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地すべり [<学校の話、子供たちの話>]

本日より、「九子のダメ母の証(あかし)日記」が2年目に突入である。
何か特別仕立てで飾りたかった気もするが、忘れてしまわないうちに身近なニュースのご報告をさせて頂く。

新潟県中越地震の事にばかり目を奪われていたら、お膝元でひどい地すべりが起きた。
長野市の隣の中条村である。
何を隠そう、三男Yの高校がある村である。(^^;

ニュースやワイドショーで全国区で流れたから、御覧になった方もいらっしゃるかもしれない。
川に面したバス道路の片側が突然崩壊し、バス停も電柱も何もかも川の中に落ちた。

崩落の起きた時間を知って青ざめた。
朝の10時過ぎ・・・。

実は当日の朝7時頃に学校から緊急の電話が入り「再び崖崩れが起きましたので、今日は休校になりました。」という連絡があったばかりだったからだ。

あのまま普通にバスが動いていたならば・・・・・・。


もともとあの道は、国道が長雨による地すべりで通行止めになったため、信州新町に続く最大の迂回路だったのだ。最初の地すべりも結構規模が大きく、地元のメディアでは大見出しで取り上げられた。

今回の地すべりのため、長野市と松本市を結ぶ道路は、いよいよ高速道路だけになった。

今年、彼の周辺は全国的に注目を浴びた。

秋の熊騒動で、木に上って柿を食べてる熊君が登場したのを覚えていらっしゃる方もおいでだろうが、あれも彼のバスが毎日通る沿線の七二会(なにあい)という部落であった。

彼はしかし、そんな事よりも、頻繁に学校が休みになることの方に気持ちを奪われていた。(^^;

一番喜んだのは、彼が毛嫌いしていた「30キロ強歩大会」が中止になった事だった。

強歩大会というのは、競歩と違っていくら走っても良いのだそうだ。
まあいうなれば、歩いても良いマラソン大会みたいなもんだそうである。

N高校は、行事が多い。
普通の高校で考えられる、ありとあらゆる行事は網羅されている。

学校の規模が小さいので、たとえば修学旅行で沖縄に行っても、大きな高校では到底泊まれない小浜島に泊まれるなんていう利点もある。

先日の学園祭でもラモス・ルイ選手が来たらしいが、全校でも百数十人なので、欲しい人にはサインをくれたらしい。

今回崩落した現場では、実は11月に化石採集の会が予定されていたのだそうだ。

石拾いが趣味の彼にとって、唯一悔やまれる出来事だったに違いない。(^^;

ニュースでは、道路の復旧には最低でも2週間はかかるという話だった。
もちろん彼は大喜びだ。「バンザ~イ!これでずっと休みだぞ~!」

夕方になって再び担任の先生から電話が入った。

「明日から、普通に授業を行う。通行止めになってる直前でスクールバスが止まるから、あとは歩いて学校へ来なさい。授業開始時間は通常通り。まあ、30分も歩けば学校へ着くから・・・・・・。」

N高校とは、こういう高校である。( ^-^)

彼の笑顔が突然ひきつったのは言うまでもない・・・。

あっ、顔面麻痺のせいもありましたが・・・。(^^;

キレタ話・・・その② [<学校の話、子供たちの話>]

あんまりネタが古くならないうちに、今日は九子はじめてのトラックバックとやらをやってみようと思う。

「おとなの隠れ家」のまあこさんの日記に、授業中居眠りしていた生徒に、カッターナイフで自分の手を切らせて、血で反省文を書かせた教師のことが書いてあった。(もう、新古記事ですね。すみません。m(_ _)m )

実は前日高校生のN子が、先生がキレた話をおみやげにもって帰ってきたので、尚更興味深く読んだ。

N子の話であるが、日頃怖い先生と恐れられていた教師が、その日ついにキレて、椅子を机の上にぶつけて、椅子のネジが飛び、部品が外れて近くの男の子をもう少しで直撃するところだったという。

幸いどこにも当たらず、誰も怪我もせず、後から他のクラスから「凄い音したけど、どうしたの?」と聞かれたくらいで済んだ話であった。

変なことを言うようだが、九子はN子が「今日H(先生)キレタんだよ。」と言った途端に、「N子は凄いな!」と思うような親ばかである。(^^;

なぜそう思ったか?

九子が高校生の頃、先生方はみんな大人、というか、近寄りがたい存在だった。(少なくても九子にとってはそう言う風に映った。)

先生方の言われることは、生徒にとって絶対だった。

だから先生に叱られる時、生徒のほうから「先生がキレタ!」つまり、先生が感情的に叱ったという冷静な観察など出来なかったように思う。

先生から叱られる時には、必ずこちらに非があるのだと思い込んでいた。

だから、「先生がキレタ!」という見方が出来る今時の高校生は偉いと思った。

考えてみると、キレル見本を見せる先生が増えてきたと言うことなのかもしれないのだけれど・・・。(^^;


この二つの事件で教師がキレタ対象は、どちらも居眠りしていた男子生徒だったそうだ。

まあこさんも書いているが、そもそも居眠りをすると言うことは、そんなに悪いことなのか?

大きなイビキでもかかない限り、他人に迷惑が及ばないと言う点では、これ以上に紳士的な授業拒否はなかろう。

処罰の対象が居眠りであったというのは、だから、ちと合点がいかない。

この教師は、絶対に間違っている!それはもう、天地神明に誓って事実である。

問題になるとしたら、この教師がこういう罰を、以前から同様のことをした子に与えていたのかどうかだ。

まあ、その可能性は極めて低いだろう。そうであれば、もっと早い時点でニュースになっていたはずだからだ。

子育ての原則として認識していることのひとつに、「教育者の姿勢が、いつでも首尾一貫していること」が挙げられると思う。

同じ事をAがした時は叱り、Bがした時は叱らない。または、昨日は叱り、今日は叱らない。こういう例外があってはならない。

教師が,正しいと信じて血の反省文を書かせたのであれば、その時間に居眠りをした子ばかりでなく、当然今まですべての時間に寝ていた全ての子供を処罰の対象にすべきであった。

いつも寝ているからと言って、何かと気に入らない特定の生徒だけを処罰の対象にしてはならない。

また、思いつきでない罰であったと主張するならば、日頃から最後通告のような形で「あと何回で、血の反省文だぞ!」というカウントダウンがなされなければならないだろう。

ある日突然!は、やっぱり誰だって困る。

まあこさんはきれる人(こちらは、頭が良いと言う意味。( ^-^))だから、高校生の頃も、理論整然と先生に反論出来たかもしれないけれど、並の高校生では、まだ九子みたいに、先生の権威に太刀打ちできない生徒の方が多いのかもしれない。

だから尚更、先生は慎重であって欲しい。
生徒は、学校の中では、先生と決して対等にはなれない。
すなわち、無条件に権威を振りかざして良いはずがない。


実は今を去るうん十年前(^^;、九子が小学校に入学したての頃、九子の担任の先生は、当時スパルタ教育で名高いN先生だった。

スパルタ教育と言っても、もう死語になりつつあるのだろうか?
わからない人がいたら、「巨人の星」の主人公、星 飛雄馬の父親である星 一徹みたいな先生と言ったらわかって頂けるかもしれない。

とにかく、N先生に体罰を受けなかった生徒のほうが少なかった。
(実は、その数少ない一人が九子だったのだが・・・(^^;)

頭をこずかれる、耳を引っ張られるは日常茶飯事。
なぐる、蹴るだって、取りたてて珍しいことではなかった。

うん十年ぶりに同級会があった時、それこそ出席者全員が鮮明に覚えていた事件があった。

それは・・・。

九子の小学校には、教育実習生が毎年教えに来た。子供たちが「教生の先生」と呼んで親しんでいたその教育実習生を、N先生がぶんなぐって、教生の先生はもんどりうって机にしたたかに顔をぶつけ、口が切れて出血したのだ。

