。( ^-^)



今の麗しい光景を見て、九子の中で「よし九子も・・・」というようなライバル心が、無意識のうちに芽生えたのかどうかは定かではない。



読経の始めの礼をする時、Oさんだけが、一人すくっと立ちあがった。それを見て、すかさず九子はOさんに耳うちした。「あっ、Oさん。みんな座ってますけど・・・」



Oさんはちょっと怪訝な顔をした。「あっ、そう?」



言ってるそばから、みんな立ち始めた。ナヌウ?

「すっ、すみません。やっぱり立つみたいです・・・。あうう。」



慣れないことはするもんじゃない。(^^;



本日二度目の坐禅の時間になった。



坐禅の時大変重要なのが、「揺身(ようしん)」と呼ばれるいわば準備運動である。



足の組み方に無理は無いか、身体のあちこちに無理な力が加わっていないか確かめながら、身体を前後左右にゆっくり倒す。そして身体を充分に伸ばす。



今日の九子は足の組み方が若干良くなかった。気が付いたのだがそのままにしていた。まあ、所詮それは言い訳にすぎない・・・(^^;



背景に流れる無形大師の「御提唱(ごていしょう)」と呼ばれる30分前後のご説法が終わりになる頃には、足がかなり辛くなってしまった。



その時である。九子の視界のすみっこで、墨染めの衣を来た和尚さんが本堂から出ていくのが見えた。「あっ、途中で出ていく和尚さんがいる!ならば九子も・・・・」



地獄に仏とはこのことである・・・・・。ん???(^^;×3



円坐(坐禅のとき下に敷く丸い座布団)を掲げ、うやうやしく本尊さまに礼拝して、九子は静かに本堂を出る。

あ~あ、それにしてもラッキーだったなあ・・・・。( ^-^)



ところが・・・・。そこに立っていたのはさっき出ていったはずのY和尚さん。九子に向かって「ご苦労様でした。」とおっしゃりながら、再び本堂の方へ・・・・。



「あっ!!!」やっと九子は気が付いた。Y和尚さんは、無形大師のご提唱のMDを事務所に止めに行かれただけなのであった。



うう~ん。九子はうなった。また本堂へもどろうか?いや、それはいくらなんでも格好悪い。

うう~ん。まっ、いいか!このまま帰っちゃえ。( ^-^)

きっと子どもたちの一人が部活かなんかで、日曜日も九子さん忙しいんだろう・・とかって、みんな勝手に思っててくれるだろう・・・。



言うまでも無いことでありますが、坐禅中はただひたすらに坐禅に集中し、考え事などゆめゆめしてはならないのであります。九子が出ていったことすらわからないくらいに無心にならなくてはなりませぬ。



うん?じゃあ全然大丈夫じゃん。Y和尚様以外、誰も九子が帰った事なんかわかんなかったよねえ。( ^-^)



あ~あ、今日もちょっとしたドジはあったけど、無事に終わったね。臘八接心もあと残すは明日一日!楽勝ジャン。



そして皆より30分も早く家に帰りついた九子は、本来の極楽浄土よりもずっと手近な、ぬくぬくベッドの極楽浄土へ・・・・。



あ~あ、極楽、極楽( ^-^) 



あたしゃ一生このままがいいや。大変な修行をつんで、和尚さんになるなんてまっぴらだねえと、九子は思った。



(活禅寺(←こちら)の和尚とは、職業の事ではなく、修行の進み具合を示す階級の事です。だから、修行さえつめば、誰でも和尚さんになれるのです。)



仏様の方でも、「怠け者の九子ごときが、なあにを馬鹿なことを言っておるか。和尚になるなど百万年早いぞ!こちらの方こそまっぴらであるぞよ。」とおっしゃっていることなど全く気づかない、ご気楽九子なのであった。( ^-^)



ん?? あっ、万が一お寺関係の方、見ていらしたらご内密に・・・。(^^;

臘八接心(ろうはちせっしん) その1 [<坐禅、仏教、お寺の話>]

今日12月8日は、特別な日である。(おっ、初めてのリアルタイムの日記だね。( ^-^))



あっ、わかった!太平洋戦争(古!)が始まった日・・・と思った方は、九子よりずっと、ずっと、ず~っと年上の方に違いない。(^^;



実は12月8日は、お釈迦様が悟りを開かれたと伝えられている日なのである。



九子がいつもお世話になっている長野市の 大本山活禅寺では、12月1日から12月8日までの8日間、それに因んで毎年特別のお行をしているのである。



臘八接心(ろうはちせっしん)と言う。



12月の古い言い方はすっかり「師走」で定着してしまったので、ご存知ない方が多いと思うが、臘月(ろうげつ)とも言うのだそうである。臘八とはつまり12月8日。この日の未明に、お釈迦様がお悟りを開かれたゆえ、朝の3時半から坐禅を組む。これがすなわち、活禅寺の暁天坐(ぎょうてんざ)である。



はずかしながら九子は長い間、暁天坐は4時からと信じていた。そこへ持ってきて、いつも10分遅れる九子時間である。長い年月、九子は4時過ぎにノコノコ出かけて平気であった。



ところが数年前、実は暁天坐は3時半からである、と聞いてしまった!