クラス全員の幼い脳みそにしっかりと刻みつけられ、うん十年たっても決して消えることの無い鮮やかな記憶だった。

N先生のような先生は、今の時代には受け入れられない。たとえどんなに教育熱心で、生徒思いの熱い先生だったとしても・・・。

星 一徹も、N先生も、あの時代だったから容認され、全部ではないが多くの父兄から崇められたのだ。

学校は社会の規範を教える場でもあるのだから、先生が、たとえ堪忍袋の許容範囲一杯までもやもやが溜まっていたとしても、キレて突拍子も無い危険な行動に出ることだけは避けて欲しい。

他人を傷つける可能性のない方法でキレルのであれば、生徒たちの理解も得られようというものだ。

N先生は力のある先生だったから、若くして出世されて校長先生になられた。
だがお酒も好きで、糖尿病だったか肝臓病だったかで早くに亡くなられた。

N先生は九子の記憶の中で、いつも白いワイシャツに青いカーディガンをはおり、ボサボサ髪を手で掻き上げ・・・・、平手打ちをしている。(^^;

賢い先生だったから、教育熱心というだけでは自分のやり方がもう通用しない時代が来たことを敏感に悟られて、人生の幕を一人静かに下ろされたのかもしれない。

Tさん一家 [<学校の話、子供たちの話>]

あれはもう10年も前のことだろうか。
九子の家の真向かいに、転勤族のTさん一家が突然越してきた。

あちらも偶然長男R、次男Sと同じ年の男の子が二人、それとしっかりとした一番上のおねえちゃんと長女N子と同じ年の一番下のお嬢ちゃんの4人きょうだいだった。

何しろ九子の住む町は善光寺のお膝元だから、古くからの家ばかりで転勤族の人が来るなんてそれはそれは珍しいことだった。

前に住んでた設計士のHさんが建てた家で、お風呂が2階にあったり、中2階みたいな部屋があったりで風変わりな家だったが、Hさんがよそへ移って自宅を貸し出し、しばらくして入って来たのがTさん一家だったわけである。

九子とTさんは、すぐに親しくなった。

Tさんと言えばすぐに思い出すのが、育成会ピクニックの一件だ。

育成会と言っても全部で20戸ほどの小さな町だ。
小学生の子供がいる家はわずか3軒で、育成会などつぶれる寸前だった。

そこへ、やり手のTさんが、子供を4人も連れてやってきたのだ。

Tさんには何しろ不思議なエネルギーがあった。
そう、肝っ玉母さんのエネルギーだ。

彼女は本当の意味で賢い人だ。
とにかく何でも自分でやってしまう。

そのピクニックの日、各自が車を出して長野市郊外の霊仙寺湖へ向かったのだが、九子の前を走っていたK4さんの車が突然パンクした。

みんな慌てて車を止めた。

「どうしよう。困ったねえ。」
誰もJAFを呼ぼうと言わなかったとこみると、今ほど普及してなかったのかな?

その時Tさんがこう言った。
「じゃあ私やってみようか!」

「えっ?Tさん出来るの?」
みんなTさんの回りを取り囲んだ。

Tさんの行動は的確だった。
ジャッキで車を持ち上げ、パンクしたタイヤをはずし、予備の黄色いタイヤをトランクから取りだして取りつける。

これだけの事だが、この一連の作業をよどみ無くこなせる女性は少ない。
だからTさんが作業を終えるとみんなから歓声が湧き、拍手が起こった。

彼女がこれだけの事が難無く出来る人だということは、日頃の彼女の仕事ぶりを見ていると何となくわかった。

とにかく主婦業の達人!

彼女の子供達だけあって、九子がうらやみ、彼女が照れて「さる」と呼んでいた外遊びの天才の男の子二人の靴が、おろしたてのようにいつも真っ白なのだ。

秘訣は洗濯!

彼女は大の清潔好きで、子供の靴はみんな質の良いスニーカーにして、こまめに洗濯する。
それも、ありったけの力を込めて、ブラシでこする。

このこまめさで掃除だって手抜き無くやるのだから、彼女の家はいつもピカピカだった。

その上料理上手でもあった。
しゃれた料理を作るって言うよりも、定番料理をきっちりと、材料を吟味して作るのだ。

潔い人だなあといつも思った。
服装などは地味にしているが、料理の素材にはお金を惜しまなかった。

たとえばビーフシチュー。
九子などはオーストラリア産の百グラム90円位の肉を真っ先に選ぶのに(^^;、Tさんはデパートで百グラム500円位のを買うのだ。

魚料理もお手のものだった。
海辺の町で育ったTさんは、良い魚の少ない長野の事とてさびしい思いをしていただろうが、近所で大きな料亭専門に卸している魚屋さんを目ざとく見つけ、通い詰めていた。

九子なんぞは生まれてから一度もその店に行った事が無かった。
いつかTさんの真似をして行きたいと思ってるうちに、数年前店は閉じられてしまった。

そんなTさんの料理がまずかろう筈は無い。

シャケとエノキダケをコブだしで炊き込んだ混ぜご飯も、お店やさんのじゃない基本に忠実なコロッケも、形良くふっくらと焼けた餃子も、一回でお好み焼きソースが一本終わってしまうと言うお好み焼きも、お米と同じくらいたっぷり小豆のはいったお赤飯も・・・・・。

本当に、何もかもが彼女の子供達に対する愛情ではちきれんばかりだった。

Tさんを少しでも見習いたいと、九子もなるべく手作りに挑戦し、彼女のを見よう見真似で、ほうれんそうが隠れるほどすりごまが入ったごま和えやら、ふっくら餃子やらを作り始めた。

それまで九子が作った餃子は、横に寝ていた。(まるで誰かみたい・・・(^^;)
「あ~らやだ、九子さん。焼く時に底を押さえつけるようにして立てるのよ。」
あっ、本当だ!(^^;

彼女のご主人は某ビールメーカーに勤務していて、全国各地を飛びまわっていた。
長野の前は金沢、その前が高松だったかな?

高松の夏は暑苦しくて大変。
金沢は古い城下町で素敵な町だが、気位の高い人が多い。

長野は彼女の目にどう言う風に写るのかな?

しっかり者の奥さんには、なぜかしっかりしない旦那さんというのが相場みたいで、彼女の家も彼女で持っていた。

四人の子供達は、みんなお母さんを尊敬していたが、お父さんの事はどうでも良いみたいだった。(^^;

お父さんの名誉のタメに言っておくが、お父さんはとても仕事の出来る人だった。
ただ、お酒、たばこ、パチンコ、マージャン、エロ本に費やすお金が多かったという話だ。(^^;

彼女は九州生まれだ。
御多聞にもれず、気性の激しいところがあった。

「うちのかあさん、怖いんや~。」と息子のM君が言っていた。
それを聞きながら彼女が、「そうなの。腹立つとちゃぶ台ひっくり返すんだから・・・・。」と信じられないことを言った。

でも九子は知っていた。
N子が転んですりむいた時、トロい九子より先にN子に駆けつけて(^^;、傷から土をはらいながら心配そうにしていてくれたTさんの姿を・・・。

Tさんは情が深いのだ。放っておけないのである。
怒りも、深い愛情の裏返しと子供達がみんなわかっているから、叱られても大好きなのだ。

薄情な(^^;九子が同じ事をしたら、ますます子供に軽蔑されるだけだ。

つまり、ちゃぶ台返しにも仁義があるって言うわけだ。

Tさんはしかし、自分が大学を出ていないのを気にしていたみたいだった。
九子が一応薬剤師なので、いつも「凄いわあ。」と言っていた。

九子という人間をを知れば知るほど、「凄いわあ。」が「そうでもないのねえ。」になり、いづれ「本当に薬剤師~?」と評価が変遷するのが、普通の人のパターンなのだが(^^;、彼女は違った。

九子にしたら、Tさんこそが賢い母親の典型であった。
彼女ほど賢い子供を育てられる母親は日本中探してもいないと、九子はいつも思っていた。
今でもそう思っている。

でもTさんは、「九子さんちはみんな大学出だから・・・。」と言った。

大学を出ようが出まいが、Tさんと九子のどちらが社会の役に立つか比べてみたらまず、結果は一目瞭然。100人が100人、Tさんに軍配をあげるだろう。(^^;

九子のうちの芝生は、例によって母が植えてくれたものだが、例によって九子がなあんにもしないので(^^;、いつも母が草むしりやら刈り込みやらやってくれていた。

それが、母がだんだん身体がきつくなって、いよいよ芝生を剥ぎとって、当時もたぶん土が出ていた筈である。

そんな芝生でも、Tさんには青く見えたのであろうか・・・・。


Tさんが長野を離れてもう10年になる。
次の次の赴任地まで年賀状を出し、たまあに電話も入れた。

最後は3年前位だっただろうか。
彼女の声はいつも明るくて、離れてた距離も時間も軽く飛び越えた。

しかしなぜか去年の年賀状に返事が来なかった。
今年の年賀状は、ついに住所違いで戻ってきてしまった。

もちろん九子はTさんと、一生友達でいたかった。
彼女の子供達が、明日の日本を背負う逸材に育つのを見届けたかった。

でも、最後の電話で聞いてしまった事があった。

長野に、顔を見るのも嫌な人がいたのだと・・・。
悪い人じゃ無いのはわかっている。
だけど、会うと生理的にだめだったのだと・・・。
だから、出来たら忘れたいのだと・・・・。

世の中にはどうしようもないことってあるんだなあと、九子が遅れ馳せながら気が付いた一瞬だった。


我が家のごま和えは、数年間はTさんのレシピのまま、一袋すりごまを入れていたのだが、そのうち三分のニになり、今ではまた半袋くらいになってしまった。

Tさんの記憶を消したかったためではもちろんない。
単純に経済の問題であった。(^^;

コンプレックス [<学校の話、子供たちの話>]

前回の日記ではないが、九子のコンプレックスはちょっとしたものである。(^^;

そもそもコンプレックスとは、劣等感のことだと思っていらっしゃるむきも多いようだし、九子もそういう意味で書いた訳だが、実際は違う。



かく言う九子も、大学生になるまでその違いを知らなかった。



九子は大学時代、二つの部をかけもちしていた。

植物部(えっ?お花枯らす名人なのに?(^^;)と心理部だ。

・・・・ってことは、どっちもいいかげんにやってたって意味だ。(^^;(関係者の皆さん、ごめんなさ~い。)





心理部は、自分の気分が安定しないのに悩んでいた頃だったから、わりに興味はあった。



普段は、部室がトランプゲーム場と化していたのだが、さすがに学園祭が近づいて来ると発表らしきものもせねばならず、そこで、ユングの無意識論が取り上げられた。



これからの話は、九子が訳知り顔で話す話だから、例によって100%信じてしまわずに、ご自分でちゃんと確かめて頂く方が良い。(^^;



ユングはたぶん、先生に当たるフロイドとともに、無意識というものに光を当てた最初の心理学者だ。

彼はまた、東洋思想(禅にも!)に対して大きな興味を抱いていた。



彼は、人間の脳の中には意識をつかさどる領域の下に、海の下に隠れている氷山の様に、巨大な無意識の領域があって、その無意識が、意識に対して多大な影響力を持っていると考えた。



確かに、仏教で言うところの「唯識(ゆいしき)論」に似ている。

唯識では、人間の脳の奥底にある阿頼耶識(あらやしき)には、何回も何回も生まれ変わり死に変わりしながら輪廻転生を重ねて来た記憶がすべて、蓄積されていると考えられている。



コンプレックスというのは、もともと英語で「複合体」という意味だ。だからコンプレックスの正しい訳は、心的複合体となる。

さらに言えば
"feeling toned complex"
つまり「感情に色づけられた心的複合体」というのが、一番正しい言い方だそうだ。



たとえばあなたには、どうしてもウマが合わない苦手な相手というのがいないだろうか?



その人が言うことなすこと、どうにも訳がわからないのだけれど、気に障る。

他の人が同じ事を言ったりやったりした時はどうってことないのに、あの人がするとどうしてこうムカツクんだろう。



そんな時、あなたの無意識の中でうごめいているのが、コンプレックスなのである。



何度も例に引いて恐縮だが(^^;、九子が名門「N高校」の前を通ったり、うちの息子「N高校」に行ってるんザアマス・・とか言う言葉に反応して、ムム!っと思う時、このムム!っと九子に思わせてるエネルギーも、無意識の中にあるさまざまなコンプレックス、つまり心的複合体なのである。



この場合、言うまでも無くというか、言いたくないがというか(^^;、九子にムムっと感じさせている正体は、劣等感そのものであるからして、この場合のコンプレックスの事を劣等感コンプレックスと言う。



そう。だから比較の対象に応じて、反対に優越感コンプレックスだってあるって訳だ。

有名なところではマザーコンプレックス、ファザーコンプレックス、男性が陥りがちな権威コンプレックスなどなど、さまざまなコンプレックスが形成される。



つまり、コンプレックスとは「ある対象について、いつでも同様に、理由無く湧きあがって来る、快、不快の感情のもとになるもの」とでも言ったらよいだろうか。



「あの人のこと生理的に受け入れられないわ。」とか、「本能的に嫌い!虫酸が走るわ。」などと思う誰かがいた場合、たぶんあなたの中のコンプレックスが少なからず関与しているというわけである。



そう思いながら世の中を見回してみると、結構面白い発見がある。



たとえば・・・。



父が入院する前の九子。

父の言うことは一々気に触った。



特に嫌だったのは、なんでも自分でやらずに人に頼むことだ。

まあ、オエライさんを長年やっていて、「ちょっとお願い!」と言えば駆けつけてくれる職員さんに囲まれていたから・・と言えばその通りなのだが、忙しい時に限って用事を言いつけられるのにはイラついた。



その上、人を待たせることは全く平気で、そのくせ自分が待つ側に回ると数分も待っていられない。



そんな時、九子はいつもこれみよがしにこう言ってやるのだった。

「パパってさあ、自分の時間だけはかけがえがなくて、回りの人の時間は無限にあって、貴重でもなんでも無いって考えてるわけね。」



こういう場面が日常茶飯事のごとく起きていたわけだから、九子だってたまには悪いかなあと思う事だってあった。でも、言葉が勝手に口から飛びだして、止める事が出来なかった訳なのだ。



同じ事を母がやっても、これほどでは無かったと思う。



ただ、「活禅寺(←ここ)で修行積んでても(はあ~?修行~?あの程度で~?(^^;)、こんなことやってたらきっとバチがあたるわね。」と、心の中ではぬかづいていた九子であった。



そう。この場合の「一々気に触る」「言葉が勝手に口から飛びだして来る」等がポイントである。



つまり、九子の中の無意識の中にあるもやもやとした複合体が意識に働きかけて、イライラさせ、かっとさせ、平常心を失わせていたのである。

すなわち意思の力でコントロールし難い感情なのである。(それじゃあ仕方ないわねえ。(^^;)



ではこれは何コンプレックスなのだろうか?