「やんぬるかな!」



「しまった!」と思ったのは、自分の間違いを後悔したためではない。(もちろん、それもある。いや、それがほとんどだったかな?(^^;)



残念だったのは、真実を知ってしまったからであった。



九子は根がまじめゆえ(うんうん( ^-^))、知らないで、あるいは忘れていてドジをするというのはしょっちゅうだが、知らないふりを決めて、そのままにしていると言うことが出来ない、損な性分である。



(3時半にお寺に着くためには、3時前に起きなくてはならない!そんな時間にこの九子が起きられる訳が無い!結局今も、お寺に到着するのは4時近くなのだが・・・(^^;)



つくづくお釈迦様を恨んだ。なんでもっと遅い時間にお悟り遊ばされなかったのでしょうや?



九子みたいに坐禅中にいらんことを考えていれば、2~3時間はすぐ無駄に過ぎちゃってたでしょうに。(自分と一緒にするな!(^^;)



いや、もっと言おうか!



お釈迦様がインドのブッタガヤの菩提樹の木の下でお悟りを開いたのが、仮に午前3時30分としよう。インドよりはるか東にある、わが祖国日本では、4時間の時差があって7時半になるのである!



見よ、九子のこの説得力!

だから、来年から暁天坐は7時半から始めませんかあ?(^^;





いくら前の日9時に寝ていても、眠いものは眠い。その上体力ゼロの九子が、行きかえり往復40分弱の道を歩いて通うのである。、お寺から帰ってきても、目はどんよりとして、頭はしきりにおやすみ信号を送ってくる。



眠くなると,不機嫌なおかつ非効率となる九子である。(まあ普通でも効率いいとは決して言えないけどね(^^;)こう言うときは寝るに限る!朝食や弁当作りもほどほどに、九子はコタツでごろんとする。



朝食を終えて、手抜き弁当を手にしたM氏がやってくる。いつもはここで「おお~い、九子、後ろ見てくれ!」と言うことになるのだが、今日は違った。この後ろ見てくれ!の意味は、薬局の前は車の往来がはげしいので、車を誘導してくれということである。



ここんとこ二三日、九子が朝眠そうにしているのを察したM氏は、九子が誘導しなくてもいいように、ちゃんと前を向けて車を止めてくれていた。そして、九子が寝ている脇をすり抜けて、そっと出ていってくれたのである。ああ、なんと優しいM氏!( ^-^)



だが、優しさというものは、時として仇(あだ)になるのである。



9時過ぎに薬局のインターホンが鳴るまで、九子はぬくぬくコタツで楽しい夢をむさぼっていた。



はっとして起きた九子は「しまった!」と思った。薬局がこころなしか暗いのである。

あっ!まだシャッターあけてない!(笠原十兵衛薬局、開局時間午前八時~午後六時半。(^^;)



「すみませ~ん」と大慌てで出てみると、そこに立っていたのは活禅寺のG和尚さんだった。九子はほっとした。九子がもっとも得意とする「正しい言い訳」が出来る。( ^-^)



「へえ~っ、九子さんってお寺でまで商売してるんだ!えげつない!」と思った方、それは誤解というものである。



G和尚さんは、九子が持病のうつ病で数ヶ月お寺に通えなかったとき、心配してわざわざ処方箋を持って来がてら、様子を見に来て下さった優しい和尚様である。以来、薬局に数少ない処方箋を持ってきて下さる有り難~いお客様でもあるのだ。



「和尚様で良かった!もう毎朝眠くて眠くて、実は今まで寝ていてシャッター開け忘れちゃったんですよ。」九子はもっとも得意な「正しい言い訳」をした。



和尚さんは「あっはは~ん」という顔をなさった。和尚さんが心の中で何を考えていらっしゃったのかは定かではない。



今日は抜けるように青くて高い、冬のはじめの陽気な空だ。九子は1時間遅れでシャッターを開けながら、遠いお空でひそひそ声で話しているお先祖様の話し声を聞いたような気がした。



「お釈迦様、17代、460年も無難に続いてきた当家ではありますが、18代目が心配でなりません。店も定刻に開かんようでは、将来先細りは目に見えております。せめてお情けで、来年の臘八接心は7時半からということに・・・・・・・」



・・・・なわきゃあないよね。(^^;





つづく。
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