そういう言葉はたぶん(絶対!(^^;)心理学用語に無いはずだが、似たものコンプレックスとでも言おうか。



父の、他人に頼って、自分では何もやろうとしない姿は、実に!九子が長い間母に頼っていた姿に重なる訳である。

そう言う自分に負い目を感じるわけだから、父を見ながら、実は自分の姿を見せられてるようで、常に不愉快な感情が湧き上がってしまうのである。



まあ奥底にあるのは、自分のことすら自分で良く出来ないという劣等感にほかならないわけであるが・・・。(^^;



ただ、父の入院後、このイライラ感は嘘のように軽減された。

父が本当に足が効かなくなって、自分のことを自分で出来なくなってしまったせいだと思う。

人を頼って当たり前の状況が生まれたからだと思う。



まあこれは、コンプレックスが状況によってうまい具合に克服された例になるんだろうと思う。

この場合、心的複合体の持つエネルギーが小さくなったと考えられる。



そのほか、「胸が無い」ってのも長年の悩みであったのだが、ようやくここに来て克服されつつある・・(かな?)(^^;



まあ、年齢的に悟りの境地に達したってこともあるけど、こういうのは、臆面も無く、言ったり書いたりするうちにだんだんどうってこと無くなってくるような・・・(^^;



これは、心的複合体のエネルギーを小出しにすることによって、爆発を防ぐってことになるんだと思う。



今日もM子が三男Y相手に、口角泡を飛ばして言い争いをしている。

ウマが合わない二人には、きっと共通する何かがあるのだろう。

それを認めたくなくて、でも無意識のエネルギーに突き動かされて、引き金を引き合っている二人。ク・ク・ク・。(^^;



コンプレックスの何たるかを知ってると、多分あなたの感情を冷静に判断するよすがになる。



そしてまた、あなたの回りの誰かの行動を、的確に分析するのに役立つかもよ~ん。( ^-^)



いつもいかにも正しそうな顔して間違ったことを言うのは、(M氏と同じ・・・いやいや(^^;)九子の悪い癖ですので、一応「ユング」「無意識」「コンプレックス」等のキーワードで調べてみて頂く事をお薦めします。

大物伝説・・・入学式事件記念日に・・・その② [<学校の話、子供たちの話>]

で一体、入学式には間に合ったの?といぶかしむ声もあるようなので、1時間半遅れで無事到着し、式自体は終わってしまったが、先輩達の入学祝いミニコンサートが始まる直前に駆けつけることが出来ました・・・と言う事を謹んでご報告させて頂きます。

お陰様でした、しなの鉄道駅員さん!( ^-^)



すなわち大物伝説・・・サクラ記念日にで書いた質疑応答の時間というのは、その後行われた大学構内の一教室での一コマであった。



ま・さ・か!

いくら九子だって、恥は知ってるつもりだ。(ホント?)

Y県民文化会館大ホールでだったら、いくらなんでもそんなバカな事は聞けない。(^^;









3日前の予報では雨だったのに一転、晴天に恵まれたN子の長野N大高入学式では、次男Sの担任だったK先生もいらした。



九子の顔をちゃんと覚えてて下さって(やっぱ美人って目立つからなあ・・(^^;)

「今度は妹さんですね。先日の同級会でS君からいろいろ聞いてます。」と言われた。



いろいろ?

いろいろねえ・・・・・。(^^;



でも知ってる先生がいらっしゃるって、やっぱり心強い。( ^-^)



K先生には悪いが、本当を言うと、SはN子のN大高行きを必死で止めたのだ。

「最初からN大高狙うなんてバカじゃないの?おすすめしないよ。自由がなくて、窮屈だ。」



もしかしたら、自分が果たせなかった名門N高入学の夢をN子に果たして欲しかったのかも・・・。

何しろ可愛がってる、頑張りやの妹なのだから・・・。



言いたくないが、実は九子も同類であったかも・・・。



「鶏頭牛尾」ほか、いろいろわかったような事を言ったり書いたりしたし、N子と二人で説明会を聞きに行って「良いね。」と決めた学校だったのに、いざ彼女が長野N大高の制服を身に付けるのを見ると、少々ほろ苦い思いもあった。



この九子もまた、名門N高校の呪縛にとらわれてる一人であるのだ。



あ~あ、もしかしたら、Sが、N子が通ってたかもしれないN高校!

結局我が家にゃあご縁がなかったなあ・・・。た・め・い・き。



今だってそうなのである。



あの頃、そう、次男SがN高に落ちた直後の精神状態は、やっぱり普通じゃなかったなあと今になれば思う。



N高校に合格出来なかったのならせめて、N高校の生徒と遜色のない大学に進学して欲しい!!

それを見透かしたかのように、あの頃我が家にはよく塾の勧誘が来た。



一つ目は、大きな出版会社がやってる通信添削講座みたいなもので、あわや入会と言う寸でのところで、正気のM氏に、「そんなもん、自分からSがやる訳ないじゃないか。」と言われて断念した。



次に、うら若い女性が勧誘に来た。

応接間に通して、話を聞くこと1時間。

基本的には教材を売りつけての自主学習だが、ちゃんと毎週スクーリングもある。

きっちりやれば、かなりの分量の学習ができるはずだった。



結局「スクーリング」という言葉に負けた。

でも、正気のM氏に最終的判断をゆだねようと、M氏とSを呼んだ。

M氏が駄目と言えばあきらめるつもりだった。



今から思うと、これが間違いの元だったのだ。



M氏、いつもは正気なのだが、相手が若い綺麗なおねえさんだとすぐに正気を見失うことに考えが及ばなかったのは、九子最大の不覚であった。(^^;



どうなったかな?と顔を出した時にはもう、月謝の支払い方法の話になっていた。

まとめて3年間一括払いにするとうん十万円安いですというおねえさんの言葉で、M氏はホイホイ判こを押していた。(^^;



Sのヤツも神妙な顔して「頑張ります!」と言った。



男共なんて、相手が若くて美人だとこんなもんだ。まったくもう!



その後一月ほど経って、Sは少々遅れてバトミントン部に入った。

何事も出足が遅いのが、Sのいつものパターンだ。



長野N大高の部活は厳しい。

バトミントン部はそれでもまだ楽らしいが、「それにしても附属中の『お遊びみたいな部活』をやってたくらいで、良く我が高の部活に入りましたね。」とK先生に後から言われた。



それっきりであった。



3年生の6月末まで・・・というのは実際夏休み一杯まで、彼は数えるほどしか塾に行かなかった。

もちろん理由は、「部活が忙しくて・・・・。」

その後はたまに行っていたようだが、良く聞いてみると自習室を貸してもらっていただけらしい。



「頑張ります!」が聞いて呆れる。



くう~っ!教材と、自習室借りるのにうん十万円!と考えると頭に血が昇るので、以来考えないようにした。



まあ良い。国立へ入ってくれたんだから、それで、もうチャラだ。(・・・親と言うものは、かくも甘いもんである。(^^;)



Sの評価はジェットコースターのようだ。(^^;

たいてい入学したては高いのだが、真中で先生にお小言を頂戴する。

「○○君は部活やりながらも頑張って入学時の成績を維持しているのに、ちょっとたるんでませんか!」(叱られているのは、Sではなく九子である。(^^;)



デジャヴ・・・と言うんだっけ。昔どこかであったこんな風景。

あれは附属中の担任のK先生の言葉。

「このままじゃあ、友達みんなにおいてきぼりをくいますよ!」



しゃくだから、九子は長野N大高のK先生にこう言った。

「Sは、実は中学の時も途中で先生に同じようなこと言われて叱られました。そのあと頑張って成績をずいぶん伸ばしましたから、たぶん今回もそうなると私は信じたいのです・・・。」



おお~、母親だねえ。( ^-^)



忘れもしない長野N大高3年生夏休み直前の三者懇談会。ここで最終的に目指す志望校を絞り込む。

Sは結構しぶとく、要所要所では良い成績を残していたので、今回のK先生の対応はまだ柔らかい。



「力のあるお子さんだと思うんですよ。でもいかんせん、このままの成績では・・・・。」



「先生の前で何ですが、御承知のように、彼はN高に行きたかったわけです。彼にとってN高はとても魅力ある目標だったと思うんです。だから、頑張って勉強して成績を伸ばしたのだと思います。



でも、今回彼が目標としているY大学は、ひょっとすると彼にとってN高ほどの魅力がないのかもしれません。目標がしっかりすれば、やる気を出す子だと思っています。」



先生と母親とのやり取りを知ってか知らでか、突然Sが口を開いた。



「ところでK先生って、いったいどこの大学出てんですかあ?」



思わずひやっとした。(同時に「いいぞいいぞ!」とも思った。(^^;)



「オレかあ?地元だ、地元!」



すると、信州大学教育学部だね。ふう~、良かったあ。( ^-^)



名もない大学だったりしたら、先生より先に九子が困るところであった。

ここで先生に恥をかかせる訳にはいかない。

何しろまだ内申点が付く前だったのだから・・・(^^;



Sの成績表はたいていが6か7だった。

しかし、その中に燦然と光り輝く10がある。

2年生の英語、通年10。そして、3年生は通年9。

実はこれ、大いに訳ありなのである。



2年生の初め、先生がこうおっしゃったそうだ。

「英検2級を取った者には、点数に関わらずこの学年の評価10を、3年次も9を与える!」



こういうチャンスには、しぶとく食らい付くSである。

めでたく春の英検で、クラス一番に2級を手にした。(合格通知に刻まれた点数は、合格ラインすれすれの点数ではあったが・・・・。(^^;)



もちろん彼のその後の英語の成績は、2級所持者とは思えぬ低迷ぶりであった。



尊敬に値するのは先生である。

ちゃんと約束を守って、そんなテストの点数にでも従容(しょうよう)として最後まで10や9を付けてくださった。( ^-^)



1年の頃6が多かった通知表は、7が並ぶようになって来た。これも彼なりの戦略である。

6だと3にしかならない内申点だが、7なら4がもらえるのだ!



こうしてみると、彼は実に戦略家である。



スポーツ、ゲーム、パチンコ、マージャン、ビリヤード・・・。

遊び大好き人間に、戦略はたぶん欠かせない。



彼の学年から家にも通知されるようになった大学の評定を見ても、ほとんどが60点の「可」ばかりである。何科目もきっちり60点ばかり取るって、結構難しそうな気もするが・・・。(^^;



たまにはこんなこともあった。



友達のK君の家に泊めて頂いた時、帰りになぜか綺麗なチューリップの小さな花束を持ってきた。



「どうしたの?それ。」

「K君のお母さんがくれた。」



慌ててお礼の電話をかけた。

そうしたら・・・。



「S君って本当に可愛いわね。

私が、庭のチューリップ花瓶に挿そうとして切ってたら、

『おばさん、きれいな花ですね。』って言うじゃない。

あんまり可愛いから、『要る?』って聞いたら『はい。』って言うから、少しだけど差し上げたのよ。」



「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」(言葉を失ったさま。(^^;)



そんなこと言うっけ??



はは~ん。そうか。

彼は立派に九子家の男ってわけだ。



父もそうだ。祖父もそうだった。

外面(そとづら)が良いというのが、どうやら彼らの特徴らしい。



隣近所のおばさんに会えば、後ろからでも声をかけて挨拶する。

Sは昔からそういう所があって、町内の女性陣の評判は実によかったのだ。



それも戦略?って見方も出来る。



その戦略があまりにも無謀過ぎて、親には切ないことだってあった。

そう。せっかくのN大理工学部の推薦を蹴ってしまった時だ。

「オレは特進に居るんだから、N大なんか行かずに国立狙う!」



模試で結果出してるならいいよ。志望校すべてが合格可能性10%っていう当時の模試の結果を見た途端、九子は頭がクラクラした。11月も終わりの頃だ。

この成績でN大蹴って、いったいどこの大学へ入るつもり??



そしてそれからしばらくして、「薬を飲み続けてさえいればウツにはならない」という自信がついた頃であったのに、九子は4年ぶりに軽いウツ病を発症することになる。



結果オーライだと言えばその通りだけど、母親というもの、特に九子のような人間は、戦略より何より、安穏とした道を好む。





大物伝説・・・。



間違えてはいけない。

次男Sが本当に大物であると言っている訳ではない。

あくまでも、「大物という伝説」なのである。(^^;



本当に彼が大物かどうかは、これから先の人生で決まる。

九子と一緒に、彼のその後を温かく見守ってやって下さい。( ^-^)

大物伝説・・・・入学式事件記念日に・・・その① [<学校の話、子供たちの話>]

去年の今ごろ、九子の心はときめいていた。

次男Sがまさかの国立大学に入学し、4月9日は入学式。
子供にとってももちろんそうだろうが、特に母親にとっては一世一代の晴れ舞台だ。

時あたかも7年に一度の善光寺御開帳を間近に控えた4月初め、会社帰りのサラリーマンに良く読まれているタブロイド紙「日刊ゲンダイ」4月5日号「妙薬探訪」に、我が家の 「雲切目薬」が載ったのだ。

運の良いのを自認する九子だが、こんな良いことずくめってあるだろうか!( ^-^)

お陰で、売れないはずの笠原十兵衛薬局は、朝から夜まで注文の電話が引きも切らず、九子は生まれて始めての多忙な日々を送っていた最中の入学式であった。

しかも晴天でサクラも満開の頃、最高の気分で長野駅に着いた。

え~と、松本で乗り換えてK市までね。
その瞬間まで、九子の頭は明晰であったはずだった。

ところが、次の瞬間!

ほとんど同じ時刻に長野を出るしなの鉄道の列車に、九子の足は吸い寄せられていった。
たぶんこの瞬間も、九子の頭は依然として明晰だった・・・と本人は思っていた。
ただ、明晰でなかったのは、頭の命令で動くはずの足だけだったのだ。(^^;

しなの鉄道というのは、新幹線あさま号の開業で、新幹線が止まらなくなった信越線の駅を結ぶ第三セクターの鉄道で、赤字続きだったのを、たぶん飛行機の安売りチケットで話題をさらったスカイマークエアライン社の社長だったかなんだかのお偉いさんが立て直したという会社である。

元は信越線本線だったこの鉄道は軽井沢方面へ向かうもので、いくら乗っても決して松本へは着かない。
篠ノ井駅で分岐して、信越線方面と松本へ向かう中央線方面とに分かれる。
篠ノ井駅でせめて気づいていたら・・と思っても後の祭りというものである。

晴れの良き日に、気持ちは最高潮。
るんるん気分の九子は、たぶん世の中で一番幸せな母親の顔をしていたに違いない。
迫り来る不幸にも気づかず・・・。(^^;

九子があれっ!と思ったのは坂城(さかき)駅を出た頃だ。
「次は上田・・・上田でございま~す。」
えっ?上田?変じゃなあい?
(言うまでもないが、変なのは違う列車に乗った九子の方であり、しなの鉄道に落ち度はない。(^^;)

えっ?もしかして、これってしなの鉄道!!!

ようやく気が付いて慌てまくる九子。

でも頭の中でコンピューターが作動し始めた。(たぶんpentiumのずっとずっとず~っと前のやつだ。(^^;)

松本発の中央線って、まだ30分以上時間あるよねえ。
上田駅から松本までタクシー飛ばしたら、間に合うかもしれないじゃん!

この考えは、所詮いにしえ式コンピューターのはじき出した結論でしかなかった。
上田駅で改札の駅員さんは、あっさりとこう言った。

「松本まで?30分じゃ無理無理!仕方ないねえ。向こうにみどりの窓口があるから、そこで相談してみて!」

ダッシュする九子!
たしか九子が走る時、事件が起きるはずでは・・・・・?

いいの!もう、事件は起きてるんだから・・・・。(^^;

みどりの窓口の駅員さんは、本当に親切だった。

はじめ東京回りで新幹線使って・・という方法を考えたが、
「それより、篠ノ井駅まで戻って、次の中央線を待つ方が早いです。それだと、1時間半遅れくらいで、K市に着けますよ。」との事。

九子は最敬礼して、みどりの窓口を出た。
(九子に最敬礼してもらっっても、駅員さんにはなんのメリットもない。(^^;)

篠ノ井駅にもどるしなの鉄道の電車の中に、慣れないケイタイでメールを打つ九子の姿があった。

それにしても、なんでこんなにめんどうなの!遅れるの「お」を打つのに、5回もボタンを押すなんて!!

いつもであれば、途中でギブアップするところだが、そうはいかない。
是が非でも、アパート前で待ってるはずのSに連絡をとらなくちゃ!

しばらくして、彼から無情な返事が返って来た。
「来れないんなら、無理して来なくていいよ。おれの友達も、親来ないやつ多いから。」

なに~!それって~。
せっかくのこのチャンス、逃してなるものか!
(国立大学へ入った息子の母親の役所なんて、そうそう回って来るもんじゃない。)
こうなったら、意地でも行ってやる~!(^^;

それにしても、友達って誰のこと?
長野N大高からは、彼一人のはずなんだけど・・・。

後からわかった事だが、彼はオリエンテーションの時などにちゃっかり友達を7~8人、もう作っていた。
昔から友達を作るのはうまい彼なのであった。

もっと後になってわかったことは、彼の友達は第一志望に落ちて泣く泣くY大に入って来た優秀な子が多く、彼らのお母さん方はきっと、失意のうちにこの入学式を迎えていたのだ。
だから、入学式来なかったんだね。

じゃあ、乗る電車まで間違えて、頭の中まで春爛漫で、式に臨んだ九子って一体・・・ううう。(^^;

そうなのだ。Sの友達は頭の良い子が多い。
長野N大高でセンター試験の答え合わせを一緒にやったという親友の一人W君は、同じYでも難関校のY国立大学へ入学した。

Sとはセンター試験の成績に、200点も差があったという。
言うまでもないが、Sの方が200点も下だったのである。
ふつう一緒に答え合わせしないよねえ。(^^;

それでもめでたく、Sは国立Y大学に入学が叶った。
すれすれで入ったに違いないことは、この一件ひとつ見てもわかる。(^^;

大物だけではない。
きっと運も良いのだろう。
その運も使い切った名門N高校受験の時は別として・・・。(^^;

でもその運の良さって、ひょっとして九子似・・・・?

この九子に似てるなんぞと言われて、今ごろプライドの高いSは、どこかでくしゃみをしているかもしれない。( ^-^)

今日書き切れなかった大物ぶりは、また次回に・・・。

パフェの話 [<学校の話、子供たちの話>]

可哀想に、N子とM子は物心つくまでパフェというものに縁がなかった。

当然の事ながら男の子達などは、そんなものは食べるはずがないという親の思いこみの犠牲になっていた。

ファミレスに行くたびに「パフェって生まれてから一度も食べたことないよね。食べてみたいよね。」と言われるのは、あんまり格好の良いものではない。
その度に、「だってパフェ食べるお金で、ハンバーグ食べられるじゃない。もったいない!」と言うのも、もっと情けない。(^^;

友だちというのは有り難いもので、N子のパフェ初体験は、友人と一緒に行った喫茶店でだったらしい。そこではパフェの他、厚切りバタートーストに輪切りバナナを乗せ、生クリームとチョコレートシロップで飾ったものを500円位で出してくれるそうだ。かなりのボリュームだから、二人で分けてもOKだとか・・。

しっかり者の九子は(^^;、即、そのレシピを盗んで、日曜日の朝などに食卓にのせている。
4枚切りの厚切りパンを買ってきて、最初から大きさを二つに分けて二人分にする。
バターならぬバター風味マーガリンを、ケチな九子にしてはたっぷり・・・・。
この時点ですでに味がビミョーに違うわけだ。(^^;

トーストがこんがり狐いろになった頃、取出してバナナと生クリームとチョコレートクリームをのっける。
(あっ、ここはケチらず本物生クリームを使ってます。値段優先ではなく、味優先で行く数少ない例(^^;)

そういえば、このこんがり狐いろというのも、九子の場合微妙に仕上がりに差が生じる。
半生焼けの柴犬色(?)から、焦げつき過ぎの真っ黒色まで、千差万別の仕上がりだ。(^^;

でも一番の違いは、家で作ると生クリームがすぐに溶けてしまうこと。お店のは、あったかくてもだら~んと溶けずに、しっかり形が残ってのってるそうなのだ。

う~ん、そのあたりの企業秘密、教えて欲しいなあ。( ^-^)


N子はその時、パフェの上にのっかっていたバナナを食べるべく、右手に持っていたそうである。

九子には、言葉どおり彼女が右手に直接バナナの切り身?切片?、とにかく半分に切ったヤツを掴んで持っている光景が浮かんでくる。(一本まるごとじゃなくて、まだ良かったね(^^;)

彼女の場合、フォークをしなやかに使っている場面は、どうも想像しにくい。

ここは毎週土曜日の夜、T書店にレンタルCDを借りに行く時いつも気になっていた喫茶店である。
長野には不似合いなほど規模も大きく、中世の西洋のお城をイメージさせる洒落た作りの店である。

上記の理由で、いつもパフェというものに思い入れの強いN子は、ここでもパフェを頼んだ。いや、正確に言えば、パフェが食べたくてこの店に来たのである。

その時、店員さんが来て「あのうお客様、先ほどお客様のパフェに失礼がありましたので、新しいのをお持ちしました。」と言ったそうである。

失礼というのは、こういう事だったそうだ。パフェを持ってきた店員さんの指がわずかパフェにふれたのだそうだ。
えっ?それで丸ごとひとつ取りかえるの?それは結局捨てられるわけでしょ。もったいな~い! 

とっさに彼女はこう聞いたそうだ。
「あの、バナナ持ってるんですが・・・。(わざわざ言わなくても見りゃわかるだろうが・・・。)
これ、どうすればいいんでしょうか?」(おいおい、そんなこと聞くなって。(^^;)

それだけでも充分恥ずかしいのに、彼女はさらに言葉を続けた。
「これやっぱり、返した方がいいですかねえ。」

店員さんはこう言ったそうだ。
「いいえ、けっこうです。」

そりゃあ、そうだろう。
それにこの時の「けっこう」は、「いいですよ。」って優しい意味じゃなく、「誰が要るかい・・・!」って冷たい意味だったような気がする。(^^;

でも考えてみると、九子は3歳頃もうおじいちゃんに連れられて、その頃目新しかったデパートの食堂で(古い!)チョコレートパフェを食べさせてもらっていた。

いや、九子の記憶力がそんなに良いわけではない。
写真が残っているのである。
(おお、それにしても可愛かった九子ちゃん。( ^-^))

それに引換え、気の毒な我が家の子供たちよ。
よわい13歳になるまでパフェにご縁がなかったとは・・・。

子供たちの誰もが「(自分の)子供はたくさん要らない。」と言う。

うん十年前子供であった九子すら、3歳で食べたチョコレートパフェを、13歳になって始めて食べられる彼らである。

これひとつをとっても、彼らの、兄妹の多い不満が充分わかる気がする九子であった。(^^;

スカート嫌い [<学校の話、子供たちの話>]

お正月にテレビを見ていた時のことだ。



九子はもちろん主婦の鑑(かがみ)であるからして(^^;、無駄にテレビをみたりはしない。

見ながら手を動かしているのである。しかもお正月にだ!

ふだん九子がどんなに忙しいのか想像がつこうってもんだ。(^^;



この時はたしか・・・(実は、そんな事はついぞ珍しいことだったので、しっかり記憶していたのであるが(^^;)もうすぐ長野N大高の推薦入学の面接試験を受けるN子のために、少々裾が長いと先生から指摘されたズボンの裾を縫っていたのであった。



信大附属中は、基本的に女の子はブレザーとスカートなのだが、冬は寒い長野のことゆえ、スラックスを履く子が多い。それを逆手に取って、スカート嫌いのN子は年がら年中スラックスで通していると言うわけだ。



もちろん何でもお姉ちゃんの真似をしたがるM子も右にならえである。



ところで最後に彼女たちがスカートを履いたのは、小学校の入学式だったそうだ。以来頑としてスカートを拒み続けていた。



「どうしてなのかなあ?」と知人に話したことがある。

彼女の言葉は鋭かった。



「ねえ、小さい頃おにいちゃんのお下がりばかり着せていなかったあ?ズボンばっかりでスカート履かせていなかったでしょう。原因はきっとそれよ。」



うっ、図星だ!



だがさすがのN子も、今年は年貢の納め時である。

長野N大高の女子制服は、年間を通してスカートだからだ。



何度も言うが、N子は5人兄妹で一番まじめな頑張りやである。

そのN子が、掃除が行き届いていて校舎がきれいだから長野N大高に行きたい!と言いだした時、九子はほくそ笑んだ。(^^;

おお、N子ちゃん、賢い選択だねえ。



確かに、一時は売れずに店じまいすら考えた薬局ではある。

でも、たびたび日刊ゲンダイその他マスコミに登場させて頂いて、雲切目薬を愛用して下さるお客様も増えた。

何より17代460年の伝統である!

九子の代でお仕舞いにするのは惜しいと、このごろ切に感じるようになった。



薬科大学は、九子の頃と違って、近年とみに敷居が高くなった。

長野の名門N高の生徒ですら、浪人して薬大に入る子も多いと聞く。



ところでN大は日本一のマンモス大だから、それこそどんな学部でも無いところはないのである。

薬学部だって、入るのがより簡単な附属高推薦で、長野N大高から行けちゃうのである。

私大の薬学部ってお金かかるのよ~と言えば、節約家のN子のことだ、国公立を目ざしてくれる可能性だってある。



・・・・というのは、あくまで親の目論見(もくろみ)である・・・。(^^;



当の御本人はそんなつもりはさらさら無い。

長野N大高の面接では、将来何になりたいですか?と聞かれ、

「マンガ家になりたいです。」と答えた彼女である。



一応特進クラス志望なので、

「はあ~っ?特進出てマンガ家~?」などと言われたら困るところであったが、さすが長野N大高の先生は人間が出来ている。

さらに続けて「どんなマンガが好きですか?」と聞いて下さったそうである。



「キャプテン翼とかあ・・・・・。」

「あっ、キャプテン翼、良いですねえ。先生も好きですよ。」

見よ、この先生方の器の大きさ。( ^-^)



お陰で、N子はめでたく合格証書を手にする事が出来た訳である。





先日、Tデパートへ制服の注文に行った。



長野N大高に進学すると決めてから、彼女なりに心の準備は出来ていたらしく、9年ぶりのスカートに戸惑う事もなく、淡々と試着し始めた。



スカート丈は地面から36センチ(プラスマイナス1センチ)に決まっているそうである。

うん、これはぴったりだね。良い長さだ。

でも、う~んと背の高い子や低い子、足の極端に長い子や短い子もこの基準でいいんだろうか・・・(^^;



派手な制服の多い中、シンプルな紺ボタンのブレザーとスカートの制服は、確かに地味の極み。

お金出した割に、何これって感じだよっと、早々試着し終わった友達は言っているそうだ。

でもその地味さ加減が、節約家のN子には良くなじむ。(^^;



うん、なかなか似あうよ、N子!

スカート履かなかった間に太めになったウエストを絞り込む良いチャンスかもしれないし・・・。



3年間、よろしく頼むよ、制服さん。

舎内着があった信大附属中学校と違って、体育以外はずっと制服の長野N大高だそうだから、仲良くしてやってよね。

(もっとも仲が良すぎて4年間もというんでは、ちと困りものなんだけど・・(^^;)





そうそうN子、マンガ家のことなんだけどさあ。



君の担任のN先生も、実はR兄ちゃんの高校の担任だったK先生も、進学に当たってみんな君たちのことを考えて「親の言うことなんか聞かずに、自分の行きたい道に進みなさい。」とアドバイスして下さったものだ。



だからさあ、君がマンガ家になるって夢、ママは応援してるよ。素晴らしいことだ!



だけどさあ、一応薬大出て薬剤師の免許だけでも取っておいて、それからマンガ家になるってのはどうだい?



君がよそへ嫁いでしまうんだったら仕方がないが、日本広しと言えども、店番やりながらマンガ書くって芸当が出来る暇な薬局なんて、わが笠原十兵衛薬局除いたらそうそう無いと思うんだけど・・・、

どうだろう・・・(^^;(^^;





サマランチさんの通訳氏 [<学校の話、子供たちの話>]

M子が、公文を止めた。一月のことだ。
もともと家のはす向かいの、そうKOさんの奥さんであるF先生が開いていた公文教室に、4年生だったN子が通い始めた時、何でもお姉ちゃんのまねをしたがるM子も一緒に始めた。

ちなみに上3人の男の子は、誘われたが長続きしなかった。
公文は勉強の習慣をつけさせることが第一の関門である。
それには親の努力が不可欠であったと痛感した。
親の努力の足りない我が家では、とうてい進歩は望めないはずであった。(^^;

しかしN子は違った。もともと友達に誘われて通いだした教室である。親のフォローなど全く無しに、自ら進んで宿題をした。

さすが、我が娘!
一体誰に似たんだろ~。(^^;

M子がつられて今まで続いていたのが、まあ不思議みたいなもんだ。
こっちの方は、誰に似たのか良くわかる。(^^;

とにかくM子に、新しい塾を探さなければならない。
M子のやつ、プライドだけは人一倍で、バカにだけはなりたくないと、塾だけは行きたがる。(なら止めなきゃいいのに・・。(^^;)

テレビのゴールデンタイムの狭間に行けて、小人数制、できれば個別学習で、近まにあって、先生が厳しくなくて、小学生がピ一チクパーチクうるさく無いところ・・・・なんていう条件をクリアするところがそんじょそこらにあろうはずがない。

ところが!その学校からダイレクトメールが届いたのである。
それは九子には懐かしい名前だった。

思えば8年前、長男Rを始めて塾に入れる時、M学習室というのが近くに出来ましたからと、当時の室長だったFさんがやって来て、一時間もかけて丁寧に説明をされた。

半分そこに決めかけたが、当時先生をしていた義兄が、地元の有名塾の方が信用おけるよと言うので、ほとんどキャンセルするような形で地元塾に決めた。

そんな訳で、そのダイレクトメールには因縁めいたものを感じていた。

中を開いてみると、びっしりと細かい字で埋め尽くされた中に、現室長の紹介として「冬季長野五輪IOCサマランチ会長通訳」という一文があった。
面白いぞ!と九子は思った。

早速電話してみた。
後から思うと、電話に出たのが現室長K先生のようだった。

「ああ、お子さん附属中学校ですか。それで小学校は?あ~あ、附属小から・・・・。なるほど、わかります。お困りでしょう。(^^; じゃあ今度、お母様と体験学習に来てください。前回のテスト結果を持って・・・。」

最後の一言はM子をぎょっとさせたが、とにかく親子で一緒に出かけた。

看板も何も無いそっけないビルの2階の一室。長方形の折りたたみ机が20個ほどただ並んでいる部屋に、先生とおぼしき学生さんっぽい人々が6~7人と、生徒が10数名。

しきりも何も無い部屋の中だから、隣の机の声が届いてがやがやした雰囲気だ。

何でも大学受験生まで教えている塾だから、試験追い込みの昨今、忙しくて忙しくて先生が二人ダウンしてしまい、連絡不行き届きでM子の予約が忘れ去られていたらしい。

それでも室長は(一目でそれとわかったのは、彼だけが他の先生より明らかに年かさだったからだ。もっとも九子より年上と思っていたのに、6歳も年下とわかった時は唖然としたが・・・(^^;)、一人の先生をM子に紹介し、九子は少々待たされた後話を聞いた。

一通り話を終えた後、九子は思いきって聞いてみた。
「先生は、冬季五輪の時サマランチさんの通訳をなさったそうですね。」

「はい、そうですよ。いやあ、イヤなじいさんでした。二度とやりたくないです。もっと嫌だったのは、奥さんの方でしたが・・・。」
(サマランチ氏がこの日記を読む可能性はほぼ100%無いと判断してこの日記を書いている。(^^;)

何でもK先生はイギリス生活が長く、向こうでビジネスをしていらしたと言うことだ。

彼はもともと英検1級と国連英語検定1級を持ち、(これだけでも充分凄い!英検1級は一年間に百数十人しか受からないはずだし、国連検定の方はもっと難しい!)その後、英語好きなら誰でも憧れる松本道弘先生の塾生となり、なんと!一ヶ月間先生と二人だけで日本語一切禁止の生活をしたそうだ。

「一応資格あるわけだから、自信持って入ったわけですよ。そしたら最初に言われたことが『君はインプットが足りない!』 

それで、先生の特別指導になって・・・。いやあ、苦労しましたよ。一番何が嫌だったって、頭に二本角みたいに懐中電灯つけて、シナリオ持って映画館へ入るの。入る時は『お願いします~。』出る時は『有難うございました~。』って叫んでね。いやあ、恥ずかしかった。

それで、映画は一切見ずに、とにかく耳から聞き取った事だけをシナリオに書き取っていく。その訓練を、これでもかこれでもかと毎日繰り返す。いやあ、参りましたよ。」

そしてK先生の得た結論は・・・・・。
英語を話そうとするのは、最後でよい。
まずは英語の情報を耳から目から浴びるように入れ続ける。
出すこと、つまり話すことはその後に自然に付いてくるものである。

ふん、ふん。好きな英語の事だから、九子は聞き耳を立てて聞いている。
なるほど!インプットか!インプットね。

そのうち1時間半が過ぎてM子が戻ってくる。

「どうでしたか?先生の説明わかったかなあ?」
「いえ、難しすぎて・・・。」
「そうか。実は今の先生普段高校生教えてるんだよ。君を教える事になってた先生、休みなんだよ。悪かったね。ところで君は、将来何がやりたいの?どんな高校ねらってるのかな?」
「別に~。楽に行ける高校行って、たとえばN高校とかあ。それで、短大でも行って、アリバイトやりたい。フリーターでもいいかなあ。」

先生の顔色が変わった。
「君ね、そんなこと考えてるなら、別に勉強する必要ないじゃない。中途半端に勉強するのはお金の無駄だからよしなさい。うちは、やる気のある生徒しか入れないんだから・・・。決心するのは今だよ。勉強やらなきゃやらないでもいいけど、1年後きっと後悔するからね。」

九子はハラハラした。M子が今にもキレルんじゃないかって。
でも、あいつは普通にしていた。
大人になったなあ。(とんだ親バカである。(^^;)

あちらも言い過ぎたと思ってか、「今日は中学生の先生お休みだったから、もう一度来てもいいんだよ。」とか何とか、精一杯のフォローに努める。

帰り道、M子からさんざん悪口を聞かされた。
いわく、いかに室長の脂ぎった顔がキモかったか。
いかに、先生の説明が下手だったか。
いかに部屋の空気が悪くて吐き気を催しそうだったか・・・。

あ~あ、また塾探しが振り出しに戻った。
でもインプットの話、役に立ったなあ。
良し!明日から例の英語週刊誌また読み始めるぞ~。


その後、英語週刊誌は一行も読まれていない。(^^;

T教頭先生 [<学校の話、子供たちの話>]

かつて信大附属中学校に末娘のM子が入学するというので、親の面接というのを受けた。

信大附属小の生徒は、もちろんこれで落とされるはずなどなかったので、結構気楽に受けた。



九子が子だくさん(^^;というのを知ってるお母さんには、「毎年どんな質問されるの?」と良く尋ねられたが、そんなこと九子がいちいち覚えてるわけがない。(^^;



その面接をして下さったのが、T教頭先生だった。T教頭先生と聞いて、知ってるお母さんみんなに緊張が走った。



T教頭先生の印象は、以前から鮮烈だった。



ステージに上がられる前、皆に向かって深々とお辞儀をされる。

角度のある、でも媚びるところの全く無いすがすがしいお辞儀だ。



ステージに上がられる時も、国旗に向かって一度、校章に向かって一度、ゆっくりと念入りにお辞儀され、演壇で再び鋭いまなざしを向けながら、右に一度、左に一度正確な礼をされる。(心なしか、ついでにお辞儀されるビーナス嬢も嬉しそうだ。(^^;)



もし制服姿であったなら、実に立派な自衛官のような威厳あるT教頭先生の姿は、もうそれだけで見ている者みんなを圧倒する。



さぞや厳しい先生なんだろうと、みんな思ってしまうわけだ。





すでに面接を終えたお母さんから、どうやら中学校に兄姉がいる子は、おにいちゃんおねえちゃんの話が出るよという情報がもたらされた。



そうか!N子だったら、さぞや先生の受けは良いに違いない!ほっ!( ^-^)



前の先生の机で面接されるお母さんのまわりを、他のお母さんが部屋の壁伝いにぐるっと取り囲む形で、名簿順に面接が進む。



九子の番がめぐってきた。

ゴクリ!これは九子が生つばを呑み込む音。(^^;



「おにいちゃん、どうしてます?N高校行ったおにいちゃん・・・。」

(くどい様だがN高校とは、次男Sが落ちた長野の名門N高校ではない。)



「ハア~?Yですか?元気に行ってますが・・・。」



「いやあ、彼は良い学校を選びましたねえ。おかあさん、ご存知ですか?あそこから国立Y大学の工学部へも推薦で行けるって話を・・・。」



「はい、聞いてます、彼は理系向きではないので無理ですが、でも先生、附属中で240人中230番だった彼が、N高行ったら90人中30番と聞いて、驚きました。世の中広いんだなって・・・・・。」

(後から考えたら、何もみんなに聞こえる所で順位まで言う事無かったのに・・・と思ったが、後の祭りであった。(^^;)



「そうですよ、このまま頑張れば推薦で好きな大学行けますよ。彼は良い趣味を持ってるし、得意な方を伸ばしてあげたらいいんじゃないですか?」



ええっ?先生ったら、Yがほとんど日本中の鉄道を乗りついで、一人旅して歩いてる話まで知ってるんだあ。



そういえば、Yの高校の家庭訪問で(高校で家庭訪問があるってんで、九子はびっくりしたものだ。)担任の先生からこんな話を聞いていた。



「いつも夏休みに各中学校をまわって、今年はどんな子が来るか様子を見に行くのですが、その時先生から『今年は良い子が行きますよ。』と言われていたんですよ。Y君はその通りのお子さんで、喜んでいます。」( ^-^)



皆さん、ここで喜んでいては九子と同レベルである。(^^;



N高校へは、いつも附属中で箸にも棒にもかからない子供だけが行くのである。

例年は、知能は高いのかもしれないが、素行が悪くて手に負えない奴らが行っていたのが、今年は、素行こそ悪くないが、点数の悪さにおいては箸にも棒にもかからないYが行ったというだけの話である。



そうかあ、T教頭先生がそんな事言って下さったんだあ。嬉しいなあ。( ^-^)





・・・・・そんな訳で、可哀想にM子のMの字も出ずに、面接が終わった。

いや、考えるにそれはM子に取っては却って好都合かもしれなかった。(^^;



帰ってから早速Yに聞いた。

「今日さあ、M子の面接の時、T教頭先生ったら君の話ばっかりだったんだけど、どうしてT先生と仲良くなったわけ~?」



「ああ、なんだったかなあ。そうだ!オレ、ガラス割ったんだ。それで教頭室へ呼ばれて・・・・。」(^^;



M氏がいみじくも言っていた。

「先生の記憶に残る生徒ってのは、えっらい出来るヤツか、とことん出来ないヤツ、それとうんと手のかかったヤツかそのどれかで、中間はないんだってさ。」

なるほど!(^^;



ところで、子供達の口から話されるT教頭先生像は意外であった。



「今日、教頭先生に声かけられたんだよ。『背が大きくなりましたね。』って。びっくりしちゃった。ってことは、N子のこと前から知ってたのかなあ。」

「教頭先生って、良く一人で掃除してるんだよ。掃除が好きみたいだよ。今日もやってた。」



Yの卒業式後の謝恩会で、T教頭先生の人気がいかに高いかを目の当たりにした。

お母さん方が先生にお酌をしようと長蛇の列であった。



T教頭先生は、一人一人のお母さんに学校での息子や娘の様子をつぶさに話されていた。



教頭先生なのに、教科を担任している訳じゃないのに、どうしてこんなに一人一人を良くご存知なんだろう。きっと子供たち一人一人を、自分のかけがえの無い生徒として本当に良く見ていて下さるに違いない。

こんな凄い先生が、まだ信州にはいるんだぞ!( ^-^)



もうすぐN子の卒業式がやってくる。

T教頭先生のところへお酌に行けば、きっとN子の話題で盛りあがる。

M子のことは、T先生の事だから、気の毒がって触れようとなさらないかもしれない。(^^;



だけど人間誰しも、怖いもの見たさという感情があるのだ。

T教頭先生の心眼にM子がどう映っているのか、少々伺ってみたいような気もしてくる。(^^;




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